2008-04-29

ワサビ

【今日やったこと】

みんなはお花見。
僕は学振。

宿題忘れた
お仕置きのような、
曇天の朝。

◇◇◇


お花見組が、余ったお菓子をおいていったので、
そのうちの一つを遠慮なくいただいて、
食べていた。

その中に、
わさび味のマメ菓子があって、
思わず小袋、ひょいと口の中に放り込んだら、
後は言わずもがな。

ブラシカのアルカロイドが(だったっけ?)
口の中で暴れ回り、
それがあまりに急だったものだから、
心構えもなく、

久しぶりに鼻につんと来て、
涙が噴き出した。

マメを食べながら、
泣いている僕を見て、
後輩に、笑われた。

回転寿司で、
いちいちわさびを抜きながら
食べていた、
いとこの顔を思い出した。

プラス、マイナス

【今日やったこと】

また、学振。
文章は、褒められた。

何か一つでも、褒められるのは、うれしい。

◇◇◇


細胞を殺すため、
薬を入れて、

おいなりさんの中に、たこの入った不思議な
食べ物をもらって(結構おいしい)。

チョコボールを一箱もらって、

人生にとって、なんのプラスにもならないけれど、
確かに、幸せを感じた、一日。

2008-04-27

悪夢、か?

なんか、夢見たんだよね。

自分のよく知っている人が
突然妊娠して、
目の前に現れるっていう。

何でか知らないけど、僕は、
その子と一緒に何かの劇場に行って、
もたれかかるその子を傍らに感じながら、

ものすごく微妙な気持ちになったところで、目が覚めた。


なんで、
夢の中まで、
片思いせにゃならない。

A Box man

【今日やったこと】
これから実験してやる。

引きこもり上がりの少年のように、
生きることに対して、
無駄に気合いの入っている今日。


◇◇◇



安部公房の、『箱男』を読んだ。

相変わらず、すごい。


『見ること=見られること』を追求した作品。

相手を見ると言うことは、同時に相手に見られることだが、
もし相手が、見られることを放棄し、
見ることに専念し始めたら。

相手に、見られることを強要することになる。

主人公は、頭から段ボールをすっぽりかぶった箱男として、
その小さな除き窓を通して、相手を観察し始める。

主人公は同時に小説を書いている、『記録者』(僕)でもあるのだが、
ときに、記録者が、記録者でなくなり、箱男が偽箱男になり、
では本当の箱男とは誰だったのかという謎かけがでて、
仕舞には思わず混乱に巻き込まれている自分がいる。

正直、一回では、30%も理解した気にはなれない。

現在の、ネットのように『匿名性』が、恐ろしいほどの圧力で
のさばっている時代において、
何十年も昔の、この人の作品が、
当に時を得ているような気がしてならない。

見るだけで、見られないことをいいことに、
言いたい放題言う人も中にはいるしね(自分を含め)。


また、この小説は、実験的な小説とも言われる。

小説の主人公は大抵、
目の前で起きる事件を淡々と記録する、第三者という位置づけにある。
(日本の、わたくし小説的になると別だが、
グレートギャッツビーとか、日はまた昇るとかは当にこれ)

しかし、これは、相手に覗かれずに、覗くと言う行為をしているわけで、
相手には、見られると言うことを強要している。

箱男はそう言う意味で、
常に小説を書いている本人(僕)ではあるのだが、
それが箱をかぶった男として文中に登場し、
時に箱からでたり、書いているノートが偽箱男に奪われたりする物だから、
次第にもともとの記録者が観察される方に回り
また元に戻ってしまったりする。

さっきまでの箱男が、箱を出たとたん、劇中人物になってしまうところが
この小説のおもしろいところだ。

大いに混乱したけれど、
その表現のすごさに圧倒された。

20世紀最大の作家の一人、と言われるのは確かにそうかもしれない。
大江健三郎は、カフカに並べてほめているそうな。

そう言えば、大江健三郎は、まだ読んだことがないなあ。
『飼育』と言うのが有名だと聞いているから、
そのうち読みます。

次におそらく読むのは
『食堂かたつむり』
すごく優しそうな小説で、
本屋の入り口にディスプレイされていたので、
ほとんど、タイトルだけで衝動買いしてしまいました。

楽しみ。
ちょっと立ち読みした感じだと、
料理好きの人はいいかも。

2008-04-25

白髪

【今日やったこと】

学振の直し。
直す価値はないかもしれないけど。

あきらめる価値もない。

◇◇◇


ヘッドホンで、
聞き慣れた曲を聴くと、
今まで聞こえなかった響きが聞こえてくるときがあって、

知り合いの頭に一本、白髪がでているのを見つけたときのような、
新鮮な驚きがある。

そうやって、いくつかの曲に聴き惚れているうちに、
書類を書くのを忘れて、

今日も日が暮れた。

明日は、土曜日。

また、どっかのハンバーガー屋にでも、
いくのでせう。

大人とは

大人とは、

裏切られた青年の姿である。
 

-太宰 治

2008-04-24

這う

【今日やったこと】

学振の申請書書き。

ダメとは分かっていても。

◇◇◇



冗談半分で、
昨日、

ナルコレプシー?

なんて書いたら、

本当に、親戚に、
ナルコレプシーが出た。

口は、災いの元。


あるいは、何か予感でも、あったのか。

人間の意識の領域は、実はすごく、小さいのではないかと
思えてならない。

スポットライトの当たっていない領域は
舞台のほとんどを占めているのに、

光りが当たっていないから、僕らには見えていないだけかもしれない。

実はその闇の中では、
意識の当たっている部分以上の、
高度な情報処理が行われているのだとしても、
僕らにはそれを、意識化する術は持たないのだ。

いつしか、
自分というものに、
疑問を持たなくなっている大人という生き物。

未だに、
自分が分からないのは、
その問いを重ね続ける
思春期の少年と、
変わらないのに。

疑問を持たないだけ、
それは少年より謙虚さが足りなくて、

浮ついた常識というものの上を
さも地に足付いているかのように
抜き足差し足、歩いている。

本質と、
世渡りを、取り違えては、いないか?

泥を這う、少年のように、
土にまみれることを知らない、高潔な大人たち。

2008-04-23

über Nacht

【今日やったこと】

昨日の夜は
今日の朝に続いている。

夜を越える。
これを僕らは

Over night
と呼ぶ。

◇◇◇


今日、ゼミだったので、
データの無かった私は、徹夜で実験を敢行し、

そして、今朝を迎え、今に至ります。

いたって普通です。
一見。

ところが、
不意に、睡魔に襲われ、
ほとんど失神のように
寝てしまうことを繰り返しています。

ナルコレプシーってやつ?

人間の体って面白い。

でも、
これは体の悲鳴の一種だろうから、
早めに帰って寝ることにします。

こうして、夜型は、夜型のまま、
朝を忘れてしまうのです。

2008-04-22

妄想の独立

【今日やったこと】

朝に帰って、
昼に来た。

夜型、発病。

◇◇◇


『午前三時の妄想』
を独立させることにしました。


なんか、雰囲気的に、このサイトとは
相容れないと感じたので。

時々、更新します。

そっちもよろしく。

最適者萌ゆる庭

ダーウィンの言う
進化論の
大原則

『自然選択による最適者生存

それはつまり、
生き残るのは
環境に最も適した者であって
最も優れた者とは限らない、と言うこと。

誰よりも速く泳ぐ魚が、いつも
適しているとは限らない。

誰よりも長い鼻を持つ象が、
長い耳を持つウサギが
長い首を持つキリンが
適しているとは限らない。

長ければ長いなりの弊害があり
必要なだけの長所があれば、それでいいのだ。

同様に
常に正しい人間が
適しているとも限らない。

そう言う人間から見たら、世界は
玉虫色の、何とも付かない人類によって
どこまでも白黒付けず曖昧に
妥協しながら成り立っているように見えるだろうが、

清く正しい人間は、
おそらくご自身、お気づきではあるまいか

とかく、この世は住みにくい、

と。

彼は、この環境に、適しているとは
限らない。

そう言う場合の末路は
新しい環境を求めてさすらい続けるか
あるいは、
世を捨てるか、
いずれかになる
傾向が、強いように
思われる。

好奇

自分は、好奇心に突き動かされるようにして、
これまで生きてきた人間なので

女の人を好きになるときも
大抵、好奇心を突き動かされたときだ。

だから、
どんな人が好きと聞かれて、
『おもしろい人』と答えることが多いのだが
どうやら周りは、
自分が、冗談好きの人を好きなのだと、勘違いしているようなのだ。

そう言う訳ではないのだよ。

おもしろいという言葉には
興味深いというニュアンスだって、立派に、あるじゃないか。

現に、

女の人とすれ違って、
友人が、
きれいな人だったな
と言うとき、
僕は
何で、あの人、靴下が、しましまなんだろう
と言うことばかりを、延々と考えている。

僕の中では、
近所の研究室に、靴下がしましまの人と、
なぜかトイレから出るとき、いつも僕とぶつかりそうになる人と
僕が開けた、冷凍庫が廊下の通行を邪魔するために
いつもその扉の脇を、するりと、すり抜けていく女の人がいることは知っていて、

その他では、時々やってくる、郵便局のお姉さんの鞄に書いてある
ゆうパックという赤い文字だけが
頭の中に染みついている。

考えてみれば誰一人、顔を思い出せず、
しましまとか、ぶつかりそうの時の、わっと言う声とか、
すいませんという、謝りだとか
ゆうパックと言う赤い文字だとか、
そんな事で、その人をかろうじて認識しながら

顔も知らない顔見知りばかりが、増えていく。

もし、違った場所で、それらの人にすれ違っても
そこに、しましまか、冷凍庫か、トイレかゆうパックがなかったら、
僕はその人を認識できないと思う。

唯一、女の人の顔をまじまじ見るときは
その人の顔のものすごく変な場所に
ニキビかほくろか、しわを見つけて、
そこに、化粧で巧妙に隠そうとした跡を見てとって、
それでも見つけてしまった稚拙な喜びに浸っているときだけだったりする。

そう言うのを全く気にせず、隠そうとしない人か、
あるいは隠す物がないくらい、整った顔の人というのは
あんまり、おもしろくない。

僕はおもしろい人が好きです。

私、目だけは、いいのよ
と、自慢する人とか。

不条理サイエンス

【今日やったこと】

大学のネットワークサーバーがダウンして、
一日中、ネットにつなげなかった。

いつの間にか、
インターネットできないパソコンは、
全く用なしになってしまっている現実を痛感。

時代について行けない人間も、
こういう風に思われるとしたら、

怖いものだ。

◇◇◇


今日は、取らなければいけない授業があったので、
初めて、人文棟に行ってきた。

理系の人間にとっては、
縁遠い建物の一つ。

それだけに、
中がどうなっているか気になる。


その建物はずいぶんと新しく、
質素で、合理的だった。

特に、こだわった作りの教室がある訳でもないし、
机も、高校にあるような、普通の教室の机だし、
誰かの肖像画が飾ってあるわけでもなければ、
謎の彫刻に満ちあふれている訳でもなかった。

ただ、授業を受けて、先生が話をする分には
非常に使い勝手の良い、最低限の作りになっていて、
およそ各教室にはちゃんと
OHPから、プロジェクターまで、必要な視聴覚装置一式が
備え付けられているようだった。

受けた授業は心理学だったので
久しぶりに、使っていなかった脳みその回路を刺激された気がして
授業を受けた後、なんだか生まれ変わったみたいな
新鮮な感動すら、覚えた。

その帰り、ちょっとした事務手続きのため、
理学部に立ち寄った。

こちらは打って変わって、
おそらく、建学間もない頃の、古い煉瓦造りの建物で、
階段は木製。
ドアのノブも、昔のドアに良くある、丸い金メッキのキノコ型。

古い階段を、ぎしぎし上り、
扉を、きいと開けて、
必要な書類を提出して、
引き下がった。

案外、先端を追い求める、理学部の方が、
前ばかりを見すぎているためか、
身の回りのことにかけては、無頓着を通り越して、
保守的ですらあるようで、

身軽でシンプルな、
人文学部の人たちの方が、
自分たちの学ぶ場所にかけては、
よっぽど合理的なのではないかと、思った。

彼らは、着古した、ぼろぼろの白衣に
それでも袖を通すような人間の心理など
分かりはしないだろうし、知りたくもないだろう。

第一、知る必要もない。

本当に白衣が必要だから、白衣を着て実験をしている理学者など
今はもう数える位しか、いないはずだから。

後の大多数は、
ほとんど、惰性、かもしれない。

だって実際、着る必要、ないもの。
DNAをいじくるのに、
なんの危険が、あるの?

少なくとも、生協行くのに、
白衣で行く必要はないでしょ。

服が汚れるのが心配なら、
エプロンでも着ければいいのに。

男なら...
前掛けか....。

研究室が、たちまち、調理実習。

それもまた、おもしろいかも。

2008-04-20

溺れる魚

何かを探して、街を歩いた。

いつも行く、中古品店。
ホームセンター。

行ったことのない繁華街。
人通りの多い中央の商店街。

若者の群衆に紛れ、
老人の間を縫って、

品物と品物の間を
流通と流通のその結合点を
僕は一人駆け抜けていく。

出所の分からない嘲笑が聞こえる。
それは行き場所の分からない笑いでもある。

誰かが、大声を上げている。
親しげに誰かを呼んでいる。


無数の人間の中で、彼らの見ている物はおそらくただ一人。
Focus.
個別の存在と無数の不在。
それは周りを捨てることでもある。
情報過多の世界におぼれないために、その海を否定せよ。


渦を巻く人間の中で、何度も繰り返される
そうした感情の漏出にいちいちおびえながら、
それでも僕は何かを探して歩いた。

入ったことのない店にも何度も立ち入り、
通ったことのない通りにさまよって、

一度来た道を三度も四度も往復したあげく
もう一度階段を駆け上がったりして。

それでもそれは見つからなかった。

僕はその時気づいたのだ。
僕もまた、海を見ていなかったことに。

溺れる魚は空気を否定し
陸に上がり空気に溺れ

鍛え抜かれた魚眼のレンズは、
陸で物を見る能力を持たぬことすら知らずに
己の目だけを頼りに躍り上がる愚者よ

見ようとしなければ
何物も見えない事実を無視し
捜し物から同時に目をそらしていた矛盾する現実

過ちに気づき、見上げた天にもう太陽は見えず
あざ笑うような群青色が僕を干す

もう一つ気に入っている物

休日に一緒に過ごすかけがえのない物をもう一つ

詩集。

先日亡くなった、
茨木のり子さんの『倚りかからず』と言う詩集がお気に入り。

この方は、
『自分の感受性くらい』
という、軟弱な自分を、そして人々を叱咤激励するような詩で有名な詩人。

今回の表題作も

もはや できあいの思想には寄りかかりたくない

と言う一文から始まる自立の詩。

この人の詩はいつも、凛とした緊張感がみなぎっていて
聳える樅の木のような真っ直ぐな言葉に、
グニャグニャに曲がったヘチマのような自分が、
はっきりと投影されてしまう、そんな力のある詩だと思う。

あとは、もちろん宮沢賢治の詩集かな。

最近、賢治の詩は
どれも、ズーズー弁訛りの標準語で読むと、
意味が真っ直ぐ伝わってくることに気づいた。
(『永訣の朝』では泣きそうになった)

“アメニモマケズ”では、この読み方は有名だけれど、
他の詩でもこれは通用するようだ。

ちなみに茨木のり子はちょっとあきれたような口調だと感じが出る気がする。

独り身の暇つぶし。
でも、二人じゃ、できないよね。

恋人はペリカン

最近、休みの日は、愛用の安い万年筆(ペリカン)と一緒に過ごすことが増えてきた。

コンビニで買った一冊のリングノートに
思い浮かぶ言葉を、物語をひたすら羅列していく。

紡ぐ。
そんな動詞が、本当によく似合う作業だと思う。

なんの方向性もない、綿くずの集まりを寄り合わせ
一定のねじれと向きを持った糸に加工する作業。

物語を書くのも、それにやはり似ている。

自分の場合には、紡がれた糸が、ちっともできが良くなくて、
所々糸が太くなったり細くなったりしてしまっているが
上手な人の紡いだ物は、その太さが一定で、
初めから、終わりまで、仕上がりが安定していることが多い。

最近読んだ本で、そう言った安定した、落ち着いた雰囲気を感じたのは

堀江敏幸さんという作家の、『雪沼とその周辺』(新潮文庫)。

群像劇的な短編集だが、全体が緩く繋がっていて、
そしてそこに流れる時間もどこか共有されている。

枯れた、しかしそれでいて、生命力を失ったわけではない、
大人の空気。

この方は決して売れっ子小説家ではないと思うが、それでも
この人しか書けない空気を持っている。

最近読んだ本の中で、1,2のお気に入り。

ちなみに、今試しに書いているのは、
Oさわ氏のリクエストがあった、あれ。

今は、『僕』と『彼女』の間の
エピソードを書きためている段階。

自分の経験の引き出しが少ないので、
案の定、苦労しております。

前半コミカルに
後半シリアスに

どうやらそんな展開になりそう。

まあ、気長に待って。
お宅のお子さんよりは、早く生まれるとは思うから。

月夜

何事も前に進んでいないのに

なんだか少し前を向いて

歩いていけそうな気がした


ハンバーガーショップの店員さんの顔を、じっと

見つめる勇気が湧いたのは、

ずいぶん久しぶりだと思う。


Keyboard売り場で
鮮やかな手つきで鍵盤を打ち鳴らす、
紳士的な風貌の若い背広のお兄さんを
何度となく見つめながら

人前でも、自分を見せられる
その自信と
その音色の持つ無機質な哀愁に
思わず吸い込まれた自分

蛍光灯の、あきれかえるほどの渦の中で
自分の星を見失い星を探して歩いた

気がつけば大きな満月が
趣向を凝らした近代的なビルの向こう側に
白熱灯のような光り方をして

合理性を追求した末に
ある一定の目的を設定されたが故に
それらが必然的に沈殿して
築き上げられたこの巨大なartifactと

ただ、そこにある、月との秘密めいた会話に
思わず耳をそばだてた
月ほども空を飛べない一個の塊

いつもより世界がはっきり見えるこの感覚を
もう二度と失わないように

塊は夜空
恋人とじゃれ合いながら
ひそひそ話を続ける月に祈った

2008-04-17

春というもの

春、僕らは、無数に咲き誇る桜の花の下で、
互いに喜びを分かち合い、朗らかに微笑む。

(花は、植物の生殖器に相当する。
花粉は、精細胞を運ぶ、入れ物だ。)

その足下にはたくさんのタンポポの花。
これはよく見れば、いくつもの花の集合体。

(僕らは春という、植物たちの巨大な性交渉の渦のただ中にいて、
それをそれと認識しないまま、朗らかに微笑みながら、散歩している。)

一匹のコガネムシが小さな花の奥底に入り込んで、
花粉まみれになりながら這いずり回っている。

道ばたに咲く、花に顔を近づけて、その香りを愛でる人がいる。
その花を、じっと見つめて微笑む人もいる

花屋には、たくさんの花が売られている。
たくさんの植物が、その店先には飾られている。

誰かがくしゃみをした。

きっと、鼻に、スギの花粉でも、
入ってしまったのだろう。


花というものは、人間が春を感じるのに、
無くてはならないものだ。

ある者はそれを愛で
ある者はその匂いをかぎ
ある者はそれをじっと見つめることで
銘々の春を謳歌する。

向こうに座った男は
傍らに座った一人の美しい女性の髪に
自らの手で摘んだ一輪の白い小さな花を挿し

よく似合うよ、
と言って、穏やかに笑った。

幸福そうに微笑む彼女の髪には、
一輪の生殖器が、こぼれんばかりに咲いている。

花切り男

チューリップの花を
切って歩いた男の
行為は許せないにしても

その時の、その男の気持ちは
何となく想像できてしまう。

春は、格差の季節。

春を喜べる物が、笑顔を振りまく一方で

置いてけぼりの春を、苦く噛みしめ、地中に潜る人間もいる。

いつか、芽が出るとは
誰も保証してくれないので

せめて、目に見える範囲からでも
春をつぶそうと、
彼は夜な夜な
春をつぶしに、土の中から、這い出す。

そうして、彼の周りだけでも、
春が遅れれば、
彼の焦りも、苦しみも、

束の間、解放されて
彼は、終わることのない、冬、あるいは、秋の季節の中で
静かに、まどろむのか。

そんな局所的な遅延など、
大きな春のうねりの中では、焼け石に水に過ぎないのは
男自身が最もよく分かっているだろうが、

そうせざるにはいられない、
何か脅迫的な物に突き動かされ、
男は夜な夜な花を切る。

野菊も、タンポポも、
その光景を確かに見ていたはずなのだが、
花の先を閉じたまま、
そのことについて、何も語ろうとはしてくれない。

彼らは、数万年の昔から、
春に仇なす愚かな人間達を、何度となく見てきたから、
今更、そんな物を、何も珍しいとは思っていないのかもしれない。

ただ、春先に吹く突風か、
突然の雨か
遅霜位にしか、その災難を
考えてはいないのかもしれない。

人間が植えた花を、人間が摘み取っているうちには
彼らにとって、野菜の収穫と
何ら代わりのない光景に映るのだ。

ただ、切り取られた花こそ、災難であるにしても。

衣替え

【今日やったこと】
ウナギの解剖も、今日で終わり。

振り返れば、懐かしい
生臭い、血の香り。

皆さん、ご迷惑、おかけしました。
◇◇◇


春なので、ブログもデザイン変えました。

だいぶシンプルに、明るく、なったと思います。

タイトルのバックは、
知る人ぞ知る、『あれ』です。

ちなみに、ウナギのタンパク流してます。
こうしてみると、なかなか、意外に、
アーティスティックでしょ?

髭面の赤児

欲しいものが、手に入らないとき

初めはみんな、だだをこねて、お母さんを困らすところから始まる。

次に、それは、人から、力づくで奪うことに繋がって、

それもダメだと言われると、

自分で何とか手に入れようと、努力するようになる。

でもそれは、必ずしも、結果が伴うとは
限らないから、

そうなると、いずれあきらめてしまう。

それでもあきらめきれないと
人から、力づくで奪おうとする。

その力もないときは、

泣いてすがる、人もいる。

こうして、あきらめと、精進とを行き来しながら、
人はそれでも、顔だけは一著前に大人になって、
ひげが生えたり、しわが寄ったりしているけれど

その中身は、
だだをこねたくなる、赤子の心を
必至にあやしているだけに、過ぎなかったりするのだ。

只、赤ちゃんに、ひげや、しわは似合わないだろうという
常識的な虚栄心にさいなまれて、
だだをこねる勇気もなく、

思わず唇をとんがらせたくもなるけれど、
それだって、ひげには似合わないから
しょうがなく、眉間にしわを寄せて

男は、男の振りをして、
今日も会社へ通っている。

時々は、はいはいもしたくなるけれど
それでは踏みつぶされてしまうから懸命に二本の脚で立って、
ふらふらになりながらも、それでも前に進むのだ。

こんな男を
男らしくないという
女がいたとしたら

かわいそうに、と言ってあげたい。

彼女の男は、必死になって
幼い頃、父母に教えられた
男という架空の人物を
熱心にまねしようとしているだけであるのに
彼女はそれを当たり前として、ほめてくれさえ、しないだろうから。

今日も、苦い酒に、顔をゆがめながら
男の瞳は幼い頃に見た
スーパーの付くヒーローの
たわいのない夢を見ている。

落下

空白になった心に

去来するものは

いつかの、食事の風景。

その時の表情。

浮かない顔

その意味を、深く考える勇気も持たずに

僕はその瞬間に酔いしれ、

笑い、はしゃぎ、君を見てなどいなかった。

僕はあのとき
自分のために恋をしていた。

そこに本当に、愛情があったのなら、
あの浮かない表情の裏側にあるものを
素直に聞き出す、実直な気持ちを
もっと持っていても、おかしくなかったはずだ。

僕にはそれができなかった。

できなかったから、
その結果として
君が正直に事実を突きつけてくれるまで、
僕は至らぬ夢を見て
それを次第にふくらませ
生活に、支障が出ていたんだ。

無くした後の
自分の感じた
身の軽さに
今まで背負っていた者の
重さと、暖かさを
感じて

いつもより、早く起きて
まだ明け方の太陽が顔を出したか出さないかのうちに学校へ行き
そうして、仕事を始めたんだ。

一日は、普通に過ぎて
普通に暮れ
普通に夜になり

世界の運行に、僕は必要ないと、確信するに至って、
昨日の僕が、7階のベランダから、笑って宙へ舞うのを見た。

あんまり楽しそうだったので、僕も一緒に行こうか考えたけれど
君へ、質問すらできなかった
意気地無しの僕だから

ベランダから、静かに、
夜景を見るだけで
その夜は、そのまま、眠ってしまった。

階下には落っこちた僕のトマトのような血しぶきが
鮮やかに広がっていた。

暗くて、良くは見えなかったけれど
僕は砕けた頭のまま、それでも笑っていたように見えた。

2008-04-16

暖かな液に浮かべて君を

顕微鏡の対物レンズの上に

今、小さなプラスチック・シャーレがあり

その上で、直径20マイクロメートル弱の細胞達が
鱗のようにびっしりと並んで、ひしめき合っている。

彼女は昔、アメリカのある病院に子宮頚癌で入院し、
そこで医師から小さな病理献体として採取され
人工的に生態環境を模したRinger液の中で、只静かに、培養されるだけの身となった。

名をヘンリエッタ・ラックス (Henrietta Lacks)。
その名にちなんで、今ではHelaと呼ばれる。

彼女の仲間の多くはもうすでに死んでいる。
仲間を殺したのは、まぎれもなく彼女自身だ。

彼女は癌細胞だからである。
彼女は、彼女の他の仲間と同様に、その身体の機能を維持する、
至って平凡な、しかし、それだからこそ貴重な一個の細胞として生まれるはずだったが、
ヒトパピローマウイルスの突然の侵攻により、その予定運命を狂わされ、
一塊の癌細胞として、その本体を蝕んだ。

彼女は、それから50年以上の年月がたった今でも
その分裂を止めることはない。

ちょうど50年前のあの日のように、
ほどよく暖められ、調整された液の中で、
今日も明日も、分裂を続けている。

この分裂が、彼女を癌たらしめ、そしてその主を死に追いやったとしても、
彼女にそれを知るすべはない。
只、好適な条件であれば増殖し、不適な条件であれば、それを止めるだけのことだ。

確かに、彼女によって死んだのも彼女であったが、
今シャーレの上で生きている彼女もまた、依然として彼女なのだ。

ある人は言う。
彼女は死んだと。

別の人は言う。
彼女は未だ生きていると。

死とは本来、緩やかで、段階的な物だ。

始めに、器官の機能が停止し、
やがて細胞レベルの死に至る。

我々は、目に見える変化しか、知らなかったから、
心臓が止まっているとか、意識がなくなってしまったとか、
そう言う巨視的で不可逆的な変質によって、それを死と認識している。

しかし、顕微鏡という道具の力を得て、
彼女の姿を覗き見れば、

それは間違いなく生きている。

今日よりも、明日には数が増え、
その細胞内には無数の細胞骨格が張り巡らされ、
そのレールを伝って、数多くの分子が細胞の中心から、末梢へと
物資を運搬しているのが見えるだろう。

彼女は人間の、通常の認識の範囲において死んだのだが、
まだその死は、彼女の命の全体に、行き渡ってはいない。

環境が狂わぬ限り、いつまでも彼女はそこで踏みとどまる。

永遠の命を得たことにより、有限なる主に謀反し、
そして、その特性故に、研究者達に利用され、
彼女は世界で最初の、ヒト培養細胞株となった。

夜ごと、暖かな液に浮かべられ君は
シャーレからシャーレへと
幾度となく虚空を超えて
明日の命をはぐくむために
プラスチックのベッドに身を横たえる。

とうの昔に忘れた個体としての自分を
刻み込まれた塩基配列の中に、微かに見い出し
夢見る少女のように、僅かな笑みを浮かべながら、
いつ果てるともない眠りを貪る。

その寝顔を知るものが、もう此処にはいないとしても、
寂しいという感情すら、彼女はすでに忘れてしまっている。

入院病棟の平和

【今日やったこと】

また、ウナギの解剖。

飽きもせず。
いや、
たとえ飽きていても。

◇◇◇


昨日ウナギの解剖をしていたら、
緑色の肝臓を持った個体が出てきた。

こんなウナギ、見たことがなかったから、さすがに驚き、
いろいろな人に見せて、話を聞いていたら、
ある人が、ビリルビンの過剰蓄積ではないかと言っていた。

僕はよく知らなかったのだが、
ビリルビンという色素は、胆汁の色になっている色素で、
赤血球のヘモグロビンを分解するとできるものだとか。

それがどういう訳か、このウナギには蓄積してしまったらしい。
よく見れば、このウナギは、腎臓の色も同様に緑色で、
血中に多くなったこの色素を、体外に十分に排出できずにいたようだ。

人間では、こういう事になると、黄疸という、顔の色が黄色っぽくなる
症状が出るという。

人間もウナギも、
同じような問題が起これば、同じような症状が出てしまう物のようだ。

人間の祖先も、いつかはウナギのような姿をしていたのだろうから、
僕らは昔から、同じような病気を抱えて、苦しんできたのだろう。

それが今になって、理屈という物を知って、
その解決策を考えつくようになって、

35億年の恨みを晴らすように、様々な病気に、
人間は体当たりで挑んできた。

病気の方も手強い物で、後から後から、人間の知恵を試すように
難しい原理の病気を送り込んでくる。

エイズウイルスなんかは、
人類を緩やかに滅ぼすために、生まれてきたのではないかと思われるほど
意地悪くできている。

おそらくどんなに科学が進んでも、
世界から、病気がなくなることはない。
病気は今も次々と、新しく定義されている。

メタボリック・シンドロームのように
少し前まで、病気として認識されていなかった物が
今では病気扱いされることもある。

新しい病気の数が増えただけ、
“健康”の領域は減っていく。

だとすれば、たとえば十年前より、今の方が
世の中に“病人”の数は増えているのかもしれない。

いずれ、健康が完全に“病気”によって細分化されて
世の中から、この言葉が消え去ったとき、
人は、自己紹介がてら、自分の病気を紹介する日が
来るのかもしれない。

その時、僕らの病気という物に関する概念は、
確実に今とは違った物となっているだろう。
おそらく、何か自分の特技か、特徴のような
その程度の物として、持病を語る日も、来るのではないだろうか。

世界に病人が満ちたとき、
世界から、偏見が消える。

君も僕も病気なのだから、大部屋の入院患者のように、
お互いの病気を説明し合い、それを尊重しあう日が来るのだろう。

それはある意味、一つの健全な状態に
人間が戻ったと言える事態なのかもしれない。

2008-04-15

小さい脳みそ

【今日やったこと】
ウナギの解剖
12時間。

背中が、痛い。


◇◇◇


こんな天気の良い日に、薄暗い部屋にこもって、
ウナギの解剖をしている。

ウナギのように、だいぶ原始的な生き物でも、
肝臓は、やっぱり肝臓の色と形をしているし、
心臓は心臓だし、
腸は細長い筒だ。

腎臓は、身体が長いだけあって細長く、
一見違った物のようにも見えるが、
よく見れば、やっぱり腎臓だし、
顕微鏡で見れば、まさしく腎臓だ。

脳は身体の割に、よっぽど小さいけれど、
この大きさで、身体の基本を制御できると考えると、
その能力の高さに、感動せざるを得ない。

人間は、これだけの脳が、どうして必要だったのだろうか。
これは正解だったのだろうか。

そう思わずにもいられないが、
それは、科学だけでは、解決できない、
複合的で、ごちゃごちゃで、いろんな主観の入り乱れた
領域に入ってしまう、永遠の課題だ。

その問題を提起し、
また、その問題に頭を悩ませるのも同じ自分の脳だと思うと、
いよいよ、訳が分からない。

僕らは、いくつもの不明の果てに
なんだか物わかりの良いような顔をして
でもさっぱり何も知らず、
知らないことすら知らないから、
知ってる気になっていることさえ気づかずに、

自分の老後はどうだ、将来はどうだなどと、

誰も確かにあるとは言ってもいない、
明日という幻の夢を見て、
それにいろいろな言質や人質を捧げながら、
泣き笑いしている。

脳が発達したのは、ひとえに
この、明日という夢を見るためだったとしたら、
それはあまりに悲しく、
そして....、
いや、やはり、結局は悲しいだけなのかもしれない。

明日を夢見ない生き物たちは、
将来を悲観して、自殺とするということを知らないのだから。

理想のために、今を捧げるという犠牲を、
しないのだから。

今、その瞬間の幸せを、確実に拾い集めることに終始し、
そうして、いずれ行き当たって死んでいく、そんな生活に
憧れる人間は、いたとしても。

2008-04-14

MEGA

【今日やったこと】

相変わらず、大腸菌と
ランデブー。

僕らは、
仲良し。

◇◇◇


最近生協食堂で、
MEGAフェアをやっている。

要するに、最近流行った、
MEGAマックとか、牛丼とか
ああいう物に乗っかった、生協らしい企画だ。

一時期は、残すのはもったいないと言われ、
食べ物も無駄なく、エコな暮らしをしましょうと言われていたのに、
何で此処まで、ハイカロリーな食事が好まれるようになったのか。
甚だ疑問だ。

ほとんど脅迫的な手口で、
人々に健康と美容とを迫る、
ここ最近流行のこの“新興宗教”は
連日、テレビの深夜帯と、早朝と、お昼前後を利用して
熱心な布教活動を展開している。

ある意味、日本で一番信者の多い教団は
この美容と健康教(狂)ではないだろうか。

そんな教団の、厳しい教義に従うため、
人々は連日、四苦八苦している。

お姉ちゃんは、カロリー計算に余念がない。
お母さんは、コラーゲンと、ビタミンEの摂取のため、毎日牡蠣ばかり食べている。
息子は、最近プロテインに凝り出したし、
お父さんは、高濃度のカテキン茶を飲み干し、昨日の食べ過ぎを帳消しにしようとしている。
おばあさん、おじいさんは、一日でも長く生きるため、
コンドロイチンで関節を潤し、有象無象の漢方薬やら、
青汁やらを飲み下して平然としている。


だが、そこに広まった、このMEGAブームだ。
これはまるで、一種の宗教改革にすら見える。
あるいは、革命か。それとも、開き直りか?
人々はたとえ一時的にしろ、この世を覆う
巨大な宗教に反旗を翻したのだ。

メタボリックシンドロームがどうとか
ダイエットでウエスト三センチがどうとか、
教団の、数値的な縛りに絡め取られて、
みんな欲求不満になっているのだろうか。

でも、そのはけ口が
結局食べることだとしたら、
なんだかあんまり、芸のないことのようにも感じる。

そもそも芸って、
こういうことの解消のために、あるんじゃないか?

江戸時代の日本人は、不景気などで欲求不満が募ったときに
ええじゃないかと言って、踊ったという。
まだ、昔の方が芸があったのだろうか?

そもそも、江戸時代にマクドナルドがなかったことが
悪かったのだろうか?
あればみんな、江戸の庶民もMEGAマックに飛びついたのか?

そんなことを考えながら、やっぱり無趣味な僕は、
昼ご飯を食べた後に、
今夜、何食べよう、などと、いらぬ心配を、してしまうのだ。

でも少なくとも、1400kcalを越える、
MEGAチキンカツ丼は、食べられそうにない。

2008-04-12

ふるさとは地雷原

【今日やったこと】
昨日、ついつい飲み過ぎて、
頭は痛くならなかったものの、

ひどくもたれている。


◇◇◇

雨が降っていて、
それがひどくつめたいので、
昔住んでいた、ある雪国の冬を思い出した。

そこは日本海側。みぞれの多い地域で、
太平洋側育ちの僕には
その冬は暗く憂鬱でしょうがなかったが、
あるドキュメンタリーで
本当に久しぶりに日本海側の田舎に帰ったおじいさんが、
そのつめたい雨に打たれて、

ようやく帰ってきた、

と言って泣きながら、両親の墓参りに向かっているシーンがあった。

子供の頃に見た物というのは
大事な物だと思う。

それが、好きになるにしろ、
嫌いになるにしろ、
どうやら、その人の主観の、重要な部分を
しっかりと決めてしまうようだ。

戦争地域の子供達の何が不幸かと言って、
戦争が、それによって荒廃した風景が、
彼らの心のふるさとになってしまうことだ。

そう言う子供は、
大きくなっても、戦争という物と
なかなか無関係には
なれないのかもしれない。

2008-04-11

カレーサイクル

【今日やったこと】

たった二個のコロニーを
PCRしたら、
入っていると臭わせる
バンドが出た。

どこまでも、その気がありそうな素振りをしておいて
一番肝心なときに、そっぽを向いてしまう。

そうやって、見失った物が、たくさんある。

◇◇◇

昼間はいつも生協の食堂で食べているのだけど、
それ故に、メニューが偏っている。

自分は、あまりたくさんの品数を、少しずつ食べる方ではないので、
一回の注文で済む、麺類や、カレーのような
手っ取り早いメニューを選ぶ傾向がある。

実際、今週はほとんどカレーばかりだ。

フライドオニオンカレー
かき揚げそば
チーズインカレー
ササミチーズカレー
ササミチーズカレー

僕は明日からでも、インドに出張できそうだ。

カレーは、トッピングが違っても、カレーそのものに、
たいした差があるわけではないので、
結局どれを食べても似たような味だ。

さすがに、飽きてきた。

たまには、カレー以外のものを食べたいとも思うけれど
それはそれで、いろいろある中から、
いちいち選んで取るのも面倒で、
忙しそうな食堂のおばちゃんと目が合うと、つい

カレーお願いします。
と言ってしまう。

今日もこうしてカレーを食べ、
明日はきっとまた、いつもの散歩コースをたどり
そして、最後にはいつものように、ハンバーガー屋に入ることになるのだろう。

その間に変わったことと言えば、
電信柱の付け根から、
たくさんのツクシが顔を出していて、
いつの間にか、スギナになっていたことくらいだ。

彼らは、毎年同じ所に、同じように生えているけれど
飽きたりしないのだろうか。
あるいは、新しいことをするのが、面倒なだけなのだろうか。

いずれにしろ、
難儀なことだ。

2008-04-10

桜餅-2

今日研究室で、議論になったのだが、
北海道では、桜餅は“ぶつぶつしている”ものらしい。

僕は、桜餅にはつるつるした、餅のクレープみたいなもので
あんこを包んだ物もありませんかと聞くと、

その先輩は、北海道では、見たことありませんと言う。

僕の地元では、どちらも一緒に売っていて、
つるつるした方を桜餅、
ぶつぶつしている方を桜餅(道明寺)
と、括弧付きで売っていることが多かった。

だから、先輩の言っているのは、道明寺ではないですか、
と言うと、
その先輩は、桜餅に、二種類もあるなんて、知らなかったと言う。

実際今日食べたのも、道明寺だった。
つるつるした方は本当に売っていないのかもしれない。

その後、ネットで調べてみたら、
つるつるの方は長明寺と呼ばれ、
主に関東圏の桜餅らしい。

一方の道明寺は、関西中心なのだそうだ。
意外に北海道の文化は、関西の流れも汲んでいるのだろうか。

どこかで聞いたような地名と、
なぜか古代の響きのある、素朴な地名とが
垣根もなく混在し、

東北なまりのようで、よく聞いていると、
似ても似つかないイントネーションを持った、独特の言葉の中で
互いに会話しているのを日々耳にして、

ほんとうに文化が融合して、煮詰まっているのは
東京ではなく、実は北海道なのかもしれないと、
密かに思ってみたりした。

桜餅

【今日やったこと】
超寝坊。

だって寝たの、朝方。

そうやって、がんばって撒いた大腸菌は
今日は広いLB プレートの片隅に
控えめに小さなコロニーを作ってくれた。

でも、たった二個。

コロピーする気も、起きない。
作戦、立てなおそ。

◇◇◇

最近研究室に、新入生が入って、
その多くが女の人だったので、
なんだか全体がきゃっきゃしている。

自分はそういうのに入っていく方ではないので、
若いなあと思いながら、
実験室の片隅でちまちまとプレートをつついている。

よく考えたら、みんな、自分の妹世代より
年下なのだ。

家族という物は、何となく年代の指標となる物のようで、
家族で一番年下の、妹より下、となると、
もう自分の感覚では計りきれない領域に入ってしまった感がある。

今までずっと見てきた、年上という物と違い、
年下という物は自分が生まれたときには、いなかった人間なのだから、
年上よりも、より、未知の世代という印象がある。

何を考えているのか、どんな物が好きなのか、
どういう言葉を使うのか。
その全てに未知の部分があって、年上達はそれを知らないことの
怖さに、おののいてしまう。

今日研究室に、誰かの買ってきた桜餅がおいてあった。
自由に食べて良いと言うことなので、実験の合間に一人で取って食べていたら、
部屋の向こうで、新入生も集まって食べていた。

皆一様に、おいしそうに食べている。

この時期の桜餅でも、おいしいものはおいしいのだ。

僕は少なくとも、桜餅のおいしさは、世代を超えて受け継がれていることを知って
安心して泳動に向かった。

2008-04-09

あとがき

はい。
こんな感じです。

ちょっと後半は急ぎすぎたかな。

でも、言いたいことは言えました。

もしだったら、後で、もっと書き直したいところはいっぱいありますが、
今はなかなかその時間的余裕もなく、
全体的に、荒削りな印象はぬぐえません。

もっと先を書いても良いかとは思いましたが、
この先は自分の中で、大体予想できてしまったし
この三人のドラマを完結させることが、そもそもの目的でもなかったので、
キリがいいと判断したところで筆を置きました。

次は、時間がかかるかもしれないけど、
出来ればもっと上手に時間を取って、
しっかり書き込みたいです。

暇なときに、感想下さい。

それから、もしだったら、戯れに、
どこかの文学賞に投稿してみようと思います。
せっかく、書くわけですし。

何作か、此処に出した文章のうち、
好きな物が今後にでも、あったら、
教えて下さい。

では、また次作をお楽しみに。

○▲□ (まるさんかくしかく) - 17

「徹也君、ね」

カタクリは言った。僕にその瞳を向けて。
「いい名前だね。じゃあ、なれなれしいかもしれないけど、テツヤって呼んでもいい?」

「別にいい...けど、」
僕は特に断る理由もなかったので、そう答えたが、
彼女の意図する物は、分からなかった。

その大きな瞳の奥に浮かぶものが、
果たして何ものなのかも。

「仲良くなっても、名字で呼んでいると、なんだか名前を呼ぶ度に、距離が開いていく感じがしない?」
僕のとまどいを察したかのように、彼女は言った。
「だからだよ。」

ふふ
カタクリの向こうで、シイタケが笑った。
「じゃあ、あたしも、テツヤって、呼ぼうかな。」

カタクリが、驚いて咄嗟にそちらを振り向いた。

ごめんね、ミズハちゃん。

シイタケは歯をむき出し、意地悪そうに、そう言って笑った。
また変な位置に、えくぼができた。


それを見てカタクリも、くつくつと笑った。
まるで、仲のよい姉妹のようで、気がつくと僕まで笑顔になっていた。


僕らはそうしているうちに、まどろみ始めた。
慣れない労働で、疲れていたこともあったのかもしれない。
何より、昼下がりの陽光は身に心地よかった。

僕はいつしか、そのまま眠りに落ち、
そして、短い時間ではあったが、夢を見た。


僕は小高い丘に立っていた。

見渡す限りの畑には黒ヤギの描いた無数の幾何学模様が並んでいる。

まる、さんかく、しかく...。

よく見れば、一つ一つは、単純この上ない図形だった。

だが、それらが、一平面上に並んで、さらにお互いに
複雑に、複雑に組み合わさることで、ミステリーと称されるほど、
それは捉え所のない模様を形作っていた。

一つ一つに分解していけば、それを元の単純な図形に戻す事は出来る。
そうすれば、もっと簡単に、この模様の意味を理解できるのかもしれない。

だが、そのときにはすでに、
その全体の意味は見失われてしまっている。

気がつけば、ミステリーはどこかに、消えている。

黒ヤギは夢の中で、その模様を描き続けていた。
まるで、自らの心の内を表現しているかのように。

僕はそれを傍らで見ながら、
それを理解する方法について、試行錯誤を繰り返していた。

「経ク諸ン!」

佐武朗のくしゃみで、目が覚めた。


太陽はまだ、空の高いところを照らしている。
及川さん達は皆起きた。

僕は、勢いを付けて体を起こした。

隣で、シイタケとカタクリがすやすやと、寝息を立てている。
彼女らは、あの二人向かい合って笑った姿勢のまま、
眠ってしまったようだった。

彼女らのいずれも、その表情は、
眠りに落ちる前の無邪気な笑みを、まだ微かに残していた。

僕は、そうして無心に眠りを貪る彼女らを見て、
ふと、微笑んでしまった。


その時、僕は思ったのだ。

僕は今、彼女らにある種のいとおしさを感じた。
そして、なぜだか微笑んでしまった。
たったそれだけで、十分なのだと。

僕らは、生理現象として恋をしているにすぎない。
優しさは、それに伴う、一種の発作だ。

そもそも理由などなくても、人を好きには、なれてしまうのだ。

人はみんな、複雑そうな物は分解したがる。
でも、分解して組み立てて、動かなくなってしまった時計は
世界にいくつも転がっている。

分解するだけが、答えに通じる道なのか?
複雑な物は、複雑な物のままでは、いけないのだろうか。


僕は、立ち上がり、体に付いた土と麦の葉を払って、
放り出していた作業を、再開し始めた。

あ!

後ろで、カタクリとシイタケが飛び起きたのが分かった。

彼女らは、恥ずかしそうに笑いながら、僕の方へあわてて駆けてくる。
一匹のうり坊と、すらりとした若駒が、並んで駆けてくるようで、
なんだか滑稽だった。

シイタケの頭には、一枚、麦の葉の切れ端が付いたままになっている。

僕はそれを右手でつまんで、
髪の毛の間から、取ってあげた。

おっ。
彼女は言った。

“テツヤ”も優しいところ、あるねえ。

そう言って笑っていた。


僕らはその、時にミステリーと称される、不思議な幾何学模様の中にいて、

自分達の立っている場所を時々地図で確認しながら、

三人で一つの板を踏みしめ、麦畑に再び図形を描き始めた。


[完]

2008-04-08

○▲□ (まるさんかくしかく) - 16

振り向くと、トメさんと、数人の及川夫人が、皆、手提げ袋を持ってこちらにやって来た。

「助かった」
思わず、シイタケが声を上げる。
「みんな、ぐんぐん前に進もうとするから、私、足が攣りそうだったよ。」
短い足と、ふくらはぎを、拳で下からぽんぽんと叩きほぐした。

「はあ、私も。ほんと疲れたね。」
カタクリも、安堵した様に息を吐いた。
その額には玉のように汗が輝いている。


踏みつぶした麦畑の一角に車座になって、みんなでおやつを食べた。

おやつと言っても、店で売っている物ではなく、
トメおばあさんの作ったおはぎやお団子、
この村の麦で作ったという、麦飯のお握りなど、
ほとんど食事と言っていいほどのボリュームだ。


実際、佐武朗を初め多数の及川さん達は、よく働く分、
おなかも相当に空くらしく、それらを貪るように食べ尽くすと、
時間を惜しむようにごろりと横になり、あっという間に眠ってしまった。

僕も、カタクリもシイタケも、食べた後にはどっと疲れが出てきて、
だんだん眠くなったので、同様に青草の上に寝転がった。

鼻のすぐ間近で、青い麦葉のにおいがする。
鼻に鋭く入ってくるのは、土のにおい。
しかし、ずいぶんと長いこと、忘れていたようなにおいだ。

ごろりと天を仰げば、高い空に、取って付けたような白い雲が見える。
小さな鳥が、目の片隅をつがいで通っていく。

どこかで、名前も知らない鳥が、
2度、甲高く鳴いた。

「こういうの、ひさしぶり」
すぐ隣で、カタクリの声がした。

「ほんとうだねえ」
シイタケも言った。
「久しぶりとは思うけど、最後はいつだったか、もう覚えてないんだよねえ。」

「たぶん、」
カタクリが答えた。
「きっと摺り込まれているんだよ。こういう記憶がみんなの中に」

「生まれる前から?」
僕が言った。

「生まれる前から。」
カタクリが答えた。
「なんて、あんまり理学部らしくもなかったかな。」
カタクリはそう言って、笑った。

「詩人だねえ、ミズハちゃん」
眠そうな声でシイタケが言った。
「詩人だよ。」

「詩人だよね、あたしは」
カタクリは言った。
小さなため息が聞こえた。
「思えば、形のない物ばっかり、追いかけてた。
目の前のことは何も考えずに、この2年、過去のことにずっと縛られてた。」
それは、黒ヤギのことだろう。そう僕は思った。

「今を生きなきゃ、始まらないのに。」
カタクリの瞳は身じろぎもせず、青い空を見すえていた。
天の青さが、その瞳の中に宿っている様に見えた。


シイタケはいつしか、眠ってしまったようだ。
グウグウと寝息が聞こえてくる。

「ねえ、真島君?」
カタクリの瞳が、ふいに僕の方を向けられた。
頭上の青さを、それは微かに反射していた。

「そう言えば、下の名前、聞いてなかったね。なんて言うの?」
「...徹也。」
僕は答えた。自分の名前を人に教えるのを、
わずかにでも躊躇したのは、これが生まれて初めてだった。

「テツヤ、か」
そう言うとカタクリは再び天を向いた。
その口元は、かすかに微笑んでいる。
「私、さっき聞いちゃったんだけど」
カタクリは話した。
「このイベント、最初に始めたの、テツヤみたいなの」

僕は驚いた。しかし、考えてみれば、
それは、至極納得のいくことだった。


カタクリは話した。
テツヤは、試験勉強の中、星を見るために、この星見村にやって来た。
天体観測は、確かに、彼の昔からの趣味ではあったが、そんな大切な時期にそんな悠長なことをしていたのだから、それは実際には現実逃避だったと言っても良いだろう。

そして、こののどかな星見村の自然に触れ、
東京にはない、無数の星々の海におぼれて、
自分の努力していることの意味を見失ってしまったらしい。

勉強してもしなくても、生きてはいける。
それは当然のことなのだが、試験勉強に躍起になっている受験生は、
見逃してしまう事実だ。

黒ヤギはこののどかな村で、星の下で、その事実に突き当たった。

彼はその時、留藏さんの家に民泊していた。
留藏さんは昔から、星を見たさに他所からやって来る人々に
部屋を提供していたのだそうだ。

そして、留藏さんの話から、黒ヤギはこの村のかかえる貧しさを知ったらしい。
それを聞いて、半ば目標を失いかけていた黒ヤギは、
彼にできることで、村おこしをしたいと提案した。

天文ファンだった彼が選んだのは、ミステリーサークルだった。

実際海外では、このような町おこしのために人造ミステリーサークル造りが
行われた例があるらしい。

しかし、彼の本当の目的はそれとは別なところにあった。
彼は、そうやって、宇宙に興味を持つ人を集めて、
この村の星空をもっと多くの人に見てもらおうと考えていたらしい。

そうしてこそ、本当の村おこしは出来ると考えたのだ。

「それで、今はアルバイトしながら」
カタクリは続けた。
「年に一回ここに来て、このイベントを仕切っているんだって。」
カタクリはそこで、ふっと笑った。

「馬鹿だよね。」
彼女は僕を見た。その瞳は、今にでも泣き出しそうな位、涙に濡れていた。
彼女は、しかし、その濡れた瞳を真っ直ぐに空に向けた。

彼女の瞳に映ったものは、確かに青い昼の空だった。
しかし、彼女が本当に見ていたのは、この太陽の青い幻覚の向こう側にある、暗い夜空だった。黒ヤギの心を奪っていった、おぼれるような星空を、彼女は今しも泣き出しそうな瞳のまま、挑むように凝視した。

「...星がない、って言うから、どんな哲学的な意味かと思っていたら...。
そのまんまだったんだ。なんのひねりも、深い意味も。私はそのなかに、私を巻き込む、何かの示唆を見いだそうと、ずっとずっと、手探りしていたのに。」

彼女は笑った。そして、つかの間、僕に背を向け、そっと目頭を押さえた。
「馬鹿だよ。」

そんな馬鹿な理由のために、私は一人になったんだ。
彼女の背中は、そう語っているように見えた。

しかし、それはほんのつかの間だった。彼女はすぐに顔を上げ、
とびきりの笑顔を、僕に見せてくれた。

また、みっともないとこ、見せてごめんね。
彼女はそう言った。

先ほどまでの涙は、もうすっかり乾いていて、
目頭に少し、濡れた跡を留めただけだった。

「徹也君、ね」

2008-04-07

○▲□ (まるさんかくしかく) - 15

5

僕らが畑に着いた頃、青葉揺れる麦畑はすでに、大勢の及川さんで溢れていた。

「尾胃!、一郎!小後ハ名II型屋?」

「氏家具!」

「佐武朗、手津田得」

「王!」

よく見ると麦畑の中、あの好男子・佐武朗もあくせくと働いている。
長いひもの付いた板で、麦を踏みつけ踏みつけ、平らにならしていく。

若い佐武朗は確かに筋骨たくましいが、周りの及川さん達も、日頃農作業しているだけあって、それなりにたくましい体つきをしており、佐武朗にはないアダルトな魅力を、そのかすかな加齢臭とともに、あたりに漂わせていた。

畑にはあらかじめロープが張られ、それが図形の目印になる。

佐武朗の肢体が動く度、若い筋肉が別の生き物のように蠢く。

「ほらあたし達も!」
シイタケの瞳は、爛々と輝いている。獲物を狙うハイエナ、エサを前にしたトカゲ。みんな、こういう顔をしている。

シイタケは当然のように、佐武朗の後ろに立って、手伝い始めた。

「うん!」
カタクリはそれまで羽織っていたものを脱いで、Tシャツ姿になった。
白くて長い腕が、シャツの袖からすらりと伸びている。
その白さに、思わず目がくらんだ。

作業していた無数の及川さん達も、その姿に一瞬手元を休めた。
そして、鼻の下をゆるませたまま、手元だけは黙々と作業を再開した。
心なしか、アダルトな魅力が、あたりに充ち満ちてきたように感じる。

正直、この黒い男だらけの畑の中では、カタクリの容姿は、一種場違いにすら見えた。

しかし、本人はいたって気にせず、どんどん畑の奥に入っていく。

その跳ねるような足取りに先ほどまでの暗さはもうなかった。
細い足で若駒のように軽く、畑の奥へ駆けていく。

一方のシイタケは、その決してブナピーではない体色もさることながら、作業する手つきが、初めてとは思えないほど様になっていて、驚かされた。

ねえちゃん、うまいねえ、

無数の及川さんの一人がそう言ったのを受けて、シイタケは照れたように笑って、

ええ、向いてるみたいだから、ここにお嫁に来ましょうかねえ、

と軽口をたたいた。
大勢の及川さん達はみんな笑った。

では佐武朗の嫁御に来たらいいべよ

そうだ!そうだ!

そう言われて、シイタケはまんざらでもなさそうだったが、
佐武朗はちょっと困った顔をして、恥ずかしくなったのか、前も見ずに作業をしていた。


僕も、ぼんやり立ってみているわけにも行かず、彼女らと一緒に一枚の板に足を乗せた。

左から順に、シイタケ、カタクリ、僕。
三人で、一枚の長い板に片足を載せて、三人一脚、といった感じだ。

「ほら、いち、に、いち、に」
シイタケが、拍子を取り始めた。

「いち、に、いち、に」
カタクリも、それに併せる。

「..いち、に..いち、に..」
僕は多少拍子はずれになりながら懸命に彼女らの拍子を追いかけた。

こういうときに、その人間の、生来の器用さというものが出てしまう。
初めての作業を、いとも簡単にやってしまう人間がいる一方で、初めてのうちは、とにかく失敗ばかりする人間というのがどうしてもいる。

僕は元々後者の方で、しかも努力嫌いの不精者だから、これまで、何か身につけたもの、と言うのが一切無い。特技がないのもそれに由来する。

努力は、楽しいから、続くのだ。失敗してばかりで、つまらない思いしかしなければ、誰だって止めたくなってしまう。つまらなくても、とにかく続けていると言う人間は、口ではそう言っていても、実はそれが好きなのか、それとも変わった性癖をしているのではないかと、疑わざるを得ない。

そう言う意味では、僕は健康だ。
でも今は、失敗しても、置いて行かれても、この作業を続けようと思う。

隣がカタクリだから?


そうだとも。

面倒でも、うまくいかなくても、それを上回る喜びがあるうちは、喜んで続けることができる。

何せ、彼女は僕の触媒なのだから。

「いち、に、いち、に」
「いち、にいち、に」

カタクリの息が弾み出す。長い髪を頭の後ろで束ねているので、きれいな首筋が、顎の線が、くっきりと見える。束ねた髪が、まさに馬のしっぽのように、前後左右に揺れていた。

僕は自分の頭のすぐ脇にある“それ”に気を取られて、足下の作業に集中するのに、苦労した。

どきどきと、心臓が高鳴る。これは作業の所為なんだか、カタクリの所為なんだか、もはや分からなかった。

シイタケも、カタクリの向こう側で、へえへえと息を切らし始めている。

すぐ前を進んでいた佐武朗はいつの間にか遠くなっている。
さすがに、いつも体を動かしている人間は違う。


同じ、人間なのに、と言う気がしてくる。
ここまで、なんにもできない人間と、あそこまで、タフな人間が、どうして同じ人間と言ってられるのか、僕は不思議な気がした。


僕はここで、あることに気づいた。
そう言えば、いるはずの黒ヤギがいない。

やつは、すでにここに来ているはずなのに、少なくとも僕の目の届く範囲には、その姿が見えない。

今のカタクリは、完全に作業に集中しており、息を切らしながらも、その顔にはうっすらと笑顔を浮かべている。何かに集中している子供のように、あどけなく、そして、いとおしくなるような表情をしている。
彼女が黒ヤギを見つけたら、少なくとも、この表情は壊れてしまうだろう。僕は、彼が、僕らの前に、永遠に現れないことを心の底から祈っていた。



そのまま、その作業を2時間ほど続けただろうか。

もうすっかり足も持ち上がらなくなり、息も上がってしまった頃、

土手の方から
「おやつにすべえー!」
と、大きな救いの声がした。

フライドポテト

フライドポテトを食べていると、

自分が馬にでもなった気がしてくる。

あの細長くてひょろひょろしたものを、口から何本もはみ出させ、それを次第に舌と唇を上手に使って口の中にたぐり込んでいく作業は、飼い葉を食べる、馬のそれに似ている。

ぼくは、ハンバーガーを食べるときには野人であり、
フライドポテトを食べるときには馬になり
コーヒーをコップで飲む段になって初めて、文化的な人間の香りを漂わせる。

けんくんたいへんだよね、いつもいそがいしいもの
ああ、おれだけきょうしごとなんだ
隣の二人組が話しをしている。
40人もいるのに?あいつらみんなやすみなの?ところで、やすみってなんじまでなの?
ああ、もうじかんだ

そう言うと、男は立ち上がり、つられて女も立ち上がった。

彼らは、初め馬であり
そして、一時は野人にもなったようだが、
最後には文化人になって、時計を見ることを思い出したようだった。

女は使用した机の上を、ポテトに付いてきた紙ナプキンでさっと拭くと、
男とともに悠々と自動扉をくぐって行った。

彼らを何となく見送った後、
目を正面に戻すと、
向こうの席の知らないお兄さんと不意に目があって、
彼がまだ野人であったようだから
ぼくは急いで馬に戻った

2008-04-06

ホテル カクタス

【今日やったこと】

さすがに、精神、身体ともに疲労困憊。
家にて休憩。
ちょっとだけ、細胞の世話。
ごめんよ。勝手に休んで。

◇◇◇


家でごろごろしている間に、
酒を飲みながら、本を読んでいた(世も末だ)。

読んだ本は、江國香織の『ホテル カクタス』

江國香織は、昔から大ファンで
『すいかの匂い』、『きらきらひかる』、『号泣する準備はできていた』
『流しの下の骨』、『ホリーガーデン』、『つめたいよるに』、『ぼくの小鳥ちゃん』
等々、ひたすら文庫を買いあさって、読むまくったことがある。

まず、この人の文体が好きだ。
絵本作家、詩人でもあるそうで、
そのためか文体が優しく、解説では良く“瑞々しい”と表現されるほど、簡潔で、素直だ。自分の中では、文体だけから言えば三島由紀夫のほぼ対極だと思っている。今、ですます調を使わせたら、日本で一番上手に書ける人の一人ではないだろうか。
もちろん、それだけではないのだけれど。

次に、世界観が好きだ。
ほとんど、絵本的な小説の世界。マザーグース、不思議の国のアリスを彷彿とさせるような寓話的な話しなんだけれど、これらの寓話に見られるように、現実よりも現実らしい生々しさが所々あったりする。その生々しいポイントの選び方が、また上手。

今回の本に出てくる
『音楽とは個人的なものだ』
と言う台詞は、まさにそうだと思った。

流しの下の骨、では、主人公の少女は、彼氏と手を繋ぎながらご飯が食べたいと思って、左手でスプーンを使う練習をしてみたりする。そう言う人物設定のセンスがすごい。
箸ではなく、スプーン。味噌汁ではなく、スープ。そう言う、生活感の有りすぎない、ちょっとませた設定も良い。(夜の散歩が好き、と言うのも良かった。女性作家は全般的に、ちょっと変わった女の子の設定が特に上手だと思う。よしもとばななにしても)

今回の本では、主人公はハードボイルドな“帽子”、健康優良児の“きゅうり”そして真面目な数字の“2”。しかも、これらはただのニックネームではなく、どうやら、“そのものらしい”ことが、読むうちに分かってくる。この文庫は絵本タッチで、所々、挿し絵が入っていて、想像力がかき立てられる。
こんな荒唐無稽な設定でも、物語を壊さず書き上げるこの人は、すごいと改めて思った。

シイタケ、カタクリ、ガマ男からでもこの人なら、
ちょっと切ない物語を作ってしまうんだろうなあ。

ある時期集中的に読んだので食傷気味になり
しばらく休んでいたのだが、久しぶりに読むと、やはり良かった。
でもこの人の文章はケーキのようなもので
あまり食べ続けることができないから、
またしばらく休むと思う。

最近、全般的に、一人の作家を追い続けることができなくなってきた。
乱読傾向がどんどん強くなっている。

おれにも、おれの文体って、やっぱりあるのかなあ。

○▲□ (まるさんかくしかく) - 14

僕らが再び老夫婦の家から青年団の事務所に戻ったとき、安西さんは僕らの到着が遅いのを心配して、事務所の前でうろうろしていた。

「お、来た来た。あんまり遅いから、電話を掛けようと思っていたところだよ。」
安西さんはほっとした顔で言った。そして僕らを手招きするようにして、
「それじゃ、説明するから、中入って。」
と言って、奥へ先に入っていった。

中へ入ると、そこには僕らの他には、数人の職員の方が働いているだけだった。
最初来たときにはいた、多数の団員の方達はすでにそこにはいなかった。

安西さんに聞くと、すでに皆、仕事を始めているらしい。

「まあ、さすがにみんな、もう3回目だからね。ほら、あの通り、みんな出てしまっているよ。」

安西さんの指さす方向には、団員の出欠を表すホワイトボードがつるされていた。
ほとんどの人の名前の脇に赤いマーカーで『ミステリイ』とかかれている。少々不気味だが、ある意味、壮観だ。青年団の男集が総動員と言ったところだ。まさに、このミステリーサークル造りは、この小さな村を挙げての大イベントなのだ。

「それにしても」
シイタケが言った。
「ほとんど、及川なんですね」
確かにそのとおりだった。安西さんを除き、ほぼ全員が及川だ。
「あそこに書いてあるので、及川でないのは、」
安西さんが言った。
「私と、黒柳君だけだね」
「テツ...、いえ、クロヤギさんも」
カタクリが口を開いた。
「青年団の一員なんですか?」

言われてみれば、ホワイトボードの一番下に、『黒柳』としっかり書いてあった。

考えてみれば不思議だ。トメさんは黒ヤギはこの時期にだけ村に来ると言っていた。この村の人間ではないはずなのに、どうして青年団の団員に名前があるのだろう。
「そりゃあ、そうさ。」
安西さんは、少し誇るように、大きな声を出した。
「黒柳君は、我が村の、恩人だからね。」
「恩人?」
あの見た目の暗い男が、この村に一体何をしたというのだろう。
僕らはその話を聞いて、一様に不思議そうな顔をしていたに違いない。

カピパラは意外と普通と言っていたが、カタクリを二年も苦しめるようななぞなぞを残す無責任な態度と、村外者でありながら恩人として、青年団の一員にならべられるそのギャップを、僕らはどうしても埋められずにいた。

「君らはまだ、黒柳君に会ってないのかい?留藏さんの家に、泊まってるはずだが。」
「あ、会いました。でも、見かけただけだったので。」
カタクリが言った。

「そうかい。あの子はなかなか寡黙だからね。でも、いい子だよ。あの子のおかげで...」

そのとき、遠くの方で、断腸!と声がした。

早具して毛音ベガ!毛羽島ッテっ徒!

「王、今伊具!」
安西さんは答えた。
「はは、急かされちまった。もうみんな始まってるそうだ。じゃあ我々も、ちゃっちゃと終わらせていきましょうか。」

安西さんは、黒ヤギについての話を切り上げて、手元の地図を開いた。

地図には、ミステリーサークルを作る畑の区画が記されており、そこに、様々な形状の幾何学模様がびっしりと記されていた。それは地図を見ただけ度でも十分に美しく、これが実際に畑の上に描かれたら、と思うと、僕は思わず興奮した。

「基本的に、細長い板きれで、この線をなぞるように麦を踏みつけていくのですが、」
安西さんは言った。
「塗りつぶしてあるところは、全部踏みつけなくてはいけません。そこは一面平らにするのです。」

「麦を踏みつけても、大丈夫なんですか」
僕は尋ねた。

「元々、今回使う土地は、食糧難の頃に、無理矢理開墾したもので、それほど畑作に向いているわけではないのです。今では逆に、ミステリイサアクルを作るために麦をまいています。それに...、不思議なことに、このサアクルに使った方が、使わなかった隣の畑より、麦がよりよく育つように思います。収穫後、“宇宙麦”として、次の年のおみやげ物にしているんですわ。」

商魂たくましいものだ。売れるものなら何でも打って、村おこししようとしている。
多少つまらない者でも、しょうもないものでも、売らないでいるよりは、遙かにましなのだ。

踏みつけた方が育ちがいいというのは、門外漢の僕には不思議でしょうがなかったが、安西さんは、自分が思うに、とちょっと置きして麦の栽培の際に行われるという、“麦踏み”と言う農作業について教えてくれた。

「麦は、踏みつけた方が、強く育つ、とは昔から言います。実際それで、まだ若い苗を踏みつける作業というのが、冬巻き麦なら春先に行われるんですが、」
安西さんは、首をかしげて
「我々のように春蒔きの麦で、しかも、ある程度大きくなってから、麦踏みをすると言うことは、まず無いでしょう。普通だったら、そのまま、しおれてしまっても、おかしくないですからね。...まあ、何がミステリイと言って、これが一番のミステリイなのかもしれません」
そう言って、大きなおなかを揺らし、はははと豪快に笑った。

その不思議な話に僕も思わず引き込まれ、あれやこれや、質問を浴びせてしまっていた。
そして気がつくと、僕は夢中になるあまり、すっかりカタクリのことを忘れていた。
彼女は黒ヤギのことを、聞きたがっていたはずだ。

ふと見ると、カタクリは目を伏せ、うつむき加減だった。話は全くと言っていいほど聞こえていないらしかった。彼女はもっとテツヤの話を聞きたかったのだろう。眉根を寄せて、何か衝動のようなものを、こらえている様子だった。

それを見て、なんだかカタクリに対して、ものすごく済まないようなことをしたような気がしてきた。

彼女のために、何かしてあげたかった。でも、僕に、今、一体何ができるだろう。何と言ってあげたらいいだろう。

僕には、分からなかった。



シイタケは、カタクリの隣に座っていた。

カタクリの、そのおちつかない様子に気づいたのか、シイタケはさりげなく、顔は安西さんの方へ向けたまま、膝の上に組まれたカタクリの細く白い手に、その小さな丸い手を載せた。

カタクリはその手をじっと見つめそして、少し微笑んで、それをそっと握り返した。

たった、それだけの仕草だった。

しかし、カタクリの表情は、その前後で、はっきりと変化していた。
その表情には、わずかではあるが、元の涼しげな安らぎが戻りつつあった。


一言の言葉すら、そこでは必要なかった。

考えてみれば、僕がカタクリのために何かをできる場面は、これまで、幾度となくあったのに、僕は何一つ、彼女のために役に立てたことはなかった。

むしろ、内心少なからず軽蔑しているシイタケの方が、相手の一番して欲しいことを、必要なことを、とっさにくみ取ってやっている印象があった。

涙を拭いてあげる、手を差し出してあげる。

たったそれだけのことで、相手はどれだけ心強いだろう。

特技も車も鞄も無く、顔すらイマイチであっても、
人である限り、人を支えてあげることはできる。

こんなシンプルなことを、すっかり見落としていた自分に気づいた。

しかし、支えると言うことは、口で言うのは簡単だが、非常に抽象的で、実際に行為としてそれを実行できる人間は、どれほどいるのだろう。

少なくとも、僕には、シイタケがカタクリに対して見せた、いくつかの実際の振る舞いを除いて、その具体的な行為を思い浮かべることが、できなかった。

そして、いざそれが必要となったとき、それを自然に実行する自信も、自分にはなかった。


「どうかした?」
安西さんが、心配そうな顔で、僕らを見つめている。

「いいえ、なんでもないです」
カタクリが答えた。

じゃあ、続けるね、
そう言って、安西さんは作業の説明に戻った。

カタクリは、シイタケの、お世辞にも形の良いとは言えない丸い手を、その膝の上で、まだ、そっと握っている。

2008-04-04

アライン

人生の不幸は
昨日と今日とが、夜中の12時を挟んで
繋がっていることを
理解した日から始まる。

それまでの、断続的で
眠る度に生まれ変わるような心地のしていた毎日は
幻のごとくに消え去り

人生が、出生から、死へと続く、一本の数直線
あるいは線分として認識されるに至り
そこの間に、他の結末に至る
どのような分かれ道も無いことに絶望し焦り苦悩し
昨日の失敗を生かそうと、今日の功に走り
明日の幸運を掴もうと、今日の辛酸を甘んじて受け止めるようになる
言わば今日とは昨日と明日に挟まれたそれ自体自我の持ちようのない
受動的な時間であり
明日のために今日があり、昨日の結果として今日があるような気がして
誰も今日そのものの持つ意味など、考えもしないようになる

だが、今、
過去をもはや肯定できなくなり
未来を絶望した今になって
今日という日の健気な価値が
なぜだか急に愛しく思えて
涙を流してしまうことすら、あるのだ。

それは過去の最前線にいながら、
未来の再後端にいる、

過去の賜物でありながら、
未来への質草でもある。

その刹那の
認識することですら困難な時間に
心臓は一度拍動し
我々は息づき
ミトコンドリアの釜はグルコースの薪を
酸素とプロトンの力を借りて
延々と炊き続ける。
その煙が僕らの口から漏れるとき
それは時に愛の告白になって
思わず
顔を赤らめてしまったりもするのだ
それは新たな悲劇の始まりであり
もう一つの未来の創造であり
一つの過去の傍流である

そして、その分岐点には
いつも変わらず受け身がちに微笑む
特に取り柄のない現在の姿が
霧の向こうにかすかに見える気がする

僕らはそれに気づいたとき、思わず愛さずにはいられなくなるが
それに気づいたときには同時に
過去と未来に待つ
後悔と焦りを
認識しないわけにはいかなくなる。

糸を紡ぐ者(クロト)、人に割り当てる者(ラケシス)、
大鎌を持ち、断ち切る者(アトロポス)。

運命の三女神はそれ一つとして、
僕らの前に現れては呉れない。

お使い

【今日やったこと】
意外にタンパク取れててびっくり。
◇◇◇


笑いながら目覚めた。

夢の中で、母親が、
おまえを産むとき、大便かと思ったといっていた。
幼い僕はその足下に、まさにそのようにくっついて
離れようとはしなかった。

母は実際、
自分がたまに電話をしても10分話したか、話さないかの内に、
便意を催したと言って、電話を適当な人に預けて、トイレに行ってしまう。
私のことを、しゃべる下剤だと言っていた。
母は、私を、きっとリラックスさせるのだと言ってフォローしていたが、
リラックスするにも、程がある。

きっと私は、そう言う星の下に生まれてきたのだろう。

ビスタチオ

【今日やったこと】
泳動。
CBBの中で、ゲルが泳いでる。
◇◇◇


ビスタチオを食べていると

自分がほ乳類であることを実感する。

特に、猿や、ネズミと言った、前足でナッツを食べる動物の
自分が直接の子孫であることを
ビスタチオは教えてくれる。

指先を使って、あるいは固い場合には前歯を使って、あの殻をむき、
そして小さな中の部分を、ちまちま食べている様子は、
きっと脇から猿が見てくれたら、親近感を持って迎えてくれるのではないかと思うほど、
小動物的な仕草だ。

食べるという行為は、生命が始まったときから続いており、今日の我々にとっても、また主要な命題の一つだ。

食べ物を得るために、革命が起こった国があった。
飢饉のために、滅んだ国もあった。
お金もそもそもは、余った食べ物を、互いに融通していたことから始まったという。

ビスタチオを食べながら、
人類の進化とその興亡について考えている内に、ひと皿全部、開けてしまった。

2008-04-03

午前三時の妄想-4

作者注;以下の文章は相当疲弊した時に書いた物です。
理性の働きがだいぶ落ちています。(今日は全体的に疲れ切っています)
あんまり、よろしくないかも。嫌いな人は飛ばして下さい。
--
なぜか昔から、
こういうレイプなシーンを見ると、
完全に男の立場になれない自分がいました。

なんか、どっちも大変そう。
そう言う感覚は、今だにあります。
冷静とは、つまらない物です。

まえに誰かに教えた詩の続き。
(現代文語訳)

“...自分とそれからたったもう一つのたましいと
完全そして永久にどこまでも一緒に行こうとする
この変態を恋愛という

そしてどこまでもその方向では
決して求め得られないその恋愛の本質的な部分を
無理にでもごまかし求め得ようとする
この傾向を性欲という --- 宮沢賢治”

性交渉より、愛が欲しいです。

...だいぶ疲れてんな、おれ。

本日の妄想は、生理的な恐怖、がどうやらネックのようです。
書いているのは筆なので、僕ではありません。
それが深層心理にしろなんにしろ、どうしようもないです。
そういうの嫌いな人は読まないで。

他に、もっと健康的(?)な詩や文章も、いっぱい書いてあるから。

追記;
後でよく考えてみたら、太陽は人間の道徳の象徴でもあります。
「お天道様が見てる」ってやつ。彼女が太陽を遮ろうとしたのは、
あるいは自分の道徳にふたをしようとしたためかもしれません。

--

A blink of the sun

ジグザグの通り。48番街。
そこは嘗て、『ブラック』とまで言われた通りで、その場所を知らない人間がうかつに近づけば
たちまち追いはぎに遭い、一文無しにされ、挙げ句の果てには命まで奪われるそんな通りだった。そう聞けば多くの人は、ニューヨークあたりの、ハーレムを想像するかもしれない。
しかし、ここは日本だ。
正真正銘、日本の真ん中の、日本人だけが住む下町の通りなのだ。
いつからそんな暗い影のつきまとう場所になったのか。
それを正確に知るものも今では少ない。
以前から住む者は、一人、また一人と減ってしまって、今では路地の一番奥のバラックのような小屋に住む『権じい』以外にこの町の古い習わしを知るものはいなくなってしまった。
「ねえ、権じい」
美由紀は尋ねた。彼なら、聡の行方を知っている。そう言った者がいたからだ。
権じいはもはや目もろくに見えなくなったかなり高齢の老人で、果たして意識すら、まともに働いているかを危ぶまれるほど日頃はぼんやりしていた。
「私の息子を捜しているの、このぐらいの、小さな」
美由紀は右の手で、果たして見えているかも怪しい権じいの前に、その子の身長を示した。
「小さな男の子なの」
権じいは、その説明を聞いてもうんともすんとも言わなかった。ただ笑って
「そうかい」
と言っただけだった。
「そうかい、って...」
やっぱり、こんなおじいさんじゃダメなんだろうか。
美由紀は思った。
こんな町の人の意見をすんなり聞き入れた私が馬鹿だった。こんな嘘つきだらけの危険な街で、
私はたぶらかされているんだろうか。
権じいは以前として、何かを言う出す素振りはない。
美由紀の顔すら、ちゃんと認識しているか、怪しかった。
「ねえ、おじいさん」
美由紀はそれでも、子のもうろくした老人に尋ねた。他に心当たりなど無いのだ。
「本当に知らないの?」

聡は、美由紀のたった一人の息子だった。
その父親が誰だったのか、彼女は正確には分からなかった。
当時、彼女には、後の夫となる男がいたが、その男が正確に父親である可能性は、半分だった。
もう半分は...。
美由紀はその顔を、なぜだかよく思い出せない。
来客があり、玄関を開けたとたん、彼女はそこに押し倒され、
気がついたときには、全てが終わっていた。
彼女はあまりのことに驚き、放心していた。
若い男だったようでもあり、中年ぐらいだったようでもある。
彼女の耳の奥には、絶頂を迎えた男の、馬の嘶きを思わせるような動物的な奇声だけが
かすかに残っていた程度だった。

彼女は、目が回るようだった。
目の前が真っ白になり、真っ暗になった。
そして、気がつくと、お昼過ぎだったはずの時間は、夕方になっていた。


正気を取り戻し、まず思い浮かんだのは、彼の顔だった。
彼の、いつも優しい笑顔が、目に浮かんだ。
せっかくつかみかけた、彼との幸せなのに、
ここで、離すわけにはいかない。
夢だったと思おうとした。
しかし、彼女の内部には、うずくような痛みがまだ残っていた。
それは残酷に、彼女の身に降りかかった悪魔のような男の存在を主張しているようでもあった。
彼女は、しかし、認めるわけにはいかなかった。
結局それを秘密として押し通した。

まもなく彼女は、一人の子を身ごもった。
「あなたの子よ」
彼女は言った。
彼はたいそう喜んだ。笑うと細くなる目を、更にいっそう細めて。
彼の喜ぶ顔は、彼女も好きだった。
だから、これでいいんだ、と彼女は思った。この子は、私たちの間の子。

たしかに、実際に、そうかもしれなかった。
しかし、そうでないかもしれなかった。
いくら、不用意であったとはいえ、たった一度のことで。
彼女はそう考えようと努力していた。
決定的な検査をしない限り、その不安をいつまでもぬぐい去れないことは、
暗黙のうちに承知していながら、彼女にはその勇気が持てずにいた。

いずれにしろ、この子は育てなくてはいけないのだ。
彼女は思った。
誰の子であろうと、生を受けた以上、今更捨て置くわけにも行かない。
彼女は、自らの子を不義の子として恨むにはあまりに人が良すぎた。
そして、完全に恨むほどの根拠がないことも、事実だった。
たとえ、真実がどうであったとしても、恨むべきは、
あの悪魔のような出来事であって、この子ではない。そう思うようにしていた。

実際彼はこの子の誕生を、本当に心待ちにしていた。
ただでさえ、後ろめたい思いを抱えながら、更に彼の期待を裏切るようなことはだけはしたくなかった。

その子は順調に発育し、そして一人の男の子として生を受けた。
彼によりその子は聡と名付けられた。
彼は聡をたいそうかわいがった。実際、目の形がどことなく、彼に似ていた。
彼女はほっとした。間違いない。こんなに似てるんだもの。

彼はすぐに、2人目を作ろう、と言いだした。
確かに、それは当初から予定されていたことだった。
兄弟がいなくちゃ、かわいそうじゃない。
それは結婚前、彼女が言い出したことだった。
彼女は快諾した。

しかし、なかなか二人目の子は授からなかった。
2年がたち、3年がたっても、その兆しはなかった。
彼は訝しんだ。
まず美由紀の方が先に疑われ、病院に行ったが、特に異常はないと言われた。
続いて彼が受けた検査で、驚くべき事実が判明した。

彼は、無精子症だったのである。

「これは、ちょっと遺伝子を調べてみないと分かりませんが」
青白い顔をした痩せた医者は言った。
「ひょっとすると、先天性の物かもしれませんね。」

「先生、まさかそんなはずはありません」
彼は言った。
「現に僕らは、すでに子供を一人もうけているわけですし。」
「ああ、そうなのですか」
医者は言った。
「ならば、先天的と言うことはないかもしれませんが...。いずれにしろ、珍しい症例ですから、研究のために、遺伝子を調べさせていただいてよろしいですか?」
「必要のない検査はしなくても...。」
付き添っていた彼女が彼に言った。
しかし、彼は首を横に振らなかった。彼は医師に向かって言った。
「お願いします」
そして彼女の方を振り向くと、
「今のままじゃ、結局、聡の兄弟を作ってやることはできないだろう?検査して原因がはっきりすれば、治療もできるかもしれないじゃないか」
そう言って、あの彼女の好きな笑顔を見せてくれたのだった。

「ねえ、権じい」
権じいは依然として、返事をしない。
ただ、急に春めいてきた陽気の中で、彼の首はうつらうつらし始めた。
なんて、のんきなおじいさんなんだろう。
彼女は思った。
どうして、こんな危険な街で、
彼のような無防備なおじいさんが襲われてしまうことがないのだろう。
災厄は、人を選ぶのだろうか。私のような人間には、躊躇無く襲いかかってくるような物が、
一部の人間には全く降りかからずに、済んでしまうものなのか。
それは全く、この危険な街の、一種ミステリーと言っていいように思われた。

「どうだい、分かったかい」
帰り際、彼女に、権じいのことを教えてくれた男が、再び話しかけてきた。
どうやら心配してくれていたらしい。
「全然」
彼女は力なく答えた。

「そうか...。あのじいさんなら知ってるかと持ったんだが...。悪いな、無駄足踏ませたみたいで」
男はまるで自分のことのようにしょげかえっていた。
「いいのよ。そんな、気にしないで。あなたの所為ではないんだから」
彼女はそう言って、彼を慰めた。
そうか、
そう言って彼は顔を上げた。
その表情は、よく見ると、以前もどこかで会ったような気がした。

そのとき彼は、傾きかけた午後の太陽を背にしていた。
その顔は太陽を背景にして、一つのシルエットになっていた。
そのシルエットを、彼女は、彼のおなかの下から見た様に錯覚した。

その固いおなかの皮にこすられた気がした。
そこに生えた毛の一本一本の感覚を彼女は、再び撫でられたかのように思い出した。
何かの音が聞こえた気がした。
あの日の痛みが繰り返し繰り返し思い出された。
内蔵をかき回された。
あの日の彼と彼女の動物的な臭いが蘇った気がした。
なすすべのない恐怖がせり上がってきた。
落涙、嗚咽、嗚咽、呼吸...、彼女はおなかの下から、それを見上げていた。唾液が落ちてきた。一人の、男の....、目前の戸口はあまりに遠かった。悲鳴を上げたが、声にはならなかった。
太陽は眩しかった。太陽に見られている気がした。太陽は見ていた。疑いもなく見ていた。

見ないで欲しい、見ないで欲しい....、

彼女は手を伸ばした。太陽を遮ろうとした。
しかし、その手は虚しく空を掴んだに過ぎなかった。

彼女が掲げた手の先で、太陽はその崩れゆく女を
瞬きもせず見つめていた。


不意に、彼女は背筋にぞっと寒気が走るのを感じた。
今自分がいる場所を一瞬忘れた。
目の前の男から、自分の体を抱えたまま
自然に後ずさりしている自分に気づいた。

理由は分からなかった。
ただ、純粋に、恐怖だけが湧いてきて、
そして反射的に彼女の体は戦慄し、顔色はたちまち青ざめた。
男は、美由紀の様子が急におかしくなり、今にも倒れそうになったのを見て、ふとその腕に手を掛けた。
彼女は、咄嗟に、その腕を払った。
「さわらないで」
彼女は言った。
「...さわらないで...。」

彼は、一度出した腕をどうしたらよい物か困っている様子だったが、やがてそれを引っ込めた。
その目は明らかに彼女を心配していたが、彼女の耳はその向こうに、
かすかに、馬の嘶きを聞いた気がした。

神はエッペンドルフチューブの中に

科学の神様がいるとすれば
それは女の神様だと思う

だって

これだけ入れ込んでも、
見向きもしてくれないのだから。

結局、何から何まで
片思いばかりの
自分。

狡猾な僕ら

君の見ている赤と
僕の見ている赤が、同じ赤だとは、どうして言えるだろう。

僕の赤を頭の中から取り出してきて、
君の頭の中と比べないことには、何とも言えない。

ただ、僕らはそれなりに狡猾だから、
生活の上で矛盾が生じない程度に
お互いの赤をすりあわせて生きていることだけは、事実だ。

でも、
僕の見ているあの人と、君の言うその人が
どうやら同じ人のようだと言うことは
君がいくら狡猾に、嘘をついたところで、
なんだか分かってしまうのだ。

君は好きなんだろう、あの人を
僕は、赤い色は、嫌いじゃない

同道

生まれたときは無色透明だったはずの
世界のあらゆる事物に

生きていくことでいろいろな色が付き、
曰くが付き、まどろっこしい言い訳が付き
意味が付き、理由が付き、トラウマや、アレルギーや
その他のくしゃみのような物の原因にされて

コンビニでメロンパン一個買うだけでも、
それにまつわる幾人かの人の顔を思い出し
思わずにやけて見たりする

メロンパンに封じ込められた、思い出の対象者は
さぞ、迷惑だろうにとは、思いながらも

僕は甘すぎるメロンパンをかじりながら、なおもその中に
ほのかに苦い味を探そうとしている

もっといろいろな臭いのするコーヒーは
すでにすっかり冷えてしまって

もっともっとくどい味のするウィスキーのボトルの中には
忘れたい思い出たちが、その褐色の瓶の向こうから、
こっちを見て笑っている

それを飲む度に僕は、こんな人たちを、こんな大好きな物に
封じ込めてしまったことを、心から後悔し
それによって、また一つ味わいが増えてしまったことに、また後悔するのだ

“スシ”を“スス”と発音する地域に生まれて

【今日やったこと】
蛋白精製。
久しぶり。

研究は後戻り?
それともある意味進んでる?

まあ、後ろ向きに進まないことには、
後戻りにも、ならないんだけど。


◇◇◇


昨日飲み会で、今日寝坊して、
偶然付けたテレビでやっていた、
『スシ王子』の再放送の、
あまりのばかばかしさに、
思わず見てしまった自分の、
ばかばかしさ。

踊る阿呆に、見る阿呆。
同じ阿呆なら....、

不機嫌な朝

なんだか知らないけれど、

とても不機嫌な目覚め。

空は曇り。

風はない。

カラスが鳴いている。
カモメも叫んでいる。

頭はぼんやりしている。
いつものようにコーヒーの香りだけで、朝を感じるほど
生やさしい物ではない。

“朝”はどこにあるのだろう。
昔、どこかで見た、あの、すがすがしい
一日の始まりを実感する、朝という時間は
自分の前から失われて久しい。

あるのは、
おはようございますと相手に言って
変な顔で見られないうちが朝という
漠然とした境界だけ。

トーストはない。
目玉焼きもない。

電子レンジのぶつくさ言う音と
凍ったご飯のざわめきと
フリーズドライの味噌汁の香りが
僕に、失われた朝を
廃墟に放り出されたような孤独と不安の中に
しずしずと再現するのだ。

音楽の始まり

ジャズが詩なんだったら、

交響曲は物語で、

ロックは叫びで、

ポップス一般はロマンスで

演歌は人情物で

ラップはそのままつぶやきで、

なんかそう言うお話に
ちんちろちんちろ、音を付けたのが、
そして音だけ取り出してみたのが、
そもそも音楽なんじゃないかって
最近、思ってる。

理由

最近『妄想』と称して超短編ばっかり書くわけ。

これらの文章は全部、設定も落ちも考えずに、
浮かんでくる言葉をとにかく繋いで作った
即興なのですが、自分は、その方が、なんかいい文章を書けた気がしているし、
書いた後にすっきりします。

制作期間は長くて1時間半。簡単な編集含め。

おそらく、小説の本来の目的って、こういうものなのかもって気もしています。
ど素人が偉そうに言うことでもないけど。

アドリブで演奏しきる、ジャズ・ピアニストみたいに、
即興的に、文章書けたらいいな、と言うのが、この『妄想』シリーズです。

気分転換としては最適。
でも、相当集中して書いているので、
書いている最中は、自意識はほとんど無くなっています。

おそらく、この世の者とは思えない表情で書いているのでしょう。
人間の一番の幸運は、意識しなければ、自分の姿が見えないことだと思っています。

翌日

へー。

おれにも、こんな文章書けるんだ。

根本的な発想は、何も変わってない気がするけど。


人物の表現は意外にまあまあなんだけど、
状況がよく分からない。
結局何しに来たの?こいつら?
どういう関係?

最後、どうしてべらんめえなの?

まあ、いいか。酔ってたし。

午前三時の妄想-3

【今日やったこと】
そりゃあ、大腸菌の培養さ。

ほかに、なにがあるってんだい?
◇◇◇


酒飲んで、泥酔して、書いた文章。
たぶん明日、覚えてない。
でも、僕の真実。一つの、ロックさ。
下品。
嫌いな人、読まないで。

--
Dagger, in the Jack's pocket
(You are ass hole, my honey.改題)


「なんで?」
彼女が言った
「何で、そう言うことになるの?」

東京、神田付近のファミレス。
僕らの行きつけの、店の一つ。
そこで彼女は大きな声を上げている。
僕らの空気が凍る。
「美佐子、ごめんよ」
孝史が言う。
「健二が、どうしても、無理だって言うから」
孝史は、結局“いい奴”なのだ。そう言って、いつも僕の所為にして、話を終わらせようとする。

「え?、また健二なの」
美佐子は言う、その目は僕を明らかにさげすんでいる。
「いい加減にしてよね、私をいくら待たせたら気が済むの」
彼女は、その切れ長の目で僕に迫る。
それは見方によっては狐のように鋭く、
一方で猫のように妖艶だった。
「ごめん」
僕は謝った。彼女の前では、下手な口をきくだけ無駄だ。
自分のプライドなど捨てて、一匹の虫けらになったつもりで、侍るほかない。
それが、いかに僕にとって屈辱だとしても、それが僕らの礼儀であり、最大の愛情表現だ。
「意地のない男」
彼女が鼻で笑った。
僕は卑屈に笑った。
心の中では、くそったれ、と思いつつも。

女の虚勢など。
僕はあくまで心の中でだけ、強がりを言っていた。
いざとなれば、たいした問題とならない。
僕は思っていた。
男を知らない女ほど、自分がサディスティックかマゾヒスティックか気にするものだ。
しかし結局、女は、その体の構成上、徹底的なサディスティックな存在にはなれっこ無いのだ。
僕は心の中で蔑んでいた。世の強がりな、女という存在全てを。

それは男を知らないが故、意気がれる、ガラスのような虚勢だった。
それだけに、僕らには、それは儚く、哀れですらあり、そして美しかった。

「ふん。斉藤」
彼女は僕の名を名字で呼んだ。まるで、僕を足下でも及ばない存在にまで見下したと言わんばかりに。
「あんた、私にそんなことを言う権限があるの?」
僕は心の中で、爆笑した。
へ、何言っていやがる、この世間知らずの童女め、
男のなんたるかも、知らないくせに、SMの女王気取りだ。
「ごめんなさい、美佐子さん」
僕は言った。あくまで申し訳ない表情を取り繕ったまま。
「僕はその日予定があるんです」
僕は言った。
「あたしより優先する予定ってなに?」
美佐子は言った。
極めて整った顔。そして絶対的な容姿。
彼女はそれが全てだった。形こそ、彼女だった。
その表情は、自信に溢れていた。
あばた顔の僕など、虫けら程度にも思っていない様子だった。
「ごめんなさい、その日は、光との約束があるので」
僕は言った。
「光?ふん。」
美佐子は鼻で笑った。
「あの田舎くさい女に、あなたは私を優先するというの?」
美佐子は再び笑った。
「ばかばかしい」

全くです。
孝史が言う。
ばかだな、おまえ。
他の下僕どもが笑う。
しかしどいつも、卑屈な顔をしている。

「ばかばかしい、と言いますが、」
僕は言ってやった。その哀れなガラスの人形に。
「あんたみたいな、男を知らない娘と一緒にいちゃいちゃしているよりはましなもんでね」

一瞬世界が凍った。
孝史は、笑顔のまま、マイナス197度の世界にでも放り込まれたように、固まっていた。
彼にとっては美佐子が全てなのだ。彼女が全ての美意識の基本であり、彼女の基準に合わない者は全て、愚であった。
それは言わば、美佐子以外の女を知らないことの裏返しだった。
「ふ..、何を言うの?」
美佐子は言った、明らかにその目は泳いでいた。
彼女の瞳は、自分に蔑む男の顔は覚えていても、それに刃向かう男の顔は知らなかった。
その目は僕を正しくとらえてはいなかった。
ただ、彼女の体に群がる、無数の夜の虫の一匹位にしか、僕をとらえていなかったはずだ。
まさか、こんなあばた面の虫けらの一匹が、高貴な彼女に反乱を起こすとは夢にも思わなかったに違いない。
僕は他の何かしらとともに、彼女を貪った男一人ではあったが、その体を餌食としていながら、その目は常に蔑みに満ちていたとは、愚かにも、彼女は気づく余地もなかったらしい。

「ばか、ね」
美佐子は言った。僕をとらえきれないままに。
「光だなんて。」彼女は言った。ガラスは、いつの時代も美しい。その表面に傷の付くまでの、はかない時間の内においてだが。
「あんな、不細工、私は初めて見たわ」
全くその通りだ。僕は思った。
あいつは、美佐子に比べたら、不細工意外の何物でもない。
でかい口、鼻の穴。泥臭い口調。がっちりした顎。
どこをとっても、可憐な芸術品のような、美佐子の足元にも及ばなかった。
しかし、僕は彼女こそ、僕が最優先すべき女性だと思いつつあった。
「へっ」
僕は鼻で笑った。
「おまえは確かに、男もへつらう美女かもしんねえけどよ。」
僕は言った。
「きれいなだけの女はいくらでもいらあ。それに」
僕は皮肉に笑った。
「エロ本の中のきれいな女ってのは、一回見れば飽きちまうもんさ。おめえは、そん位の価値しか、ねえんだ」

彼女は、目に見えて紅潮した。
孝史は青ざめた。
僕はざまあミヤガレ虫けらめ、と思った。
「田舎臭え、女と言ったな、雌牛」
僕は言った。
「あいつのでけえ顎は、おめえみてえに好き嫌いしねえ。何でも食うし、何でも話す。変なプライドにかまけて不自由な思いしているおめえとは、格が違うんだよ」
美佐子は、依然紅潮したままだった。
彼女にとってはこのような事態は想定外のものであったらしい。
孝史は依然おろおろしている。彼は、美佐子の価値観に従う意外の何物をも、発達させてはいなかった、哀れな男だった。
「こんな、美人の5Pの相手になる位なら、」
僕は言ってやった。
「俺はあの不細工のために、一生を捧げてやる。」
僕の脳裏には、光の、あの不細工なでかい笑い顔が浮かんだ。
それは、確かに、女と言うのも憚られるほどの存在だった。
しかし、彼女こそは、自分を、一人の男として認めてくれた存在だった。
こんな、どの人間からも相手にされない、虫けらのような自分を、
気に入り、愛していますとまで言ってくれた、存在だった。
「ばかよ」
美佐子は言った。
「あんな、糞みたいな女」
そうですとも。
孝史は言った。
額には無数の脂汗が浮かんでいる。
それは、美しい女をもらってこそ全てという、既成概念に囚われた、哀れな男の姿に見えた。
「糞だと?」
僕は言った。
「糞でも、カスみてえなてめえと、いい勝負だ。おれを、認めてくれるのなら、糞とでも喜んでセックスしてやるよ。」
美佐子は言葉を失っていた。
孝史は依然青い顔をしていた。
彼の頭の中は、美佐子との関係をいかにして修復するか、その一点で凝り固まっているように見えた。
彼の思考はその範疇を超えて、美佐子を捨て去るという規定外の領域には達成できないほど、美佐子に心酔していた。
「孝史。」
僕は言った。
「哀れだな。おめえは虫だ。そんな整った顔していながら。」
僕はなおも言った。
「よく見てみな、この女を。50過ぎたら、どこを見て過ごすつもりだ?」
僕はそう言って、そのラブホテルのロビーを出た。
僕の頭の中には、不細工な光の笑顔がくどいほど浮かび上がっていた。
僕はネオンサインのきらめく街で一人苦笑せざるを得なかった。
しかし、世界で唯一、こんな、後先見えない自分をそうと知りながら、好きだと言ってくれた、その醜い愚かな笑顔を、
むざむざと見捨てるわけにはいかない気がして、僕は帰路を急ぐのだった。

○▲□ (まるさんかくしかく) - 13

星がなかったからかな、東京には。

2年前の秋、テツヤはそう言ってカタクリの下を去った。

「二年前、私は浪人生だった。」
カタクリは老夫婦宅での、質素な昼食の後、僕らに語った。
おばあさんが、流しで食器を洗う音がかちゃかちゃと響いた。

縁側に生える竹藪が室内に、涼しげな影を生み出している。
影は風に伴って揺れ、さらさらと鳴った。

おじいさんは、聞こえないのか、縁側の方を見ながら、一人たばこを吸っている。

「テツヤもそうだったの。私たちは二人とも、T大学の理学部を目指していた。私が化学で、テツヤは天文学を学ぶのが夢だった。」
「T大学!?」
カタクリが思わず声を上げた。僕も驚いた。
言わずとしれた関東の名門だ。そして、我が国における、最難関大の一つ。

「あくまで、目指してた、だけだけどね。」
カタクリははにかむように笑った。

「私たちは、目指す進路も似ていたし、抱える悩みも同じだったから、たちまち、仲良くなった。そして、それは気づいたときには、恋に変わっていた。」
カタクリはそこで、不意に、口をつぐんだ。
言葉が、思い出が、後から後から、口をついてきて、何から話せばよいのか、迷っている様子だった。

そうして、しばらく黙り込んだ後、
「で...、その年の秋に、」
ようやく言葉の糸口を見いだしたように、カタクリは継いだ。
「彼は、突然、姿を消したの。」

その別れ際つぶやいたのが、あの言葉だったという。

東京には、星がない。

「そんな、しようもないことって、私思ったわ。」
カタクリは笑った。その瞳は涙で濡れている。

「でも、彼は理由のないことは、しない人だった。何か理由があるって思った。」

カタクリはそれから、テツヤのいなくなった時間の中で、一人、その言葉の意味を考え続けた。
そして、彼が去ったわけを少しでも、理解しようと思った。

なぜだろう、何が、悪かったのだろう。
それを明らかにしない内は、前に進めない気がした。

「孤独だった。ただでさえ、支えが必要なときに、支えてくれるはずの人は、支えることを忘れて、かえって謎を残して、いなくなってしまったんだから」

むろん、試験勉強が、はかどるはずはなかった。
目の前の課題にすら集中できず、問題に取り組もうとしているようで、気がつくと、いつしか手元に残された、テツヤの掛けたなぞなぞをひたすらに解こうと、考えている自分に気づいた。

「その年の試験は」
カタクリは言った。はあ、と大きなため息をついて。
「落ちたわ。前年より、むしろ成績が落ちてたくらい。」
そう言って、また、力なく笑った。

涙が、ぼろぼろとこぼれた。
すかさず、シイタケがハンカチを差し出す。
おばあさんが、手ぬぐいを持ってくる。
僕は先を越されて、何かをしたくても、なすすべのないまま、その涙を見送った。

「ありがとう。」
カタクリは言った。
「ごめんね、」
とも言った。

涙を出し切ったとき、カタクリの瞳はまだ濡れてはいたが、すでに強い光に変わっていた。

「結局、その次の年も落ちちゃって」
カタクリは再び語り始めた。
「地元の大学に行くことにしたの。両親の薦めもあったし。でも...、」

「でも?」
シイタケは聞いた。気がつくと、おばあさんもいかにも心配そうな顔で、カタクリの顔をのぞき込んでいる。
おじいさんは、向こうを向いて、手に持ったたばこを吸い、煙を大きく吐き出した。
煙はおじいさんの前で燻り、けだるげに縁側の光の中に落ちて、静かに消えた。

「不思議な事ってある者ね。あるいは、縁というものかしら。合格発表の時にたくさんサークルの勧誘があったでしょう?あそこで、添田さんも勧誘してたの」
「ああ、」
シイタケが、うんざりした顔をした。
「知ってるの?」
僕は尋ねた。
「知ってるも何も」
シイタケは、その名を言うのもつまらないといった顔で、
「あの、カピパラよ」

「カピ...、添田さんは、」
カタクリは、少し居住まいを正して、
「添田さんは、そのとき熱心に私を誘ってくれて、いろいろと説明してくれたんだけど、その中に、この星見村のミステリーサークル造りの話もあったの。」
僕らにあれほど冷淡に接していながら、カタクリには積極的な勧誘をしたというカピパラを想像し、僕はあきれた。
あれで意外に、かわいい子には目がないのか。
あれに、その資格はあるのか?

「...あたしには、無言でチラシ渡しただけだったわ。」
シイタケは言った。
「...意外とシャイなのね。」

「星見村って名前は、」
カタクリは続けた。
「実は聞いたことがあったんだ。テツヤから。ちょうど、私の前からいなくなるちょっと前にも、数日間出かけていたの。私は、模試があるから出なかったけど、彼はそれを休んでまで。毎年この時期には、星を見に出かけるって言ってた」
星見村は名前の通り、非常によく星が見える事で有名なのだそうだ。この場所は高さもあり、街から遠いため、年中星がよく見えた。

「添田さんは去年も行ったって言ってたから、私、ちょっと迷ったけど聞いてみたの、こういう風貌の、男の人はいませんでしたかって。そしたら、居たって。」
カピパラは、黒ヤギとともに、この老人宅に泊まり、同じ釜の飯を食い、そして、一緒にサークル造りに汗を流したという。

ちょっと見た目暗かったけど、
話してみると、普通だった。

前歯を忘れた顔で、そう言っていたそうだ。

「私それから、相当動揺して。」
カタクリはそのときを思い出したかのように、自分の胸に両の手を当てた。
「もう二度と、会わないと思っていて、忘れようともしていた矢先に、こんな事になっちゃったもんだから。でも、気づいたら」
そう言うと、シイタケの方を向いて微笑んで、
「アカネちゃんに、私も混ぜてって、言ってた。」

「まだ、好きだって事?」
シイタケは尋ねた。
「もう、よく分からない。」
カタクリは言った。かすかに笑っていた。
「好きになって、放り出されて、悩まされて、苦労もして、それで忘れようとして、結局思い出して、またこんなことになって」
カタクリは何かを振り払うように頭を左右に振った。
まっすぐな髪が水のようにさらさらと揺れた。
「振り回されてるって考えても、腹が立つし、結局振り回されてる気がするし。それでも、いずれにしろ、」
カタクリは、そこで大きく息をつき、
「これで終わりにしたいの。」
と言った。

それは、悩むのを終わりにしたいという事だと、僕は思った。
その終わり方が、黒ヤギとの決別を意味するのか、それとも、関係の修復を意味するのか。
そのどちらなのかを、僕は更に本人に聞くことはできなかった。
おそらく本人も、どうなるのか、自分がどうしたいのかをそのとき、その場面になってみるまで、分からないと思っているのだろう。

「恋って、面倒なものよね。」
シイタケが、開き直ったように言った。
「好きだって単純に思っている内はいいんだけど、時間がたつごとに、」
短い足を畳に投げ出して、天井を見上げ、誰とは無しに、語りかけた。
「ちょっと恨んでみたり、誤解してみたり、疑ったり、それらが全部思い過ごしだったり、あるいは全部真実だったり。そうして、いろいろ、妙な色がごちゃごちゃと混じってきて、」
そこで、ふう、と息をついて、
「結局なにがなんだか分からなくなるんだけど、やっぱり遠くから見てみると、一つの恋なのよ。まるで...」

「使い古しの、男のパンツみたい」

...。せっかくいいところまで、言ったのを、なんだかすくわれた気がする。

僕の中には、ベランダにつるされた、おしりの部分の薄くなって、模様がくすみ、色が変わり始めた僕のパンツが、西向きの風に頼りなく揺れる様が浮かんだ。
恋とはつまり、あれなのか。

「ふふっ。そうかもね。」
カタクリは意外に納得している。

「でも、いつまでも、そのままじゃいけないわ。なんだか、みっともないもの」
カタクリは笑った。
シイタケも、併せて笑った。
僕はその姿を見ていた。なんだか、うれしかった。

おばあさん、おじいさんも、いつしか、微笑んでいることに、僕はその時ようやく気づいた。

2008-04-02

午前三時の妄想-2

Spring shower


開け放たれた扉が、主の不在を物語っていた。
女が帰宅したとき、そこに男の姿はなかった。

「マサト」女は呼びかけた。
「どこへ、言ったの?」

しかし、部屋の中から返事がない。
わずかに、男の酸えた臭いが、漂ってくるだけだ。

たった、15分程度の外出だった。
15分前、彼女がここを出るときには、彼はまだ、ここにいた。

それが、今やもぬけの空だ。
彼女は上がり込み、部屋の内部を調べた。
特に変わった様子はない。
彼が直前まで書いていた、なにがしかの書類は、机の上にまだ散乱しているが、
その散らかり具合も、いつもの彼の癖を反映したものに過ぎなかった。

「どこへ行ったの?」
女は再び問いかけた。
虚空に問うても、返事はない。
ただ、問いかけるよりいっそうの不安が、彼女を冷たく包むだけだった。

彼女はバスルームを開けた。
そこには、彼女が先ほど出かける前、体を洗った残り香がかすか漂っているだけだった。
バスルームの床はまだ塗れていた。

彼女は彼の靴箱を開けた。
彼の、いつも外出の時に履くスニーカーは、依然としてそこにあった。
しかし、彼がよそ行きの時に決まって履いていた、お気に入りの革靴はなくなっていた。

彼女は咄嗟に、手提げ鞄から、携帯電話を出した。
慣れた仕草で、彼の番号にかけてみる。

しばらく呼び出し音がした後、彼女は異変に気づいた。
どこかで、電話がバイブしている。
彼女は驚いて振り向き、部屋の奥に戻ると、彼のベットの上で携帯電話が震えていた。
その小さな液晶画面には、彼女の名前が表示されている。

彼女は彼との最後のつながりさえ、途切れてしまった気がした。
彼がどこに行ったのか、全く見当も付かなかった。
ほんの、ほんの数十分前まで、ここにいて、
「行ってらっしゃい」
などと、のんきな顔で言っていた彼が、突然、姿を消したのだ。
彼女に心当たりはなかった。

彼女はしばらく呆然として、なすべき事を考えた。
そしてふと、彼の携帯電話を手に取り、その着信履歴を覗いた。
その一番上には、先ほどかけた、彼女の名前があった。
そして、そのすぐ下には、名前の表示されない、電話番号だけの表示があった。
着信は、彼女が家を出て、すぐのようだった。

彼女は、自分の携帯電話を取り出し、その番号と合致する番号がないかどうか調べた。
しかし、そんな番号の知り合いは彼女にはいなかった。

だれなんだろう。
彼女の不安は募った。

この番号の人が、彼が急にこの家から出て行った理由を知っているのだろうか。
彼女は訝しんだ。
この番号は、誰だろう。

知らない人との電話で、彼がいきなり家を飛びな出すなんて事があるだろうか。
彼女には、彼が意図的に、この番号を登録しなかったのではないかと思われた。
しかも、彼は、いつもの履き慣れたスニーカーではなく、よそ行き用の靴まで履いている。
相手は、彼が何らかの理由で、気を遣う人間であることは、明らかだった。
また、彼女には、彼がおそらく電話で呼び出されていながら、肝心の電話を置いていった点が気になった。
よほどあわてていたのだろうか。

彼女はおそるおそる、その数字の羅列で表記された何者かにカーソルを合わせた。
そして、リダイヤルの操作を取った。

トゥルルルル...、

呼び出し音が、規則的に彼に向けて発信された。
しかし、いつまでたっても、その向こうに誰かの声が聞こえてくることはなかった。

トゥルルルル....、

彼女にはこの呼び出し音が、先の見えない濃霧の中で発信される、霧笛のようにも聞こえた。
それは周りにそれを受け取る対象がいない可能性を理解しながら、放たずにはいられない、不安の信号だった。

ガチャ

突如、規則性は破られた。

あ...、
「あのっ..!」

あなたのおかけになったでんわはげんざいつうわすることができません。
おるすばんせ....。

彼女はスピーカーから耳を話した。
通話は切った。

彼女は、ますます不安にさいなまれた。
そもそも、彼には、仕事が午後いっぱいかかりそうとは言ってあった。
しかし、彼女は駅のそばまで着いた時点で、空模様が怪しくなってきたのに気づき、
傘を取るために、家に引き返しただけだったのだ。
実際、彼女が家に着くまでに、ぽつぽつと雨が降り出し、今、外を見れば、窓硝子は泣き濡れた赤子のように、無数のしずくに濡れている。

彼は...、

彼女は思った。

彼は、傘を持って行っただろうか。

彼女はこんな時に、そんな些細なことを考えていた自分に気づいて、
皮肉な笑みを浮かべた。

そして、彼女はそこで、ふと気がついたのだ。
彼がもう、ここへは帰ってこないことに。

思えば、その兆候は前からあった。
彼女は近頃、彼がケイタイで誰かに電話しているところをよく見かけるようになった。
ただし、それが仕事の関係で、不特定多数と話しているのか、それとも特定の対象であるのかまでは分からなかった。
今、彼女は彼の通話記録を、過去へ、過去へとさかのぼっている。
先ほどの、彼女の直前にかかってきていた番号は、
頻繁に、時には、彼女の番号より多くリストに現れた。

そういえば、彼が最近ケイタイで話しているとき、
ずいぶん優しい声をしてたっけ。
彼女は微笑んだ。
あんな声を聞いたのは、つきあって、半年位までだったな。

彼女の脳裏には、そうしたいくつもの、具体的事実が後から後からわき上がってきた。
それ一つ一つは様々な解釈が可能なもので、都合よくとらえれば、別けなく握りつぶしてしまえるものだった。
しかし、一つのある決定的な疑惑に気づいた今となっては、それらの具体的事実は、彼女に、一つの結論を突きつけていた。

疑わないことが、優しさだと、思っていたのに。

彼女は思った。
嫉妬心から、彼の携帯をのぞき見するとか、
いちいち通話の相手を訪ねるとか、
そう言うことは、したくなかった。
彼も大人なんだし、いろいろなつきあいはあるだろうが、
その中でも彼女との関係は特別なものと認識して呉れさえいれば、
それでもかまわないと思っていた。

でも。

彼女は笑みを浮かべた、
涙はまるで瞳そのものがこぼれ落ちたかのように、止めどなくあふれた。

特別なものと認識したがっていたのは、私だけだった。
それは、勝手な思い違いだった。

ごめんなさい。

彼女は謝っている自分が、不思議でならなかった。

しかし、何度も口をついて出たのは、この、ごめんなさいという言葉だけだった。

どんな怒りも、憎しみの言葉も、胸の奥ではわだかまっていても、
体の表面で、涙にふれたとたん、それは謝りの言葉に変わった。

ごめんなさい.....。ごめんなさい...。

彼女は、誰もいなくなった部屋の真ん中で、先ほどまで彼の座っていた方向を向きながら、対象もないまま謝り続けていた。

彼の臭いは、開け放たれた玄関からの暖かく湿った風に紛れて、いつの間にか跡形もなく消えてしまっていた。
その風の中に、かすかな春の土の臭を彼女は感じた。

彼女の華奢な手の中では、彼の携帯が、彼が最後に受け取り、会話したであろう着信の電話番号を、かたくなに画面に表示し続けている。

2008-04-01

○▲□ (まるさんかくしかく) - 12




星見村に着いた僕らが、まず真っ先に向かったのは、地元の農業青年団の団長、安西さんのところだ。この方は毎年カピパラ元部長がお世話になっている方で、今回のミステリーサークル造りの総指揮をとっていらっしゃる方なのだそうだ。

村役場の向かい側に農業青年団の事務所があり、そこに僕らはそこの会議室に通された。事務所と言っても建物はプレハブの簡素な物で、会議室も、事務室の真ん中に簡単なソファとテーブルを置いた程度に過ぎない簡素な物だった。

会議室に通されると、ややしばらくして、中年のおじさんが現れた。

「やあやあ、よく来たね」

なかなか恰幅のいいおじさんで、誰だか知らないが相当に偉い人のようだ。
泥の付いたゴム長靴に上下の作業着。首にはマフラーのようにタオル。
“JAほしみ”と書かれた、野球帽をかぶっている。

「大学生かい」
「はい。一年生です」
そう言うと、おじさんは大げさに驚いて見せて

「一年生かい、しっかりしてるねえ。この間まで、高校生だったていうのに」
うちの子にも見習ってもらいたいよ、とおじさんは冗談めかしていって、
はっはっはあ、と豪快に笑った。大きな太鼓腹が波打つように揺れた。

背中に袋を背負わせたら、布袋さんかサンタクロースみたいになりそうな人だ。

この人は、誰なんだろう。
いきなり目の前に現れた福の神のような風体のおじさんに、僕らはあっけにとられた。

そんな僕ら三人の唖然とした様子に気づいたのか、
おじさんは、はははと申し訳なさそうに笑って

「私が、青年団の団長の安西です」
と言った。

青年団の団長って、おじさん、だったんだ...。

あたりを見渡すと、すでに、他の青年団の構成員とおぼしき方々が勢揃いしている。
ほとんどの方が、どう見ても中年だ。

「青年団って、言ってもね」
安西さんは言った。
比較的若い農家の集団ってだけで、本当に青年である必要はないんだよ。街から来る人、よく勘違いするんだけどね。」

比較的若い、と言っても、ほとんどが中年なのだから、おのずと、
この村の人口の構成が読めてしまう。
恐ろしく、過疎の集落のようだ。

「この村には元々、若い人は乏しいから。青年団も年々、高齢化していてね。君らのような若い活力が必要なんだよ」
安西さんは、手を後ろに組んで寂しそうに言った。

「今、農家はなり手が不足していて....、全く、土から離れたら、人間は生きていけないというのに、みんな街に行きたがる」
おじさんは、後ろを向いて言った。おしりも、おなかも、同じような人だと、僕は思った。

安西さんはしばらく感傷に浸っていたが、やがて身軽にくるりと振り向いた。
僕は昔、テレビでこういう体型のダンサーが軽快に踊る様を見たことがあったのをふいに思い出した。こういう丸形の人ほど動きがよい。普段から、自分の体を支えるために、足腰の筋肉が発達しているためだろうか。

「まあ、それはさておき、君たちと一緒に作業してもらう団員を紹介しましょう。オ胃!佐武朗刃稲画ガ!」
おじさんはそれまでとは打って変わり、突然意味不明な奇声を上げた。

すると、集まった団員の後ろの方から、出てきた者がある。

「あっ」
「あっ」

シイタケとカタクリが、ほとんど同時に声を上げた。後ろから出てきたのは、先ほど、子鹿を埋める穴掘りを手伝ってくれたあの好男子だ。

「うちで、一番若い方に入る、及川 佐武朗 (オイカワ サブロウ) 君だ。この辺は及川って名字が多いから、佐武朗って呼んでやって下さい」

佐武朗は一歩前に出てぺこりと頭を下げると、
「昨季波動モ、及川佐武朗デ巣。よろ氏具尾根解します。」
と、またしても意味不明な言を述べた。

「佐武朗面宇地っと表寿ンゴ者部レ音駕?」
安西さんが佐武朗になにやら言った。
佐武朗はすまなさそうに、頭をかいている。

「いや、この佐武朗は、学校に行ってもさっぱり勉強しなかったもんだから」
安西さんはあきれた様子で言った。
「標準語があまり上手ではなくて、このあたりの方言丸出しなのです。ちょっと聞き取り難い時もあるでしょうが、勘弁してあげて下さい」
佐武朗はそう言われて、また頭をかいた。他の団員達は、はははと笑った。
見た目より、ずいぶん若いのかもしれない。

「じゃあ、まず荷物を置いてきた方がいいでしょうから、今日明日泊まる家に、先にご案内しましょう。あとで、また来て下さい。ここから、もう少し、奥に入った沢のそばです。佐武朗に案内させますから、ついて行って下さい」


佐武朗の軽トラックの後について、僕らは一件の古民家に案内された。
「背ん所為ー!手で器多度ー!」
佐武朗がよく通る声でそう叫ぶと、ややあって、中から一人の老人が出てきた。

「やあ、よくきたねえ」
と、老人は応じた。相当な高齢らしく、背中もだいぶ曲がっているが、なんだか生来の品の良さを感じさせるおじいさんだ。

「あら、あら、」
後から、おばあさんも出てきた。こちらの方も、相当に品がいい。これほどの田舎に暮らしているのに、ちっとも泥臭さを感じない。

「こんにちは」
「こんにちは」
シイタケとカタクリが口々に言った。
「こんにちは」
やや言いそびれて、僕が言った。

「私が、斉藤留藏 (サイトウ トメゾウ) で、こちらが妻のトメです。」
老人は矍鑠として言った。

「弧ノヒト破斉藤旋性ダ」
佐武朗が言った。
「まあ、先生なんですか?」
カタクリが言った。
「あはは、先生と言っても」
老人は軽快に笑った。
「私は引退してもう、何年にもなります。最後に赴任したこの地区が気に入って、妻と住むことにしたんですわ。」
トメさんは夫のその話をにこにこしながら聞いている。
「この佐武朗も、私の教え子の一人です。」
留藏さんは言った。
佐武朗は、苦み走った渋い顔で、また照れたように頭をかいた。

「ところで...」
老人は佐武朗の方を振り向いた。
「今日泊まるのは、じゃあ全部で4人かな。」
老人がそう尋ねると、佐武朗はそうだ、と言うようにうなずいた。
「四人?誰か、他に来ているんですか?」
シイタケが老人に尋ねた。
「はいはい、先刻、お先に参られた方が。」

トメさんがそう言ったとたん、家の中から、一人の男が出てきた。

暗がりから表に出てきたその男は、すらりとした細身で、背は僕よりやや高いだろうか。黒い髪をぼさぼさに伸ばしていたが、不潔さは感じられなかった。ただ、全体的に、暗い印象を受けた。

「おでかけ、ですかな?」
留藏さんが、そう気さくにに声を掛けると、男は、ええ、とようやく聞き取れる声で手短に言って、近くに止めてあった車に乗ろうとした。

その際、ふと、こちらを見て、何か気になったのか、しばらく観察するようにしていたが、やがて、小さく左手を腕を上げて会釈すると、何も言わず、車に乗り込み、走り去ってしまった。

「あの子は、常連でねえ。」
トメさんが言った。
「去年も、一昨年も、そのもっと前から、手伝いに来ていただいているんですよ。この村が好きだそうで、いつも一週間ほど滞在していかれます。」

「なんて名前の方ですか?」
シイタケがおばあさんに尋ねた。

「テツヤ」
小さな声で、カタクリが言った。僕らは驚いて、振り向く。

「クロヤギ テツヤ...」
カタクリは、うつむいたまま拳を握りしめ、小刻みにふるわせていた。

新聞で

そう言えば、先日、
朝日新聞の日曜版で、
団鬼六の特集をしていました。

朝日新聞にしてはがんばって、
できるだけ、エロティックな文体にしようと記者さんが奮起していたようでした。
実際一瞬、これ新聞に載せていいのか?と自分はどきっとしましたが、
よく見たら、鬼六氏の愛犬の描写で、ほっとしました。

読んで、驚いたのですが、
団鬼六が最後の恋人と呼んだ女の人とは、
最後まで、純愛だったそうです。
(年も、年だし)
その方とは40歳以上の年の差で、
しかも、その美しい女性は、ある日、突然この世を去ったとか。
鬼六氏は、彼女との恋愛を題材とした、ノンフィクションも書いているそうです。

デカダンの魔王の、意外な純愛。
その女の人は、“さくら”と呼ばれていたとか。
散り際までも、切なく美しい、恋でした。

午前三時の妄想

ううう...。
こんな時間に、下手に文章を書き始めると、
こういう事になる。

エイプリルの馬鹿.....。
マイルス...ごめんよ....?

ちょっと、大人の文章を書きたかっただけなのに...。

O沢、すまん...。
ちょっと不謹慎だ...。

だめだ...。
全体的に、不足だ...。

そもそも、経験が...、


この時間の、妄想力は、恐ろしい...。

せっかく書いたから、自分の記録のために載せるけど...、
こういうの嫌いな人と...、今幸せな人と...、
妊婦さんのいるご家庭の方は...、是非読まないで...。

--

Kind of blue


札幌午前三時。

僕らが会うのはいつも、その時間だ。
街はすでに寝静まっている。往来する車ももう無い。
しかし、僕らだけは、この死に絶えた街の中で、
二個体の生命として息づき、その過去に失われた交流を果たそうと、
夜の闇に咽いでいる。

君の声が聞こえる。
暗闇の中で、その出所は分からないが、僕はそれを探り当てようとしている。
君の、そんな声は初めて聞いた。あの頃から君は、長い時間の経過を経て、
僕の知らない、女性になっていた。


僕らはかつて一人だった。
僕らはどこへ行くのも一緒だった。
駅前の通り、小さなアーケード。
僕らだけの古いレコードショップ。
喫茶店。お気に入りの雑貨屋。
空の色、花の色、君の唇。
僕のものだった。どれも、これも全て。
君も、それを受け入れていた。全てが、僕のものになり、
同時に、君のものであるという生活を。
僕らはお互いの体すら、共有しつつあった。
それなのに。


また、声がする。
大きく、より深く。君はなにを求めているのか。
この部屋の闇を、臭いを君は嫌っているのか?
しかし、すでに世界は光を失って久しく、
君の努力は虚しく、ただ、声となって、砕け散る。
朝はまだ遠い。

声は、理性の首輪から解き放たれ、すでに自由を手にしていた。
それはもはや、喉を震わせる音に過ぎなくなっていたが。

今君は、一本の楽器でしかない。がらんどうになった胴体を支えて、
君は夜に泣いている。吹き込まれた空気は体の内部を通り、
喉の奥で反響する。君は一本の管。

中空の君に、もとのような充足をもたらすために僕は
君にひたすら風を送り込もうとしている。
君はそれに連れて、やせた喉を震わせている。

しかしそれは、天使の笛の音と言うよりは、地獄の叫びに聞こえる。
天を目指して昇っていくが、果てが見えてしまっている。

やがて、その喉は、絶えきれないほどの圧を掛けられた日には、
はじけて飛んでしまうのだろうか。

しかしその夜、僕には、君は、
そうなることを望んでいるように思えた。


もうダメなのよ、私たち。
久しぶりに出会ったとき、君はいった。
末期、ね。

その言葉を吐き出すとき、その指輪を失った左手は下腹部を軽く押さえていた。
君は以前は吸わなかった、たばこを吸っていた。
化粧もずいぶん、濃くなった。

君は、あの人と出会ってから、変わった。
聴かなかった音楽を好むようになり、
見なかった映画を見るようになり、
知らない言葉を使い、
知らない歌を歌った。
僕らの間では飲んだことのない、
強い琥珀酒も好んで飲んだ。

僕はそれを認めなかった。
君の心が、僕から離れた証拠だと、認めるわけにはいかなかった。
君の、多くの友人関係の中で、君が成長しているだけなのだと思うことで
僕はかろうじて、自分を保っていた。
それなのに。

彼は、君と全てを、新たに共有しつつあった。
君は、彼によって、新たに作り替えられていた。
僕の知っている君は、塗りつぶされようとしていた。
僕は耳を塞いだ。

沈黙の時間の中、再び君は現れた。
そのときも同じように、左手はそうして、優しく下腹部を、支えていた。

結婚することにしたの
君は言った。
あなたにも、祝ってもらいたくて。

私たち、"仲良し"だったでしょ?


より大きく、より深く。圧は高まっていく。
君はこの世界を、僕らを覆う、得体の知れない闇を、
その細身の体で懸命に吸い込もうとしている。
僕は君に風を送り続けている。
君のその闇を、少しでも早く、晴らしてあげるために。
闇はいっそう深くなる。僕らは闇に埋まりそうになる。
その闇から伸びてくる冷たい手を振り払うほどに
僕らは、僕らを見失っていく。

流れたの。
あの赤ちゃん。
君は昼間言っていた。

それから何度か、兆しはあったけど。
君はそこに手を添えていた。
ダメだった。

彼、子供が好きなのよ。
いっぱい作ろうねって。
君はかつて、言っていた。
僕の知っている君が、まだかすかに残っていた頃。

彼、それから浮気し始めたみたい。
数ヶ月もしないうちに、その女に会わされた。
左手に、私に呉れたのと同じ、指輪を付けてた。
そして、その左手は、静かに、おなかを支えてた。
私は...、

午前三時五十九分。
世界が止まる。
鳥が鳴き始める。
世界は目覚め始める。
日の光は、次第に、僕らを追いかけ始めた。

しかし、僕らの闇は晴れない。
太陽が昇っても、僕らは闇をふりほどくことができなかった。
闇の名残を、一身にまとったまま、僕らはまだ、一つの個体であり続けた。

やがて、一瞬の真空が僕らを包み、僕らはつかの間、
春の夢を見た。そして、その甘い花の香りもさめやらぬうちに、
僕らはすでに、また二人の人間に戻っていることに気づいた。
僕らの間にはすでに、届かないほどの暗い裂け目が開き始めていた。

君の中に残した風はまだ君の息を上げていたが、
やがてはそれも消え始める。
そうなれば、僕らは、また、かつての呪いでつながりをたたれた、
二個の生命に戻ってしまうのだ。

僕は、そのことが恐ろしくなり、
現に呼吸を続ける抜け殻のようになった君に体を押しつけた。
体はまだほのかに上気しており、
僕はその中に、君を見いだそうとしたが、
どこまで掘り返しても、君は見つからなかった。

抜け殻の君は、体の上でさまよう僕をしばらくそうして、
なすがままにさせていた。

と、やがて、僕の首筋に、そのすっかり痩せて細くなってしまった、左手を当てた。
そして、ゆっくりと、喉をさすると、心配しないで、とでも言うように
静かに、微笑んだのだ。

朝の光は、開け放たれた窓の隙間から狭い部屋を照らしている。
君の顔は、依然影になっているが、僕に差し出された小さな左手は、
その黎明の青い光を浴びて、失われた彫像の片腕のように、
しなやかな曲線を描いていた。


---
ううう....。
だめだ...。

団鬼六先生...。
私はこれまでです...。

やっぱり、俺は、純愛しか...。
しかも、かなわぬ片思いしか...。

書け...、ね...ぇ......。

真夜中の警句

片思いの終わりには

裏切られる権利すらない