2007-12-29

師走、坊主はふと、考える。

【今日やったこと】

久々のトランスフェクション。

普段からやっている先輩に、教わりなおしてやったけど、

以前やっていたのとやり方がずいぶん違うので、とまどう。

ある意味、この実験がきれいに決まるかどうかで、

俺の人生、少し、変わるかも。

はたして、

うまくいくと、いいのだけれど。

◇◇◇


年の瀬、師走の慌ただしさは、クリスマスの終演とともに過ぎ去り、

なんだか、急に世の中が静かになってしまった。

そうなると、ついつい考えてしまうのが、今年一年のこと。

思えば、ちょうど一年前、

自分はまだ、あの蛙の研究室にいた。

そして今、自分はウナギの研究室にいる。

この一年、環境が大きく変わって、とまどうことも多かったけれど、

いろいろ、初めての場所、初めての経験、初めての出会い、そして、いくつもの再発見があった気がする。

同じ実験でも、違うやり方があると言うことがわかったし、研究の方針、考え方、接し方にも、違いがあることがわかった。

もちろん、研究活動の面だけじゃなく、
医学部という今まで縁の無かった世界に飛び込んで、知らない用語に接し、知らない考え方に接することもできた。

学校以外でも、いろんなところでいろんな人に出会って、いろんな思いをした。

今年一番の思いでは...。ある場所を旅していて、偶然居合わせた、おもしろいおばあさん(相当な高齢)と、一緒に、小一時間、デートしたことかな。

そのおばあさんは自分のやつより立派なデジカメを持っていて、最近パソコンを習い始めたとかで、家に帰って、それに取り込むんだ、なんて言ってた。

すごいバイタリティー。まだ半分も生きていない若造は、終始押されっぱなしだった。

自分も一人旅だったし、向こうも、そのようだったので、お互い
旅の道連れが欲しかったのかもしれない。

名前も知らない、どこに住んでいるのかも、結局しらないけど。
たぶん、もう二度と無い、いい思い出ができた。

自分の、数えるくらいしかない、デートのうちの一つ。
どれもこれもが、ただただ、酸っぱくて、ちっとも甘さのないことが多かったけど。


まあ、でも考えてみれば、ほんとにいろいろあったなあ、この一年。ここに書いたことも、書かなかったことも、自分にとってはどちらも大きな、大切な思い出。

また来年も、いい思い出が増えてくれるといい。

書けることも、書けないことも。

2007-12-25

あとがき

【今日やったこと】

モノクロの世話。

明日の準備。


あしたは、この一年の総締めくくり。

一年分の研究成果を、まとめて発表する日。

でも、

先輩と共同研究だから、俺の言う分、だいぶ少ないんだよね。

楽と言えば楽。

切ないと言えば、切ない。
◇◇◇


さて、そんなわけで、クリスマススペシャル、お楽しみいただけましたでしょうか。

何度読み返してみても、あんまり、傑作ではないですが、

今のわたしに、やれるだけのことは、やってみました。

そもそも、

恋愛経験の希薄な人に、

恋愛物をかけ、と言う方が、無理です。

残酷です。

極悪、非道です。


主人公を、彼女側にしたのも、

彼氏側にしてしまうと、

感情が入りすぎてしまったり、(いろいろ、無駄に切ない思い出がよみがえったり) フィクションが、フィクションと、とらえられなくなってしまうおそれがあるので、あえて、女の人にしてみました。

自分の気持ちもわからない人間に、女の人の気持ちなど、わかるはずはありません。

だから、今回書いたことは、およそ、空回りでしょう。

世の女の人の、蔑みと、嘲笑と、哀れみを買うだけでしょう。

まあ、それを買ったとて、今更ながら、失う物はないのですから、
いいや、別に。

とにかく明日は、研究発表なので、今日は早く帰って、ふて寝、する予定です。

北海道の寒さの中で、きっと明日は、まぶたにしょっぱいつららができるでしょう。

それを朝ご飯にして、明日はがんばります。

次は、もっとどうしようもなく、くだらないの、書こうかな。

2007-12-24

コスモス(後編)

さて、今回はいよいよ完結編。

どうなることやら。

◇◇◇


わたしはふと、あたりが静かになったことに気づいた。

見ると、すでに外は暗くなっており、お客は私たちだけになっている。マスターの様子も、どこか所在なげだ。時刻は7時を回っている。もうじき閉店だ。

「帰ろうか」

わたしが立ち上がり、そう言うと、彼は大きな目を見張って、わたしを見上げた。その目はまだ、きらきらと輝いている。


オレンジ色の街路灯が照らす下を、私たちは並んで帰った。

わたしが話すことは、もう無い。

おそらく、彼が何か話してくれることもない。彼の思いは未だ、UFOがなぜ、わたしの記憶を消さなかったのかに食らいついているのだろう。

 あーあ。こんなことだったら、こんな話で誘うんじゃなかった。わたしは後悔していた。彼がどれほど熱っぽくわたしを見つめていても、彼が見つめているのはわたしの話した、わたしの話の中のUFOなのだ。

存在するかもはっきりしない、そんな物に向けられた瞳は、目の前に存在する、わたしのいくつもの努力や、唇に重ねたグロスの光にさえ永久に気づくことはない。

コーヒーの違いだって、たぶん。

UFOなんて、嘘だって、早く言ってしまうんだった。こんな切ない思いをするくらいだったら。
これじゃ、今まで、彼の、UFOへの愛情を丸一日、見せつけられに来たような物だ。

これは、嫉妬なのかもしれない。UFOへの嫉妬。ばかばかしい。

彼の心は、もはや、遙か彼方、1000万光年の向こうまでUFOを追いかけて飛んで行ってしまっている。人間のチカラでは1光年の空間すら、飛び越えられないというのに。

わたしは、空を見上げた。明るい町の夜空に、星はほとんど無い。空に見える唯一の星。あれは北極星だろうか。

歩いても、歩いても、北極星との距離は一向に縮まらない。それは天の同じ位置にあって、冷たい青い光を、瞬きながら、私に投げかけている。


前を歩いていた、マサトが止まった。

わたしも思わず、横に止まった。

ここは十字路。

彼の家は向こう。わたしはこっち。


「じゃ」

彼は言った。

「じゃ」

わたしは言った。

彼はしかし、そこから動かない。

わたしもそこに残って、彼の次の言葉を待った。



「UFO探しに、また、一緒に行ってくれる?」


なんだ、また、UFOなのか。またわたしは、努力して、あの切ない思いをしなければならないのか。

「UFOなんて、いないよ。わたしの言ったのも、すべてウソ」

わたしはもはや、うそをつきつづけるきにはなれなかった。

「そんな、あるかないかもはっきりしない何かを追い求めるより、あなたの目の前のことをもっとしっかり見つめたら?」

わたしは言い捨てた。

これでいいのかもしれない。これで、彼が今よりもう少しでも、普通の感覚の人になり、もっと普通に、人とつきあえるようになれば、元々、いい人だし、彼はきっと幸せになれるだろう。

わたしではない、別の女の人と。


彼はしかし、じっとそこに立っている。

自分の足下を見つめている。

わたしの言ったことがきつすぎたのだろうか。わたしはそれでも、彼があんまり動かないので、多少気になっても彼を起き捨てて、先に帰ろうと思った。

「待って」

彼の声にはっとした。


反省してくれるの?

考え直してくれるの?

やり直すの?

わたしをもっと見てくれるの?

彼はゆっくりとわたしの目を見て、言った。

「UFOは、いるよ」


わたしは、うんざりした。持っている物を投げつけて、さっさと帰ろうと思った。

くだらない、くだらない、くだらない。

ほんの一瞬でも、期待してしまった、わたしが馬鹿だった。

「でも、UFOはなかなか姿を現さない。」

しかし、彼は続ける。

「そこにいることはわかっているのに、そこに手をかけるすべが、見つからないんだ。」



...なんだ、わたしと同じなんだ。

お互いに、お互いをもっと近くに寄せ合うすべを知らないまま、どうしていいのかわからなくて、まごまごしていただけなんだ。

21、にもなって。わたしは思った。高校生にも、笑われてしまいそう。


わたしはふと、再び夜空を見上げた。

星の少ない空の上を、一機の飛行機がちょうど西から東へ飛んでいくところだった。

飛行機の両翼の赤い灯火が、滑るように、闇の中を進んでいく。


わたしはそれを、何とはなしに、目で追っていたが、あることに気づいて、思わず、彼の元に駆け寄ってしまった。

北に見たはずの、北極星はいつの間にか、見えなくなっていた。

夜の明るいこの町で、そもそも、北極星など、見えるはずは、無かったのだ。

コスモス (前編)

さて、クリスマス。

せっかくなので挑戦してみた。

以前から、Oさわに、

「恋愛物書いてみてよ」

と途方もないことを言われており、ずっとそれは棚上げにしていたのだが、
今回、恥を忍んで挑戦してみた。

しかも、意外性の追求のしすぎで、女性一人称にも挑戦。
太宰治に笑われそう。

だいぶ月並みで、おかしな話になってしまったが、(M-1グランプリ見ながら書いた物で)
まあ、聖夜の戯れ言と思って、許してください。

◇◇◇


「君が見たのは、きっとUFOだったんだよ」

マサトはわたしの目を熱っぽく見すえて言った。

話にのめり込むあまり、前かがみになりすぎて、コーヒーが胸元で傾き、こぼれそうになっている。

わたしは、気が気でしかたがない。

「でも、そんなの本当にいるの?わたしが見たのはそんな曖昧な物じゃなくて、もっとしっかり見たんだよ」


あたりにあらん限りの光をまき散らしながら、浮かび上がる巨大な物体。

まるくて、銀色で、てかてかひかるもの。

たちまち起こる猛烈な風。吹き荒れる砂嵐。



わたしは、それを見た、と彼に言った。


「UFOの意味知ってる?未確認飛行物体。だからそれはUFOだよ。そんな大きな物が飛びたてばもっと多くの人が目撃してもおかしくないはずだ。でも、どうだい?この喫茶店の店長だって、知らないって言ってたじゃないか。これはきっと普通の現象じゃない」

わたしとマサトは、わたしが見た物の確認のため、わたしがその物体を見た地点にほど近い、商店街に来ていた。この喫茶店は、その中でもやや高台にあり、もしかすると、わたしが見た物を見ているかもしれないと、立ち寄ってみたのだ。

「でも」

わたしは異議を唱える。

「わたしが見たのはだいぶ夜更けだったし、もう寝てたんじゃないかな。」

「でもね、UFOは」

マサトは全く意に介さない。

「多くの場合、それを見た人々の記憶を消していくらしいんだ。だから、ここの店長も、記憶を消されたってことがあり得るよ。きみは...、きっと幸運だったんだよ」

UFOに記憶を消されなかったことがどれほど幸運なことか、わたしには全くわからなかったが、それを語るマサトの目の輝きは先ほどより、いっそう増したように思われた。

少し胸元の開いたシャツの襟元から、彼の鎖骨と、胸元の一部が見える。

少しも男らしくない彼の、男性としての一面を意識してしまって、思わず、どきりとした。

あわてて目を上げれば、また彼の真っ直ぐな視線が暑苦しいほどに、わたしの目を射貫いてくる。


まいった。


わたしは自分の顔がじわっと熱くなってくるのを感じ、思わず目をそらし、手で、ぱたぱたと扇いだ。


マサトは大学の同学部、同期生だ。わたしは元々、あまり男の人とつきあう方ではなかったが、彼は男子の割には目が大きく、少年のような顔立ちであったので、比較的簡単に話しかけることができた。

つきあい始めてわかったのだが、彼は相当に変わっていて。自分の興味のあることにはすさまじい集中力を見せるくせに、食事や服装には一向に無頓着だった。わたしは以前、彼が3日続けて同じ服を着ていたのに気づいたことがある。彼にそれを注意すると、彼は意外という顔をして、

「別に汚れてもいないし、いいかな、と思って」

と言って平然としていた。

食べ物に関しても、一緒にお昼を買いにコンビニに行ったりすると、決まって、メロンパンと、野菜ジュースだった。彼に言わせると『少なくとも、死なないメニュー』なんだそうだ。

“グルメ”なんて回路は、彼の頭脳にはないらしい。

女の人への興味だって、あるのか無いのか、はっきりしない。わたしといるときも、他の女の子といるときも、男の人といるときですら、見ていると対応がほとんど変わっていないように思える。

わたしがいくら、ちょっと気合い入れてお化粧してみても、彼が良く着る服に合うような色の服を選んでみても、全く気づいていないようだ。

今日だって...。いつもよりきめてきたのに...。初めて、控えめにだけど、グロス、入れてみたりして。彼にとっては、脂っこいナポリタンを食べて、てかてかになった唇と大して変わらないんだろうけど。


「でも、だとしたら」


彼の声に、はっとする。


「UFOはどうして、君の記憶を完全に消さなかったんだろう。単に消しそびれたのか?でも、広い宇宙を渡ってくるような科学力のある宇宙人が、そんなミス、するかなあ...。」

彼はそういうと、前のめりになっていた体を元に戻し、腕を組んで、机の隅をじっと見すえたまま、動かなくなった。

作り物のおもちゃのように、あるいは小さな子供のように彼の動きはわかりやすく、表情から、内面のすべてまでも、読み取れてしまうように感じた。

いったいどういう育て方をされたら、こんな子供になるのやら。

親の顔が、見てみたい。本気で、そう思った。


実は、彼と二人きりで出かけるのはこれが初めてだった。もちろん、一緒にお昼を食べることくらいは良くあったけど、すべて、それらは学校での話。それらから、完全に離れて、プライベートで、彼と連れ立って出かけたのは、今まで一度だってない。

わたしは前から、いつか、彼とどこかへちょっと出かけてみたい、と思ってはいたのだが、彼はなんと言ってもこのような人だし、彼の方から言い出す見込みは全くない。そこで、ちょっとヘンかな、とも思いつつ、わたしの方から、彼に、今回の外出を誘ってみたのだ。

私自身、男の人と二人きりで出かけたことなんて、今まで数えるくらいしかなかったけど、たいてい、そういうときは、相手の方が持ちかけてきてくれたから、それが普通なんだと思っていた。

そういうときは、男の人は行く先から、食べるとこ、見るとこ、あらかた考えておいてくれて、わたしは何も考えずとも、楽しいお出かけになるように、十分仕組まれていることが多かった。

でも、今は、こっちが主導しなくてはならない。

何せ、相手はこの人だ。ほおっておいたら、また、コンビニでメロンパン、なんてことになるに決まってる。


わたしは、彼が大学のUFO研に入っていることを友達から聞いたので、昔、このあたりでそれらしき物を見たと言うことを彼に話したのだった。

すると彼は、驚くほど簡単に、その話に食いついた。

ちょうど、今日のように、目を黒真珠のようにきらめかせて、顔を、鼻と鼻がこすれるくらいに近づけて。

教室でその光景を目撃した友人は、私たちが、キスすると勘違いしたらしい。びっくりして、目をまん丸に見開いていた。わたしはそれを見て、ますます恥ずかしくなり、思わず赤面してしまった。


わたしは彼と、このあたりに来ることが決まってから、おいしいお店を調べ、食べ歩きができそうな小さな屋台が、意外にたくさんあることも知った。

この喫茶店も、そのいきさつで、目をつけておいたところだ。

お店で豆を煎る、自家焙煎のお店。
遠く県外から、毎週通うお客さんもいるという、隠れた名店。

見つけたとき、いいお店を見つけた、と、一人で喜んでいた。


今まで、自分が男の人にしてもらっていたことを、今度は逆に、こんな男の人のために行うことになるとは、夢にも思わなかった

彼は、そのことを知っているのかな。


わたしは彼の冷めかけて、湯気を出すのも忘れたコーヒーを見て、思わず、小さなため息をついた。

これだけ、努力したのだから、

せめて、一言でも言って欲しい。『ここのコーヒー、すごくおいしいね。』

とでも。

彼はわたしの気持ちを知ってか知らずか、まだ腕組みをしたまま、机の隅を見つめている。しかし、これほど見つめた机の隅すら、彼の記憶には何の印象も残さないのだろう。今日のわたしの、努力のように。

2007-12-20

逃避行 (冬日行?)

【今日やったこと】

久しぶりのベクターコンストラクション。

終わりましたと先輩に言ったら、

相変わらず、はええとびっくりされた。

苦労、したからねえ

◇◇◇

冬になった。

あたりはついに、雪に覆われ、圧雪でつるつる。

どこへ行くにも、寒い。

でも、

どこかへ行きたい。

特にここ数日、仕事が忙しくて、余り遠出していなかったので、
ここらでまとめて少し遠くまで行きたいと思ってはいる。

しかし、年末という物は、何かと私からお金を奪い、すでにすっからかん。

あまり、贅沢に旅行もしてられない。

そこで考えたいくつかの案。



1.しみじみ飲もうぞ!札幌市内の酒造会社、千歳鶴の酒ミュージアム観光(無料)

2.寒い冬はこれ!札幌市街地、温泉、銭湯ツアー (2000円もかからないはず。さすがに定山渓までは行かない)

3.ちょっぴり背伸びしたい君に!ジャズバーでハスキーにスコッチを (店を選べば安く済みそう。)

4.何軒あるんだ?札幌市街マクドナルド巡り (super size me!; コートいらずの fatty body を get!)。

5.グラスとキャンドルがロマンチックに照らす小樽で、クリスマスに単騎突撃 (自爆;某市古町以来。我、戦場に骨を埋めん。)

6.冬景色周遊。あの場所は、今!(夏に行ったあの場所に、この時期になぜか訪問!遭難の危険あり☆)



4 は無理。命が惜しい。

2 も、そこまで老け込んじゃいない。

1, 3,6 かな現実的には。

5、も否定できない...。

2007-12-11

もんどころからおでんわ今すぐ

【今日やったこと】
またウェスタン。

昨日やったのが、なんだか成功を予感させる、意味深なバンドを呈してくれたので、

喜び勇んで追試。

今度こそ。


◇◇◇


最近、どうしようもなく忙しい。

ここ一ヶ月ほど、帰るのはいつも午前様。

いかんせん、相手は培養細胞で、一応生きているため、そいつのコンディションにあわせて、
一定期間のうちに、必要な実験をすべて済ましてしまう必要がある。

でも、一日はいつでも、86400秒な訳で、こちらの都合に合わせて伸び縮みしてくれるでもなし、結局こちらの睡眠時間を削って、対応つかまつるほか無い。

とはいえ、細胞も生きているなら、こっちはもっと生きているわけで、

睡眠時間を削りすぎれば、あり得ないミスがたちまち吹き出し、かえって手間が増える。

その辺のかねあいが難しい。

最近は起きれば、もう午前9時。

そらそうだ。寝たの4時。

学校に着くのはお昼近く。そしてまた、帰るのは午前2時

悪い循環。

この、忙しい時期が過ぎれば、また、元のもう少しは人間らしい最低限度の生活に戻れるんだけど。

こんな生活はできるだけ、続けたくない。朝起きると、水戸黄門の再放送なんて、いやだ。
(でも昔のやつは、意外とおもしろい)

寝るときには夜中の通販なんて、もっと嫌だ。
(ビリーズブートキャンプは、人より先に知っていた)

せめて、めざましテレビがやっているうちに起きたい。

ニュース23が終わる頃には寝たい。


ぼくも、人間になりたい。

2007-12-10

夜を越えて (Vol de nuit)

【今日やったこと】
モノクロの作った抗体に対してウェスタンブロット。

実はもう、一度試していてそのときは不手際のためうまくいっていない。

さて、

どうなることやら。


◇◇◇


飛行機に乗った。

夜の。

今まで、何回か飛行機に乗ったことはあったのだが、
夜、本当に真っ暗になってから乗ったのは初めてだ。

夜の滑走路は驚くほど真っ暗で、その漆黒の闇の中に、色とりどりのランプが
瞬いている。

空には星はない。

でも、ランプは、色ごとに列をなし、暗闇に、光の道を紡いでいる。
"ここをはしれ”と、光は無言のうちに誘導している。

天が地なのか、地が天なのか。

このような逆転した光の世界では、その感覚すら危うくなる。
気をつけないと、いずれ空へ落ちていってしまいそうになる。

飛行機の巨大な体は、その光に促されるように、おずおずと、滑走路に身を据える。

子供が泣いている。キャビン・アテンダントが、おろおろしている。

しかし、離陸のための手続きは、粛々と続く。

子供が泣いている。

チーフ・パーサーのアナウンス
"本機は、定刻どうり離陸いたします。皆様、安全のため、ランプが消えるまで、シートベルトは外さないようご協力ください”

ポーン、ポーン

機内に警報音が流れる。

エンジン音が高まる。

エンジン音はやがて、ごうごうという爆音に変わり、
この優雅な機体の飛行機には似つかないほど暴力的な音を立てて、加速を始める。

窓の外に見えていた、いくつもの光の羅列は、やがてそのあまりの加速のために、一本の線となり、窓の外に流れている。

今は、まだ、地上にいるのだろうか。それともすでに、宙にあるのだろうか。

この暗闇では、それすら、定かでなくなる。

ただ、足下から伝わってくる、車輪の振動だけが、それがまだ、地面に縛り付けられていることを伝えている。

やがて、

その振動から見放されたかのように、機体は突如として切り離され、ふわりと、宙に浮き上がったのを感じる。前屈みになるような重力。

その重力もしだいに減弱し、機内には一瞬の静寂が訪れる。

ベルト着用サインが消える。
キャビン・アテンダントがあわただしく動き出す。

そのとき、ふと、窓の外を見れば、

そこには、すでに、我々の物ではなくなってしまった、一面の星くず。

人の営み。

いつしか子供は泣きやみ、お父さんのおなかの上に抱かれて、窓の外の
銀世界を見ている。

隣では、その子の幼い姉が、にこにこ笑って、母親の顔をのぞき込んでいる。


機体はやがて、進行方向右に傾斜し、くるりと街の上空を旋回すると、

やがて静かに、別れを告げた。



蛇足;
飛行機が夜間離陸し、暗闇の中で見える、いくつもの街の灯の上を通り過ぎる描写を、
飛行家だったサンテグジュペリは "(暗闇から獲得し) 我々の物になる”あるいは" (遙か彼方へ通り過ぎた街は) すでに我々の物ではなくなった”といった表現をしている。

サンテグジュペリはすごく好きで、特に"夜間飛行"は何回も読んだが、今回やっと、その表現を追体験できた気がしている。

そういえば、この本をおそらく読んでいる (文庫版の表紙を書いている) 、宮崎駿の書いた詩に、

"たくさんの灯がなつかしいのは/あのどれか一つに 君がいるから”(君をのせて)

と言うのがあった。

サンテグジュペリの有名な言葉に
"砂漠があんなに美しいのは、どこかに井戸を隠しているからなんだ" (星の王子様)
というのもある。

そんないい言葉が、あの夜の飛行機の窓を眺めているとぐんぐん伝わってきて、
なんだか酔ったような、心地よい気持ちになって、いつしか寝てしまった。

できれば飛行機は、また夜に乗りたい。

2007-12-02

その色はブルーブラック

【今日やったこと】
モノクロのクローンが、もうずいぶん育ってきて、

抗体も順調に作ってくれているようなので、

勢い余って抗体染色。

病理学の研究室なので、

技官さんに組織片を渡せば、

あっという間にパラフィン包埋して、切片化までしてくれる。

こっちはそれを脱パラして、染めるのみ。

プロってすげえ。

◇◇◇


万年筆を買った。

先日、日用品を買いにロフトに行ったら、

そこの文房具売り場の片隅に万年筆コーナーがあって、ちゃんと専属の店員さんまでつけてあった。

ショーウィンドーの中の万年筆はどれも、新品でありながらアンティークのような気品を備えていて、地味な黒っぽいペン軸とは対照的に、ペン先だけが、金色に輝いていた。

自分は、文房具がどうやら好きなようで、文房具屋に行って、使いもしない物を買い、後で後悔することが、やたら多い。

そんなわけだから、この万年筆というやつも、いつかはいい物が一つ欲しいと夢見ているが、その気品に見合う、高貴なお値段を伴っていることが普通で、とても一介の貧しき学生には手が出ない。

何より、この現代、ワードプロセッサなる物の進出により、ボールペンですら、もう存在価値を失いつつある中で、より歴史ある、すなわち旧式の万年筆なぞ、象徴的価値以外の何物も持たないような気がしている。

でも、これだけデジタルな世の中でも、さらに、クオーツ式、電波式の方が、圧倒的に正確だとしても、ゼンマイ仕掛けのクロノグラフがもてはやされるように、こういう小物の象徴的価値は馬鹿にできない物がある。実際、自分も、グルメだとか、服だとかいう物にはいっこうに興味はないくせに (頭の先から足の先までユニクロづくしなのは、私か、ユニクロの店員さん位のものだろう。おそらく店員さんも、普段は別なメーカーの服を着ているのだろうが) 、こういう古めいた小物にはなぜか弱い。

手に入れたとしても、自分に似合うかどうかは、また別の問題だが、それでも、いつか、何らかのこだわりの一品を手に入れたいと思うのは、このような品に関してのみだ。

そんなわけで、万年筆も、使う、使わないは別として、いつか手に入れたいと思ってはいるのだが、前述のように値段の点で全く手が出せないでいた。

しかし、万年筆は、単なるお高くとまった文房具ではなく、今も生きているのだ。

その、ロフトの片隅の万年筆コーナーのさらに片隅に、壁掛けからぶら下がるようにして、おもしろい形のペンが並んでいた。見ると、それらはすべて万年筆。しかし、クリアブルーやクリアグリーンや、レッドと言ったカラフルな色遣いで、一見すると万年筆に見えない。

しかも値段は1500円程度。ショーケースの万年筆の1/10だ。

私は、そのデザインがおもしろかったのと、万年筆を使ってみたかったこともあり、どうせ安物、と覚悟しながら、そのうちの一本を購入した。

家に帰り、早速それでノートの切れ端に落書きしてみると、思いの外書きやすい。

自分はペンの持ち方が悪いため、ちょっと物を書いただけで、指先がすぐ痛くなって疲れてしまうのだが、このペンは力を入れる必要が無く、いくら書いても手が疲れなかった。

安物にしては、やりおる。

あとで、ネットでそのメーカーを調べてみて、合点がいった。

その万年筆は、ドイツあたりの、万年筆のちゃんとしたメーカーの一つ“ペリカン”社製で、学校教育向けに、子供を対象として作られている“ペリカーノ ジュニア”という物だった。

子供向けでありながら、その作りはしっかりしていると評判で、実際、楽天あたりで書き込みを少し見てみると、大人の使用者もかなり多い様子。これなら使っても、余り恥ずかしくない。

しかも、ご親切に、正しいペンの持ち方を補正できるように、つかむところのラバーに指を置く位置の印までついている。まさに、私向きだ。

万年筆のよく使われるインクは、“ブルーブラック”とか言うそうで、ボールペンの黒を想像していた私にとっては、あまりに青色でびっくりしたが、どうせ、いつもと違う気分で物を書きたいときに使うんだろうし、それでもいいかな、とは思っている。

いつか、ショーケースに収まった、きらきらした万年筆を買える日まで、この、安い、でも手堅い品は、自分の慰めになってくれそうな気がする。

実際高いやつ買っても、もったいなくて、こっち使うかも、しれないけど。

2007-11-23

呑兵衛サミット

【今日やったこと】

今日の大事な実験で使おうと思っていたメディウム。

ゆっくり溶かそうと、冷蔵庫で解凍していたら、

案の定、今朝になっても溶けていない。

ウォーターバスに、どぼん。


外は、きわめていい天気。

白い地上と、青い天空のコントラストがまぶしい。
実験している自分が愚かしい。

◇◇◇


何たって、先週の土日はいろいろなことがあったので、
いろいろなことを、いろいろ書いているうちに、
もう、今週も終わってしまいそう。

それでも語り尽くせない、先週の日曜日の話。

実は、先週の日曜日には、楽しみにしているイベントがあった。
正確には、先週の土日をかけて行われていたのだが、"北海道 酒蔵まつり07" と言うイベントが市内で催された。北海道内の10前後の酒蔵がブースを出し、参加費1000円で、飲み放題。

似たような企画は意外と全国にあり、しかも自分は以前、新潟の“酒の陣”という、50前後の酒蔵が参加する大イベントに参加したことがあったので、北海道の、しかも10くらいの酒蔵が参加するイベントなど、たいしたことはあるまいと、高をくくっていた。

しかし、せっかく北海道にいるのだし、その土地のお酒の善し悪しくらいは、味わっておかないとなんだか北海道を知った気にはなれない (酒で判断するのも、どうかとは思うが) 。

北海道というと、ニッカ・ウィスキーとか、ワインとか、そういう洋酒のイメージが強く、地酒に関してはほとんど情報がない。

しかし...。冬、これだけ寒いときに飲むのは、ワインでは、無いでしょう。

燗は日本酒の特権だ。

そこで、北海道に対する理解を深め、この寒い冬を乗り切る、と言う大義名分を立て、酒蔵祭りに参加してきた (いささか回りくどい)。

酒蔵祭りは、 案の定、小規模なイベントだった。一つの体育館ばりの大ホールを借り切る、新潟の物とは違い、農協のビルの、小宴会場程度の広さの部屋を借りて、そこに、10余りの酒蔵がひしめいていた。


ただし、新潟の物に負けないくらい、いい会だった。

まず、部屋が狭いので、100人もお客が入ればいっぱいになり、ごちゃごちゃして、それが酒飲みには、なんとも楽しい。

また、小さなおちょこをはじめに渡され、それを持って、各ブースを回るというスタイルは新潟と共通なのだが、新潟では、底を湿らす程度にしか、お酒をくれないところを、北海道では、すり切りいっぱい、並々とついでくれるところが多い。さすが北海道は、懐が深い。

立って飲むこともあるし、部屋も暖かいので、この酒の量も相まって酔いが回るのが早い。

しかも、自分は、例ののんきな悪癖により、会場に着いたのが閉会90分前で、各ブースをあわてて回ったので、一度に酔いが回ってきて、後半はスローダウンせざるを得なかった (寒い中、歩いて帰らなくてはいけないし)。

それでも結局、ブースを回り回って、三周くらいはしたと思う。

どのブースも、いつも見かける本醸造に加えて、限定物や、純米大吟醸なんて、おいしいに決まっている、いいお酒も並べていて、いろいろなお酒と、初めましてができた。


そのなかでも、今回特に気に入った物は、

>限定で出ていた、“大雪乃蔵”の濁り酒。すごくおいしかった。後で口の中がすっとしたので、実はアルコール度数は高いのかもしれないが、飲みやすい。生酒万歳。

>北海道のスーパーでよく見かける、“国稀”の一番安い“本醸造”。これは知り合いの先生に教えてもらい、おいしいと思った最初。相変わらず、おいしかった。

>今回一番の発見は『国士無双』という、いかにも強そうな銘柄をもつ、高砂酒造の純米大吟醸“あさひかわ”。飲みやすく、すいすい入っていく感じの、恐ろしいお酒。しかも、このランクにしては、安い。720mLで2000円くらいだった。
すぐ買ってしまい、その日のうちに、半分飲んでしまった (恐ろしい)。
満足。


会に参加してみて、この、決して酒造りに好適とはいえない土地にも、いいお酒を造ろうとしている人たちと、その造った物を心から愛する、得体の知れない飲んべえ達がこんなにたくさんいるんだということをつくづく実感して、ほくほく顔で家路についた。


この調子でいくと、来年も参加しそうだ。

冬の楽しみが、一つできた。

2007-11-22

残像

【今日やったこと】
今後の実験で使う試薬を考える。

一長一短。

結局決めかねて、後で先生と相談することにした。

明日は大事な実験。

休みなのに?

休みだから。

◇◇◇


似ていた。

髪型、背格好、着ている服の色合い。

全体のバランス。

表情。

首に巻いた、マフラーの色まで。

一瞬、目の片隅でその姿をとらえたとき、
本人かと思った。

まさか。


確認するために、視野の中心で、それをとらえ、
まじまじと見たはずなのだが、その顔の印象はよく覚えていない。

ただ、似ているという、おぼろげな感覚と、相手も、こちらをずっと、
表情も変えずに見ていた、と言う事実だけが記憶に残っている。

今思うと、相手は、かすかに微笑んでいたような気がする。
顔は覚えていないのに、軟らかい表情を、自分は感じている。

その時間は、5分間だったのだろうか。10分間だったのだろうか。
あるいは、ほんの数秒の出来事に、過ぎなかったのかもしれない。

自分は、軽く会釈くらいは、した気がする。
目があったのは、事実だから。

でも、声はかけずに、すれ違った。

何事もなく。


声など、かけれるものか。あくまで、偶然すれ違った人に過ぎないわけだし、
根拠のない親近感を抱いてしまったのは、あくまで、自分の方だけだったのだから。


床に引いたアルコールが、静かに乾いていくように、
一瞬わき上がった空白の感情が、きれいに揮発していくのを感じながら、
液体窒素を汲みに行った。

2007-11-21

こつかつこつ

【今日やったこと】
モノクロのスクリーニングで使う抗原が、
なんだか少し、足りなさそうだったので、追加して精製。

その待ち時間の間に、今度研究室で飼う、ウナギの飼い方について
近所の専門家の先生にお話を伺いに行った。

外に出る度、寒い。

昼間でも、道路は、溶けない。

かちかちのつるつる。

◇◇◇


モエレ沼での、遭難未遂事件から6時間ほど前、
自分は、靴を買おうと、靴屋にいた。

北海道の大地はすでに、薄い氷と、踏み固められた堅い雪に覆われ始めており、
足の先から頭のてっぺんまで、寒い。

とくに、自分が今履いている靴は、明らかに夏靴で、通気性が抜群によい。

夏に、それまで履いていた靴が壊れたので、近所のスポーツ用品店であわてて買ったためだ。(どっかのメーカーのアウトレットもの。)

形は、コンバースのスニーカーと同じ。
いわゆる、「ズック靴」と言うやつだ。丈夫な布製ではあるが、底が薄い。本当に寒い日などは、まるで、コンクリートの上を、地下足袋で歩いているかのように、冷気が直に足の裏に伝わってくる。

自分は車を持っていないため、土日に出かけるとなると、とにかく歩くしかなく、靴底の減りは激しい。さらに、前述の「徘徊」癖があるために、必要以上に靴に負担をかけている。

事実、平均 3-4ヶ月に一遍は靴を変えなくてはならない。そのくらいたつと、靴底の溝は所々消えているし、表側も、小指と親指の付け根の二カ所に、穴が開いていることが多い。

まだ、履けなくなったわけではないのだが、さすがに、靴の穴から、靴下の色が見えているのもみっともないので、そうなったら買い換えることにしている。
(私にも、その程度の自意識はある)

そんなわけだから、今回の夏靴も、本格的に冬になる前に壊れるだろうと思っていた。
同じ型のコンバースの靴は、もう何回も買ったが、必ず、3ヶ月ポッキリで壊れるからだ。

(コンバースならまだしも、高校時代、血迷って買ったアディダスの9000円前後のスニーカーも、3ヶ月と持たなかった。私はあれ以来、二度とアディダスは買わないと決めている。足の形も合わないし)

しかし、今回の夏靴はなかなかしぶとく、買ってから少なくとも4ヶ月たつが、靴底がややすり減るのみで、表面に穴が開くような事態には至っていない。

ゆえに、この冬将軍の中においても、私はまだ、夏靴で通学していた。

しかし、実際問題、これでは、冷えるし、滑るしで、たまったものではない。
そのうちけがするか、風邪引くか、いずれにしろ、損するだけだ。


そこで、今よりもうちょっと通気性が悪い靴を買おうと、靴屋に行ったわけだ。

私には、小さな企みがあった。私は、前述の通り、新しく靴を買ったら、どうせ穴が開くまで履き続ける。だから、ちょっと高くても長く履ける、革靴も、今回は見てみようと考えていた。

実は、スーツを着るときのような"フォーマル"ではない格好 ("カジュアル"ってやつか?) のために、革靴を買ったことは、これまで無かった。

草履のような、スニーカーの履き心地しか知らない人間にとって、フォーマルな革靴は、どうにもこうにも歩きにくく、歩いているうちに、カッタンコットン、前にのめったり、後ろにのめったりしているようで、ゼンマイ仕掛けのロボットになったような気がして、好きになれなかった。だから、靴の種類を問わず、革靴というもの全体に、私は嫌悪感を感じている。そもそも、歩きにくい靴なんて、その存在理由を疑ってしまう。

しかし、そんな私も、この北の地の凍てつく寒さには勝てず、できるだけ風通しの悪いものを追い求めるあまり、いつもは素通りしている革靴のコーナーも、いつになく、まじまじと、じっくり見ていったのだった。

そして、私は、ここに至り、一つの事実を発見した。

世の中には、スニーカーみたいな革靴も、あるのだ。

いままで、25年も生きてきて、この事実を、知らなかった。スニーカーと言えば、ビニールの親戚みたいな材質ものか、ズック地のものか、そのくらいしかないものと思っていた。そして革靴と言えば、あの歩きにくい、フォーマルなやつ (あるいは、私には縁遠い、一途にファッショナブルなもの) くらいしかないと思っていた。

まさか、こんな靴があるなんて!

それは、またしても、よくわからないメーカーのものではあったが、値段は4000円程度だった。本当に皮か?そもそも革製品に縁のない私にそんなことはわからないが、なんだか通気性は悪そうなので、だめでもともと、買うことにした。

モエレ沼に行く前に、実際履いてみると、革靴のご多分に漏れず、カッタンコットン、ゼンマイロボットの歩行感がある。でも、そこはスニーカーで、ちょっとの散歩の間に、何となく足になじんできた。この程度なら、すぐに慣れそうだ。新しい、徘徊の相棒の誕生だ。

靴が、アスファルトの上で、歩く度、乾いた音を立てる。
タップダンスのような、その音を聞きながら、なんだか今頃、
やっと人並みな大人に近づけたような気がした。

2007-11-20

寒中行脚/a point and a line

【今日やったこと】

健康診断へ

有機溶媒を実験で扱っている人は、念のため、
肝機能の検診を受けなくてはいけないらしい。

検査項目は、かの有名な ガンマGTP等。

俺、夕べ、みんなで、けっこう、飲んじゃったんだよね。

ある意味あれも、有機溶媒 (5-15%)

不安。
◇◇◇


今回の土日は、寒いのを押し切って、あちらこちら行ってきた。
だから、書くことに事欠かない。

金曜日、週末の過ごし方に悩んでいると、研究室のある先生から、
「モエレ沼公園」の存在を教えられた。

何でも、その話を聞くに、大きな人工の丘があり、景色がきれいで、三角錐のモニュメントがあって、雪が降ってもきれい、だという。


どんなものだか、はっきりとイメージできなかったが、なんだかよいところのようなので、
今週末には絶対行こうと決め、土曜日に早速出かけた。

早速出かけた、というと、いかにも朝から外出したようだが、実際には、その前にもいろいろ用事があって、本当に出かけたのは2:30過ぎだった。いつもながら、私は外出するぞと決めてから、実際家を出るまでが、きわめて遅い。

テレビをふと見てしまったりすると、それに気をとられて、あっという間に2時間近く過ぎてしまったりすることが、よくある。この日も、出かけるぞ、と決めたのは12:00過ぎのことなので、いつものパターンに見事にはまっていたことになる。

ただし、これは別に仕事ではないのだし、過ごしたいように過ごすのが一番なので、私は別にこの悪癖を、普段気にも留めていない (人を待たせているときは、別だが)。

しかし、今回は、この悪癖が、まさに命取りとなった。

最寄りの地下鉄の駅から、モエレ沼行きのバスが出る駅まで30分弱。そこから、バスを待つこと1時間弱、バスに揺られて、目的地に着いたのは5時だった。

冬の北海道の日の入りは、きわめて早い。

午後3時くらいになると、もう太陽に、夕焼けの色が混じり始め、4時には夕暮れを感じる。
そして、5時を過ぎると、もうあたりは真っ暗である。

秋の日はつるべ落とし、というが、北海道の冬の日は隕石でも落としたかのような早さだ。

案の定、今回も、バス停「モエレ沼公園西口」についたときには、あたりは真っ暗であった。

暗い中に、巨大な丘と、その頂上の三角錐のモニュメントが、その巨大なシルエットだけ、おぼろげに見える。

昼間見ると、それは感動を呼ぶのかもしれないが、ほとんどライトアップもない冬の暗黒の中では、それはうずくまる巨大な生き物のようで、ものすごい、恐怖を覚えた。

しかもあたりは木々も少なく、開けた土地で、冷く強い夜の風が、まともに吹き付ける。
逃げ場はない。誰も、助けてくれそうにない。

体温の低下を感じる。あたりに民家は少ない。

私の意欲は急速に減退し、私は公園に入るのはあきらめ、すぐに帰ろうと思った。

あわてて、先ほど降りたバス停に戻った。

あたりは真っ暗で、時刻表すら、満足に読めない。

見慣れぬ時刻表をひもとき、最も速いバスを見いだして、私は愕然とした。

最短でも1時間近く、待たねばならない。

この寒い中!

私は頭の片隅で死を覚悟した。


...明日の朝、この何もないバス停の片隅にうずくまるように死んでいる私を見つけ、身元が判明し、知り合いが引き取りにきて、まず思うだろう。

『こいつ、何しに行ったんだ?』

死亡推定時刻は夕方。凍死と思われる。

疑念はますます深まる。
なぜ、夕方に?

おそらく、北海道警でも腕利きのベテラン刑事か、本庁のはぐれものの刑事が、これをいぶかしがり、他殺説を唱えるだろう。

彼は、コンビを組まされた、若い新米刑事に言う。

「寒い中では、死亡推定時刻は大きくずれる。...ガイシャは、他所で殺された後、ここに運ばれた可能性もある」

上の命令を無視し、私の他殺を証明すべく、彼はいろいろ手を焼くが、全く証拠は集まらない。それはそうだ。妙な時間に遊びに来た、私の無鉄砲な判断が、そもそもの死因なのだから。

次第に新米刑事もそのベテランの捜査を疑い、距離を置き始める。

しかし、ベテランの刑事はそのとき言うだろう。

「これが、ただの凍死だって?そんなはずはない。納得できない。ここに至る、動機が無いじゃないか!」

人間の判断のすべてが合理的とは限らない(時に『徘徊』と揶揄される、私の無意味な外出に関しては、特に)。

でも、人間を信ずる寡黙なベテラン刑事は、きっとこの件で、捜査一課をクビになってしまうだろう。

...


幸い、この私の『最悪の結末』は現実のものとなることはなかった。

冷たい夜風 (強風!)の吹き荒れる中、私は、こうした、『死の幻影』から逃れるように歩き続けた。バスが来た方向を、何とかして思い出し、それをたどるようにしながら。

そして、遠く視界の彼方に、ミニストップの看板を見つけた時には、長い航海の果てに、新大陸を発見したコロンブスよろしく小躍りした。

すぐに缶コーヒーを買って体を温め、肉まんをほおばり、体力を回復した。

風と寒さに、髪の毛は逆立ち、生きた心地のしなかった私が、最初に店に入ってきたのを見た高校生くらいの店員さんは、その大きな丸い顔の中で、一瞬、目を見開いた。

ミニストップのおかげで、私はモエレ沼の氷柱にならずにすんだが、おそらく彼女の心は、その瞬間、恐怖に凍り付いたであろう。

迷惑なことに、そこで時間をつぶしたあと、元来た道をバスで帰った。

家に着き、いつもの安っぽいネスカフェを飲んだとき、私は生きていることを、実感した。

2007-11-19

正月の消えた日

【今日やったこと】
そろそろ、モノクロのクローンが育ち始めたので、

そのスクリーニングに向けて、スケジュールを組んだ。

...どうやら、我多忙也歳末。
◇◇◇


今後の実験計画を考えるついでに、年末の過ごし方も何となく、考えていた。

年末は、師走、といわれるだけあって、なんだかんだと、忙しい。

忘年会、忘年会、忘年会。研究室OBを交えたフォーマルなものから、学生同士のプライベートなもの、友人同士のさらに小さいものまで、目白押し。まるで、忘年会の合間に、実験しているような気分になってくる。

その上、遊びだけならまだしも、今年一年を振り返る年末の研究報告会等々、仕事の上でも、総くくりの大一番が待ちに待っている。

しかも、自分の場合、ちょうど実験の面でも、ここ一ヶ月ちょっとは正念場であり、余計に余裕がない。

さっき、カレンダーを見ながら、うんうん唸って、実験計画を立てていたら、実験が一段落つき、やっと自由を得るのは、1月8日過ぎだとわかった。

...それはつまり、暮れと正月を実家で過ごせないと言うことだ。


実家の家族 (特に祖母) は、とにかく、何はともあれ暮れと正月だけは帰ってきてほしいと、去年の正月からずっと、口を酸っぱくして言い続けていた。

「いつ帰ってくる?」と聞くのは、実家の常套句だとしても、さすがにその期待を裏切るのは、やるせない。

ことに自分は、親のすねをかじり続けて25年。今後もしばらく、かじり続けるのだろうから、こんな小さな親、祖母の望みをかなえてもやれないのは、本当に申し訳がない。

実家に、自分が帰ってきさえすればいいと言う、たったそれだけの望み。
しかも、こっちにとっては不利益どころか、楽して毎日の飯が出てくる、全く文句のない待遇まで、用意されているというのに。

親を裏切り続けて、その上世話になり続けて、おまえはそれだけのことを、しているのか。

人の役にも立たず、たった一人の命さえ救えない、そんなことのために、いろいろな、当たり前の物事を捨て、幸せを捨て、青春も捨てて、いったい何が、その先にあるというのか。

知らない。そんなこと。

知ってたら、こんな苦労はない。
周りに手本となる人がほとんどいない、"普通じゃない"からこそ、自分は生き方を模索していかなければならない。普通に生きられない人間にとって、普通の生き方の枠に身を合わせるのは不幸でしかない。かといって、そういう人間が、普通という価値観を持っていないわけではない。普通を求めていながら、それに届かない。最大の苦しさはそこにある。

ただ、最近わかってきたのは、"人の役に立つ"、"ふつう" 以外の価値が、この世の中にはあるんじゃないかということ。"人の役に立つ" という考えの信者からは、無駄としか見られない、自分のような生き方にも、一生をかけるべき、何か重要な価値が、ほとんど見いだされずに眠っているのではないか。


たとえ、功成り名を残せずとも、そのために生きられたら、最終的には自分は、満足して死ねるではないだろうか。

...なんかそんなディープなことまで考える、冬の日。
天気が悪いって、やだねえ。


で、なんか不意に思い出した、あの有名な手紙を、
ネットからコピペ。

書いた方は、この手紙のために、わざわざ文字を習い、
受け取った方は、これを読んで、アメリカからすぐに実家に飛んで帰ったそうな。

...仕事終わったら、さっさと、帰ろう。
息子として、孫として。


野口英世の母「シカの手紙」

おまイの。しせ(出世)にわ。みなたまけ(驚ろき)ました。わたくしもよろこんでをりまする。
なかた(中田)のかんのんさまに。さまにねん(毎年)。よこもり(夜篭り)を。いたしました。
べん京なぼでも(勉強いくらしても)。きりかない。
いぼし。ほわ(烏帽子 (近所の地名) には)こまりおりますか。
おまいか (おまえが) 。きたならば。もしわけ(申し訳)かてきましよ。
はるになるト。みなほかいド(北海道)に。いてしまいます。わたしも。こころぼそくありまする。
ドか(どうか)はやく。きてくだされ。
かねを。もろた。こトたれにこきかせません。(金をもらったこと、誰にも聞かせません) それをきかせるトみなのれて(飲まれて)。しまいます。
はやくきてくたされ。はやくきてくたされはやくきてくたされ。はやくきてくたされ。
いしよ(一生)のたのみて。ありまする。
にし(西)さむいてわ。おかみ(拝み)。ひかしさむいてわおかみ。しております。
きた(北)さむいてはおかみおります。みなみ(南)たむいてわおかんておりまする。
ついたち(一日)にわしおたち(塩絶ち)をしております。
ゐ少さま(栄昌様=修験道の僧侶の名前)に。ついたちにわおかんてもろておりまする。
なにおわすれても。これわすれません。
さしん(写真)おみるト。いただいておりまする。はやくきてくたされ。いつくるトおせて(教えて)くたされ。
これのへんちちまちて(返事を待って)をりまする。ねてもねむれません

2007-11-16

札幌雪景

【今日やったこと】

ハイブリドーマを観察。

めちゃくちゃに増えてるクローンを一個発見。

懸念された、コンタミも、今のところなし。

少し安心した。

漁協に電話してみたら、実験で使う、"うなぎ" もとれ始めたとのこと。
(ちょっと変わった"うなぎ”なので)

やっと、新しいサンプルが手に入る。


その後、研究室恒例の忘年会に向けた、招待状の準備。

暮れも押し迫ってきた。

◇◇◇


雪が降った。ついに。

長い冬の始まり。

さすがにここは北海道で、初めてまともに降った雪だというのに、
すぐに積もりはじめ、家に帰る頃には、地表はうっすらと、白い雪に覆われていた。

朝は粉雪で、昼はぼた雪で、夜はまた粉雪になった。

溶けたり、積もったりを繰り返しながら、だんだん、地表は隠れていくのだろう。

すでに、家の前はしっかり凍り付いていて、何も考えず外に出たら、滑って転びそうになった。

近くの空き地の、大きな水たまりにも、薄氷。


冬は、確かに寒くて、暖房代もかさむ大変な季節だが、
おそらく、一年で一番、静かな季節だ。

雪の日の朝の、驚くような、静寂。

あの感覚で、目覚めるのが、好きだ。

これから毎日、この物静かな雪に起こされて、
昇る気のない、高緯度地方の低い太陽の下を、
寒さに背中を丸めて、行き来することになるんだろうなあ。

白い息、はきながら。


あ、そうだ。

肉まん、買いに行こう。

今年、初の。

あの湯気に、憧れて。


雪には肉まんが、よく似合う。

2007-11-13

セルフサービス

【今日やったこと】

ついに、モノクロ作り開始。

抗原を打ち続けて免疫したマウスから、リンパ球をとって、いろいろかき混ぜて、

ハイブリドーマを作る。

そのために、マウスを一匹屠殺して、解体したんだけど...。

長いこと飼ったやつが、白い目でこちらを見ているのは、なんだか心を痛める。


インフルエンザワクチンを打った、右手が心なしか震えた。

◇◇◇


前にも書いた気がするが、何たって、今いるところは医学部なので、周りにいるのは、お医者さん、看護婦さん等、医療関係者にあふれている。


先日、インフルエンザワクチンを打った時の話。


ここはやはり、場所が場所だけに、普段から病気が集まりやすい。

なので、院内感染を予防する意味もあって、病院関係者を対象に、様々なワクチン接種が度々開かれている。

特に、札幌市では最近、インフルエンザが例年より2ヶ月早く流行し始め、学級閉鎖も相次いでいる。

だから、この例年通りのスケジュールのワクチン接種は遅いと言えば遅いのだが、それでも少しでも、かかる可能性が減るなら、ましだと思い、自分も打つことにしたのだ (値段も安いし)。


開始まで時間があったので、教室でパソコンをいじって待っていると、後ろに座っていらした先生が、向かいの席の先生に、なにやら話している。

「今日、ワクチン、行く?」

「いや、行かない、家族の分買ったから」

...なるほど、と思った。

そういえばお医者さんだったら、自分で家族の分のワクチンを買って、家族に注射することもできるんだよね。

普通に病院でやったら、自由診療と言うことで、値段もまちまちになってしまうけど、自分でやれば、手数料無料。

やっぱり、医者か、弁護士は、家族の中に一人はいた方がいい。


学者は...、穀潰しかなあ。やっぱり。

2007-11-11

アンチ冬

【今日やったこと】

ミエローマの培養。

夜中にこっそり。

何で夜中かって?

昼間やるのを忘れたからさ。

何でこっそりかって?

賑やかにやる必要も、ないからさ。

ミエローマの培養。

奴らもフラスコの中で、ひっそりこっそり、増えてることだしね。


◇◇◇


寒い。

今、外を歩いてきたら、つい先日までの格好では、耐えられなくなってきたことに気づいた。


昨日も寒かった。

帰りがけの気温は、3度。

北海道の秋は、短い。あっという間に、雪が降りそう。

考えてみれば、来る途中に見た、何組かのカップルも、

どこに行くのか、挙動不審なおじさんも、

病院前ですれ違った、夜間散歩中の盲目の男性も、

みんな、ダウンジャケット着ていた。

俺だけ、ユニクロの、フリース。

寒いわけだ。


このまま、どんどん寒くなるのだろうから、今から考えておかなくてはならない。

この寒い冬を、どう暖かく、どう楽しく、過ごすか。

前にすんでいた、雪国の頃からの宿題だ。

スキーも、スノーボードも、全く無縁の私にとって、
冬は災厄以外の何物でもない。

前回住んでいた雪国では、結局、こたつで、鍋を囲んで、酒盛りして、乗り切った。
(酒もおいしい土地柄だったしね)

さてここの冬は...。

ホットウイスキーかな、とりあえず。

あと、石狩鍋、覚えよう。

2007-11-03

小さい季節


【今日やったこと】
久しぶりの細胞培養。

理研から細胞を取り寄せて、飼ったことも無いミエローマ細胞を培養中。

こちらの研究室に移ってから、細胞を培養するのは初めてなので、
ベテランの先輩に、手取り足取り教えてもらって、一から出直し。

場所が変われば、培養法も変わるもんだ。

ガスバーナー使ったの、初めて。

たのむから、コンタミするな。

◇◇◇

書こう書こうと思っているうちに、もう、先週のことになってしまったが、
隣町の森林公園に再び行ってきた。

北海道の森林公園は、もはや、普通の森林で、林道があるか無いかという違いくらいしかないような気がする。それほど広大で、夏にはうっそうと草木の茂る、自然林だ。

その森林公園に、夏には一度行ったことがあるのだが、秋も深まってきた今日この頃、紅葉を見ようと、もう一度行ってきた。

紅葉は、今いる大学のものも非常に有名で、学校の門から続く長いイチョウ並木が、ことごとく、鮮やかな黄色に染まる。イチョウはみな古い木で、背も高く、さながらイチョウのアーケードのようになる。おのずから、その下を歩く人々はみな、足取りが穏やかになる。

そんなすばらしい秋を毎日見ているのだから、それだったら、あの森林公園のものは、どれほどきれいだろうと、思わないはずが無い。過剰なほど、期待して行ってきた。

結果は...。予想以上だった。

ただでさえ広大な森林公園の、ほぼ全ての木々が、みごとに紅葉しており、秋に取り囲まれたような感覚になった。赤、黄色、黄緑、茶色...。夏には、ほとんど緑一色だったはずなのに、秋には、これほど鮮やかになるのだから、不思議だ。夏の緑が、秋の太陽の光と、どんな化学反応を起こしたら、こんな色になるのだろう。

小さい秋、という歌があるが、北海道では、小さいのは明らかに人間のほうだ。
圧倒的な大きさの秋が、木々の色を染め、多くのどんぐりを実らし、鳥の歌声や、人々の心までを変えてしまう。それをまざまざと見せ付けられる。

公園へと延びる、坂道の一直線の道路にも、多くの枯葉が積もっていて、そこを車が通るたびに、枯葉が渦を巻いて巻き上げられ、なんだか、イギリスあたりの映画のワンシーンのようだった。

林道は、多くの人たちが散歩していて、中でも、一度すれ違った、二頭のダックスフントは、短い足を、深く積もった枯葉の中にうずもらせ、枯葉の上に顔だけ出して、そのきれいなブラウンの体色のせいもあって、枯葉のお化けのようになって、散歩していた。

そして、秋の紅葉の色は、夕日の色によく映える。ことに、北海道の太陽は、昼間でも、すでに低い位置にあるため、なおさら、紅葉が美しい。

北海道が、夏だけだと思っていたら、損をする。道外の人は一度、この短い秋の時期に、来てみるべきだと思う。

2007-10-30

Colud you give me?

【今日やったこと】
インキュベーターにうなぎの血球がほったらかしになっているのを見つけ、
顕微鏡でのぞいてみたら、まだ生きているようだった

先輩に聞いたら、好きにしていいということなので、
白血球を刺激する物質をたんまり入れた、“だいぶ刺激的な培地”で
しばらく飼ってみることにした。

コンタミしなければ、そして、運がよければ、うなぎの培養細胞が、できるかもねえ。

(宝くじに当たるようなもんだけど)


◇◇◇

なんたって、今いるところは医学部なので、

周りにいるのはお医者さん、あるいは、検査技師さん、看護婦さんの卵など、医療関係者にあふれている。

そして、もちろん、人間のサンプルを使った実験も行われているわけで、
そのつど交わされる会話が、

「血ぃ、ちょうだい」
「いいよ」

道端で聞いたら、失神してしまいそう。

聞くと、実験向きの血を持つ人、というのがやはりいるそうで、
その人のサンプルだと、とてもきれいに結果が出る、ということがあるそうだ。

ゆえに、そういう人は、頻繁に、血を抜かれることが多くなる。
(もちろん、都合のいい血液だけ使っても実験にならないので、いろんな人から抜くことにはなるのだが、いい血液を持っている人は、最優先だ)

これを書いている今も、隣の部屋で、後輩が“血祭り”にあげられている。

でも、普段一緒に研究室でしゃべっている人が、採血管を持って、採血しているところを見ると、ちょっと新鮮な感動を覚えてしまう。

後ろの席のおじ様が、実は採血のスペシャリストだったり、
隣の席の後輩が放射線技師だったり。

じゃあ、自分は...。ちょっと考えちゃうよねえ。

せめて、研究のプロには、なんないと。

2007-10-24

ねむくて

【今日やったこと】
PCR, 泳動、シークエンスとにらめっこ。

肩が凝った。


海外留学中の先輩から電話。
英会話はやっておいたほうが、いいってさ。

でも、考えてみたら、これが自分にとって初めての海外通話。
予想していたほど、違和感を感じなかった。

実は今、大阪なんだ、なんていわれたら、すんなり、信じてしまいそう。

電話があんまり自然だったので、かえって戸惑ってしまい、用件だけ答えて、
先輩の安否を聞くのを忘れてしまった。

なんだか不思議。
電話って、やっぱりすげえ。

◇◇◇

大学の研究棟は、今、改装工事の真っ最中で、古い建物と、開窓後の新しい建物が、ちぐはぐにつながっている状態になっている。

一直線に廊下を歩くと、新しい棟、ふるい棟、新しい棟という順番になっていて、その『ふるい棟』こそ、我々の研究室の収まる建物だ。
(損した気分は否めない)

ふるい棟は、その耐震強度の脆弱さもさることながら、暖房が非常にレトロだ。
未だに、スチーム式。

温度管理が難しく (暑い or 寒い)、やけどしそうに熱く、ファンがあるわけでもないので、部屋の中で、温度に偏りができてしまう。

自分の席は、特に、その熱源の傍にあるため、暑いこと、この上ない。

暖房の効きすぎ、というのは、本当につらいもので、あたまはだんだんぼんやりしてくるし、
集中力はそがれるし、正直しんどい。
(暖房のせいだけでもないのかもしれないが)

ああ、またあくびが。

早く改装してほしい。
しっかりした空調がほしい。

まだ、冬は、始まってすらいないのに。

先が思いやられる。

2007-10-21

行楽不日和

【おとといやったこと】

ねずみの解体。

初めての。

ラットはあるけど、今回はマウス。ちいさい。


小さい。全てが。

ほしかった、リンパ節も、小さい。

...。結局どれがリンパ節か、わからず。

もう一回免疫して、患部に腫れを作って観察することに。

“いかなる時も 先達はあらまほしきことなり”

...『徒然草』、だったはず。

次は誰か、詳しい先生に、聞こう。

◇◇◇


今いる大学のいいところはその立地にあると思っている。

札幌駅が近くて (徒歩15分)、緑が多くて (農場があり、牛も飼っている、と言う噂)、そしてなにより広い。前いたところが、“砂漠”と揶揄されていたのとは、大違いだ。

特に、今は、その緑が紅葉で、赤や黄色に色づいて、ものすごく鮮やかだ。

紅葉は、冷え込みが激しければ激しいほど、色付きがいいと言われるが、その点、この地は紅葉にうってつけで、10月にはいると急に涼しくなり、ものの二週間ほどのうちに、半そでが長袖になり、さらに3枚重ねになった。それに合わせるかのように、木々も赤から、紅色、黄色、オレンジ色に至るまで、見事なグラデーションを見せてくれる。

特にきれいだと思うのは、木によって紅葉の速度に差があるのか、もうすっかり色がついた木に混じって、まったく緑色を維持した木があることだ。その対比が非常にきれいで、眼にも鮮やか。もしかするとここの紅葉は日本でも指折りかもしれない。

学校の木々が紅葉したので、近くの森林公園なら、それはさぞ、きれいに紅葉しているだろうと思い、今週末はお出かけしようとたくらんでいたのだが...。

あめ、あめ、あめ。

しかも、降ったり、止んだり、曇ったり、ちょっと晴れてみたりの、はっきりしないお天気。

結局、家で、ごろ寝さ。

実験も無かったので、ゆっくり出かけられたのに。

結局、家で、テレビさ。

そして今日は、解剖したねずみから集めた血液を、遠心分離さ。

こうして、きっと、秋は深まって行く。

2007-10-15

さざなみ買った

【今日やったこと】

ねずみを業者に発注。

あさってきます。

後は論文読んだ(ふり)。

穏やかな週のスタート。

日本ハムが勝った。
◇◇◇


スピッツの新しいアルバムを買った。

『さざなみCD』。

アマゾンで予約してまで。

自分は、結構気に入ったバンドのCDを一から集めることが多いタイプだが、
さすがに予約してまで買うのはスピッツだけ。


いつ聞いても、同じように子供っぽく、青臭く、そして、どこかおかしな曲たち。

でも、そのおかげで、青春、とかいうやつが少しずつ遠ざかって行く今の時期にあっても、
その始まりの、なんだか気恥ずかしい感情や、ときめきみたいなものが、がらにもなく、よみがえってしまう。その不思議なチカラ。

今回も、まんまと、ときめいてしまった。


スピッツの曲は、ボーカルの歌い方や、歌詞の奇妙さから、なんだかへんてこりんな恋の歌のように思われがちだが、聞けば聞くほど、その深い『泥臭さ』に気づいてくる。

例えば、“空も飛べるはず”は、どう考えても、空を飛べていない人間の叫びだ。

“空も飛べるはず”。そう人が言う時、その足は、泥にうずまり、完全に身動きが取れなくなっている。でも、それでも、空を見上げ、空を飛びたいと心から切望する。

実際にこの歌の冒頭は、“...神様の影をおそれて 隠したナイフが似合わない僕を...”
という、内に秘めた暗い暴力性を吐露する歌詞になっている。

スピッツの歌詞で、定番の“そら”、“とぶ”、“まほう”という、浮いた表現に混じって、“どろ”、“ぬかるみ”の表現が多いのも、その奥の泥臭さの、まさに表れだろう。

前者は祈りであり、後者は現実。その現実からの祈りの曲。自分にはそう聞こえる。


そして、実は、恋そのものも、だいぶ覚めた目線から、見ている。

恋愛に浮かれ、一人で、あるいは二人で“踊りを踊っている”、そんなさまを、暖かく、そして揶揄して表現したような歌詞が多い。

けしていずれも否定せず、完全に肯定せず。

反抗もできず、従順もできない。


矛盾だらけで、あいまいで、でもそれを和と呼んで尊ぶ、日本人には、
こう言う、一見無害で、でも少し毒の効いた歌詞は、
にやりとした<薄ら笑い> (ジャパニーズスマイル) とともに、
けっこう響くんじゃないでしょうか。

少なくとも、わたくしはまた、一人、ときめいてしまいましたけど。
にやりとした薄ら笑い、浮かべて。

2007-10-10

蛇足/反則/法則

【今日やったこと】
免疫抗原もできたので、今度はそれをマウスに注射...、するための準備。

今は動物愛護の制度が進んでいて、マウス一匹飼うのにでも、いちいち審査が必要。

提出する書類の中には、『実験に伴うマウスの苦痛はどのくらいか』という項目もある。

いつか、きっと、“洗剤の中で溶かされる、大腸菌の苦痛”が問題になり、タンパク精製が国際法で全面的に禁止される日が来るだろう。

核兵器や、クラスター爆弾が、いろんな人間を、見事に半殺しにしている一方で。

◇◇◇


めざしを買った。

めざしを買ったのは初めてだった。

魚というものは、幼いころは、日常にありふれていて (海の子なもので)、
パックされた魚を買うなど、まず無いことだった。

めざしは、ポリスチレンのトレーに乗せられ、ポリクロロビニリデンのラップをかけられて、
眼を、鋭いとげで貫かれ、同じ方向を向いて、並べられていた (『めざしの苦痛はいかほどか』)。

私は、めざしというやつは、干物の一種だと思っていたのだが、家にもって帰るとまったく生で、多少、申し訳程度に、塩が振られている程度だった。

一体、何のために、めざしにしたのか、わからない。

干物を想定していた私は、適当に味噌汁にでも突っ込めば、さまになると思っていたのだが、
思いのほか生であったため、はたと困った。

さて、これをどう使おうか。

とりあえず、めざしを焼いていて猫に食われた、というありきたりな漫画のパターンを思い出し、フライパンで焼いてみることにした。

ジジッという音がして、魚の焼けるいいにおいがした (換気扇はフル回転)。
思いのほか油が乗っていて、油がこげるたび、いいにおいは強くなった。

あっという間に、焼きめざしの出来上がり。

だが、わたしは、これでやめておけばよいものを、わざわざ、考えてしまったのだ。

「これを味噌汁に突っ込もう」

と。

けして、何の根拠も無い発想ではない。

地元では、お正月のお雑煮のだしは、焼いたハゼで取るのだ
(焼いた後、一応干してはあるようだが)。

めざしだって、立派な魚じゃないか。

ハゼにできることが、イワシにできないはずは無い。


薄弱な根拠と強い信念の下、味噌汁に突っ込まれためざしは、はじめのうちは、味噌汁の中でも、魚の焼けるいいにおいを放っていた。

これは、うまくいくかも、と、この段階では思っていた。

しかし、

焼かれて、しかも、油の乗っためざしは、身がもろく、煮られるにしたがって、しだいに、身が崩れてきた。その上、こげた油が汁に充満し、色がどんどん黒くなり、ちょうど、ラーメン屋で見かける『こげしょうゆ』のような色調を呈してきた。
こげしょうゆなら、まだいいが、これはこげた魚の油だ。

それでも、味がよければと、味を見てみると、魚の、なんともいえない香ばしい香りと、うまみに混じって、すさまじい生臭みと、焦げの味、さらには、微妙な酸味がした。

このままでは、食えない。

私は、冷蔵庫から、ありったけの調味料を取り出し、片っ端から入れてみた (失敗は、このようにして、助長される)。

味のとげを消す、みりん、魚に相性のいい、しょうゆに混じり、なぜか余っていた、いつかのおろししょうが、日本酒まで。

最終的に出来上がったものは、食えない状況からは、幾分改善されたが、明らかに、味噌汁からは遠ざかった味がした。

作った量が多かったため、食べるのに、連休を要した。

白いご飯に、黒い汁。ほのかに香る、こげた魚と、しょうゆの香り。


農家の人も、漁師の人も、料理した人も泣いている、珍奇な一品。


もう、りょうりは、したくない。

普通に、めざし、焼いて、食おう。秘書さんに、お酒も、もらったし。

2007-10-04

つれづれ名言集

【今日やったこと】
人生初のタンパク精製、まずまずの成功。

一ヶ月で、ゼロから始めて、6種類のタンパクを作った。

大して難しい条件ではなかったとはいえ、誰も教えられる人がいない中
(先生は“うん、できるっしょ”しか言わない中) よくもここまでやったもんだ。

さすが、おれ。

次は人生初の抗体作製。

さてさて。

マウス、飼ったこともねえ。
◇◇◇


タンパク精製の結果がうれしかったので、とりあえず書いてみたものの、

今日は書くネタが無い。

...


とりあえず、最近気になっている、“かっこいい言葉”から。
(なんか、意外と曲の歌詞が多い)

“モーツァルトの悲しみは疾走する。涙は追いつけない”

モーツァルトの評論家が、そのレクイエムなどの曲を評して言った言葉。
かっこよすぎる。

モーツァルト、ちゃんと聞いたこと、ねえけど。


テレビもねえ、ラジオもねえ、おまけに車も走ってねえ”
青森のアイドル、吉幾三氏の歌の一節。今考えれば、この曲は、ラップだ。


“この電話番号は、お客様の事情により、現在通話ができない状況となっております”

家の電話が調子悪かったので、ケイタイから、家の電話に電話してみた時の案内。
母ちゃん、振込みを、すっぽかしたようだ。


“ニンジン、ですね”


近所のスーパー (COOP) のレジで、ニンジンを通す時になぜか言う言葉。
ジャガイモの時は“ジャガイモ、ですね”になる。

“ピーマン、ですね”

...上に同じ。

“自分の空を 越えて行くのだろう。さよならに脅えず きみはいま”

“心のままに 生きていけばいいさ、と きみは叫んだだろう”

引っ越してくる時、頭の中でぐるぐる回ってた曲の一つ。“夢を信じて”の二番。


“すばらしい日々だ ちからあふれ すべてをすてて 僕は生きてる”

ユニコーンの“すばらしい日々”のサビ。この曲が身に沁みる歳になった。なんか投げやり。でも、前に進んでる。進むしか、生きられない。


“うえをむいてあるこう、なみだが こぼれないように”

永六輔作詞の“うえをむいてあるこう”。名曲。単純なんだけど、どうしようもない気持ちの時、思わず口ずさみたくなってしまう。若かりしころ、屋上で大声で、叫んだこともあったっけ。

“ぼろぼろになる前に 死にたい”

“なげやりなため息が 切ない”

“ひざ小僧のきずあとが かわいい”

愛して止まない、スピッツの“僕はジェット”の一節。

“ずるしても、まじめにも、生きていける 気がしたよ”

またスピッツ。“チェリー”の最後。そう、どうにでも、生きていけるかも。最後、“気がしたよ”で終わってるのがポイント。この、ゆるさ加減は肝要。


“うん、できるっしょ”

我が教授の一言。このゆるさ加減も、必要。


That's all.
あしたも、がんばろ。

2007-10-03

お魚くわえて

【今日やったこと】
タンパク精製。

タンパク精製って、なんとなく、低温室に閉じこもって、寒さに震えながらやるもの、
ってイメージがあったが、今回はぜんぜん室温。

扱うタンパクが、変性条件下で取り扱うもののため、
そもそも失活している。

でも、濃縮や、精製そのものにも、やたら時間がかかる上に、まとまった待ち時間が無かったりして、一日中立ちっぱなし。

足の裏が痛い。

◇◇◇

いつかやると思っていた失敗を、ついにしてしまった。

『財布を忘れて、愉快な...』である。


私は大抵、日曜日に、その週に使う食材を買うために近所のスーパーに行く。

一週間に使う食材、というと、結構な量を買いそうだが、そもそも、平日はまともな料理をする暇がほとんど無いため、それにかまけて、テキトーなものを食べてしまうことが多い。

それゆえ、一週間の食材など、たかが知れている。金額にして、1-2千円くらいか。

ところが、この1-2千円というのが、微妙な数字なのである。


これは私の昔からのこだわりなのだが、“余計な金を持たない”という、妙な主義がある。

一度に金を下ろすのは大抵3000円。これだけあれば、2-3日は持つからだ。そのため、私の財布は、何か大きな予定でもない限り、一万円札を、知らない。

たまに予定があって、5千円でも下ろそうものなら、預金通帳に記帳した両親がびっくりたまげて(通帳は実家に置いたままなのだ)、わざわざ電話をよこすほどである。

いつも三千円ポッキリしか下ろさない自分を、常々からかっておきながら、いざとなるとこうなのだから、めんどくさい両親だ。

その都度、振り込め詐欺などに騙し取られたわけではないことを、説明しなくてはならない。

この息子には、信用が、無いのか。


それはさておき、
そんなわけで、私の財布には、多くて3千円程度の金しか、入っていないのだ。

つまり、である。

もし、日曜日に、お金を下ろさずに、スーパーに行ってしまうと、その前日などに何かを買っていて、金額が減っていた場合には、一週間の食材を買うには、お金が足りなくなる。

私が、やってしまったのは、まさにこれだった。

いつものように、あれを買い、これを買い、さらに、米が切れていたのを思い出して、米まで買い(運が悪いとしか言いようが無い) 、レジに並んで、おばちゃんが、バーコードを読んでいるさまを横目に、財布の中を見れば、あら不思議。千円くらいしか、入ってないのである。

はっとあわてて、レジの小計を見ると、まさに、千円から千二百五十円、千五百円...、と移り変わって行く、さなかであった。

千二百五十円なら、まだ小銭で何とかなるかも、という希望が持てる。しかし、千五百円では無理である。

その刹那に襲ってきた、脱力感、無力感。

全身の血が引いていく感覚。

腋の下を冷や汗が走っていく。


どうしよう。

値段はどんどんつりあがって行く。

何とかしなければならない。


わたしはとりあえず、

「しまった」

と言ってみた。

しかし、手馴れたおばちゃんはもはや、レジスターの一部と化しており、そんな私の言葉など、届かない。

右から左へ、どんどん商品は移っていく。

ああ、もうレジが終わる。


そこで、もう一度、今度はもう少しはっきりと、

「あの、すいません...」

と切り出してみた。

おばちゃんに内蔵された、レジスター・モードのスイッチが、そこでようやく切れたらしく、レジのおばちゃんは、斜めの姿勢のまま、首だけを向けて、こちらを仰いだ。

今だ。

私は間髪入れず、

「お金を下ろすのを忘れてしまって...。これ、返してきます」

と言った。

おばちゃんにとってはよほど想定外の出来事だったらしく、目をまん丸にしてこちらを見た。

マニュアルに従って動く何がしかが、予想外の事態に対応するためには、『危機管理マニュアル』をインストールする必要がある。


長い沈黙。(おそらく“再起動”)

おばちゃんは、電気の切れたマシーンさながら、ぽかんとして、こちらを見ていた。


永遠にも近い時間が経過したと思われる。

やがて、おばちゃんは、はっと、正気を取りもどし、

「え、あ、何? これ、全部返すんですか」

明らかに、おばちゃんのほうも、あわてていた。


「はい、ぜんぶ...。お願いします」

いまさら、持ち金に合わせて、一部返却など、嫌だった。とにかく、一秒でも早く、ここから、立ち去りたかった。

おばちゃんは、しばらく右往左往した後、近くにいた若い男の店員さんに声をかけ、レジの記録を消す作業をやってもらった。

私は、成す術も無く、かといって、そそくさと帰るのも気が引けて、その作業をじっと見ていたのだが、店員さんは、そんな所在無げな私に気づくと、気を使って、

「あ、いいですよ、あとやっておきますんで」

と言ってくれた。とはいえ、私は無駄に律儀な人間であるので、せめて、その店員さんの未知の作業が一息つくまで、その場に突っ立って、見届けた。

その後、私は逃げるようにして店を出た。

もはや、金を下ろして、再びあのスーパーに行く気はしなかった。
自炊はあきらめた。


その日は、出来合いの、コンビニのパンだったことは、言うまでも無い。

--
みんなが笑ってる (心の中で)。お日様も笑ってる(私の中で)。

ルールルルッルルー (何が楽しいの?)


今日もいい天気。

2007-09-29

カミモホトケモ

【今日やったこと】

タンパク合成のため、大腸菌を多めに培養。

100mL LBに無数の大腸菌。

しかも、振りが激しすぎたらしく、

多少こぼれたような跡が。

シェーカーの中に乾いたLBらしきものがこびりついている…。

これに無数の大腸菌がうごめいているかと思うと…。


場所が変われば、こういう細かいところに、不都合は起こる。

掃除しとかなきゃ…。

◇◇◇

昔から、神話のようなものは好きで (神も仏もほとんど信じていないくせに)
今でも興味はある。

神話は、おそらく有史以前から続く、『昔話』のようなもので、文化も文明も無いような時代の出来事が、長い伝承の中で、いろいろ脚色されながら、今に至っているもののようだ。

だから、人間の『業』というか、本性のようなものが、いたるところに垣間見える。

“神話”といっても、こう言う話の中の神様は、ある意味非常に人間くさく、『神様のような人』という表現からは、むしろ程遠い印象を受ける。

これに関して、たとえば、いしいしんじという作家は『プラネタリウムのふたご』の中で、星座にまつわる神話を聞いた、子供達の感想として

「神様はしょっちゅう“思いを遂げて”いる」

といったようなことを述べている。

今は、ウィキペディア、という、似非知識の殿堂があり、暇つぶしに、この神話のページをめくって行くと、数時間で、神話通になった気分を味わえる。

見ると、特にギリシャ神話や北欧神話では、神様はしょっちゅう浮気したり、ありえない恋 (相手に見境が無い) をして,子供ばかり作っている。

しかも、その後、奥さんの怒りを買ったりするケースも多い。

日本の神話だって、直接、子供を作ったような書き方こそ無いが、それを匂わせるモチーフがいたるところに見られる。

例えば、日本列島も日本人も、創造の神イザナギとイザナミの『子供』、ということになっているようだ (ちょっと表現がわかりにくく、つかみきれてない部分もあるが、『子供』ではあるようだ。だって...。)。

彼らの“懸命な努力”によって、日本は生まれたのだ。


また、以前紹介した、『昔話と日本人の心』という本によれば、こう言う神話の話の展開というのは、ギリシャにしろ、日本にしろ、非常に共通点が多いそうで、それが、『人間の深層心理はみんな共通』という考え方の一つの根拠になっているようだ。


ともかく、こう言う神話をひとたび紐解けば、人間の持つ、爆発的な想像力というものを感じずにいられない。あまりに自由奔放で、取りとめも無く、筋道すら通っていないこともあるが、その分、人間の本質を嫌というほど露呈する物語だと思う。

まあ、そんな偉そうなこと言っても、ウィキペディア見ながらぼんやりしてただけの事なんだけどね。

たまにはそんな日もいいでしょう。人間なんだから。


)補足

北欧神話の最高神はオーディンという神様ですが、これはドイツ語だとヴォーダン (Wodan)になり、英語の水曜日 Wednesdayの語源だそうです。意味的には“オーディンの日”ということになるとか。

意外なところに神話が生きていたりするもんっすね。

ちなみにこれも似非知識の泉から濾し取った物なので、その程度に聞いてください。

2007-09-26

朝ブロ

【今日やること】

この間作ったベクターの配列をチェック。

隔週の研究室の実験報告 (9:30)。

mini-prep。

お昼、なんにしよう。


◇◇◇


初めてかも、朝から書き込むの。

今日明日はマンションのエレベーターが朝から工事中で使えないため、
工事が始まる前に登校…、しようと思ったら、いつもの習性のため、
出るのが遅れ、タイムアウト。結局、非常階段を使う羽目になった。

住んでいるのはマンションの7階。

狭い階段のため、人とすれ違うたび、壁に背中をつけるようにして下りなければならない。

一階が遠い。

マンションは、本当にエレベーター頼みなのを痛感した。

地震があったら、この狭い階段から、みんなで、逃げろってか?

不可能だ。

明日も工事。

2007-09-24

大望、功名心、野心


【今日やったこと】
郵便局から、不在票が来ていたので、今朝の再配達をお願いした。

来たのは、先日の『たなぼた』の謝礼。

全国共通百貨店商品券5000円。

うれしい、が、

百貨店、行ったことないんだよね..。

◇◇◇

札幌市郊外の羊ヶ丘展望台に行ってきた。

地下鉄の駅で、土日一日乗り放題の『ドニチカキップ』を買って(500円!) 終点の駅まで15分ほど。

さらにそこから、直結するバスターミナルに移動し、『羊ヶ丘展望台行き』のバスに乗る(片道200円)。移動費1000円弱の小旅行だ。

地下鉄は、いつもは土日はほとんど込んでいない。あんなに安い乗り放題切符が出ているのも、おそらくそのせいだと思われるが、座れないことはまず無い。

昨日は三連休の中日だったので、したがって、いつも以上にすいているだろうと思って高をくくっていた。

ところが、

乗ってみると、地下鉄はかなりの人の入りだった。おまけに、終点が近づくに連れて、客はぐんぐん増えてくる。

多くは家族連れのようだ。しかも、小学生くらいの子供を連れた家族が多い。

いつもなら、こんな時地下鉄に乗っているのは、明らかに暇そうな大学生、高校生風の若造か、おじいさん、おばあさんなので、この子供の多さは、明らかに異様だった。

一体何が起こったのだろう。

列車が駅に止まるたび、乗ってくるのは家族連れ。しかも、連れているのは、いずれも小さな子供達。

終点につくころには、まるで通勤時のように、自動改札に列ができていた。ただし、列の中に子供が多い点が明らかに違う。

何があるのだろう?
答えは、地上に出て、すぐにわかった。


目の前に、大きな札幌ドーム。


今日は、ファイターズの試合だったわけだ。

そういえば、ユニホームや、グッズを持った人が、ちらほらいた気がする。


試合を見に来た人々の行列は、地下鉄の出口から札幌ドームにかけて、長々と続いていた。

テレビで見たイスラム教徒の『メッカ巡礼』に、どことなく似ていなくもない。みんなで、白銀に輝く巨大建築物に向かって、ぞろぞろと行進していた。

私も、予定を変更し、ついていくことにした。
あわよくば、当日券を手に入れて、野球を見てやろう。そういう野心を抱いて。

家族と、家族による長い行列に混じって、ピンの野郎が10分、てくてくとついて行った。

途中、イトーヨーカ堂のファイターズグッズ街頭販売に気を取られたりしながら、なんとかドーム入り口までたどり着いた。すると、そこには、

『当日券完売』

の文字。

私は、苦笑いしながらくるりと引き返し、まだ、たくさんの人がドームの方向に向かって歩いている中を、ひたすら敗走した。

すれ違う全ての人と、目が合った気がした。


その後、予定通り羊ヶ丘展望台行きのバスに乗った。

バスの中で、次の停留所のアナウンスをする際何度も

「羊ヶ丘展望台に行かれる方はご入場に際し、別途入場料が必要です」

と付け加えているのが気になった。

そんなの、当然じゃないか。何でいちいち、バスでアナウンスするんだ。


理由は着いてわかった。

展望台入り口に差し掛かると
突然、バスの出口が開き、そこから制服のおばさんが入ってきた。
そして、バスガイドよろしく、

「これから入場料をいただきます。おひとり様500円になります」

と言って、バスの乗客一人ひとりからお金を集め始めた。

念のため付け加えておくが、これは普通の路線バスである。
専用の観光バスなどではない。

こんな徴収の仕方は始めて見た。

おばさんは、やがて、バスの乗客全員からお金を集めると、ありがとうございましたと言って出口から出て行った。

なんか、バスジャックみたいだ。



おめえら、おとなしくしろ、全員カネを出せ!



そうしてたどり着いた羊ヶ丘展望台は、しかし、あんまりおもしろく、なかった。

30分くらいで、飽きた。

そして、次のバスで、帰ってしまった。

それでも、とりあえず有名な『Boys, be ambitious! 』のクラーク博士像は写真に撮ったし (上図: 博士と、其を撮影せんと群がる観光客之図。稀代之人気者也。)、草原で草を食べていた羊の赤ちゃんのあまりのかわいらしさに思わず感激したりもした。

天気もよかった。草原を吹き抜ける風は初秋の香りを含んでいて (おまけに焼きもろこしの香りも含んでいて) 、すがすがしく、緑も眼に痛いほどまぶしかった。

入り口のおばちゃんに徴収された、500円の元が取れたのかは不明だが、
気分転換になったのは事実。


また、あの羊の赤ちゃんに会いに行こうかな。

2007-09-20

本の背中をなぞって

【今日やったこと】

6つこしえたタンパク発現ベクターのうち、一つがちゃんとタンパクを作ってくれなかったので、設計しなおし。

でも、あとの5つは上出来。

前に似たようなことをやった時には、まったくだめだったのに…。

己の腕が上がったのか、研究室が変わったからうまくいったのか。

前者であってほしい。

4年もやってんだし。
◇◇◇


昔から、本の背表紙を眺めるのが好きで、時々買う気も無く本屋に行っては、背表紙を、ただ漫然と眺めて、帰ってくることがある。

本の背表紙は、たいてい、タイトルと名前くらいしか情報が無く、いろいろなきれいな装丁がされている表紙の表に比べれば、それはしごく貧相なものだ。

ぼーっと眺めていたって、大して代わり映えしないのだが、デザイン的に大して代わり映えしない分、その本のタイトルの良し悪しが、際立って来る。

本の内容と同じように、本のタイトルも書いた著者が決めるものだ。いまは、編集者やプロデューサーが決めることも多くなったようだが、それでも、その本の制作に携わった人には違いない。センスのいいタイトルは、その製作者の、言葉に対するセンスを表している。

たとえば、優れたタイトルが多いと言われるのが山本周五郎だそうで、確かに『樅の木は残った』だの『赤ひげ診療譚』だの『雨上がる』だの、歯切れの良い、こざっぱりしたタイトルが多い。印象に残りやすいし、一度は買って読んでみたいと思わせる。


最近、出版社各社が文庫本の売り上げ増加を狙って、てこ入れを行っているそうで、たとえば、ある出版社の『人間失格』は漫画の『デスノート』の作者が表紙絵を担当しているという。こういう取り組みはあちこちの出版社で見られ、単に表紙にアイドルや女優を起用しただけでも、売り上げが上がってしまうそうだ。

何を根拠に、本を選ぶかは人それぞれではあるけれど…。

表紙で本を決めた人の何割が、最後まで読むのだろうか。

タイトルだけで決めている人間が、偉そうなこといえないけど。

2007-09-14

盗んだバイクで走り出す

【今日やったこと】

SDS-PGAEのゲルを固め中。

脱気しなくても、固まるんだ。

O/Nで固めたほうが、いいんだ。

アクリルアミド水溶液って、売ってるんだ。

新しい研究室は、新しい発見の連続。

たとえ、どんなにやり慣れた、メソッドでも。

◇◇◇


お国の政治の突然のどたばたに、私もすっかり注意をそがれてしまい、書きたくても、ずっと書けずにいたことがある。


場所はアフリカ奥地、ギニア。ニンゲンの隣人、チンパンジーが未だに生息する場所。

京大の霊長類研が、また、面白い発見をした。

asahi.comからの抜粋を以下に挙げる (9/12)

チンパンジー、パパイア盗んで雌に「贈り物」

雄のチンパンジーが盗み出したパパイアを発情中の雌に与える行為がアフリカのギニアでみつかった。雄はその後、交尾したり毛づくろいをしてもらったりすることが多かった。こうした見返りを期待した「贈り物」を使う行動が、人間以外の霊長類でみつかったのは初めて。12日付の科学誌プロスワンに発表する。

つまり、チンパンジーも、メスに贈り物をして、プロポーズしているようだ、というわけだ (結果は多少露骨だが)。

記事によると、家族、親子間で、盗んだものを分け合う行為は観察されていたが、このような例は初めてだという。

まだ、観察例が少なく、より詳細な観察が待たれるが、骨などには残らない、ニンゲンの内面の発達、進化を考える上で貴重な発見だと思う。

また、この発見に、同じ研究所の松沢先生がコメントを寄せている。

『雄は農産物を盗み出す際に人目を気にして毛を逆立てて体をぼりぼりかくなど極度の緊張状態になる。そうした危険を冒して手にした食べ物をあえて雌に分け与えることは、交尾などとの交換を期待した「贈り物」をする行為だとみている。』

たしかに、拾ったものなどではなく、命の危険を冒して手に入れたものを、わざわざメスに与えている、という点は興味深い。

近所の交差点で配っているような、ポケットティッシュをひとにあげても誰も喜んではくれないが、西表島の、ごく限られたエリアだけで配られてる、農協かなんかのティッシュを、わざわざもらってきて、

『これを、きみに』

なんて、汗だくで、息せき切って渡したら、きっと喜んでくれるだろう (相手の性格にも、依存するが)。

チンパンジーにとっても、同じなのだろうか。

だとすれば、メスは、パパイアの『価値』、つまり、それほど苦労しなくては、手に入らないほど貴重なものだということを、知っているのだろうか。

もしかすると、別に、パパイアでなくとも、その辺にたくさんある食べ物を与えても、同じような効果はあるのだろうか。

興味は尽きない。

まあニンゲンなら、その辺にたくさんある食べ物を与えても、同じような効果がありそうな人は、結構いるけどね。

2007-09-13

この文章、有毒に付き

【今日やったこと】

久々のSDS-PAGE。

サンプルをよく煮て、ゲルをきっちり流して、
泡ぶくだらけの泳動層の中で、1hr泳動。

使い古しのどろどろのCBB液で染色。

昔、もっと神経質にやらないと怒られたもんだったけど、
コツをつかめば、手の抜き方も、わかってくるってもんだ。

慣れるってすばらしい。
慣れるって恐ろしい。

◇◇◇


昨日家に帰って、夜中のニュースをずーっと見ていて
頭の中に、思い浮かんだ、お話。


A子さんは、お母さんに、私も水泳を習いたい、といいました。

A子さんのクラスでは、今水泳が流行っていて、友達はみんな、
近所のスイミングスクールに通っていたのです。

お母さんは、A子さんのおじいさんが、若いころ、ゆうしゅうな、すいえい選手だったことを知っていましたので、

「きっとあなたなら、ゆうしゅうなすいえい選手になれるわ」

と言いました。


A子さんは次の日から、スイミングスクールに通い始めました。

スイミングスクールの先生たちは、A子さんのおじいさんがゆうしゅうなすいえい選手だったことをよく知っていましたので、はじめは、

「きっときみは、ゆうしゅうなすいえい選手になるよ」と言っていました。

ところが、A子さんは、ひどいカナヅチでした。

先生たちは、それでもがんばって、A子さんが泳げるように、教えてくれましたが、

A子さんは、何度やっても上手に泳げません。

同じクラスの一郎君は、そんなA子さんの脇をすいすいと泳ぎながら、

「じいちゃんが優秀だからって、孫がゆうしゅうとはかぎらねえな」

と言って、笑っていました。


あるとき、A子さんは、ついに、沈んで、おぼれてしまいました。

先生たちのおかげで、何とか無事に助かりましたが、

先生たちは、このままでは、命の危険にかかわると思ったので、ついにA子さんに言いました。

「あぶないから、やめたほうがいいんじゃない?」

それでもA子さんはあきらめませんでした。

毎日毎日、スイミングスクールに通い、必死に泳ごうとしました。

いつしか、季節はめぐり、

始めた時にはたくさんいたお友達も、ひとり、またひとりと、スイミングスクールを辞めていきました。

A子さんには、よくわかりませんでしたが、“いっしんじょうのりゆう”、“おかねのもんだい”、“じょうすいき”、というもののために、スイミングスクールをつづけられなくなったようです。

それでも、A子さんは続けました。

いくら、周りの先生が、やめろやめろ、と叫んでも、A子さんはつづけようと思っていました。

しかし、

あるとき、同じようにつづけていた一郎君に挨拶しようとしたら、

「挨拶なら、結構」

と、拒絶されてしまいました。


次の日から、A子さんはスイミングスクールに来なくなりました。

どうして行かなくなったの?と、お母さんに聞かれた時、A子さんはこう答えたそうです。

『一郎君にきょひられたから』

A子さんのお母さんは、先生方に、

「A子は泳ぎすぎて、かぜを引いて、最近はおかゆしか食べていなかったので、スイミングスクールは今日限り、やめさせます。」

と電話をしました。

先生方は突然のことにびっくりしましたが、内心ほっとして、A子さんがやめる手続きを取ってくれました。


そのころ、A子さんは一人、おうちで横になっていました。

横になりながら、オーストラリアの友達と交わした、一緒に泳ごう、という約束は、結局かなわなかったなあと思って、めそめそと泣いていました。

A子さんは、もうすぐ、今のおうちを引っ越すそうです。

一郎君は、あのおうちに昔から住みたいと思っていたので、次は自分が住むと、きっと狙っていることでしょう。

おしまい。

てんでんぱらりの、ぷう。



...。こんな暇あったら、勉強したほうが、ましだ。

2007-09-10

ロストサムライ

【今日やったこと】

歴史ドラマ漬けの日。

家で、いつもどおり『風林火山』を見て、
そのあと、民法のスペシャルドラマ『輪違屋糸里』を見た、

『糸里』は、もともと、浅田次郎原作の小説であるのは知っていたが、自分はまだ読んだことがなかった。

幕末の新撰組の騒動の一つ“芹沢鴨暗殺事件”を、その当時の京都に生きたおいらんの目線から見た物語。

浅田次郎は、他にも“壬生義士伝”という、これまた有名な新撰組小説を書いており、こっちのほうは読んだことがあって、久しぶりに、大泣きした記憶がある。

吉村貫一郎、かっこよすぎ。


今日みた糸里では、いつも風采の上がらない役どころをなさっている、温水洋一さんが、極めて重要な役割を果たす。

あるいみ、芹沢鴨より悪役。

しかも、ちっとも華やかでない。

だって、前編の最後で“糸里かわいそう”って思った人は、
暗に、“温水洋一に抱かれるなんて...。”って思っているわけでしょ?

その上、他の町人から、何度も“あんなはげ親父”呼ばわりされてるし。

ここまで風采の上がらない役も、珍しい。この役を引き受けた、この役者さんは、偉い。

いつか、温水さんが、せめて芹沢鴨くらいをやれる日が、きますように。


そういえば、芹沢鴨が主役の新撰組の話って、聴いたこと無い。
あれば、見てみたい。

自分は、一番ひどいやつは、実は土方歳三だと思っている。

芹沢のほうが、まだ、人間くさくて、いいではないですか。

“鉄の掟”を作って、逃亡者を捉えて、仲間を片っ端から切腹させたやつは、
いくらそういう時代だったからとはいえ、どうかしている。


おそらく、彼 (と近藤勇)は、自分達が本当の意味で侍ではなかったばっかりに、自分の理想とする“侍”というものになろうとして、あんな、過激な手法を取ったのではないかと思う。

本当の意味で侍なのに、ちっとも侍らしくない、悪質な芹沢鴨は、許せなかったのかもしれない。

侍だって人間なのに。

その人間性を、もしかすると土方は、自分の理想とする侍像の前で否定しようとしていた。

あんな切腹条項だらけの掟を作ってまで。


まあ、いずれにしろ、
サムライのいない世の中になって、良かった。

おちおち転職もできない。会社辞めたら、上司に対する不忠で切腹する羽目になるかも知れないし。

◇◇◇


土方歳三について、日ごろ思うことがある。

誠の武士たらんとした、あの新撰組の土方歳三は、

純粋なゲルマン人による帝国を目指した、ナチスドイツの親衛隊長・ヒムラーに似ているのではないだろうか。

ヒムラーは純粋なゲルマン人の血が、ユダヤ人との混血によって汚されないために、はじめは銃殺で、後にはガス室を作り、大量虐殺 (ホロコースト)を行った張本人とされる。

彼は、ヒトラーの、いわば影だった。土方が、近藤の影であったように。
そして、両者とも、冷たいまでに、理想を追求した。


この人たちを見ていると、特に思うのだが、

人間は理想の前では、どうも酔ってしまうようだ。

ヒムラーの“純血”、
土方の“誠の武士道”。

なんだか、アイドルに“清純”を求めるのに似ている。
求めているのは、“理想的な女の子”。

その女の子は、オナラをしない。

ここでも、人間性の否定。

オナラぐらい、させろよ。


高すぎる理想は、現実を曇らせ、認識をゆがめてしまう。

そんな論文、何本も見てきた。

理屈が、現実の前に立っちゃいけない。
理屈はあくまで、現実を認識した後の、後付け。
現実に合わなけりゃ、フィクションなんだから。

ダーウィンの言っていた、極めて謙虚な言葉 (昔読んだので、多少あいまい)
『私の理論は、哺乳類の存在しないはずの古い地層から、現代と同様のウサギの化石が出てきた場合には、否定されるだろう』

学者はもう一度、自然の前に、ひれ伏さないといけない。

ウサギが出てきたら、それはそれで、その事実を、とにかく受け入れなけりゃいけない。

土方や、ヒムラーみたいに、現実をさておき、理想を追っていはいけない。


...アイドルの追っかけくらいは、やりたきゃ、やりゃあいいと思うけど。

2007-09-06

ぼたもちの日

【今日やったこと】
大腸菌にタンパク質を作らせるために、長々と培養中。

適当に増やして、IPTG入れて、あとは4hr以上放置。

その間、やつらは37度のチャンバーの中で、右へ左へゆすられながら、
20分に一回、子孫を増やし続ける。

そのついでに、我が組換えタンパクも、いやいやながら、作ってくださる。

他人の都合で合成させられた、タンパク質と引き換えに死んでいく、無数の名も無き大腸菌たちに、ただ感謝。


で、その間にも、次の実験のプライマー設計。

18時までに発注しないと、明日までに来ないので、
あわてて設計、発注は17時35分。

どれだけゆとりを持って取り掛かっても、なぜか最後にはあわてて、
まるで、タイムアタックのようになってしまう。

一分一秒の世界。

それで、明日実験が進むかどうかが決まる。

まあ、遅れても、一日なんだけど。

せせこましい。今日も大腸菌のリズムで、事は進んでいる。
◇◇◇


先ほど、某新聞社から私の携帯へ電話があった。

てっきり、また、料金の未払いとか、契約上のミスとか、
そういうので、文句を言われるのかと思ったら、どうも違うらしい。

電話の主は、本社の方。決して、見慣れた、近所の配達員のおじさんではない。

「おめでとうございます!」

電話の主は言う。

「あなたが、優秀賞に選ばれました!」

私は、悪徳商法の中に、こう言う手法があることを熟知していたので、
とっさに身構えた。そして、

「まあ」

と一言答えた。

どうだ、大げさになりすぎない、抑えたリアクション。さあ、きゃつめ、どう出る?

「あなたが応募された○○について、審査した結果選ばれましたので、朝刊に、所在地と、ご職業と、お名前を掲載する許可をいただきたいのですが。」

ここまで来て、やっと思い出した。

悪徳商法でも、なんでもない、私が招いたことである。


もう、2ヶ月近く前、あまりに実験がうまくいかないので、夜中に、実験の待ち時間のうちに、インターネットで、あちこちのサイトを眺めていた。

そのとき、その某新聞社が、インターネット上で、月に一回、コラムのようなものを募集していることを知り、何とはなしに送ってしまったのだ。

「あなたの文章は、編集委員の○○が誤字脱字などをチェックし、訂正の上、掲載いたします」

なんと、いつも読んでいる新聞の、編集委員さんが、我が、暇つぶしの産物たる、愚にもつかない駄文を読んで、しかも訂正して下さるとは。

思わず、

「おねがいします」

と、柄にも無いことを言ってしまった。


しかし、評価される、ということは、どんなことであれ、うれしいことだ。

たとえそれが、誰もがひれ伏す、権威ある大賞でなくとも、
誰か一人が、自分の文章なり、仕事なりを見て、ほめてくれたのなら、それだけで、
しばらくは、ほくほく顔を維持したまま、生きていけそうな気がする。

本当は、論文でこういう風に評価される日が、早く来てほしいのだけれど...。

まあ、続けていれば、いつかは来るでしょう。たぶん。

2007-09-02

月下独酌 on the Pacific Ocean


【今日やったこと】
実家から帰ってきた。

家について、晩飯食べて、『風林火山』を見て、
「オンナってこわい」と思いつつ研究室へ帰ってきた。

前回やったコロピーがイマイチだったので、やり直し中。

一週間もぐうたらしていたので、無駄に気合が入っている。

こういうときは、十中八九失敗する。

覚悟している。
◇◇◇





帰省は船だった。

苫小牧から出向して、仙台に至る、『太平洋フェリー』を利用して帰省した。

優雅な船旅、なんてものにあこがれたということもあるが、何より船は飛行機などに比べ1/3の料金で帰省できることが大きい。

7月初めから8月の終わりにかけて、旅客業の各社は、程度の差こそあれ、夏料金期間を設けている。

飛行機、なんてやつは最もひどく、いつもは早期予約割引で、下手すると半額以下にまで割り引いてくれるくせに、夏の時期、特にお盆のあたりはまったく融通が利かなくなる。

片道3万円弱なんて、誰が払ってられるか。お盆くらいは、実家に顔を出そうという、市民のつつましい義務感を逆手に取り、その足元を見ているとしか考えられない。非道の所業である。

私はこの料金の落差に不条理感すら覚え、絶対乗るもんかと心に決め、とりあえず夏料金でもさほど値段が上がらないフェリーを帰省の手段として採用することにした (要するに、けちなだけである)。

フェリー、特に、今回乗ったような、一晩かけて目的地にたどり着くような大型のものでは、大部屋に板張りで雑魚寝の2等客室から、高級ホテルの一室を思わせるスウィートルームまで、5-6段階の料金がある。

一番安い料金で約8千円、高いもので5万円近くと、その幅は非常に広い。つまり、あの船の中には、世の勝ち組と負け犬が同居しているのである。まさに、社会の格差の縮図だ。

無収入な私の選んだのは、もちろん最もチープな雑魚寝の2等客室である。その上さらに、学生割引で一割ほど引いてもらった。おそらく私は、あの船に、最も安い料金で乗った人間の一人であろう。

あれほどの大型船に乗ったのは、私にとっては、生まれて始めての経験だった。乗ってみるとそれは、海を走る、まさにホテルだった。下手な旅館より、ずっと設備が良い。

海の見える風呂があり、ゲーセンあり、フロントあり、売店あり、お酒も出すラウンジや、レストランまであった。私は、ホテルに着いたばかりの小学生がするように、船内を意味も無くうろつきまわり、ああすげえ、こんなものもある、あんなものもあると、一人で興奮していた。

しかし、こうして無闇にうろつきながらも、私は内心、デッキへ出るための出口を探していた。

6年ほど前、佐渡島へ渡る小型のフェリーに乗ったとき、私は、船のデッキを吹き抜ける潮風を体感し、そのすがすがしいまでの開放感がいまだに忘れられずにいたのだ。

いざデッキへの出口を見つけ、重い鉄扉を開けて外へ飛び出した時、デッキ上にはまだ誰も居なかった。

私は一番乗りをしたという喜びと、俺こそがこの船一番のフェリー通だという、身勝手な自負心と、おそらく同時にこの船一番の変わり者だという、恥ずかしい気持ちが入り混じった、複雑な感動を覚えた。

その後すぐに、他の乗客もデッキに現れ始めたので、デッキが私のものだった時間は、せいぜい数分であった。

船は、空を茜色に焦がす、大きな夕日が北海道の山中に沈んだ直後に出航し、そろそろと、南下を始めた。初めは多くの人がデッキに出てその出航の瞬間を見逃すまいと目を見張っていたのだが、いざ港を離れてしまうと、日もとっぷり暮れ、真っ暗で、何も無い景色に飽きてしまったらしく、三々五々、船内に戻り始めた。


私が他人に誇れるものは、ただ、無駄なことに対する、根性だと思っている。

私は、もう一度、このデッキを、我が物にしたかったため、全ての人が帰るまで、2時間近く、薄暗いデッキで粘っていた。

次第に気温は下がり、風は強くなり、髪の毛は潮風でべたつき、もじゃもじゃになった。

それでも私は、粘り続け、やがて、最後のカップルも船内に入るに至り、あらかじめ船内の自販機で買っておいた、スーパードライを開けた。

天気はイマイチで星も無い夜だったが、薄い雲を通して、おぼろげに月の姿は見て取れた。月食の前日だったので、月はほぼ満月であった。

私は、吹き抜ける、冷たい、べたつく潮風に、ただでさえ天然パーマのあたまを、なおさらもじゃもじゃさせながら、月下独酌を決め込んだ。

だいぶ安っぽいが、しごく満ち足りた時間であった。


とはいえ、その夜は、体が冷えて寝付けなかった。

その上、大部屋で相部屋になったおじさまは、一晩中、エンジン音にも勝る、大音量のいびきをかいておられ、私の安眠を、ことごとく阻害した。

仙台港から、実家に向かう車の中で、私は始終、爆睡していた。


注)
二等客室の若造とスイートルームの令嬢との出会いは、当然のことながら、無かった。

流氷も、SOSも。

全てが、極めてノーマルな航海だった。

2007-08-25

紙の城

【今日やったこと】
明日全学停電だって言うし、
あさってには実家に帰ろうと思っているので、
今日は控えめにcolony-PCRだけ。

天気がいいから、外へ出よう。

◇◇◇

学校へ出てくる前、家でぼんやり考えた。

理学者は、日本にあふれかえる幾多の仕事の中で、
実はもっとも、“サムライ”を現代に引きずっている仕事の一つかもしれないと。

たとえば理学者にとって、
手技 (method) は剣だ。

その腕前のほどしだいで、雇い主が現れるかも、現れないかも決まってしまう。
要求された仕事を、確実にこなせるか。それも、その剣の腕前しだいだ。

自分の未来を、自分の手技で切り開く。

来るべき大仕事のために、自分の手技に磨きをかける。

それが理学者という仕事だ。


理学者にとって、論理は甲冑だ。

その実験結果が、いかに正当なものであるのか、
そして、どれほど深い真理を示唆するものであるのか。

それを生かすも殺すも、論理だ。

たとえ、その実験結果が、内外から、いかなる攻撃にさらされようとも、
堅い論理に守られた研究は、そうやすやすと打ち破れるものではない。


理学者にとって、論文は糧だ。

出した論文の数が多いほど、安定したポジションにいられる可能性が高くなる。
明日へ、確実に、自分と、その家族と、もしかしたら部下たちの命をつなぐことができる。

“研究室”は、いわば、論文 (paper) で支えられた城なのだ。

糧のない城は長くはもたない。

データの出ない、不毛の時期を乗り越えるまで、篭城できるかどうかも、
それまでの糧の蓄積にかかっている。


理学者にとって、夢を見ることは、良い馬を得るようなものだ。

自分の研究の完成を夢見て、たとえ、インドアな研究者であっても、
街から街へ、あるいは、海を渡り、国境すら越えて、さすらうことができてしまう。

馬を持たなければ、その旅の範囲はおのずと狭まる。
世界に眼を向ければ、できたはずのことが、
狭い範囲しか見ていなかったばかりに、できなくなることも多い。

良い馬との出会いから、その道が開けることもある。

走り回る馬の背中にしがみついているうちに、
良い剣や、良い甲冑にめぐり合うこともあるだろう。

そしてそれはやがて、明日への糧を得ることにつながっていく。

貧相な剣で、身を守る鎧すら満足にもっていない自分は、
自分の乗った馬を信じて、突き進むしかない。

2007-08-22

平日ビンボー

【今日やったこと】
...。プライマー、今日も来なかった。
『明日には届きます』だって。

あまりに予想外だったので、『遊び行っちまおうかな~』とは言ったものの、
実際にそうする度胸は無く、日がな一日、論文を読む (ふり)。

お昼過ぎに、大学の農場で取れた新品種のとうもろこしが茹で上がる。
実の皮が薄いらしく、いつものやつより、さくさくしてて、やわらかくて、うまかった。

今日の昼間、研究室は人が少なかったので、自分と秘書さんで、二本食った。
◇◇◇


あんまり暇だと、かえって不安になるので、無理やり仕事を見つけて、とりあえずいつもあくせくしているような人は、一般に『貧乏性』と呼ばれる。私なぞはまさにこれだ。

貧乏性はその名の通り、損な性格だ。せっかくできた余暇を存分に満喫することができず、いつも仕事をほっぽらかしてる罪悪感を引きずっている。

今日なども、先生方は大方外出していたし、天気も良かったので、本当にその気さえあれば、外に出て、平日の街の独り占め感を満喫する手もあったのだが、結局できなかった。

忙しい、忙しいといっていた先輩がいつの間にか外出していたというのに...。なんだか負けた気がする。

ただし、だからといって、貧乏性の人間が無理して外出したところで、外の空気に触れたとたん、たちまち罪悪感に打ちひしがれ、一歩ごとに足取りは重くなり、忘れても良いような些細な仕事が走馬灯のように脳内を駆け巡り、とても、棚から牡丹餅の休みを満喫など、できっこない。

そういう小人物は、あえて見えはって無理をせず、こそこそ論文を眺める振りでもしながら、外の澄み切った大空を、ただぼんやりと、眺めているくらいがちょうどいい。

いずれにしろ、今日は静かな一日を送れた。まあ、いいのかな。
最近生活も不規則だったし、ニュース番組もまったく見れてないから、世の中のことに疎くなった気がするし。早めにちゃーんとおうちに帰って、のんきな一日の続きを満喫してみようかな。

その名はナナコ

【今日やったこと】
新しい実験系を立ち上げようと思って、大量のプライマーを発注したら、
ものすごい勘違いをしていたことがわかって、1/3が無駄になったことがわかった。

でも、業者さんが何かトラブルを起こしたらしく、納期に間に合わない、という電話が入り、無駄になった1/3のうち、いくつかについては取り消してもらえた。

ラッキーといえばラッキー。でも、その分実験が遅れる...。
◇◇◇


もうすぐ遅い夏休みをとるつもりであり、どうしても、キリのいいところまでは実験を進めておきたいので、ここ二三日は、無理やりやる気を振り絞っている。

今日も、そんな必要は無いのかもしれないが、
深夜まで実験する腹をくくったので、セブンイレブンに出かけ、晩飯を買ってきた。

最近のコンビニは便利なもので、大概のところで、何らかの電子マネーが使える (北海道限定の、『セイコーマート』は例外)。

今日行ったセブンイレブンも、最近になってナナコという電子マネーを独自に始めて、キリンのお嬢さん (たぶん。だって、名前に“コ”がつくから) がCMをやっておられる。

私は根っからのあたらし物好きであり、特にこう言う“テクノロジイ”には眼がないので、ナナコは登場直後のキャンペーン期間中に、偶然立ち寄ったセブンイレブンで、衝動的に加入してしまった。

どうやら、何人加入させよ、といったノルマが店ごとにあるらしく、私のあまりの衝動的な加入ぶりに店長は興奮し、
『何かあったら、いつでもご相談ください!』
と、気恥ずかしいほど親切な言葉を送ってくださった。

しかし、いかに私が新し物好きといっても、さすがにこれはお金を預けるものであり、かなりの警戒感がある。したがって、はじめはとりあえず1000円だけ入れて、様子を見ることにした。

生まれて始めて鏡を見た、野生のチンパンジーでも、ここまであからさまな警戒はしないであろう。


そうして、いよいよ、そのナナコを使う段になった。しかし、いかんせん、“始めて” というものはとにかく嫌なもので、全ての動作がぎこちなく、わずらわしく、気恥ずかしい。レジの前に立ち、いつものように、メロンパンと、何らかの脂ぎったパンと、野菜ジュースを置くと、店員さんがせわしなく、商品を手に取り、せっせせっせとバーコードを読み取り始める。

105円、255円, 360円...。作業が進み、レジのカウントはぐんぐんあがって行くのに、1000円の入ったナナコを取り出すタイミングがわからない。気づいたころには、店員さんはおもむろに袋に物を詰め込み始め、まだ金ださねーのかよ、といった顔で、上目遣いに、こちらをちらちら伺っている。

結局、私はありもしない男らしさを発揮し、つりなんて怖くねーぜ、とばかりに、1000円札をひょいと指し出し、後はそっぽを向いていた。

おつりを出さないナナコに加入していながら、余計なつりをもらってしまった。

その後も、同じような体験を三度と無く繰り返した。時にはちゃんと“これ使いたいんですけど”と言ったこともあったが、そういうときに限って、店員さんのほうが慣れておらず、あたふたして、かえって面倒になったことも多々あった。


しかし我々は人間であり、テクノロジイなぞにまけるものかと、無駄な負けじ魂を燃やし、工夫に工夫を重ねるものである。


かく言う私も、いまでは、ナナコをほぼ確実に使う、“テクニック”を身に着けて居る。

何のことは無い。レジに行く前に、ナナコを財布から出しておき、
いかにも『わたしこれ、つかいたいのですよ』という、無言のアピールをしておけばいいのである。

すると店員さんも、それを以心伝心感じ取って、何かしらのボタンをぽちっと押して、レジをナナコモードへ切り替えてくれる。

後はカードをかざし、ジャリーンと鳴らせば、もうそれで、あなたも近代的消費購買者の仲間入りである。


最近の日本人は、昔に比べて会話が減ったといわれる。

確かに、自分の小さいころを思い返してみても、小さな商店で買い物する時には、必ず店のおばちゃんと二言三言くらいの会話はしたものだ。

今のコンビニのレジでは、その二言三言の会話すら欠如していると、昔、どこぞの評論家がおっしゃっていた。

ナナコを手に入れて、その結果は、結局、無言の“アイコンタクト”だった。お金を受け渡しする際の、心ときめく、かすかなふれあいすら、我々はついに失ってしまった (残念な場合だけとも限らないが) 。人間はいよいよ進歩しているのか、劣化しているのかわからない。

そのうち、眼だけで、レジが済んだらいいのに。

それから、ナナコの残金が、もっと簡単にわかるようにしてほしいです。

テクノロジイの未来に、終わりは無い。

次は、空港の、チケットレスサービスを試してみる予定。しくじったら、大きいよなあ。

2007-08-18

科学書発行部数倍増計画 (仮)

【今日やったこと】
クローニングしたコンストラクトにインサートが入っているかを調べるためにダイレクトPCRをしてみたら、なぜかまったくバンドが見えず (おそらく、二日酔いの吐き気の合間にやったせい。すべて、最後に飲んだ“ボウモア”の責任)、しょうがなく制限酵素処理中。
どうなることやら。

◇◇◇


今、科学系の本では珍しく、紀伊国屋売り上げトップ10にちらちら現れている新書がある。

『生物と無生物のあいだ』 という本で、著者は青山学院大の教授、福岡先生。売り上げがいいだけあって、本屋で見ても、確かに入り口のそばに平積みされていたりするし、ずっと気になっていたのでついに買って、読んでみた。

内容は...。わかりやすい、生物入門書、といったかんじ。

生物学の面白話満載。ワトソン・クリックのDNA二重らせん構造発見にまつわる黒い話、PCR見つけたサーファーの話、遅咲きの (そして未婚の) 学者のホシ、DNAが遺伝物質であることを証明した、アベリー大々大先生の話等々。

おそらく、こっちの方面に興味のある、ちょっとおませな高校生くらいなら、すらすら読めてしまうんじゃないかと思う。


この本の帯には何人かの著明な方々がコメントを寄せている。

そのなかに、 “福岡さんほど文章のうまい科学者は稀有である” と、あのNHKの某番組で、時々科学者らしくない (人間味のある?) 質問をぶつけておられる、脳科学者の茂木健一郎さんが書いている。
自分も読んでみて、確かに、学者にしては読みやすい、読者を飽きさせない書き方をされる方だとは思った。

こう言う業界に一応浸っている人間が言うのもなんだが、どうしても、科学というやつは一般から見て敷居が高いし、科学の本を読もうという気も起きないという人が世間にはざらにいる。

文学者じゃなくても、純文学の小説は読むが、科学者じゃないのに科学の本はなかなか読まない。

ブルーバックスや、その他の新書ががんばってはいるが...。100年近く前の『羅生門』、『坊ちゃん』が平積みされる一方で、科学書は、たとえ新刊であっても、棚の隅に追いやられていることが多い。

(最悪の場合、いわゆるエロ小説のカモフラージュに使われていることもある。つまり、科学書のような堅苦しい本の向かい側にエロ小説をおくことで、体の向きをとっさに裏返すだけで、先ほどまで、そういった“こはずかしい” 本を注視していたということを隠せてしまうのである。どうせそういう時、男子の顔はいずれにしろまじめ腐っているか、しかめっ面のことさえあるのだから、顔の表情すら、変える必要が無い)

そんな、どこまでも肩身の狭い、虐げられた科学書業界の中で、こういった“伝える力”のある先生というのは非常に貴重な存在だと思う。


一学生が、こんなたいそうなことを言うのもなんだが、自分は大学の先生は、専門課程の先生と、教養専任の先生に分離すべきだと思っている。

大学3,4年といった、専門家を養成する時期には専門課程の先生が、それ以前には、教養の科学の先生が教えるべきだ。

教養は、他分野の学生に、異分野を知ってもらう、おそらく、最初で最後の機会であるから、そこに、わかりやすく、面白く、科学を伝えられる先生を専任させれば、もっと、科学ってやつもポピュラーになるんじゃないかと思う。

必ずしも、バリバリの研究者で無くったってかまわない。科学の成り立ち、そして最新の科学を理解し、教える、伝える能力に長けていることが重要なのだ。

また、一般にもっと科学を伝えるためにも、そういう、伝えることを得意としている科学の先生がいれば、ずいぶん変わるのではないだろうか。

まあ、茂木さんが“稀有である”って言ってんだから、福岡さんのように読める科学書を書ける人材は、よっぽどいないんだろうけどね。
グールドとか、ドーキンスとか、ファーブルとか、シートンとか、カーソンとか、日本人だと多田富雄さんや、柳澤桂子さんとか、そういう 『ものを書ける』 学者がもっと出てほしいし、自分もちょっとあこがれる。


ちなみに現在は先日亡くなった心理学者の河合隼雄さんの 『昔話と日本人の心』という本を読んでます。昔話から、日本人の深層心理を読み解こうという、野心的な作品。


ユング派っておもしれー。

2007-08-16

盆考

【今日やったこと】
ライブラリーからスクリーニングした遺伝子をカルチャーして
ミニ・プレップして、シーケンスを読んだ。カタカナまみれの一日。

最近シーケンス読みすぎ。試薬、ゲル、底をついた。
でも、お盆休みだから、業者さん、来ないんだよねえ。

◇◇◇

お盆は、あの世から先祖の魂が帰ってくる日だということで、
その魂を一家全員で迎えるために、その子孫も里へ帰っていく。

東京、特に都心は、お盆の時期、もぬけの殻だという。
ドーナツ化現象で、人もいなければ、スズメもいない、といわれた都心だが、
どうやら、魂すら、そこにはないらしい。

(『ドラえもん』のエピソードの一つで、未来へ行ったのび太が、人っ子一人いない無人の町へたどり着く。のび太はそれを見て、未来には人類は滅亡している、と思ってしまうのだが...。
実際には、街の人たちがみな、旅行していただけだった、という落ちがついている。今やそれも、ほとんど現実の話だ。)


空虚、妄想、背景の無い、張りぼて、そんな言葉が浮かんできた。
人工の、夢の、理想の、街。でも実は、そんなもの、存在していないのかもしれない。
あそこを、自分の街だと思っている人、あそこにどれだけ、いるのだろう。住民票を出し、一応住所として登録はしていても、自分のよりどころではない街。一時的な吹き溜まり。風向きが変われば、ふっとなくなってしまいそう。

(『智恵子は東京には空が無いといふ。本当の空が見たいといふ』 ― 高村光太郎『智恵子抄』)

その点、根っこのある田舎は強いよなあ。
何かあれば、とりあえず、人が帰ってくるもの。

2007-08-12

炎天夢想

【今日やったこと】
天気が良かったら朝から遠くへ出かけようと思っていたが、
寝坊して、起きたのはお昼近く。せっかく天気が良くなったのに、遠出できず。

仕方なく、また、前にカレーチキン何とかを食べたモスへまた行き、前のやつが期待したほど辛くなかった反省を生かして、スパイシーモスバーガーという、いかにも辛そうなやつを選んでみた。(別に、モスで辛いものを無理して食う必要も無いとは思うのだが)

今回のやつは、名に違わず、確かにちょっとは辛かった。が、モスバーガーの常で、せっかくのソースの大半が、みんな紙包みの中に落ちてしまって、なんだかもったいない気分になった。あれを上手に食べられる人は世の中に何人いるのだろうか。

最近コンポを買って、使ってみたくてしょうがない母親から、帰省前に何かいいCDを買ってくるように言われていたのを思い出し、お決まりのブックオフへ。小野リサのデビューアルバムというやつを買った。家に帰って聞いてみたら、予想していた、けだるい感じではなく、意外とアップテンポだった。まあ、でもなんか癒される感じはあるので、良しとした。

その後、北大植物園に行ってみた。
植物園という名前ではあるものの、実際には有料の緑地公園といった感じの広大な植物園だった。札幌都心の、ど真ん中に、あんな広大な公園があるというのは、考えてみるとすごいと思う。アイヌゆかりの植物などに気をとられていたら、ほんとに日が暮れてきたので、家に帰った。

今日は特に暑い日で、500mLのミネラルウォーターと、北海道名物“ガラナ”を一本ずつ空けてしまった。初めて飲んだガラナはなんだか懐かしい気がするけど、なんだったか、思い出せない味だった。

買い集めたいと思っていた数少ない漫画の一つ“プラネテス”をやっと全巻集めた。
著者の考えがまったく理解できないシーンも多いが、一応 SF で宇宙が舞台のわりに、話が内向的なので面白いと思って集めていた。

家に帰って読んでいたら、宮沢賢治を読みたくなった。
『春と修羅』読んだこと、ない。

『この変態を恋愛という』

すごくかっこいい。が、ここだけ抜き出すと、誤解されそう。
この変態は、あの変態のことであって、あんな変態のことではないよ。
(全文は、春と修羅『小岩井農場』のパート9を参照)
◇◇◇


今日、炎天下の街をさ迷い歩き、思ったこと:

人を幸せにする自信なんて、ちっともないや。
自分が明日どうなるかも、わからないのに。

ガラナが歩くたびに、バックの中でだぽんだぽん音を立てる。
空けるたびに、炭酸が噴出す。

炎天。

“どうせおいらはやくざなあにき”

やくざな商売だねえ、学者さんも。

家族連れ、親子連れ、老夫婦。
自動車を誘導する警備員、ティッシュを配るアルバイト、木陰を行く、カップル。

一方は車椅子。それを押す、女性の白く長い左足には、二足歩行と引き換えにひざの自由を奪った、二本の金属柱のフレーム。

男性が遠くを指差し、女性はそちらを向いた。
長い左足を、ぎこちなく振り回し、横断歩道を渡ろうとしている。

でも、なんか、楽しそう。二人とも。後ろからは見えないその表情は、たぶん、笑顔だ。

足取りは、すこぶる軽く。

太陽が照りつける。
世界が、白い。

芝生でねっころがるおじさん。
木陰で本を読む女性。

俺のしたいこと、していやがる。

知らない人の記念館に、入ってみる。

後から入ってきた二人連れ

『ここ、何?』

つまらないから、出た。

炎天。むっとした風が吹く。

カラスの寄り合い。
暑いので、みんな口をぱっくりあけている。

口をあけたまま、こっちをちょっと見て、
大急ぎで飛び立っていった。

なにもしないのに。

カラスの羽音、はねの虹色。時折、場所違いの、かもめの声。
海は遠いのに。

アメンボウを見ていた。

細すぎて、本体は見えないのに、
その影は水底に、手足に大きな“丸”を伴ってはっきり写る。

アメンボウのゆがめた水面の形。

アメンボウは、後ろ足はそのままに、前足を前後にすばやく動かして、入り口も出口も無い止水を進んで行く。

流れの無い水面に、波紋だけがのこる。

ガラナは歩くたびに、バックの中でだぽんだぽん音を立てる。
空けるたびに、炭酸が噴出す。

もう、帰ろう。

4時過ぎ、人通りが激しくなってきた。
なぜ?
あたりはまだ、こんなに暑いのに。

暑いから出たくない。休日出ないのはもったいない。

けちだ、みんな。働く人も、働かされる人も。働かない人も。

働けない人は、なんと言うだろう。

この夏の炎天。

アクエリアスを薄めて飲んだ。

甘さが最初に消えてしまった。ほしいものは、いつも最初に消えてしまう。
後に残るのは、薄いナトリウムと、マグネシウムのほのかな味。

にがじょっぱい。

深夜。夜風に救われるように家を出た。
大学病院の入院棟に、明かり。

働けない人は、なんと言うだろう。

眠ったような救急車。非常搬送口。エントランス。

熱帯夜。札幌の。じめじめする。

空にはペルセウス座流星群。見えるわけ、ないか。

遠く、ススキノの方向に、サーチライトが見える。

細すぎて、本体は見えないのに、
その影は水底に、手足に大きな“丸”を伴ってはっきり写る。

帰って、今日はもう、寝よう。

熱帯夜。札幌の。まだ、じめじめする。

2007-08-11

青春のうしろ姿を

【今日やったこと】
昨日、先輩と秘書さんが細々と飲んでいたのに混じって飲んでいたら、
あれよあれよと人が増えてきて、れっきとした飲み会になってしまった。

実験のため、少し席をはずして、また来てみたら、そこにはすでにほとんど空になった、
ピザの空き箱が二つほど転がっていた。

その後家に帰って、また少し飲んでしまった挙句、本を読み始まったらとまらなくなって、
気がついたら、カラスが鳴いていた (カラスは、明け方に鳴き始めるのです)。

未だに、大学の学部生みたいなことをしている。
若いんだか、成長してないんだか。

◇◇◇

心酔しているCMがある。

キリンラガービールのシリーズCMで、今やっている、松任谷由実のバージョンである。

このCMシリーズは、おそらくちょっと高い年齢層のおじ様、おば様をターゲットにしたもので、一昔前の名曲を次々に流している。確か第一作は、サディスティック・ミカ・バンドで、木村カエラが代理のボーカルをしていた。自分は、一昔前に、こんなチャーミングな曲があったことを、それまでまったく知らなかった。こういう企画は、もちろん直接のターゲットである、おじ様、おば様世代の方々には響くものがあるのだろうが、その子供の世代にとっても、新鮮な発見をもたらすものだと思う。

で、松任谷由実バージョンだが、木村カエラとは打って変わって、落ち着いたテイストのCMである。薄明のカフェ・ラウンジで、松任谷由美と数人のバックバンドが本番前のリハーサルをしている。やがて、夜の帳が下りる頃、穏やかな白熱灯に照らされ、静かに、小さなコンサートが幕を開ける。CMは2部構成で、本番を控えたリハーサルまでが1部、本番が2部である。

そして両編とも、バックには次のようなフレーズが流れる。

青春の うしろ姿を
ひとはみな 忘れてしまう

第二部では観客が、第一部では店のマスターが、このフレーズに聞き入り、ふと、われを忘れる。(後記。どうやらこれは記憶違いのようで、第一部で使われていたのは『卒業写真』だったようだ。この『あの日に帰りたい』が使われているのは第二部のみということになる。)

もちろんこれはCMであるから、その後に、バンドがみんなでラガーで乾杯、というシーンで終わるのだが、観客、ないしマスターの一瞬、歌に心奪われるシーンの表情がすばらしい。これら聴衆はみな、中年以降の、いわゆるおじさん、おばさんであって、青春という熱のようなものものから、いつの間にか遠くに離れてきてしまった自分に、この歌との再会でふと気づかされるという様子が、涼しげなメロディとともに迫ってくる。

自分はまだ人生経験の浅い人間であるから、この聴衆たちの表情に隠された深い哀愁を全て捉えることはできない。だが、青春というものから遠ざかり始める年齢に差し掛かっていると感じており、その苦い喪失感はなんとなく理解できる。

青春は一人の人間が、社会的に“誕生”する時期だ。親の保護を離れ、自我の下に何かを決め、何かを行う。しかし、いかんせん、生まれたてであるから、効率の良い方法など知る由も無く、見聞きするものに過敏なまでに反応し、常に何かにぶつかり、時には軋轢すら生じる。しかし、それでも生きようとする赤子のような生命力が青春にはまだある。

時は経ち、青春から遠ざかった人々は、それまでに培った経験により、すでに無駄な力を使わない、効率の良い生き方を見出している。物事に過敏に反応する感受性を失う代わりに、軋轢も、衝突も無い穏やかな日々を手に入れている。しかし、その時になって、ふと思う。今の自分は、何かを失っていないか...。

人の脳は新しい情報を好むという。そういう意味でも、見るもの全てが新しい青春は、苦しいことも多い反面、多くの感動と喜びに満ちた時代でもある。生きることに慣れてしまった人々は、ふいに、そういう青春のほろ苦い喜びや感動が懐かしくなるのかもしれない。


例えば、こういう青春時代の名曲を聴いているときなどに。

2007-08-08

あるこう、あるこう、

【今日やったこと】
ベクターを増やすため大腸菌を培養。
ところが、ほとんど取れない。キットの底のほうの残りかすみたいなのを
使ったのが、悪かったんかなあ。
お昼過ぎに、秘書さんにハーゲンダッツをいただいた。
同じアイスなのに値段は倍以上。同じバニラなのに、違うものみたい。
つかの間の幸せ。

夏の高校野球が、始まった。
◇◇◇


人の特徴が出やすいものは、いろいろあるが、歩き方、というのもその一つだろう。みんなそれぞれ自分の歩き方があり、その人の性格や、その日の気分によっても大きく変わる。せっかちな人は小股でせかせか歩くことが多いし、逆に大またでのっしのっしと歩かれると、おおらかな人、あるいは、貫禄十分といった印象を受ける。怪我をしていれば怪我をしているなりの、病気なら病気なりの歩き方がある。俳優さんなんかはそこをうまく捉えていて、役の性格に合わせて、歩き方をうまく変えたりしているようだ。また、案外親子で似ていることが多いのも歩き方だ。歩く後姿が親父そっくりといわれて、へこんだ経験があるのは、私だけではないだろう (ひざが力なく、かっくんかっくん折れるように曲がる)。

こんな話題を急に持ち出したのも、今日、すこぶる変わった歩き方の人に出会ったためだ。
生協の食堂でお昼を食べて、帰り道、自分の前を偶然歩いていた女の人の歩き方が眼にとまった。
その人は身長 150 cm 前後で、髪が腰近くまで伸びているが、少々ぼさぼさ。半袖にミドルパンツという、少年のような服装だったので、後ろから見ると絵に描いたような『野生児』だった。そのうえ、歩き方は、“完全な” ガニ股だった。いくら、サンダルを履いていたとはいえ (サンダルを履いていたから余計に)、あそこまでひざが外に向いたガニ股歩きをすることは無いだろうと思った。ペットボトルを右手に下げ、のっしのっしと歩くその姿は、幼いころに見た、“いなかっぺ大将” の主人公を思い出させた。自分は後ろからちょっと見ただけだったので、どのような風貌の方なのかは知らないが、どんな性格の方なのかは、なんとなく、わかったような気がする。少なくとも、繊細で控えめな、清楚な方では、ないであろう。

かく言う私も、世にもまれな “ヒザカックン歩き” の継承者なのだから、人の歩き方をあれこれ言う権利は無いが、変な歩き方だから余計に、他人の歩き方は気になってしまうのである。
(最近、靴の底が、外側だけやたらに磨り減っていることに気づいた。私はヒザカックンのみならず、重度のガニ股のようだ。)

“歩く”、という言葉は “人生を生きる” ということの比喩にも使われる。同じ道であっても、人それぞれ、いろいろな歩き方がある。ガニ股や内股やヒザカックンが、一つの廊下を、めいめいの歩き方で歩いている。多少の速い遅いはあるかもしれないが、自分の形で歩けるというのは、たぶん幸せなことだ。軍隊のように無機質に、形をそろえて歩くのは、たぶん、苦痛だ。

2007-08-06

すすきの祭り

【今日やったこと】
なんか、泳動ばっかりしてたら、飽きてくるし、
気分的に疲れたので、途中から論文読んでいた (ふり?)。
昔の先輩にメールでコンタクトとって、ネズミに注射する方法を聞いた。
25マイクロをネズミの足の裏に。だそうな。
今日は原爆記念日。“黒い雨”やっと読み終わった。黙祷。
◇◇◇


先日、研究室の同窓会があり、二次会ですすきの祭りに行ってきた。よく考えてみれば、夜のススキノにいくのは初めての体験....。そこはめくるめく、おとなと、ぼったくりの世界...。のはずなのだが、あくまでその日は“お祭り”。普段のアダルティーな雰囲気など雲散霧消しており、『ラッセラー』なんて、“よさこいソーラン”の掛け声に支配されていた。
ネオンサインも、ヨサコイにはかなわない。

すすきの祭りでは、普段はごちゃごちゃしたビルの中にあるいくつかの穴場的なお店が、屋台として露天で営業している。そのため、子供でもオトナでも、入りやすく、親しみやすくなっている。トイレのためにビルの中に入って思ったのだが、やはりこういうところは、普通の飲食店とおとなのお店が隣り合わせだったりするわけで、いかに健全なおいしいお店でも、ある時間を過ぎれば入りにくくなってしまう。この『屋台』という形式は、おとなのお店が嫌いな人にも、ススキノのおいしいお店を見つけてもらえる、いい策だと思った。

それでも、そこはやっぱりススキノで、たまーに、どう見ても、あなた、飲み屋のおねーさんだよね、って言う風貌の女性と、それを引き連れた恰幅の良いおじさまにすれ違うことが何回かあった。噂に聞く、“同伴”ってやつだろう。ごくまれにだが、サエナイサラリーマン風のおじさんが、同伴しているケースも見た。あれは、どういう仕組みになっているのか、疑問だ。

店はあまりの客入りのため、自分たちは座る席が無かった。しょうがなく、4人で水溜りを避けながら路肩に腰掛け、4くし五百円の串焼きを食べつつ、何で、あんなのに金をつぎ込むんだろう、という疑問を打ち消せないまま、目の前を行過ぎていく魑魅魍魎たちを、只々、見送っていた。


から揚げ串と、とんとろがおいしかった。


で、二次会の後はどうしたかって?

それは...。

2007-08-03

虚勢

【今日やったこと】
泳動、泳動、泳動。 シークエンス読み。出てきたアルファベットとにらめっこ。
シークエンスには、笑顔が足りない。
◇◇◇


『彼女』というキーワードにまつわることの多い一週間だった。
研究室の後輩に最近彼女ができたことが判明したり、英会話の先生にそのことでからかわれたり。外から帰ってきて、廊下ですれ違いざま、見ず知らずの女の人に「雨はどのくらい降っていますか」と突然聞かれ、「小雨ですかね」と答え、その後返ってきた笑顔と、「ありがとうございます」に、年甲斐もなくときめいている自分を発見したり。とにかく、あまり得意ではない展開が多かった。

友人たちからもよく聞かれることであるし、自分でも時々考えることもあるのだが、自分はどうも、そういう、アイ、だとか、コイだとか言うものには疎く、はっきり言ってそういうのは苦手である。人を好きになったことが無いわけではないが、なんだか、感情の上下が大きくなったり、他人に対して無駄な心配をしてみたり、余計な詮索をしたり、とにかく疲れる。
確かに、誰かがいつも傍に寄り添ってくれる、とか言うシチュエーションは、ヒヨワな男一匹がコンビニ弁当片手に、路地裏をプラプラしているより、ずっと心強いものなのかもしれない。ただ、自分の場合、どうも人を好きになると相手のことを『考えすぎる』傾向があるらしく、相対的に自分を見失う結果に終わることが多い。後から考えると、馬鹿なことしたなあという事例がホシの数ほどある。今思い出しただけでも恥ずかしさで身が縮む思いだ。

そんなわけで、最近はそういう話は極力避け、一人でプラプラする時間を大切にしている。これを“逃げ”という人もいるだろう。そうだとも。一匹狼は臆病だ。集まってこそ威張っていられる。ほんとに一匹になってしまったなら、後はすたこら逃げおおせて、自分の穴倉の中に閉じこもるか、誰もいない僻地へ旅行してみるしかない。

ちなみにわたしは後者の方だ。...穴倉には、思い出が多すぎるから。

2007-07-29

JAZZしたべ

【今日やったこと】
何とはなしに大通り公園へ。モスバーガーで、カレーチキン何とかを食う。大通りを抜けると、ちょうど、ライブをやっていた。そういえば、今は札幌JAZZ Fes. の最中。なんか、よさげだったので、しばらく鑑賞。そのあと本屋に回って、ブックオフに行って、帰ってきた。
買いすぎ...。
◇◇◇


JAZZ 系の催し物は日本全国にあり、自分が前に住んでいたところにも、その前にすんでいたところにもあったが、参加したことは無かった。今回は、今住んでいるところが比較的都心であり、会場に近いこともあって、買い物ついでにふらりと立ち寄ることができた(無料だったし)。最初に聞いたのは、どっかの学生サークルらしきグループで、テナーサックス、トランペット、ベース、ドラム、キーボードといった構成だった。このアマチュアの若造が、とたかをくくっていたらとても上手で、驚いた。やっぱり、人前で発表するだけあって、みなさんレベル高いんですね...。全部で4曲ばかり演奏していたが、全体的に疾走感ある曲が多くて、夏の、すがすがしい快晴の、大通りの野外ステージの雰囲気にはぴったりだった。さわやかなメロディと、若いバンドの、はにかんだような照れ笑いが印象に残った。その後、ちょっと買い物に行き、帰り際にまた行ってみると、こんどは30ちょいくらいのおじさん (お兄さん?) たちのグループが演奏を始めるところだった。メンバーはギター、ベース、ドラムの三人。ギターの人がマイクを持ち挨拶してくれたが、わずか30秒ほどのトークで、そのストレンジさがひしひしと伝わってきた。演奏は、可も無く不可もなく、上手、といった感想を持った。本人たちも言っていたが、野外でやることはめったに無いそうで、たしかに、音が全体的にこもったような、やや内向きな印象を与えていた。でも、最後の曲はやはりスピード感があり、それまでの平凡な感じとは打って変わって、素人目にも難しそうなテクニックを駆使していて、とっても盛り上がった。

野外でみんなで、通りすがりが一つになって曲を聴くって言うのもいいもんだ。知らない人同士が、知らないバンドの演奏を始めて聞いて、その演奏にはらはらしたり、興奮したり、リズム取ったり、ニヤニヤしたり。夏の午後の、いい思い出になった。

Oさわ

O沢さんみつけたかーい?

2007-07-17

漢方薬とT細胞

【今日やったこと】
遺伝子Aのゲノムを読もうと目論む。ライブラリーのスクリーニングの準備。仕事は少ない割りにやたら時間がかかった気がする。

あとは、新潟でひどい地震があったので、友人の安否を確認していた。
とりあえずみんな怪我はなさそう。まず、なにより。
◇◇◇


体にばい菌やウイルスのような“異物”が入った時、免疫という、体の軍事部門みたいな機構が働いて、そのばい菌を体から除こうとする。免疫には、軍事部門らしく、命令好きの上官“ヘルパーT細胞”と、それに従う大勢の部下たちがいる。

免疫系のお得意の戦術には大きく分けて二種類ある。
一つは、“狙撃部隊”B細胞が作り出す、“抗体”という飛び道具を用いて、体に入ったばい菌を除く戦術。
もう一つは、“殺し屋”キラーT細胞を使って、ウイルスに取り付かれた仲間の細胞を、取り付いたウイルスもろとも殺してしまう戦術だ (織田信長もびっくりの非道)。

実は、指揮官であるヘルパーT細胞には2種類あり、それぞれ、前者の戦略を好むものと、後者の戦術を好むものがいるとされてきた。

ふつうは、これら両方がうまくバランスを取り、異物を除去しているのだが、人によっては片方の戦術に大きく偏ってしまうことがある。前者に偏れば、アレルギー、後者に偏れば、ある種の自己免疫疾患にかかりやすくなる。現代の日本人の多くは、前者に著しく偏っているという。そのため、何らかのアレルギーを持つ人が増えていると考えられているそうだ。

今朝の授業で、アメリカかぶれの先生から、それをぐだぐだと聞いていて、ふいに、東洋医学に出てくる、“陰陽説”を思い出した。

中国や韓国の本格的なお店で漢方薬を処方してもらう時には、いろいろな方法を用いて、その人の体質がいま、陰の状態にあるか、陽の状態にあるかを、まず判断するのだという。薬は、あくまでそのバランスをを補正するために処方する。漢方だけでなく、鍼灸の“つぼ”もそう。“気功”もそう。みんなその考えに基づいている。

そうやって処方された漢方が、実際どれだけ南蛮渡来の免疫学に適合するのかは、わたしの浅い知識では解らないが、たとえ偶然であっても、“体のバランス”というものを補正するという考えにいたった中国4000年の歴史には感服する。人間の体の特性のようなものを、長い歴史の中で、ある程度見抜いていたのかもしれない。それだけ、昔から人間は病気と戦ってきた、ということでもあるのかもしれない。

ただし、最近になって、先にあげた“指揮官”ヘルパーT細胞には、さらにもう一種類あることがわかっており、免疫系の命令系統は、どうやら“三つ巴”になっているらしい。さらに、それらをなだめる、“じいや”のようなT細胞もあるという。

さすがに、ここまでは伝統も無理か、と思いきや、韓国には、5色のバランスをとった食事をすれば病気にならないという考えがあると聞く。

これで、5種類までO.K... とするのはこじつけか。

2007-07-10

新聞取った

【今日やったこと】
遺伝子A, B, C, の発現の結果をまとめ、明日の報告会に備える。全体的にモチベーションの低い一日。大半は、土日の旅行 (または逃避)計画を練るのに使った。ゲル作ろうとして、こぼした。
一年生か、おれは。

◇◇◇


 新聞をとることにした。研究室でも新聞は取ってるし、インターネットって便利なやつはあるし、別にいいかな、と考えていたが、やっぱり、社会からのずれを感じる。テレビを見る時は、できるだけ、ニュースも見るようにしてはいたが、テレビにしろ、インターネットにしろ、情報盛りだくさんのようで、実は限られている。インターネットの記事はたいてい、その事件のあらましだけで、その背景とか、関連する情報だとか、そういったものは省かれているし、テレビのニュースは映像としての情報量は多いかもしれないが、やはり説明が少ない。その点、新聞は、ちょっと難しい用語になると、コラムをくくって説明してくれたり、同じ事件を複数の記事にして、多面的に分析してくれるので、多くの、多様な読者に理解できるものであるように思う。

新聞の強みは、“情報を多めに載せておいて、余計なら読み飛ばす”ということができる点にある。対象となる読者はみんな知識の量も、種類も異なるわけだから、同じ説明で同じように理解してもらうことは不可能に近い。だからこそ、情報は多めに載せておき、解らなかったら別な文章を読めば補えるようにしてある。その点、インターネットのニュースはそもそも、情報量が少ないし (“速報命”で、とにかく速さが売り) 、かつ質が悪い。何百人の記者の取材の総和である新聞の記事に比べ、インターネットは、その記事を書いたのが、たった一人の素人でも、百人のプロフェッショナルでも、同じように並べられてしまう。その分、間違いや、ガセネタを拾ってしまう確率も高くなるわけで、結局その事件の正確なあらましを理解するのに苦労することになる。テレビはさらに情報が少ない。映像があるぶん、その事件を理解した気になってしまうが、テレビにおける事件の説明は、結局、“音声”によって行われていることが多く、文字数にしたら、新聞の比ではないことは明らかだ。

ただし、もちろん得て不得手があることも言及しておく必要がある。新聞のサッカーのシュートまでの解説は理解に苦しむ。解りやすいように、いろいろ図を工夫した後は見られるが、テレビの15秒程度の映像を見れば、いかに中村俊介がすばらしいパスを出したのか、まさに一目瞭然だ。インターネットも、情報源とするサイトをきっちり取捨選択すれば、かなり頼りになる。しかし、このばあい、有料になってしまうことが多く、新聞をとるのとと大差ない。

でも、新聞とったのはいいけど、読む暇あるんだろうか。

朝刊が夕刊になりそう。

2007-07-02

ビアガールとおとっつぁん

【今日やったこと】
遺伝子A, B, CのPCR, 電気泳動、ゲノムもPCRした (7 時間かかった)。学食で冷やし中華を食い、今日が天気が良く、暑かったこともあって、つかの間の夏。でも、すぐインドアな実験に戻る。学食のポスター “今日から博物館でファーブル展”。行かなきゃ。

◇◇◇


 この時期になると、なんとなく話題がビアパーティーの話になる。もうすぐ学内でも、あるんだとか。それで思い出したのが、昔のバドワイザーのCM。ものすごくグラマラスな (記憶はうそつきだ。しばしば、その人の興味によって大いに誇張されるものだ)ビアガールが、バドワイザーのロゴの入った、かなり 『無理やりな』 服を着て、ああいう人達に特有の、のっしのっしと闊歩するような歩き方でジョッキを銀色のトレーに載せて歩いて行く、そんなCMだった。

 小学生ながら、あのCMが流れてくると、なんだか恥ずかしくなり、無性にどきどきした。そして、女の人って、どうしてちょっとしたことでも恥ずかしがるのに、あんなどぎまぎするような格好ができるのか不思議に思った (正確なことは、未だに解らない)。見せたがりのひとと、そうでない人がいるのか、あるいは仕事だからしょうがなく、ああいう格好しているのか。だとすれば、きっと、ああいう魅惑的な笑顔を振りまきながら “あー、早くおわんねーかな、メンドクせー” なんて考えて、家に帰って、冷蔵庫のものでなんか作れないか、なんてことをいろいろ気にしていたりもするのかもしれない。

 コスチュームや、雰囲気は人をしばしば現実から切り離してしまう。それが息抜きのためのビアホールには必要だし、厳粛な審判を言い渡す裁判所にだって必要だ。だれも、安売りのTシャツを着たおとっつぁんに “被告人を死刑に処す” なんて言ってもらいたくはない。できればコノヨノモノトハオモエナイ、ビアガールという女性にビールを注いでもらいたい。そう望むのは当然だろう。

ちなみに、学内のビアパーティーでビールを注ぐのは、生協のおばちゃんだとか。

もちろん割烹着で。