2007-10-30

Colud you give me?

【今日やったこと】
インキュベーターにうなぎの血球がほったらかしになっているのを見つけ、
顕微鏡でのぞいてみたら、まだ生きているようだった

先輩に聞いたら、好きにしていいということなので、
白血球を刺激する物質をたんまり入れた、“だいぶ刺激的な培地”で
しばらく飼ってみることにした。

コンタミしなければ、そして、運がよければ、うなぎの培養細胞が、できるかもねえ。

(宝くじに当たるようなもんだけど)


◇◇◇

なんたって、今いるところは医学部なので、

周りにいるのはお医者さん、あるいは、検査技師さん、看護婦さんの卵など、医療関係者にあふれている。

そして、もちろん、人間のサンプルを使った実験も行われているわけで、
そのつど交わされる会話が、

「血ぃ、ちょうだい」
「いいよ」

道端で聞いたら、失神してしまいそう。

聞くと、実験向きの血を持つ人、というのがやはりいるそうで、
その人のサンプルだと、とてもきれいに結果が出る、ということがあるそうだ。

ゆえに、そういう人は、頻繁に、血を抜かれることが多くなる。
(もちろん、都合のいい血液だけ使っても実験にならないので、いろんな人から抜くことにはなるのだが、いい血液を持っている人は、最優先だ)

これを書いている今も、隣の部屋で、後輩が“血祭り”にあげられている。

でも、普段一緒に研究室でしゃべっている人が、採血管を持って、採血しているところを見ると、ちょっと新鮮な感動を覚えてしまう。

後ろの席のおじ様が、実は採血のスペシャリストだったり、
隣の席の後輩が放射線技師だったり。

じゃあ、自分は...。ちょっと考えちゃうよねえ。

せめて、研究のプロには、なんないと。

2007-10-24

ねむくて

【今日やったこと】
PCR, 泳動、シークエンスとにらめっこ。

肩が凝った。


海外留学中の先輩から電話。
英会話はやっておいたほうが、いいってさ。

でも、考えてみたら、これが自分にとって初めての海外通話。
予想していたほど、違和感を感じなかった。

実は今、大阪なんだ、なんていわれたら、すんなり、信じてしまいそう。

電話があんまり自然だったので、かえって戸惑ってしまい、用件だけ答えて、
先輩の安否を聞くのを忘れてしまった。

なんだか不思議。
電話って、やっぱりすげえ。

◇◇◇

大学の研究棟は、今、改装工事の真っ最中で、古い建物と、開窓後の新しい建物が、ちぐはぐにつながっている状態になっている。

一直線に廊下を歩くと、新しい棟、ふるい棟、新しい棟という順番になっていて、その『ふるい棟』こそ、我々の研究室の収まる建物だ。
(損した気分は否めない)

ふるい棟は、その耐震強度の脆弱さもさることながら、暖房が非常にレトロだ。
未だに、スチーム式。

温度管理が難しく (暑い or 寒い)、やけどしそうに熱く、ファンがあるわけでもないので、部屋の中で、温度に偏りができてしまう。

自分の席は、特に、その熱源の傍にあるため、暑いこと、この上ない。

暖房の効きすぎ、というのは、本当につらいもので、あたまはだんだんぼんやりしてくるし、
集中力はそがれるし、正直しんどい。
(暖房のせいだけでもないのかもしれないが)

ああ、またあくびが。

早く改装してほしい。
しっかりした空調がほしい。

まだ、冬は、始まってすらいないのに。

先が思いやられる。

2007-10-21

行楽不日和

【おとといやったこと】

ねずみの解体。

初めての。

ラットはあるけど、今回はマウス。ちいさい。


小さい。全てが。

ほしかった、リンパ節も、小さい。

...。結局どれがリンパ節か、わからず。

もう一回免疫して、患部に腫れを作って観察することに。

“いかなる時も 先達はあらまほしきことなり”

...『徒然草』、だったはず。

次は誰か、詳しい先生に、聞こう。

◇◇◇


今いる大学のいいところはその立地にあると思っている。

札幌駅が近くて (徒歩15分)、緑が多くて (農場があり、牛も飼っている、と言う噂)、そしてなにより広い。前いたところが、“砂漠”と揶揄されていたのとは、大違いだ。

特に、今は、その緑が紅葉で、赤や黄色に色づいて、ものすごく鮮やかだ。

紅葉は、冷え込みが激しければ激しいほど、色付きがいいと言われるが、その点、この地は紅葉にうってつけで、10月にはいると急に涼しくなり、ものの二週間ほどのうちに、半そでが長袖になり、さらに3枚重ねになった。それに合わせるかのように、木々も赤から、紅色、黄色、オレンジ色に至るまで、見事なグラデーションを見せてくれる。

特にきれいだと思うのは、木によって紅葉の速度に差があるのか、もうすっかり色がついた木に混じって、まったく緑色を維持した木があることだ。その対比が非常にきれいで、眼にも鮮やか。もしかするとここの紅葉は日本でも指折りかもしれない。

学校の木々が紅葉したので、近くの森林公園なら、それはさぞ、きれいに紅葉しているだろうと思い、今週末はお出かけしようとたくらんでいたのだが...。

あめ、あめ、あめ。

しかも、降ったり、止んだり、曇ったり、ちょっと晴れてみたりの、はっきりしないお天気。

結局、家で、ごろ寝さ。

実験も無かったので、ゆっくり出かけられたのに。

結局、家で、テレビさ。

そして今日は、解剖したねずみから集めた血液を、遠心分離さ。

こうして、きっと、秋は深まって行く。

2007-10-15

さざなみ買った

【今日やったこと】

ねずみを業者に発注。

あさってきます。

後は論文読んだ(ふり)。

穏やかな週のスタート。

日本ハムが勝った。
◇◇◇


スピッツの新しいアルバムを買った。

『さざなみCD』。

アマゾンで予約してまで。

自分は、結構気に入ったバンドのCDを一から集めることが多いタイプだが、
さすがに予約してまで買うのはスピッツだけ。


いつ聞いても、同じように子供っぽく、青臭く、そして、どこかおかしな曲たち。

でも、そのおかげで、青春、とかいうやつが少しずつ遠ざかって行く今の時期にあっても、
その始まりの、なんだか気恥ずかしい感情や、ときめきみたいなものが、がらにもなく、よみがえってしまう。その不思議なチカラ。

今回も、まんまと、ときめいてしまった。


スピッツの曲は、ボーカルの歌い方や、歌詞の奇妙さから、なんだかへんてこりんな恋の歌のように思われがちだが、聞けば聞くほど、その深い『泥臭さ』に気づいてくる。

例えば、“空も飛べるはず”は、どう考えても、空を飛べていない人間の叫びだ。

“空も飛べるはず”。そう人が言う時、その足は、泥にうずまり、完全に身動きが取れなくなっている。でも、それでも、空を見上げ、空を飛びたいと心から切望する。

実際にこの歌の冒頭は、“...神様の影をおそれて 隠したナイフが似合わない僕を...”
という、内に秘めた暗い暴力性を吐露する歌詞になっている。

スピッツの歌詞で、定番の“そら”、“とぶ”、“まほう”という、浮いた表現に混じって、“どろ”、“ぬかるみ”の表現が多いのも、その奥の泥臭さの、まさに表れだろう。

前者は祈りであり、後者は現実。その現実からの祈りの曲。自分にはそう聞こえる。


そして、実は、恋そのものも、だいぶ覚めた目線から、見ている。

恋愛に浮かれ、一人で、あるいは二人で“踊りを踊っている”、そんなさまを、暖かく、そして揶揄して表現したような歌詞が多い。

けしていずれも否定せず、完全に肯定せず。

反抗もできず、従順もできない。


矛盾だらけで、あいまいで、でもそれを和と呼んで尊ぶ、日本人には、
こう言う、一見無害で、でも少し毒の効いた歌詞は、
にやりとした<薄ら笑い> (ジャパニーズスマイル) とともに、
けっこう響くんじゃないでしょうか。

少なくとも、わたくしはまた、一人、ときめいてしまいましたけど。
にやりとした薄ら笑い、浮かべて。

2007-10-10

蛇足/反則/法則

【今日やったこと】
免疫抗原もできたので、今度はそれをマウスに注射...、するための準備。

今は動物愛護の制度が進んでいて、マウス一匹飼うのにでも、いちいち審査が必要。

提出する書類の中には、『実験に伴うマウスの苦痛はどのくらいか』という項目もある。

いつか、きっと、“洗剤の中で溶かされる、大腸菌の苦痛”が問題になり、タンパク精製が国際法で全面的に禁止される日が来るだろう。

核兵器や、クラスター爆弾が、いろんな人間を、見事に半殺しにしている一方で。

◇◇◇


めざしを買った。

めざしを買ったのは初めてだった。

魚というものは、幼いころは、日常にありふれていて (海の子なもので)、
パックされた魚を買うなど、まず無いことだった。

めざしは、ポリスチレンのトレーに乗せられ、ポリクロロビニリデンのラップをかけられて、
眼を、鋭いとげで貫かれ、同じ方向を向いて、並べられていた (『めざしの苦痛はいかほどか』)。

私は、めざしというやつは、干物の一種だと思っていたのだが、家にもって帰るとまったく生で、多少、申し訳程度に、塩が振られている程度だった。

一体、何のために、めざしにしたのか、わからない。

干物を想定していた私は、適当に味噌汁にでも突っ込めば、さまになると思っていたのだが、
思いのほか生であったため、はたと困った。

さて、これをどう使おうか。

とりあえず、めざしを焼いていて猫に食われた、というありきたりな漫画のパターンを思い出し、フライパンで焼いてみることにした。

ジジッという音がして、魚の焼けるいいにおいがした (換気扇はフル回転)。
思いのほか油が乗っていて、油がこげるたび、いいにおいは強くなった。

あっという間に、焼きめざしの出来上がり。

だが、わたしは、これでやめておけばよいものを、わざわざ、考えてしまったのだ。

「これを味噌汁に突っ込もう」

と。

けして、何の根拠も無い発想ではない。

地元では、お正月のお雑煮のだしは、焼いたハゼで取るのだ
(焼いた後、一応干してはあるようだが)。

めざしだって、立派な魚じゃないか。

ハゼにできることが、イワシにできないはずは無い。


薄弱な根拠と強い信念の下、味噌汁に突っ込まれためざしは、はじめのうちは、味噌汁の中でも、魚の焼けるいいにおいを放っていた。

これは、うまくいくかも、と、この段階では思っていた。

しかし、

焼かれて、しかも、油の乗っためざしは、身がもろく、煮られるにしたがって、しだいに、身が崩れてきた。その上、こげた油が汁に充満し、色がどんどん黒くなり、ちょうど、ラーメン屋で見かける『こげしょうゆ』のような色調を呈してきた。
こげしょうゆなら、まだいいが、これはこげた魚の油だ。

それでも、味がよければと、味を見てみると、魚の、なんともいえない香ばしい香りと、うまみに混じって、すさまじい生臭みと、焦げの味、さらには、微妙な酸味がした。

このままでは、食えない。

私は、冷蔵庫から、ありったけの調味料を取り出し、片っ端から入れてみた (失敗は、このようにして、助長される)。

味のとげを消す、みりん、魚に相性のいい、しょうゆに混じり、なぜか余っていた、いつかのおろししょうが、日本酒まで。

最終的に出来上がったものは、食えない状況からは、幾分改善されたが、明らかに、味噌汁からは遠ざかった味がした。

作った量が多かったため、食べるのに、連休を要した。

白いご飯に、黒い汁。ほのかに香る、こげた魚と、しょうゆの香り。


農家の人も、漁師の人も、料理した人も泣いている、珍奇な一品。


もう、りょうりは、したくない。

普通に、めざし、焼いて、食おう。秘書さんに、お酒も、もらったし。

2007-10-04

つれづれ名言集

【今日やったこと】
人生初のタンパク精製、まずまずの成功。

一ヶ月で、ゼロから始めて、6種類のタンパクを作った。

大して難しい条件ではなかったとはいえ、誰も教えられる人がいない中
(先生は“うん、できるっしょ”しか言わない中) よくもここまでやったもんだ。

さすが、おれ。

次は人生初の抗体作製。

さてさて。

マウス、飼ったこともねえ。
◇◇◇


タンパク精製の結果がうれしかったので、とりあえず書いてみたものの、

今日は書くネタが無い。

...


とりあえず、最近気になっている、“かっこいい言葉”から。
(なんか、意外と曲の歌詞が多い)

“モーツァルトの悲しみは疾走する。涙は追いつけない”

モーツァルトの評論家が、そのレクイエムなどの曲を評して言った言葉。
かっこよすぎる。

モーツァルト、ちゃんと聞いたこと、ねえけど。


テレビもねえ、ラジオもねえ、おまけに車も走ってねえ”
青森のアイドル、吉幾三氏の歌の一節。今考えれば、この曲は、ラップだ。


“この電話番号は、お客様の事情により、現在通話ができない状況となっております”

家の電話が調子悪かったので、ケイタイから、家の電話に電話してみた時の案内。
母ちゃん、振込みを、すっぽかしたようだ。


“ニンジン、ですね”


近所のスーパー (COOP) のレジで、ニンジンを通す時になぜか言う言葉。
ジャガイモの時は“ジャガイモ、ですね”になる。

“ピーマン、ですね”

...上に同じ。

“自分の空を 越えて行くのだろう。さよならに脅えず きみはいま”

“心のままに 生きていけばいいさ、と きみは叫んだだろう”

引っ越してくる時、頭の中でぐるぐる回ってた曲の一つ。“夢を信じて”の二番。


“すばらしい日々だ ちからあふれ すべてをすてて 僕は生きてる”

ユニコーンの“すばらしい日々”のサビ。この曲が身に沁みる歳になった。なんか投げやり。でも、前に進んでる。進むしか、生きられない。


“うえをむいてあるこう、なみだが こぼれないように”

永六輔作詞の“うえをむいてあるこう”。名曲。単純なんだけど、どうしようもない気持ちの時、思わず口ずさみたくなってしまう。若かりしころ、屋上で大声で、叫んだこともあったっけ。

“ぼろぼろになる前に 死にたい”

“なげやりなため息が 切ない”

“ひざ小僧のきずあとが かわいい”

愛して止まない、スピッツの“僕はジェット”の一節。

“ずるしても、まじめにも、生きていける 気がしたよ”

またスピッツ。“チェリー”の最後。そう、どうにでも、生きていけるかも。最後、“気がしたよ”で終わってるのがポイント。この、ゆるさ加減は肝要。


“うん、できるっしょ”

我が教授の一言。このゆるさ加減も、必要。


That's all.
あしたも、がんばろ。

2007-10-03

お魚くわえて

【今日やったこと】
タンパク精製。

タンパク精製って、なんとなく、低温室に閉じこもって、寒さに震えながらやるもの、
ってイメージがあったが、今回はぜんぜん室温。

扱うタンパクが、変性条件下で取り扱うもののため、
そもそも失活している。

でも、濃縮や、精製そのものにも、やたら時間がかかる上に、まとまった待ち時間が無かったりして、一日中立ちっぱなし。

足の裏が痛い。

◇◇◇

いつかやると思っていた失敗を、ついにしてしまった。

『財布を忘れて、愉快な...』である。


私は大抵、日曜日に、その週に使う食材を買うために近所のスーパーに行く。

一週間に使う食材、というと、結構な量を買いそうだが、そもそも、平日はまともな料理をする暇がほとんど無いため、それにかまけて、テキトーなものを食べてしまうことが多い。

それゆえ、一週間の食材など、たかが知れている。金額にして、1-2千円くらいか。

ところが、この1-2千円というのが、微妙な数字なのである。


これは私の昔からのこだわりなのだが、“余計な金を持たない”という、妙な主義がある。

一度に金を下ろすのは大抵3000円。これだけあれば、2-3日は持つからだ。そのため、私の財布は、何か大きな予定でもない限り、一万円札を、知らない。

たまに予定があって、5千円でも下ろそうものなら、預金通帳に記帳した両親がびっくりたまげて(通帳は実家に置いたままなのだ)、わざわざ電話をよこすほどである。

いつも三千円ポッキリしか下ろさない自分を、常々からかっておきながら、いざとなるとこうなのだから、めんどくさい両親だ。

その都度、振り込め詐欺などに騙し取られたわけではないことを、説明しなくてはならない。

この息子には、信用が、無いのか。


それはさておき、
そんなわけで、私の財布には、多くて3千円程度の金しか、入っていないのだ。

つまり、である。

もし、日曜日に、お金を下ろさずに、スーパーに行ってしまうと、その前日などに何かを買っていて、金額が減っていた場合には、一週間の食材を買うには、お金が足りなくなる。

私が、やってしまったのは、まさにこれだった。

いつものように、あれを買い、これを買い、さらに、米が切れていたのを思い出して、米まで買い(運が悪いとしか言いようが無い) 、レジに並んで、おばちゃんが、バーコードを読んでいるさまを横目に、財布の中を見れば、あら不思議。千円くらいしか、入ってないのである。

はっとあわてて、レジの小計を見ると、まさに、千円から千二百五十円、千五百円...、と移り変わって行く、さなかであった。

千二百五十円なら、まだ小銭で何とかなるかも、という希望が持てる。しかし、千五百円では無理である。

その刹那に襲ってきた、脱力感、無力感。

全身の血が引いていく感覚。

腋の下を冷や汗が走っていく。


どうしよう。

値段はどんどんつりあがって行く。

何とかしなければならない。


わたしはとりあえず、

「しまった」

と言ってみた。

しかし、手馴れたおばちゃんはもはや、レジスターの一部と化しており、そんな私の言葉など、届かない。

右から左へ、どんどん商品は移っていく。

ああ、もうレジが終わる。


そこで、もう一度、今度はもう少しはっきりと、

「あの、すいません...」

と切り出してみた。

おばちゃんに内蔵された、レジスター・モードのスイッチが、そこでようやく切れたらしく、レジのおばちゃんは、斜めの姿勢のまま、首だけを向けて、こちらを仰いだ。

今だ。

私は間髪入れず、

「お金を下ろすのを忘れてしまって...。これ、返してきます」

と言った。

おばちゃんにとってはよほど想定外の出来事だったらしく、目をまん丸にしてこちらを見た。

マニュアルに従って動く何がしかが、予想外の事態に対応するためには、『危機管理マニュアル』をインストールする必要がある。


長い沈黙。(おそらく“再起動”)

おばちゃんは、電気の切れたマシーンさながら、ぽかんとして、こちらを見ていた。


永遠にも近い時間が経過したと思われる。

やがて、おばちゃんは、はっと、正気を取りもどし、

「え、あ、何? これ、全部返すんですか」

明らかに、おばちゃんのほうも、あわてていた。


「はい、ぜんぶ...。お願いします」

いまさら、持ち金に合わせて、一部返却など、嫌だった。とにかく、一秒でも早く、ここから、立ち去りたかった。

おばちゃんは、しばらく右往左往した後、近くにいた若い男の店員さんに声をかけ、レジの記録を消す作業をやってもらった。

私は、成す術も無く、かといって、そそくさと帰るのも気が引けて、その作業をじっと見ていたのだが、店員さんは、そんな所在無げな私に気づくと、気を使って、

「あ、いいですよ、あとやっておきますんで」

と言ってくれた。とはいえ、私は無駄に律儀な人間であるので、せめて、その店員さんの未知の作業が一息つくまで、その場に突っ立って、見届けた。

その後、私は逃げるようにして店を出た。

もはや、金を下ろして、再びあのスーパーに行く気はしなかった。
自炊はあきらめた。


その日は、出来合いの、コンビニのパンだったことは、言うまでも無い。

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みんなが笑ってる (心の中で)。お日様も笑ってる(私の中で)。

ルールルルッルルー (何が楽しいの?)


今日もいい天気。