2007-11-23

呑兵衛サミット

【今日やったこと】

今日の大事な実験で使おうと思っていたメディウム。

ゆっくり溶かそうと、冷蔵庫で解凍していたら、

案の定、今朝になっても溶けていない。

ウォーターバスに、どぼん。


外は、きわめていい天気。

白い地上と、青い天空のコントラストがまぶしい。
実験している自分が愚かしい。

◇◇◇


何たって、先週の土日はいろいろなことがあったので、
いろいろなことを、いろいろ書いているうちに、
もう、今週も終わってしまいそう。

それでも語り尽くせない、先週の日曜日の話。

実は、先週の日曜日には、楽しみにしているイベントがあった。
正確には、先週の土日をかけて行われていたのだが、"北海道 酒蔵まつり07" と言うイベントが市内で催された。北海道内の10前後の酒蔵がブースを出し、参加費1000円で、飲み放題。

似たような企画は意外と全国にあり、しかも自分は以前、新潟の“酒の陣”という、50前後の酒蔵が参加する大イベントに参加したことがあったので、北海道の、しかも10くらいの酒蔵が参加するイベントなど、たいしたことはあるまいと、高をくくっていた。

しかし、せっかく北海道にいるのだし、その土地のお酒の善し悪しくらいは、味わっておかないとなんだか北海道を知った気にはなれない (酒で判断するのも、どうかとは思うが) 。

北海道というと、ニッカ・ウィスキーとか、ワインとか、そういう洋酒のイメージが強く、地酒に関してはほとんど情報がない。

しかし...。冬、これだけ寒いときに飲むのは、ワインでは、無いでしょう。

燗は日本酒の特権だ。

そこで、北海道に対する理解を深め、この寒い冬を乗り切る、と言う大義名分を立て、酒蔵祭りに参加してきた (いささか回りくどい)。

酒蔵祭りは、 案の定、小規模なイベントだった。一つの体育館ばりの大ホールを借り切る、新潟の物とは違い、農協のビルの、小宴会場程度の広さの部屋を借りて、そこに、10余りの酒蔵がひしめいていた。


ただし、新潟の物に負けないくらい、いい会だった。

まず、部屋が狭いので、100人もお客が入ればいっぱいになり、ごちゃごちゃして、それが酒飲みには、なんとも楽しい。

また、小さなおちょこをはじめに渡され、それを持って、各ブースを回るというスタイルは新潟と共通なのだが、新潟では、底を湿らす程度にしか、お酒をくれないところを、北海道では、すり切りいっぱい、並々とついでくれるところが多い。さすが北海道は、懐が深い。

立って飲むこともあるし、部屋も暖かいので、この酒の量も相まって酔いが回るのが早い。

しかも、自分は、例ののんきな悪癖により、会場に着いたのが閉会90分前で、各ブースをあわてて回ったので、一度に酔いが回ってきて、後半はスローダウンせざるを得なかった (寒い中、歩いて帰らなくてはいけないし)。

それでも結局、ブースを回り回って、三周くらいはしたと思う。

どのブースも、いつも見かける本醸造に加えて、限定物や、純米大吟醸なんて、おいしいに決まっている、いいお酒も並べていて、いろいろなお酒と、初めましてができた。


そのなかでも、今回特に気に入った物は、

>限定で出ていた、“大雪乃蔵”の濁り酒。すごくおいしかった。後で口の中がすっとしたので、実はアルコール度数は高いのかもしれないが、飲みやすい。生酒万歳。

>北海道のスーパーでよく見かける、“国稀”の一番安い“本醸造”。これは知り合いの先生に教えてもらい、おいしいと思った最初。相変わらず、おいしかった。

>今回一番の発見は『国士無双』という、いかにも強そうな銘柄をもつ、高砂酒造の純米大吟醸“あさひかわ”。飲みやすく、すいすい入っていく感じの、恐ろしいお酒。しかも、このランクにしては、安い。720mLで2000円くらいだった。
すぐ買ってしまい、その日のうちに、半分飲んでしまった (恐ろしい)。
満足。


会に参加してみて、この、決して酒造りに好適とはいえない土地にも、いいお酒を造ろうとしている人たちと、その造った物を心から愛する、得体の知れない飲んべえ達がこんなにたくさんいるんだということをつくづく実感して、ほくほく顔で家路についた。


この調子でいくと、来年も参加しそうだ。

冬の楽しみが、一つできた。

2007-11-22

残像

【今日やったこと】
今後の実験で使う試薬を考える。

一長一短。

結局決めかねて、後で先生と相談することにした。

明日は大事な実験。

休みなのに?

休みだから。

◇◇◇


似ていた。

髪型、背格好、着ている服の色合い。

全体のバランス。

表情。

首に巻いた、マフラーの色まで。

一瞬、目の片隅でその姿をとらえたとき、
本人かと思った。

まさか。


確認するために、視野の中心で、それをとらえ、
まじまじと見たはずなのだが、その顔の印象はよく覚えていない。

ただ、似ているという、おぼろげな感覚と、相手も、こちらをずっと、
表情も変えずに見ていた、と言う事実だけが記憶に残っている。

今思うと、相手は、かすかに微笑んでいたような気がする。
顔は覚えていないのに、軟らかい表情を、自分は感じている。

その時間は、5分間だったのだろうか。10分間だったのだろうか。
あるいは、ほんの数秒の出来事に、過ぎなかったのかもしれない。

自分は、軽く会釈くらいは、した気がする。
目があったのは、事実だから。

でも、声はかけずに、すれ違った。

何事もなく。


声など、かけれるものか。あくまで、偶然すれ違った人に過ぎないわけだし、
根拠のない親近感を抱いてしまったのは、あくまで、自分の方だけだったのだから。


床に引いたアルコールが、静かに乾いていくように、
一瞬わき上がった空白の感情が、きれいに揮発していくのを感じながら、
液体窒素を汲みに行った。

2007-11-21

こつかつこつ

【今日やったこと】
モノクロのスクリーニングで使う抗原が、
なんだか少し、足りなさそうだったので、追加して精製。

その待ち時間の間に、今度研究室で飼う、ウナギの飼い方について
近所の専門家の先生にお話を伺いに行った。

外に出る度、寒い。

昼間でも、道路は、溶けない。

かちかちのつるつる。

◇◇◇


モエレ沼での、遭難未遂事件から6時間ほど前、
自分は、靴を買おうと、靴屋にいた。

北海道の大地はすでに、薄い氷と、踏み固められた堅い雪に覆われ始めており、
足の先から頭のてっぺんまで、寒い。

とくに、自分が今履いている靴は、明らかに夏靴で、通気性が抜群によい。

夏に、それまで履いていた靴が壊れたので、近所のスポーツ用品店であわてて買ったためだ。(どっかのメーカーのアウトレットもの。)

形は、コンバースのスニーカーと同じ。
いわゆる、「ズック靴」と言うやつだ。丈夫な布製ではあるが、底が薄い。本当に寒い日などは、まるで、コンクリートの上を、地下足袋で歩いているかのように、冷気が直に足の裏に伝わってくる。

自分は車を持っていないため、土日に出かけるとなると、とにかく歩くしかなく、靴底の減りは激しい。さらに、前述の「徘徊」癖があるために、必要以上に靴に負担をかけている。

事実、平均 3-4ヶ月に一遍は靴を変えなくてはならない。そのくらいたつと、靴底の溝は所々消えているし、表側も、小指と親指の付け根の二カ所に、穴が開いていることが多い。

まだ、履けなくなったわけではないのだが、さすがに、靴の穴から、靴下の色が見えているのもみっともないので、そうなったら買い換えることにしている。
(私にも、その程度の自意識はある)

そんなわけだから、今回の夏靴も、本格的に冬になる前に壊れるだろうと思っていた。
同じ型のコンバースの靴は、もう何回も買ったが、必ず、3ヶ月ポッキリで壊れるからだ。

(コンバースならまだしも、高校時代、血迷って買ったアディダスの9000円前後のスニーカーも、3ヶ月と持たなかった。私はあれ以来、二度とアディダスは買わないと決めている。足の形も合わないし)

しかし、今回の夏靴はなかなかしぶとく、買ってから少なくとも4ヶ月たつが、靴底がややすり減るのみで、表面に穴が開くような事態には至っていない。

ゆえに、この冬将軍の中においても、私はまだ、夏靴で通学していた。

しかし、実際問題、これでは、冷えるし、滑るしで、たまったものではない。
そのうちけがするか、風邪引くか、いずれにしろ、損するだけだ。


そこで、今よりもうちょっと通気性が悪い靴を買おうと、靴屋に行ったわけだ。

私には、小さな企みがあった。私は、前述の通り、新しく靴を買ったら、どうせ穴が開くまで履き続ける。だから、ちょっと高くても長く履ける、革靴も、今回は見てみようと考えていた。

実は、スーツを着るときのような"フォーマル"ではない格好 ("カジュアル"ってやつか?) のために、革靴を買ったことは、これまで無かった。

草履のような、スニーカーの履き心地しか知らない人間にとって、フォーマルな革靴は、どうにもこうにも歩きにくく、歩いているうちに、カッタンコットン、前にのめったり、後ろにのめったりしているようで、ゼンマイ仕掛けのロボットになったような気がして、好きになれなかった。だから、靴の種類を問わず、革靴というもの全体に、私は嫌悪感を感じている。そもそも、歩きにくい靴なんて、その存在理由を疑ってしまう。

しかし、そんな私も、この北の地の凍てつく寒さには勝てず、できるだけ風通しの悪いものを追い求めるあまり、いつもは素通りしている革靴のコーナーも、いつになく、まじまじと、じっくり見ていったのだった。

そして、私は、ここに至り、一つの事実を発見した。

世の中には、スニーカーみたいな革靴も、あるのだ。

いままで、25年も生きてきて、この事実を、知らなかった。スニーカーと言えば、ビニールの親戚みたいな材質ものか、ズック地のものか、そのくらいしかないものと思っていた。そして革靴と言えば、あの歩きにくい、フォーマルなやつ (あるいは、私には縁遠い、一途にファッショナブルなもの) くらいしかないと思っていた。

まさか、こんな靴があるなんて!

それは、またしても、よくわからないメーカーのものではあったが、値段は4000円程度だった。本当に皮か?そもそも革製品に縁のない私にそんなことはわからないが、なんだか通気性は悪そうなので、だめでもともと、買うことにした。

モエレ沼に行く前に、実際履いてみると、革靴のご多分に漏れず、カッタンコットン、ゼンマイロボットの歩行感がある。でも、そこはスニーカーで、ちょっとの散歩の間に、何となく足になじんできた。この程度なら、すぐに慣れそうだ。新しい、徘徊の相棒の誕生だ。

靴が、アスファルトの上で、歩く度、乾いた音を立てる。
タップダンスのような、その音を聞きながら、なんだか今頃、
やっと人並みな大人に近づけたような気がした。

2007-11-20

寒中行脚/a point and a line

【今日やったこと】

健康診断へ

有機溶媒を実験で扱っている人は、念のため、
肝機能の検診を受けなくてはいけないらしい。

検査項目は、かの有名な ガンマGTP等。

俺、夕べ、みんなで、けっこう、飲んじゃったんだよね。

ある意味あれも、有機溶媒 (5-15%)

不安。
◇◇◇


今回の土日は、寒いのを押し切って、あちらこちら行ってきた。
だから、書くことに事欠かない。

金曜日、週末の過ごし方に悩んでいると、研究室のある先生から、
「モエレ沼公園」の存在を教えられた。

何でも、その話を聞くに、大きな人工の丘があり、景色がきれいで、三角錐のモニュメントがあって、雪が降ってもきれい、だという。


どんなものだか、はっきりとイメージできなかったが、なんだかよいところのようなので、
今週末には絶対行こうと決め、土曜日に早速出かけた。

早速出かけた、というと、いかにも朝から外出したようだが、実際には、その前にもいろいろ用事があって、本当に出かけたのは2:30過ぎだった。いつもながら、私は外出するぞと決めてから、実際家を出るまでが、きわめて遅い。

テレビをふと見てしまったりすると、それに気をとられて、あっという間に2時間近く過ぎてしまったりすることが、よくある。この日も、出かけるぞ、と決めたのは12:00過ぎのことなので、いつものパターンに見事にはまっていたことになる。

ただし、これは別に仕事ではないのだし、過ごしたいように過ごすのが一番なので、私は別にこの悪癖を、普段気にも留めていない (人を待たせているときは、別だが)。

しかし、今回は、この悪癖が、まさに命取りとなった。

最寄りの地下鉄の駅から、モエレ沼行きのバスが出る駅まで30分弱。そこから、バスを待つこと1時間弱、バスに揺られて、目的地に着いたのは5時だった。

冬の北海道の日の入りは、きわめて早い。

午後3時くらいになると、もう太陽に、夕焼けの色が混じり始め、4時には夕暮れを感じる。
そして、5時を過ぎると、もうあたりは真っ暗である。

秋の日はつるべ落とし、というが、北海道の冬の日は隕石でも落としたかのような早さだ。

案の定、今回も、バス停「モエレ沼公園西口」についたときには、あたりは真っ暗であった。

暗い中に、巨大な丘と、その頂上の三角錐のモニュメントが、その巨大なシルエットだけ、おぼろげに見える。

昼間見ると、それは感動を呼ぶのかもしれないが、ほとんどライトアップもない冬の暗黒の中では、それはうずくまる巨大な生き物のようで、ものすごい、恐怖を覚えた。

しかもあたりは木々も少なく、開けた土地で、冷く強い夜の風が、まともに吹き付ける。
逃げ場はない。誰も、助けてくれそうにない。

体温の低下を感じる。あたりに民家は少ない。

私の意欲は急速に減退し、私は公園に入るのはあきらめ、すぐに帰ろうと思った。

あわてて、先ほど降りたバス停に戻った。

あたりは真っ暗で、時刻表すら、満足に読めない。

見慣れぬ時刻表をひもとき、最も速いバスを見いだして、私は愕然とした。

最短でも1時間近く、待たねばならない。

この寒い中!

私は頭の片隅で死を覚悟した。


...明日の朝、この何もないバス停の片隅にうずくまるように死んでいる私を見つけ、身元が判明し、知り合いが引き取りにきて、まず思うだろう。

『こいつ、何しに行ったんだ?』

死亡推定時刻は夕方。凍死と思われる。

疑念はますます深まる。
なぜ、夕方に?

おそらく、北海道警でも腕利きのベテラン刑事か、本庁のはぐれものの刑事が、これをいぶかしがり、他殺説を唱えるだろう。

彼は、コンビを組まされた、若い新米刑事に言う。

「寒い中では、死亡推定時刻は大きくずれる。...ガイシャは、他所で殺された後、ここに運ばれた可能性もある」

上の命令を無視し、私の他殺を証明すべく、彼はいろいろ手を焼くが、全く証拠は集まらない。それはそうだ。妙な時間に遊びに来た、私の無鉄砲な判断が、そもそもの死因なのだから。

次第に新米刑事もそのベテランの捜査を疑い、距離を置き始める。

しかし、ベテランの刑事はそのとき言うだろう。

「これが、ただの凍死だって?そんなはずはない。納得できない。ここに至る、動機が無いじゃないか!」

人間の判断のすべてが合理的とは限らない(時に『徘徊』と揶揄される、私の無意味な外出に関しては、特に)。

でも、人間を信ずる寡黙なベテラン刑事は、きっとこの件で、捜査一課をクビになってしまうだろう。

...


幸い、この私の『最悪の結末』は現実のものとなることはなかった。

冷たい夜風 (強風!)の吹き荒れる中、私は、こうした、『死の幻影』から逃れるように歩き続けた。バスが来た方向を、何とかして思い出し、それをたどるようにしながら。

そして、遠く視界の彼方に、ミニストップの看板を見つけた時には、長い航海の果てに、新大陸を発見したコロンブスよろしく小躍りした。

すぐに缶コーヒーを買って体を温め、肉まんをほおばり、体力を回復した。

風と寒さに、髪の毛は逆立ち、生きた心地のしなかった私が、最初に店に入ってきたのを見た高校生くらいの店員さんは、その大きな丸い顔の中で、一瞬、目を見開いた。

ミニストップのおかげで、私はモエレ沼の氷柱にならずにすんだが、おそらく彼女の心は、その瞬間、恐怖に凍り付いたであろう。

迷惑なことに、そこで時間をつぶしたあと、元来た道をバスで帰った。

家に着き、いつもの安っぽいネスカフェを飲んだとき、私は生きていることを、実感した。

2007-11-19

正月の消えた日

【今日やったこと】
そろそろ、モノクロのクローンが育ち始めたので、

そのスクリーニングに向けて、スケジュールを組んだ。

...どうやら、我多忙也歳末。
◇◇◇


今後の実験計画を考えるついでに、年末の過ごし方も何となく、考えていた。

年末は、師走、といわれるだけあって、なんだかんだと、忙しい。

忘年会、忘年会、忘年会。研究室OBを交えたフォーマルなものから、学生同士のプライベートなもの、友人同士のさらに小さいものまで、目白押し。まるで、忘年会の合間に、実験しているような気分になってくる。

その上、遊びだけならまだしも、今年一年を振り返る年末の研究報告会等々、仕事の上でも、総くくりの大一番が待ちに待っている。

しかも、自分の場合、ちょうど実験の面でも、ここ一ヶ月ちょっとは正念場であり、余計に余裕がない。

さっき、カレンダーを見ながら、うんうん唸って、実験計画を立てていたら、実験が一段落つき、やっと自由を得るのは、1月8日過ぎだとわかった。

...それはつまり、暮れと正月を実家で過ごせないと言うことだ。


実家の家族 (特に祖母) は、とにかく、何はともあれ暮れと正月だけは帰ってきてほしいと、去年の正月からずっと、口を酸っぱくして言い続けていた。

「いつ帰ってくる?」と聞くのは、実家の常套句だとしても、さすがにその期待を裏切るのは、やるせない。

ことに自分は、親のすねをかじり続けて25年。今後もしばらく、かじり続けるのだろうから、こんな小さな親、祖母の望みをかなえてもやれないのは、本当に申し訳がない。

実家に、自分が帰ってきさえすればいいと言う、たったそれだけの望み。
しかも、こっちにとっては不利益どころか、楽して毎日の飯が出てくる、全く文句のない待遇まで、用意されているというのに。

親を裏切り続けて、その上世話になり続けて、おまえはそれだけのことを、しているのか。

人の役にも立たず、たった一人の命さえ救えない、そんなことのために、いろいろな、当たり前の物事を捨て、幸せを捨て、青春も捨てて、いったい何が、その先にあるというのか。

知らない。そんなこと。

知ってたら、こんな苦労はない。
周りに手本となる人がほとんどいない、"普通じゃない"からこそ、自分は生き方を模索していかなければならない。普通に生きられない人間にとって、普通の生き方の枠に身を合わせるのは不幸でしかない。かといって、そういう人間が、普通という価値観を持っていないわけではない。普通を求めていながら、それに届かない。最大の苦しさはそこにある。

ただ、最近わかってきたのは、"人の役に立つ"、"ふつう" 以外の価値が、この世の中にはあるんじゃないかということ。"人の役に立つ" という考えの信者からは、無駄としか見られない、自分のような生き方にも、一生をかけるべき、何か重要な価値が、ほとんど見いだされずに眠っているのではないか。


たとえ、功成り名を残せずとも、そのために生きられたら、最終的には自分は、満足して死ねるではないだろうか。

...なんかそんなディープなことまで考える、冬の日。
天気が悪いって、やだねえ。


で、なんか不意に思い出した、あの有名な手紙を、
ネットからコピペ。

書いた方は、この手紙のために、わざわざ文字を習い、
受け取った方は、これを読んで、アメリカからすぐに実家に飛んで帰ったそうな。

...仕事終わったら、さっさと、帰ろう。
息子として、孫として。


野口英世の母「シカの手紙」

おまイの。しせ(出世)にわ。みなたまけ(驚ろき)ました。わたくしもよろこんでをりまする。
なかた(中田)のかんのんさまに。さまにねん(毎年)。よこもり(夜篭り)を。いたしました。
べん京なぼでも(勉強いくらしても)。きりかない。
いぼし。ほわ(烏帽子 (近所の地名) には)こまりおりますか。
おまいか (おまえが) 。きたならば。もしわけ(申し訳)かてきましよ。
はるになるト。みなほかいド(北海道)に。いてしまいます。わたしも。こころぼそくありまする。
ドか(どうか)はやく。きてくだされ。
かねを。もろた。こトたれにこきかせません。(金をもらったこと、誰にも聞かせません) それをきかせるトみなのれて(飲まれて)。しまいます。
はやくきてくたされ。はやくきてくたされはやくきてくたされ。はやくきてくたされ。
いしよ(一生)のたのみて。ありまする。
にし(西)さむいてわ。おかみ(拝み)。ひかしさむいてわおかみ。しております。
きた(北)さむいてはおかみおります。みなみ(南)たむいてわおかんておりまする。
ついたち(一日)にわしおたち(塩絶ち)をしております。
ゐ少さま(栄昌様=修験道の僧侶の名前)に。ついたちにわおかんてもろておりまする。
なにおわすれても。これわすれません。
さしん(写真)おみるト。いただいておりまする。はやくきてくたされ。いつくるトおせて(教えて)くたされ。
これのへんちちまちて(返事を待って)をりまする。ねてもねむれません

2007-11-16

札幌雪景

【今日やったこと】

ハイブリドーマを観察。

めちゃくちゃに増えてるクローンを一個発見。

懸念された、コンタミも、今のところなし。

少し安心した。

漁協に電話してみたら、実験で使う、"うなぎ" もとれ始めたとのこと。
(ちょっと変わった"うなぎ”なので)

やっと、新しいサンプルが手に入る。


その後、研究室恒例の忘年会に向けた、招待状の準備。

暮れも押し迫ってきた。

◇◇◇


雪が降った。ついに。

長い冬の始まり。

さすがにここは北海道で、初めてまともに降った雪だというのに、
すぐに積もりはじめ、家に帰る頃には、地表はうっすらと、白い雪に覆われていた。

朝は粉雪で、昼はぼた雪で、夜はまた粉雪になった。

溶けたり、積もったりを繰り返しながら、だんだん、地表は隠れていくのだろう。

すでに、家の前はしっかり凍り付いていて、何も考えず外に出たら、滑って転びそうになった。

近くの空き地の、大きな水たまりにも、薄氷。


冬は、確かに寒くて、暖房代もかさむ大変な季節だが、
おそらく、一年で一番、静かな季節だ。

雪の日の朝の、驚くような、静寂。

あの感覚で、目覚めるのが、好きだ。

これから毎日、この物静かな雪に起こされて、
昇る気のない、高緯度地方の低い太陽の下を、
寒さに背中を丸めて、行き来することになるんだろうなあ。

白い息、はきながら。


あ、そうだ。

肉まん、買いに行こう。

今年、初の。

あの湯気に、憧れて。


雪には肉まんが、よく似合う。

2007-11-13

セルフサービス

【今日やったこと】

ついに、モノクロ作り開始。

抗原を打ち続けて免疫したマウスから、リンパ球をとって、いろいろかき混ぜて、

ハイブリドーマを作る。

そのために、マウスを一匹屠殺して、解体したんだけど...。

長いこと飼ったやつが、白い目でこちらを見ているのは、なんだか心を痛める。


インフルエンザワクチンを打った、右手が心なしか震えた。

◇◇◇


前にも書いた気がするが、何たって、今いるところは医学部なので、周りにいるのは、お医者さん、看護婦さん等、医療関係者にあふれている。


先日、インフルエンザワクチンを打った時の話。


ここはやはり、場所が場所だけに、普段から病気が集まりやすい。

なので、院内感染を予防する意味もあって、病院関係者を対象に、様々なワクチン接種が度々開かれている。

特に、札幌市では最近、インフルエンザが例年より2ヶ月早く流行し始め、学級閉鎖も相次いでいる。

だから、この例年通りのスケジュールのワクチン接種は遅いと言えば遅いのだが、それでも少しでも、かかる可能性が減るなら、ましだと思い、自分も打つことにしたのだ (値段も安いし)。


開始まで時間があったので、教室でパソコンをいじって待っていると、後ろに座っていらした先生が、向かいの席の先生に、なにやら話している。

「今日、ワクチン、行く?」

「いや、行かない、家族の分買ったから」

...なるほど、と思った。

そういえばお医者さんだったら、自分で家族の分のワクチンを買って、家族に注射することもできるんだよね。

普通に病院でやったら、自由診療と言うことで、値段もまちまちになってしまうけど、自分でやれば、手数料無料。

やっぱり、医者か、弁護士は、家族の中に一人はいた方がいい。


学者は...、穀潰しかなあ。やっぱり。

2007-11-11

アンチ冬

【今日やったこと】

ミエローマの培養。

夜中にこっそり。

何で夜中かって?

昼間やるのを忘れたからさ。

何でこっそりかって?

賑やかにやる必要も、ないからさ。

ミエローマの培養。

奴らもフラスコの中で、ひっそりこっそり、増えてることだしね。


◇◇◇


寒い。

今、外を歩いてきたら、つい先日までの格好では、耐えられなくなってきたことに気づいた。


昨日も寒かった。

帰りがけの気温は、3度。

北海道の秋は、短い。あっという間に、雪が降りそう。

考えてみれば、来る途中に見た、何組かのカップルも、

どこに行くのか、挙動不審なおじさんも、

病院前ですれ違った、夜間散歩中の盲目の男性も、

みんな、ダウンジャケット着ていた。

俺だけ、ユニクロの、フリース。

寒いわけだ。


このまま、どんどん寒くなるのだろうから、今から考えておかなくてはならない。

この寒い冬を、どう暖かく、どう楽しく、過ごすか。

前にすんでいた、雪国の頃からの宿題だ。

スキーも、スノーボードも、全く無縁の私にとって、
冬は災厄以外の何物でもない。

前回住んでいた雪国では、結局、こたつで、鍋を囲んで、酒盛りして、乗り切った。
(酒もおいしい土地柄だったしね)

さてここの冬は...。

ホットウイスキーかな、とりあえず。

あと、石狩鍋、覚えよう。

2007-11-03

小さい季節


【今日やったこと】
久しぶりの細胞培養。

理研から細胞を取り寄せて、飼ったことも無いミエローマ細胞を培養中。

こちらの研究室に移ってから、細胞を培養するのは初めてなので、
ベテランの先輩に、手取り足取り教えてもらって、一から出直し。

場所が変われば、培養法も変わるもんだ。

ガスバーナー使ったの、初めて。

たのむから、コンタミするな。

◇◇◇

書こう書こうと思っているうちに、もう、先週のことになってしまったが、
隣町の森林公園に再び行ってきた。

北海道の森林公園は、もはや、普通の森林で、林道があるか無いかという違いくらいしかないような気がする。それほど広大で、夏にはうっそうと草木の茂る、自然林だ。

その森林公園に、夏には一度行ったことがあるのだが、秋も深まってきた今日この頃、紅葉を見ようと、もう一度行ってきた。

紅葉は、今いる大学のものも非常に有名で、学校の門から続く長いイチョウ並木が、ことごとく、鮮やかな黄色に染まる。イチョウはみな古い木で、背も高く、さながらイチョウのアーケードのようになる。おのずから、その下を歩く人々はみな、足取りが穏やかになる。

そんなすばらしい秋を毎日見ているのだから、それだったら、あの森林公園のものは、どれほどきれいだろうと、思わないはずが無い。過剰なほど、期待して行ってきた。

結果は...。予想以上だった。

ただでさえ広大な森林公園の、ほぼ全ての木々が、みごとに紅葉しており、秋に取り囲まれたような感覚になった。赤、黄色、黄緑、茶色...。夏には、ほとんど緑一色だったはずなのに、秋には、これほど鮮やかになるのだから、不思議だ。夏の緑が、秋の太陽の光と、どんな化学反応を起こしたら、こんな色になるのだろう。

小さい秋、という歌があるが、北海道では、小さいのは明らかに人間のほうだ。
圧倒的な大きさの秋が、木々の色を染め、多くのどんぐりを実らし、鳥の歌声や、人々の心までを変えてしまう。それをまざまざと見せ付けられる。

公園へと延びる、坂道の一直線の道路にも、多くの枯葉が積もっていて、そこを車が通るたびに、枯葉が渦を巻いて巻き上げられ、なんだか、イギリスあたりの映画のワンシーンのようだった。

林道は、多くの人たちが散歩していて、中でも、一度すれ違った、二頭のダックスフントは、短い足を、深く積もった枯葉の中にうずもらせ、枯葉の上に顔だけ出して、そのきれいなブラウンの体色のせいもあって、枯葉のお化けのようになって、散歩していた。

そして、秋の紅葉の色は、夕日の色によく映える。ことに、北海道の太陽は、昼間でも、すでに低い位置にあるため、なおさら、紅葉が美しい。

北海道が、夏だけだと思っていたら、損をする。道外の人は一度、この短い秋の時期に、来てみるべきだと思う。