2007-09-29

カミモホトケモ

【今日やったこと】

タンパク合成のため、大腸菌を多めに培養。

100mL LBに無数の大腸菌。

しかも、振りが激しすぎたらしく、

多少こぼれたような跡が。

シェーカーの中に乾いたLBらしきものがこびりついている…。

これに無数の大腸菌がうごめいているかと思うと…。


場所が変われば、こういう細かいところに、不都合は起こる。

掃除しとかなきゃ…。

◇◇◇

昔から、神話のようなものは好きで (神も仏もほとんど信じていないくせに)
今でも興味はある。

神話は、おそらく有史以前から続く、『昔話』のようなもので、文化も文明も無いような時代の出来事が、長い伝承の中で、いろいろ脚色されながら、今に至っているもののようだ。

だから、人間の『業』というか、本性のようなものが、いたるところに垣間見える。

“神話”といっても、こう言う話の中の神様は、ある意味非常に人間くさく、『神様のような人』という表現からは、むしろ程遠い印象を受ける。

これに関して、たとえば、いしいしんじという作家は『プラネタリウムのふたご』の中で、星座にまつわる神話を聞いた、子供達の感想として

「神様はしょっちゅう“思いを遂げて”いる」

といったようなことを述べている。

今は、ウィキペディア、という、似非知識の殿堂があり、暇つぶしに、この神話のページをめくって行くと、数時間で、神話通になった気分を味わえる。

見ると、特にギリシャ神話や北欧神話では、神様はしょっちゅう浮気したり、ありえない恋 (相手に見境が無い) をして,子供ばかり作っている。

しかも、その後、奥さんの怒りを買ったりするケースも多い。

日本の神話だって、直接、子供を作ったような書き方こそ無いが、それを匂わせるモチーフがいたるところに見られる。

例えば、日本列島も日本人も、創造の神イザナギとイザナミの『子供』、ということになっているようだ (ちょっと表現がわかりにくく、つかみきれてない部分もあるが、『子供』ではあるようだ。だって...。)。

彼らの“懸命な努力”によって、日本は生まれたのだ。


また、以前紹介した、『昔話と日本人の心』という本によれば、こう言う神話の話の展開というのは、ギリシャにしろ、日本にしろ、非常に共通点が多いそうで、それが、『人間の深層心理はみんな共通』という考え方の一つの根拠になっているようだ。


ともかく、こう言う神話をひとたび紐解けば、人間の持つ、爆発的な想像力というものを感じずにいられない。あまりに自由奔放で、取りとめも無く、筋道すら通っていないこともあるが、その分、人間の本質を嫌というほど露呈する物語だと思う。

まあ、そんな偉そうなこと言っても、ウィキペディア見ながらぼんやりしてただけの事なんだけどね。

たまにはそんな日もいいでしょう。人間なんだから。


)補足

北欧神話の最高神はオーディンという神様ですが、これはドイツ語だとヴォーダン (Wodan)になり、英語の水曜日 Wednesdayの語源だそうです。意味的には“オーディンの日”ということになるとか。

意外なところに神話が生きていたりするもんっすね。

ちなみにこれも似非知識の泉から濾し取った物なので、その程度に聞いてください。

2007-09-26

朝ブロ

【今日やること】

この間作ったベクターの配列をチェック。

隔週の研究室の実験報告 (9:30)。

mini-prep。

お昼、なんにしよう。


◇◇◇


初めてかも、朝から書き込むの。

今日明日はマンションのエレベーターが朝から工事中で使えないため、
工事が始まる前に登校…、しようと思ったら、いつもの習性のため、
出るのが遅れ、タイムアウト。結局、非常階段を使う羽目になった。

住んでいるのはマンションの7階。

狭い階段のため、人とすれ違うたび、壁に背中をつけるようにして下りなければならない。

一階が遠い。

マンションは、本当にエレベーター頼みなのを痛感した。

地震があったら、この狭い階段から、みんなで、逃げろってか?

不可能だ。

明日も工事。

2007-09-24

大望、功名心、野心


【今日やったこと】
郵便局から、不在票が来ていたので、今朝の再配達をお願いした。

来たのは、先日の『たなぼた』の謝礼。

全国共通百貨店商品券5000円。

うれしい、が、

百貨店、行ったことないんだよね..。

◇◇◇

札幌市郊外の羊ヶ丘展望台に行ってきた。

地下鉄の駅で、土日一日乗り放題の『ドニチカキップ』を買って(500円!) 終点の駅まで15分ほど。

さらにそこから、直結するバスターミナルに移動し、『羊ヶ丘展望台行き』のバスに乗る(片道200円)。移動費1000円弱の小旅行だ。

地下鉄は、いつもは土日はほとんど込んでいない。あんなに安い乗り放題切符が出ているのも、おそらくそのせいだと思われるが、座れないことはまず無い。

昨日は三連休の中日だったので、したがって、いつも以上にすいているだろうと思って高をくくっていた。

ところが、

乗ってみると、地下鉄はかなりの人の入りだった。おまけに、終点が近づくに連れて、客はぐんぐん増えてくる。

多くは家族連れのようだ。しかも、小学生くらいの子供を連れた家族が多い。

いつもなら、こんな時地下鉄に乗っているのは、明らかに暇そうな大学生、高校生風の若造か、おじいさん、おばあさんなので、この子供の多さは、明らかに異様だった。

一体何が起こったのだろう。

列車が駅に止まるたび、乗ってくるのは家族連れ。しかも、連れているのは、いずれも小さな子供達。

終点につくころには、まるで通勤時のように、自動改札に列ができていた。ただし、列の中に子供が多い点が明らかに違う。

何があるのだろう?
答えは、地上に出て、すぐにわかった。


目の前に、大きな札幌ドーム。


今日は、ファイターズの試合だったわけだ。

そういえば、ユニホームや、グッズを持った人が、ちらほらいた気がする。


試合を見に来た人々の行列は、地下鉄の出口から札幌ドームにかけて、長々と続いていた。

テレビで見たイスラム教徒の『メッカ巡礼』に、どことなく似ていなくもない。みんなで、白銀に輝く巨大建築物に向かって、ぞろぞろと行進していた。

私も、予定を変更し、ついていくことにした。
あわよくば、当日券を手に入れて、野球を見てやろう。そういう野心を抱いて。

家族と、家族による長い行列に混じって、ピンの野郎が10分、てくてくとついて行った。

途中、イトーヨーカ堂のファイターズグッズ街頭販売に気を取られたりしながら、なんとかドーム入り口までたどり着いた。すると、そこには、

『当日券完売』

の文字。

私は、苦笑いしながらくるりと引き返し、まだ、たくさんの人がドームの方向に向かって歩いている中を、ひたすら敗走した。

すれ違う全ての人と、目が合った気がした。


その後、予定通り羊ヶ丘展望台行きのバスに乗った。

バスの中で、次の停留所のアナウンスをする際何度も

「羊ヶ丘展望台に行かれる方はご入場に際し、別途入場料が必要です」

と付け加えているのが気になった。

そんなの、当然じゃないか。何でいちいち、バスでアナウンスするんだ。


理由は着いてわかった。

展望台入り口に差し掛かると
突然、バスの出口が開き、そこから制服のおばさんが入ってきた。
そして、バスガイドよろしく、

「これから入場料をいただきます。おひとり様500円になります」

と言って、バスの乗客一人ひとりからお金を集め始めた。

念のため付け加えておくが、これは普通の路線バスである。
専用の観光バスなどではない。

こんな徴収の仕方は始めて見た。

おばさんは、やがて、バスの乗客全員からお金を集めると、ありがとうございましたと言って出口から出て行った。

なんか、バスジャックみたいだ。



おめえら、おとなしくしろ、全員カネを出せ!



そうしてたどり着いた羊ヶ丘展望台は、しかし、あんまりおもしろく、なかった。

30分くらいで、飽きた。

そして、次のバスで、帰ってしまった。

それでも、とりあえず有名な『Boys, be ambitious! 』のクラーク博士像は写真に撮ったし (上図: 博士と、其を撮影せんと群がる観光客之図。稀代之人気者也。)、草原で草を食べていた羊の赤ちゃんのあまりのかわいらしさに思わず感激したりもした。

天気もよかった。草原を吹き抜ける風は初秋の香りを含んでいて (おまけに焼きもろこしの香りも含んでいて) 、すがすがしく、緑も眼に痛いほどまぶしかった。

入り口のおばちゃんに徴収された、500円の元が取れたのかは不明だが、
気分転換になったのは事実。


また、あの羊の赤ちゃんに会いに行こうかな。

2007-09-20

本の背中をなぞって

【今日やったこと】

6つこしえたタンパク発現ベクターのうち、一つがちゃんとタンパクを作ってくれなかったので、設計しなおし。

でも、あとの5つは上出来。

前に似たようなことをやった時には、まったくだめだったのに…。

己の腕が上がったのか、研究室が変わったからうまくいったのか。

前者であってほしい。

4年もやってんだし。
◇◇◇


昔から、本の背表紙を眺めるのが好きで、時々買う気も無く本屋に行っては、背表紙を、ただ漫然と眺めて、帰ってくることがある。

本の背表紙は、たいてい、タイトルと名前くらいしか情報が無く、いろいろなきれいな装丁がされている表紙の表に比べれば、それはしごく貧相なものだ。

ぼーっと眺めていたって、大して代わり映えしないのだが、デザイン的に大して代わり映えしない分、その本のタイトルの良し悪しが、際立って来る。

本の内容と同じように、本のタイトルも書いた著者が決めるものだ。いまは、編集者やプロデューサーが決めることも多くなったようだが、それでも、その本の制作に携わった人には違いない。センスのいいタイトルは、その製作者の、言葉に対するセンスを表している。

たとえば、優れたタイトルが多いと言われるのが山本周五郎だそうで、確かに『樅の木は残った』だの『赤ひげ診療譚』だの『雨上がる』だの、歯切れの良い、こざっぱりしたタイトルが多い。印象に残りやすいし、一度は買って読んでみたいと思わせる。


最近、出版社各社が文庫本の売り上げ増加を狙って、てこ入れを行っているそうで、たとえば、ある出版社の『人間失格』は漫画の『デスノート』の作者が表紙絵を担当しているという。こういう取り組みはあちこちの出版社で見られ、単に表紙にアイドルや女優を起用しただけでも、売り上げが上がってしまうそうだ。

何を根拠に、本を選ぶかは人それぞれではあるけれど…。

表紙で本を決めた人の何割が、最後まで読むのだろうか。

タイトルだけで決めている人間が、偉そうなこといえないけど。

2007-09-14

盗んだバイクで走り出す

【今日やったこと】

SDS-PGAEのゲルを固め中。

脱気しなくても、固まるんだ。

O/Nで固めたほうが、いいんだ。

アクリルアミド水溶液って、売ってるんだ。

新しい研究室は、新しい発見の連続。

たとえ、どんなにやり慣れた、メソッドでも。

◇◇◇


お国の政治の突然のどたばたに、私もすっかり注意をそがれてしまい、書きたくても、ずっと書けずにいたことがある。


場所はアフリカ奥地、ギニア。ニンゲンの隣人、チンパンジーが未だに生息する場所。

京大の霊長類研が、また、面白い発見をした。

asahi.comからの抜粋を以下に挙げる (9/12)

チンパンジー、パパイア盗んで雌に「贈り物」

雄のチンパンジーが盗み出したパパイアを発情中の雌に与える行為がアフリカのギニアでみつかった。雄はその後、交尾したり毛づくろいをしてもらったりすることが多かった。こうした見返りを期待した「贈り物」を使う行動が、人間以外の霊長類でみつかったのは初めて。12日付の科学誌プロスワンに発表する。

つまり、チンパンジーも、メスに贈り物をして、プロポーズしているようだ、というわけだ (結果は多少露骨だが)。

記事によると、家族、親子間で、盗んだものを分け合う行為は観察されていたが、このような例は初めてだという。

まだ、観察例が少なく、より詳細な観察が待たれるが、骨などには残らない、ニンゲンの内面の発達、進化を考える上で貴重な発見だと思う。

また、この発見に、同じ研究所の松沢先生がコメントを寄せている。

『雄は農産物を盗み出す際に人目を気にして毛を逆立てて体をぼりぼりかくなど極度の緊張状態になる。そうした危険を冒して手にした食べ物をあえて雌に分け与えることは、交尾などとの交換を期待した「贈り物」をする行為だとみている。』

たしかに、拾ったものなどではなく、命の危険を冒して手に入れたものを、わざわざメスに与えている、という点は興味深い。

近所の交差点で配っているような、ポケットティッシュをひとにあげても誰も喜んではくれないが、西表島の、ごく限られたエリアだけで配られてる、農協かなんかのティッシュを、わざわざもらってきて、

『これを、きみに』

なんて、汗だくで、息せき切って渡したら、きっと喜んでくれるだろう (相手の性格にも、依存するが)。

チンパンジーにとっても、同じなのだろうか。

だとすれば、メスは、パパイアの『価値』、つまり、それほど苦労しなくては、手に入らないほど貴重なものだということを、知っているのだろうか。

もしかすると、別に、パパイアでなくとも、その辺にたくさんある食べ物を与えても、同じような効果はあるのだろうか。

興味は尽きない。

まあニンゲンなら、その辺にたくさんある食べ物を与えても、同じような効果がありそうな人は、結構いるけどね。

2007-09-13

この文章、有毒に付き

【今日やったこと】

久々のSDS-PAGE。

サンプルをよく煮て、ゲルをきっちり流して、
泡ぶくだらけの泳動層の中で、1hr泳動。

使い古しのどろどろのCBB液で染色。

昔、もっと神経質にやらないと怒られたもんだったけど、
コツをつかめば、手の抜き方も、わかってくるってもんだ。

慣れるってすばらしい。
慣れるって恐ろしい。

◇◇◇


昨日家に帰って、夜中のニュースをずーっと見ていて
頭の中に、思い浮かんだ、お話。


A子さんは、お母さんに、私も水泳を習いたい、といいました。

A子さんのクラスでは、今水泳が流行っていて、友達はみんな、
近所のスイミングスクールに通っていたのです。

お母さんは、A子さんのおじいさんが、若いころ、ゆうしゅうな、すいえい選手だったことを知っていましたので、

「きっとあなたなら、ゆうしゅうなすいえい選手になれるわ」

と言いました。


A子さんは次の日から、スイミングスクールに通い始めました。

スイミングスクールの先生たちは、A子さんのおじいさんがゆうしゅうなすいえい選手だったことをよく知っていましたので、はじめは、

「きっときみは、ゆうしゅうなすいえい選手になるよ」と言っていました。

ところが、A子さんは、ひどいカナヅチでした。

先生たちは、それでもがんばって、A子さんが泳げるように、教えてくれましたが、

A子さんは、何度やっても上手に泳げません。

同じクラスの一郎君は、そんなA子さんの脇をすいすいと泳ぎながら、

「じいちゃんが優秀だからって、孫がゆうしゅうとはかぎらねえな」

と言って、笑っていました。


あるとき、A子さんは、ついに、沈んで、おぼれてしまいました。

先生たちのおかげで、何とか無事に助かりましたが、

先生たちは、このままでは、命の危険にかかわると思ったので、ついにA子さんに言いました。

「あぶないから、やめたほうがいいんじゃない?」

それでもA子さんはあきらめませんでした。

毎日毎日、スイミングスクールに通い、必死に泳ごうとしました。

いつしか、季節はめぐり、

始めた時にはたくさんいたお友達も、ひとり、またひとりと、スイミングスクールを辞めていきました。

A子さんには、よくわかりませんでしたが、“いっしんじょうのりゆう”、“おかねのもんだい”、“じょうすいき”、というもののために、スイミングスクールをつづけられなくなったようです。

それでも、A子さんは続けました。

いくら、周りの先生が、やめろやめろ、と叫んでも、A子さんはつづけようと思っていました。

しかし、

あるとき、同じようにつづけていた一郎君に挨拶しようとしたら、

「挨拶なら、結構」

と、拒絶されてしまいました。


次の日から、A子さんはスイミングスクールに来なくなりました。

どうして行かなくなったの?と、お母さんに聞かれた時、A子さんはこう答えたそうです。

『一郎君にきょひられたから』

A子さんのお母さんは、先生方に、

「A子は泳ぎすぎて、かぜを引いて、最近はおかゆしか食べていなかったので、スイミングスクールは今日限り、やめさせます。」

と電話をしました。

先生方は突然のことにびっくりしましたが、内心ほっとして、A子さんがやめる手続きを取ってくれました。


そのころ、A子さんは一人、おうちで横になっていました。

横になりながら、オーストラリアの友達と交わした、一緒に泳ごう、という約束は、結局かなわなかったなあと思って、めそめそと泣いていました。

A子さんは、もうすぐ、今のおうちを引っ越すそうです。

一郎君は、あのおうちに昔から住みたいと思っていたので、次は自分が住むと、きっと狙っていることでしょう。

おしまい。

てんでんぱらりの、ぷう。



...。こんな暇あったら、勉強したほうが、ましだ。

2007-09-10

ロストサムライ

【今日やったこと】

歴史ドラマ漬けの日。

家で、いつもどおり『風林火山』を見て、
そのあと、民法のスペシャルドラマ『輪違屋糸里』を見た、

『糸里』は、もともと、浅田次郎原作の小説であるのは知っていたが、自分はまだ読んだことがなかった。

幕末の新撰組の騒動の一つ“芹沢鴨暗殺事件”を、その当時の京都に生きたおいらんの目線から見た物語。

浅田次郎は、他にも“壬生義士伝”という、これまた有名な新撰組小説を書いており、こっちのほうは読んだことがあって、久しぶりに、大泣きした記憶がある。

吉村貫一郎、かっこよすぎ。


今日みた糸里では、いつも風采の上がらない役どころをなさっている、温水洋一さんが、極めて重要な役割を果たす。

あるいみ、芹沢鴨より悪役。

しかも、ちっとも華やかでない。

だって、前編の最後で“糸里かわいそう”って思った人は、
暗に、“温水洋一に抱かれるなんて...。”って思っているわけでしょ?

その上、他の町人から、何度も“あんなはげ親父”呼ばわりされてるし。

ここまで風采の上がらない役も、珍しい。この役を引き受けた、この役者さんは、偉い。

いつか、温水さんが、せめて芹沢鴨くらいをやれる日が、きますように。


そういえば、芹沢鴨が主役の新撰組の話って、聴いたこと無い。
あれば、見てみたい。

自分は、一番ひどいやつは、実は土方歳三だと思っている。

芹沢のほうが、まだ、人間くさくて、いいではないですか。

“鉄の掟”を作って、逃亡者を捉えて、仲間を片っ端から切腹させたやつは、
いくらそういう時代だったからとはいえ、どうかしている。


おそらく、彼 (と近藤勇)は、自分達が本当の意味で侍ではなかったばっかりに、自分の理想とする“侍”というものになろうとして、あんな、過激な手法を取ったのではないかと思う。

本当の意味で侍なのに、ちっとも侍らしくない、悪質な芹沢鴨は、許せなかったのかもしれない。

侍だって人間なのに。

その人間性を、もしかすると土方は、自分の理想とする侍像の前で否定しようとしていた。

あんな切腹条項だらけの掟を作ってまで。


まあ、いずれにしろ、
サムライのいない世の中になって、良かった。

おちおち転職もできない。会社辞めたら、上司に対する不忠で切腹する羽目になるかも知れないし。

◇◇◇


土方歳三について、日ごろ思うことがある。

誠の武士たらんとした、あの新撰組の土方歳三は、

純粋なゲルマン人による帝国を目指した、ナチスドイツの親衛隊長・ヒムラーに似ているのではないだろうか。

ヒムラーは純粋なゲルマン人の血が、ユダヤ人との混血によって汚されないために、はじめは銃殺で、後にはガス室を作り、大量虐殺 (ホロコースト)を行った張本人とされる。

彼は、ヒトラーの、いわば影だった。土方が、近藤の影であったように。
そして、両者とも、冷たいまでに、理想を追求した。


この人たちを見ていると、特に思うのだが、

人間は理想の前では、どうも酔ってしまうようだ。

ヒムラーの“純血”、
土方の“誠の武士道”。

なんだか、アイドルに“清純”を求めるのに似ている。
求めているのは、“理想的な女の子”。

その女の子は、オナラをしない。

ここでも、人間性の否定。

オナラぐらい、させろよ。


高すぎる理想は、現実を曇らせ、認識をゆがめてしまう。

そんな論文、何本も見てきた。

理屈が、現実の前に立っちゃいけない。
理屈はあくまで、現実を認識した後の、後付け。
現実に合わなけりゃ、フィクションなんだから。

ダーウィンの言っていた、極めて謙虚な言葉 (昔読んだので、多少あいまい)
『私の理論は、哺乳類の存在しないはずの古い地層から、現代と同様のウサギの化石が出てきた場合には、否定されるだろう』

学者はもう一度、自然の前に、ひれ伏さないといけない。

ウサギが出てきたら、それはそれで、その事実を、とにかく受け入れなけりゃいけない。

土方や、ヒムラーみたいに、現実をさておき、理想を追っていはいけない。


...アイドルの追っかけくらいは、やりたきゃ、やりゃあいいと思うけど。

2007-09-06

ぼたもちの日

【今日やったこと】
大腸菌にタンパク質を作らせるために、長々と培養中。

適当に増やして、IPTG入れて、あとは4hr以上放置。

その間、やつらは37度のチャンバーの中で、右へ左へゆすられながら、
20分に一回、子孫を増やし続ける。

そのついでに、我が組換えタンパクも、いやいやながら、作ってくださる。

他人の都合で合成させられた、タンパク質と引き換えに死んでいく、無数の名も無き大腸菌たちに、ただ感謝。


で、その間にも、次の実験のプライマー設計。

18時までに発注しないと、明日までに来ないので、
あわてて設計、発注は17時35分。

どれだけゆとりを持って取り掛かっても、なぜか最後にはあわてて、
まるで、タイムアタックのようになってしまう。

一分一秒の世界。

それで、明日実験が進むかどうかが決まる。

まあ、遅れても、一日なんだけど。

せせこましい。今日も大腸菌のリズムで、事は進んでいる。
◇◇◇


先ほど、某新聞社から私の携帯へ電話があった。

てっきり、また、料金の未払いとか、契約上のミスとか、
そういうので、文句を言われるのかと思ったら、どうも違うらしい。

電話の主は、本社の方。決して、見慣れた、近所の配達員のおじさんではない。

「おめでとうございます!」

電話の主は言う。

「あなたが、優秀賞に選ばれました!」

私は、悪徳商法の中に、こう言う手法があることを熟知していたので、
とっさに身構えた。そして、

「まあ」

と一言答えた。

どうだ、大げさになりすぎない、抑えたリアクション。さあ、きゃつめ、どう出る?

「あなたが応募された○○について、審査した結果選ばれましたので、朝刊に、所在地と、ご職業と、お名前を掲載する許可をいただきたいのですが。」

ここまで来て、やっと思い出した。

悪徳商法でも、なんでもない、私が招いたことである。


もう、2ヶ月近く前、あまりに実験がうまくいかないので、夜中に、実験の待ち時間のうちに、インターネットで、あちこちのサイトを眺めていた。

そのとき、その某新聞社が、インターネット上で、月に一回、コラムのようなものを募集していることを知り、何とはなしに送ってしまったのだ。

「あなたの文章は、編集委員の○○が誤字脱字などをチェックし、訂正の上、掲載いたします」

なんと、いつも読んでいる新聞の、編集委員さんが、我が、暇つぶしの産物たる、愚にもつかない駄文を読んで、しかも訂正して下さるとは。

思わず、

「おねがいします」

と、柄にも無いことを言ってしまった。


しかし、評価される、ということは、どんなことであれ、うれしいことだ。

たとえそれが、誰もがひれ伏す、権威ある大賞でなくとも、
誰か一人が、自分の文章なり、仕事なりを見て、ほめてくれたのなら、それだけで、
しばらくは、ほくほく顔を維持したまま、生きていけそうな気がする。

本当は、論文でこういう風に評価される日が、早く来てほしいのだけれど...。

まあ、続けていれば、いつかは来るでしょう。たぶん。

2007-09-02

月下独酌 on the Pacific Ocean


【今日やったこと】
実家から帰ってきた。

家について、晩飯食べて、『風林火山』を見て、
「オンナってこわい」と思いつつ研究室へ帰ってきた。

前回やったコロピーがイマイチだったので、やり直し中。

一週間もぐうたらしていたので、無駄に気合が入っている。

こういうときは、十中八九失敗する。

覚悟している。
◇◇◇





帰省は船だった。

苫小牧から出向して、仙台に至る、『太平洋フェリー』を利用して帰省した。

優雅な船旅、なんてものにあこがれたということもあるが、何より船は飛行機などに比べ1/3の料金で帰省できることが大きい。

7月初めから8月の終わりにかけて、旅客業の各社は、程度の差こそあれ、夏料金期間を設けている。

飛行機、なんてやつは最もひどく、いつもは早期予約割引で、下手すると半額以下にまで割り引いてくれるくせに、夏の時期、特にお盆のあたりはまったく融通が利かなくなる。

片道3万円弱なんて、誰が払ってられるか。お盆くらいは、実家に顔を出そうという、市民のつつましい義務感を逆手に取り、その足元を見ているとしか考えられない。非道の所業である。

私はこの料金の落差に不条理感すら覚え、絶対乗るもんかと心に決め、とりあえず夏料金でもさほど値段が上がらないフェリーを帰省の手段として採用することにした (要するに、けちなだけである)。

フェリー、特に、今回乗ったような、一晩かけて目的地にたどり着くような大型のものでは、大部屋に板張りで雑魚寝の2等客室から、高級ホテルの一室を思わせるスウィートルームまで、5-6段階の料金がある。

一番安い料金で約8千円、高いもので5万円近くと、その幅は非常に広い。つまり、あの船の中には、世の勝ち組と負け犬が同居しているのである。まさに、社会の格差の縮図だ。

無収入な私の選んだのは、もちろん最もチープな雑魚寝の2等客室である。その上さらに、学生割引で一割ほど引いてもらった。おそらく私は、あの船に、最も安い料金で乗った人間の一人であろう。

あれほどの大型船に乗ったのは、私にとっては、生まれて始めての経験だった。乗ってみるとそれは、海を走る、まさにホテルだった。下手な旅館より、ずっと設備が良い。

海の見える風呂があり、ゲーセンあり、フロントあり、売店あり、お酒も出すラウンジや、レストランまであった。私は、ホテルに着いたばかりの小学生がするように、船内を意味も無くうろつきまわり、ああすげえ、こんなものもある、あんなものもあると、一人で興奮していた。

しかし、こうして無闇にうろつきながらも、私は内心、デッキへ出るための出口を探していた。

6年ほど前、佐渡島へ渡る小型のフェリーに乗ったとき、私は、船のデッキを吹き抜ける潮風を体感し、そのすがすがしいまでの開放感がいまだに忘れられずにいたのだ。

いざデッキへの出口を見つけ、重い鉄扉を開けて外へ飛び出した時、デッキ上にはまだ誰も居なかった。

私は一番乗りをしたという喜びと、俺こそがこの船一番のフェリー通だという、身勝手な自負心と、おそらく同時にこの船一番の変わり者だという、恥ずかしい気持ちが入り混じった、複雑な感動を覚えた。

その後すぐに、他の乗客もデッキに現れ始めたので、デッキが私のものだった時間は、せいぜい数分であった。

船は、空を茜色に焦がす、大きな夕日が北海道の山中に沈んだ直後に出航し、そろそろと、南下を始めた。初めは多くの人がデッキに出てその出航の瞬間を見逃すまいと目を見張っていたのだが、いざ港を離れてしまうと、日もとっぷり暮れ、真っ暗で、何も無い景色に飽きてしまったらしく、三々五々、船内に戻り始めた。


私が他人に誇れるものは、ただ、無駄なことに対する、根性だと思っている。

私は、もう一度、このデッキを、我が物にしたかったため、全ての人が帰るまで、2時間近く、薄暗いデッキで粘っていた。

次第に気温は下がり、風は強くなり、髪の毛は潮風でべたつき、もじゃもじゃになった。

それでも私は、粘り続け、やがて、最後のカップルも船内に入るに至り、あらかじめ船内の自販機で買っておいた、スーパードライを開けた。

天気はイマイチで星も無い夜だったが、薄い雲を通して、おぼろげに月の姿は見て取れた。月食の前日だったので、月はほぼ満月であった。

私は、吹き抜ける、冷たい、べたつく潮風に、ただでさえ天然パーマのあたまを、なおさらもじゃもじゃさせながら、月下独酌を決め込んだ。

だいぶ安っぽいが、しごく満ち足りた時間であった。


とはいえ、その夜は、体が冷えて寝付けなかった。

その上、大部屋で相部屋になったおじさまは、一晩中、エンジン音にも勝る、大音量のいびきをかいておられ、私の安眠を、ことごとく阻害した。

仙台港から、実家に向かう車の中で、私は始終、爆睡していた。


注)
二等客室の若造とスイートルームの令嬢との出会いは、当然のことながら、無かった。

流氷も、SOSも。

全てが、極めてノーマルな航海だった。