2008-06-20

書く

最近、とある小規模な文学賞に応募したら、
月刊特別賞という、一番でも、二番でもないような、宙ぶらりんなほめ方をされてしまった。
(『妄想』の方にある、「Kid」を原稿用紙30枚程度まで長くした、完成版。)

その後、その会社に送ったのが同様に『捨て子の話』。
それも褒めてはもらったけど、その会社の会員になれと進められ、
なんか売り込み的な匂いを感じた臆病な田舎ものは、すったもんだの挙げ句それを
断らせてもらった。
(朝日新聞の時ですら、随分疑ってかかったくらいだもの。)


だって少なくとも、会費は取られるんでしょう。
親に内緒で、そこまでは出来ない。

どうせ趣味の世界なんだから、のんきにちまちま書くさ。

後で読み返して、こんな事も書いてたなって思えたら、それはそれで面白そうだし。

断るのに疲れて、実験がおろそかになりそう。
本末転倒。

そのうち、何か子供向けの話でも載せます。
7ヶ月だそうだし。

日曜日に書いたんだけど、手書きだったから、パソコンにまだうつしてない。
その前に実験しよう。

培養細胞が呼んでいる。

2008-06-17

最近

【今日やったこと】
まだウェスタン。寝ても覚めても。

◇◇◇

やあ、久しぶり。まだ、生きてるよ。

最近また自分の中でむちゃくちゃに本が読みたくなって、
本屋で目に付くところをあちらこちら読みあさっている。

でも、なぜか余り長いのは読む気がしなくて、
買ったのはほとんど短編集。しかも外国の。

なかでも、ヘミングウェイの短編集は相当かっこいい。
訳す人のセンスが良いのかも知れないが、
「清潔で、とても明るいところ」とか、
「ある渡航」とかは、はまってしまった。

ヘミングウェイの文体はとてもクリアで簡潔。会話で物語が成り立つタイプが多い。
そして、会話の使い方が上手で、意味深。
沈黙の書き方を心得ている人。カフェとかお酒が似合う。

マッチョでタフ、という評もあるけれど、それはあくまで物語の題材が大魚釣りとか、密航とかが多いためで、文章自体は余りゴテゴテしていなくて、とてもすっきりしている。

村上春樹に近い物を感じる。どちらも、短編が得意で、固有名詞をよく使い、そしてお酒がよく出てくる。ヘミングウェイであれば、銃や釣り竿はブランドまで載せることがあるし、村上春樹はウィスキーの銘柄をよく乗せる。でも、ヘミングウェイの方が、物語にフィクション性が少なくて、人間を生身に描いている感じがあって、自分はむしろこちらの方が好きだ。


たくさん本が溜まっているので、順次消化する必要がある。
同時進行で読んでいた、広重 徹さんの「科学の社会史」も興味深かったが、長かった。
飛ばしとばし読んでいって、繰り返し繰り返しの結論をなぞって読んだ気になった。

家で読んでいても眠くなるので、マックに通ってすこしずつ読んだ。
おかげでフライドポテトの塩と油が表紙に...。

内容は、要するに、科学の制度化と言うものがあり、科学は個人の営みから学校、文科省、科研費、軍事、産業などと結びつくような社会的な営みになった。
そしてその制度化は産業革命が一つの経緯で始まり、世界大戦を通じて、各国で国主導で科学が振興される仕組みが発展した。

これからは政府でなく市民が科学の方向性を決める権利を有するべきだ。という結論で締めくくられている。

左よりの著者が書いた本なので、結論の市民は、実際には『人民』になっていて、しかも文化大革命をどちらかというと肯定的に書いている点は気になるが、別の視点から科学を見ることは出来た気がする。そう言う意味では勉強になった。

随分昔(30年近く前だったか)に若くして亡くなっている人なのに、その結論の部分は現代の考えられ方と共通する部分もある。もっと科学者が外に出て市民に語りかけるべきだ、と言う風潮はどんどん強くなっている。

少なくとも、科学者だけが、科学の行方を決めるべきではない、と言う主張は現代と共通。

もう、ニュートンやデカルトや、メンデルの時代のような個人的興味から始まる科学の時代は終わっていたのかも知れない。じゃあ自分たちは何をモチベーションに科学していけばいいのだろう。それも市民と相談して決めることなのか。

市民からもらった税金で仕事しているのだから、それは当然のことなのかも知れない。
でも科学者の何割が、それで納得できるのだろう。
市民のために科学を志した科学者は、世間に何人いるのだろう。

自分の考えをみんな(公衆)に知ってもらいたいという科学者はいても、
みんなの考えを僕に伝えて欲しいという科学者は、どれほどいるのだろう。

それは古い科学なのだろうか。少なくとも19世紀の。

もし科学が変わりつつあるなら、科学者のモチベーションの根幹も変える必要があるかも知れない。学問的興味という理由が通じなくなりつつある中で、科学者は科学する理由を失ってしまう。