2011-03-30

恩師に関して。新聞記事より

将来は理科の先生に 宮城・南三陸町、恩師失い誓う生徒
2011年03月20日 01:42
 大津波で壊滅的な被害を受けた宮城県南三陸町。津波は須藤望さん(15)が通う町立戸倉中学校にも押し寄せ、理科の教師猪又聡先生(43)をのみ込んだ。「どんなにいい先生か、いなくなって分かった。もっと話がしたかった」

 卒業式の前日だった。「卒業アルバムに何か書いて」と手渡すと、猪又先生は「LOVE&PEACE」と記した。その直後、大地震が襲った。

 先生は率先してグラウンドに避難してきた住民の車を誘導していた。だが、津波は高台に建つ中学校まで到達。濁流が避難してきた人や車を流し去るのを目の当たりにした。先生は後日遺体で見つかった。

 授業は難しく、何を話しているのか理解できない時もあり「正直あまり好きではなかった」。

 ところが先生の死後、別の教師から「猪又先生はおまえのことずっと気に掛けてたぞ」と伝えられた。避難所で布団に顔をうずめて泣いた。

 思い起こせば、進路の相談はもちろん、何でも親身になって聞いてくれる「アツい先生」だった。「もう少し素直になってもいいんじゃない?」と言われたことがある。「どういう意味か聞く前に亡くなった」

 隣の登米市の避難所で生活している。合格した高校とは連絡がつかず、これからのことをじっくり考える余裕もない。それでも新しい夢ができた。「猪又先生のような理科の教師になりたい」

北日本新聞

「自宅避難民」に関するつぶやきのまとめ

先ほど@Kotomchocoと「自宅避難民」の問題について電話で話した。避難所にいないために、情報、物資の点で不足する傾向が強い。特に食糧不足は深刻。 「家があるからいい」のだろうか。家しか無いから、やはり不幸なのではないのだろうか?
2011-03-29 18:55:51

都市型の阪神と異なり、東北の震災における被災者は地区が壊滅しても土地を離れない傾向が強い。街の中心部の避難所暮らしですら馴染めず、不自由な地元で生活を続ける人は多い。 阪神のような拠点集約型の援助は通用しない可能性が高い。 分散型の援助が必要だ。 
2011-03-29 22:00:12

迷惑をかけると遠慮する高齢者、小さな子供を抱えた母親、わが子のように大切にしているペットと離れられない夫婦、家が「残ってしまった」人々…。彼らの多くは避難所に入らず、不自由な自宅暮らしを続けている。医薬、食糧すら不十分な彼らに対する援助は遅れている。
2011-03-29 21:00:04

放射能が残る土地ですら離れず非難しない人々がいる。東北とはそのような場所だ。我慢をしすぎ、自分を犠牲にしてでも、自分たちの土地にしがみついてしまう。この気質を無視して援助はできない。「避難所に来ないから援助を受けられなくて当然」、では、被災者は救えない。 
2011-03-29 21:30:03

避難所にいる人々だけが被災者ではない。様々な理由で自宅や遠戚の家に身を寄せる「自宅避難民」が数多くいる。情報、食料が未だ不足している彼らをなんとか支援する方法はないか? 
2011-03-29 19:02:17

http://togetter.com/li/117625

2011-03-28

避難所以外の避難民に注視を

災害発生から3週間目に入り、徐々に避難場所での秩序が整いつつある。班分け、係わけ、ボランティアの受入、物資配給など、避難に伴う様々な仕事は体系化され、被災者自身、もしくは有志たちによって賄われている。一方で、それから漏れた自宅避難民の取り扱いが問題となっている。深刻な場合、配給から漏れ、事実上の孤立に至っているケースもある。自宅があるからいいという問題ではない。彼らの多くは自宅があるというだけで、やはり多くを失っているのだ。ある試算によれば、その数は避難所の被災者の二倍に上るという。避難所の生活に馴染めず、車中泊する被災者も多い。彼らとの連絡手段をどうするか、それが早急に解決しなくてはいけない課題だ。失った物の数は考慮されるべきだが、それによって被災者がランク付けされることはあってはならない。失ったもののが大きすぎたのだ。その大小に、もはや差など無いに等しい。

編集後記

2011-03-27

最も被災地のことを知らないのは被災地だ

3/26 デイリー南三陸編集後記
実は、今、最も被災地の情報が入りにくいのは被災地だと言われている。現地の被災地に情報を届ける方法として、当紙のアドレスを現地のケータイにメールで送る方法もある。災害地向けFMラジオの開設も進んでいるが、音声情報には聞き漏らしの可能性が常につきまとう。多忙な被災地で、ラジオをいつも聞いているわけにもいかない。現在、被災地の多くで通信が復旧し、ケータイが使える。この方法に限らず、ケータイやスマートフォンを利用したニュースの受信は非常に有効な手法になるだろう。

2011-03-26

ろぐ

YYOI 12:47am via www.movatwi.jp

非常時は結局、平時の延長なのだ。平時に決めて無かったことを急に決め ても混乱するだけなのだから。


YYOI 12:10am via HootSuite

リーダー不在だ、と言っている人が、リーダーになればいいのに。


YYOI 12:15am via HootSuite

来日した外国人外国人医師に何もさせなかったとの批判があるがイレッサの問題を見て、それを最初に合法化した国の医療を何も考えずに受け入れられるだろうか?平時の規制は政治家が主導して変えろというが、この時期に政治家が好き勝手したら、混乱が助長しないだろうか?

2011-03-23

被災者支援とくにメンタルケアについて

被災者のメンタルケアについて専門機関にアドバイスを頂きました。

twitterなどネット上にも、震災による精神的なダメージを受けた方による書き込みは散見されます。そうした場合、以下のような対応が考えられるそうです。

(下記に示すのは一般的な場合であり、必ずしも全ての方に当てはまるものではありません。難しい問題なので無理はせず。出来る限りで)


1.身体的な問題がある(眠れない、下痢をするなどが続く)。
→専門の医療機関に相談
・各都道府県の県庁所在地に精神保健福祉センター、 区市町村には保健センター(旧保健所)。

そこまで行く手 段が無いようなら、

・「宮城県精神保健福祉センター震災関連心のケア電話対 応:6時から9時 0229-23-3703・9時から17時 0229-23-0302・17時から2時 0229-23-3703」

・「心の相談緊急電話0120-111-916 (フリーダ イヤル):日本精神衛生学会他主催」


2.いつもよりイライラ、くよくよしている。何かしなければ、という意識が強い。
→震災に対する当然の反応。前向きになることを促したりせず、まずは体を休める。
たまには震災のニュースをあえて見ず、チャンネルを変えたり、スイッチを切ったりすることも必要
散歩や音楽もいい。

(まあ、あんまり考えすぎんことじゃ。いずれにしろ、震災がでかすぎるんだから)


3.孤立感が強い
→話を聞いてあげよう。twitter などでもある程度は出来る。顔を合わせて、が本当はよい。
「一人でない」「繋がっている」感覚を与えてあげることが大切。

(「ふーん、そうか。」だけの返事でも、うれしいもんだよね)



4.「死にたい」などの言動がある。

→上記の専門機関への相談がおすすめ。


なにより、支援する側も、あんまり疲れないように注意。
長丁場なんだから、ゆるゆる参りましょう。



この記述は、日本臨床心理学会の専門家アドバイスに基づき、ブログ管理者が作成しました。
専門家による要約ではないことに注意してください。

真摯なご返答を頂いた同学会と役員の先生に心から感謝申し上げます。

「助かった」から「足りない」へ

人々は復興に向けて動き出しつつある。震災直後は、「助かってよかった」「命だけでも」という言葉が多かったが、10日以上が経つに至って、その声は「足りない」に変わりつつある。燃料、電気、水道、ガス、食料、スペース、プライベート……。足りないものは数々ある。だが、それは生きるための欲求が沸き上がってきたことの証明でもある。足りないものをもっと挙げ、不平不満を表にするたび、人々は、町は再び復興へと近づく。

pepar.li 3/23 編集後記より

2011-03-21

悲報に接して

猪又聡先生

先生のご悲報に接し、未だに紡ぐ言葉が見つからないでいます。この度の震災の報を聞き、親しい人、大切な人に少なからず犠牲が出ることは、覚悟していたつもりでありましたが、実際それが、猪又先生であったとは誰が予想したことでしょうか。

私たちの世代は、猪又先生が戸倉中学へ赴任してきた当時、中学2年生でした。以来、先生と、私たちの学年との交流は、現在まで、正確には、あの憎むべき震災のあった瞬間まで続いていました。先生にとってはある意味では一過的な、一世代の教え子に過ぎなかった私たちと、先生は、学校での付き合いより、ずっと、ずっと長い期間、交流を続けてこられました。それは私たちの世代だけにはとどまりません。先生の在任中の全ての中学生達、父兄、地域の方々が今同じ気持なのではないかと思います。何故あの人だったのか。その疑問はしかし、いつまでも解決されることはないまま、私たち一人ひとりの中に永遠に残され続けるのでしょう。

仕事の関係で赴任してきただけであるはずの南三陸戸倉に、先生がどうしてここまでこだわり続けられたのか、卒業と共に多くがふるさとを出た私たちには、正直わかりませんでした。戸倉には、必要なものが何も無いような気がして、必要なものをよそに求め、私たち教え子の多くはそれぞれの都会へ、巣立って行きました。

しかし、先生の悲報に触れ、故郷の悲しみを知るにいたって、私たちはようやく気が付きました。必要なものが、故郷になかったのではなく、そもそも、何も必要なかったのだと。故郷というものがあれば、それで良かったのだと、みな気付かされたのです。私たちは再び、その悲しみを共有しようとしています。自由が許されるなら、その場に駆けつけていきたい気持ちは、皆同じです。それが許されないことはもどかしく、辛いことです。誰よりも私たちの故郷を愛した先生は、そのようなことはとうに知っていらっしゃったのかもしれません。我が身でそれを教えようとしてらっしゃったのかもしれません。しかし尋ねるには遅すぎました。私たちの故郷は流され、そして先生も失ってしまいました。今はもう、悲しい気持ちだけが、胸をいっぱいに覆い尽くしています。

先生が守ろうとした故郷を、今度は私たちが再興させねばなりません。それは遠く、あまりにも重い課題です。しかし、到達不能な目標ではありません。夜空に光るいくつもの星の光は、数百万年も前にその星から放たれた光の粒子が、今私たちの頭上に降り注いでいるのだと、先生は教えてくれました。故郷を発った私たちの都会の空に見える光は小さく弱いものですが、もう元の故郷の空を忘れることはないでしょう。少しずつでも、その復興に力を注ぎ、また元のような、先生の愛した町を蘇らせようと一人ひとりが胸のうちに定めています。

どうかその時まで、
我々を見守っていてください。

平成10年卒業生 一同
代筆 須藤洋一

2011-03-20

紹介した曲

【今日紹介した曲】

気分転換その1 "Don't Look Back In Anger" (OASIS) http://ow.ly/4i64C
YYOI 5:30pm via HootSuite

気分転換その2 ”ラブレターのかわりにこの詩を。”(星羅)  http://ow.ly/4i69b
1 Retweets
YYOI 5:08pm via HootSuite

気分転換その3 "Let it be" (The Beatles) http://ow.ly/4i6eJ
YYOI 5:16pm via HootSuite

トリを飾るのは……。 ”スーダラ節” (植木等)  http://ow.ly/4i6f9  高品質PV
YYOI 5:29pm via HootSuite

2011-03-19

悪い噂

twitter上で、現地に入った、互いに無関係と思われる複数の方が、被災地の治安の悪化を報告している。

私は基本的に、こういう時期の悪い噂は、心の不安から来ることが多いので、信ぴょう性が低いと考えるが、こうも話が揃うと、少なくとも地元でそういう不安が蔓延しているか、本当にそうした事態が発生しているかのいずれかであると、信じなくてはいけない。いずれにしろ、いつまでも放置しておけない事態だ。

投稿によると多いのは盗難で、具体的には燃料の盗難があるとのことだ。
いくら田舎の、基本的には穏やかな地方とはいえ、いろんな人間がいる。

それに、この極限状態だ。他の国での大災害の現場を見れば明らかだが、泥棒の一人や二人、出ないほうがおかしい。被災地の人はみんな助けあっていると信じたい気持ちはやまやまだが、それと事実とは別だろう。まずメディアはいつまでもお涙頂戴の取材ではなく、この報告の真贋をしっかりと取材するべきだ。そして、必要十分に報じるべきだ。

いかに困窮する被災地であるとはいえ、これは当然犯罪だ。誰かのものを盗むということは、こうした状況下では他人の生きる権利を奪っているに等しいので、許されるべきものではない。

治安が悪化すれば、これから本格化するボランティアの活動の妨げにもなる。善意で入ったボランティアが被害にでもあったら、目も当てられない。

今回の津波で、役場の機能が麻痺し、警察単独の治安維持には期待できそうもない。

とにかく治安をこれ以上悪化させないことが最優先だ。
自警団を警察や、その応援のもとにしっかりと組織し、これ以上の治安の悪化を何としても防がなくてはいけない。

また、行政は住民にこれからの復興プロセスを、具体的に、早急に示す必要がある。
こうした治安の悪化は結局のところ、未来に希望を持てないことが根本にある。
だから、これから、こういうプロセスでやっていけば、いつごろにみなさんは普通の生活に戻れる。そして、国や町は、そのためにこうした援助をする。そうした工程表と目標日程をとりあえず示すことだ。

未曽有の災害で先行きの見えないことは国も同じだから、今の段階でそれを示すことにはためらいもあるだろうが、たとえ結果的に間違いはあっても国が目標を示さないことには、住民は将来など描きようもない。

幸か不幸か、災害からの復興はこの国にとって全くはじめての経験ではない。
これまでの経験の延長線上に、被災地の将来は描けるはずだ。

日本の国は、町を失った被災者に、ビジョンを示せるだろうか?
それがこの国の、最も苦手とする分野なのは分かっているが、はびこる悪い噂を払拭するために、残念ながら今はそれを問われている。

2011-03-18

嫌な、しかし危険な前兆

自分にできることはせいぜい情報整理しか無いと割りきって、twitter上に流れる情報を逐次選んでRT、ないしマッピングする作業に従事している。

最近、ネット上を見ていると、以下のような嫌なtweetが眼に入る。

“中国人は被災者の所から配給のご飯や毛布を盗んで帰る。陸にうちあがったご遺体から時計や金品をはずし。女川、野蒜、志津川で起きている ”

このニュースは、震災にともなって解放されたあるお笑い芸人のブログのコメント欄に乗せられた情報が元になっている。この手の情報は極めて危険だ。

指摘している人も多いが、この発信者は、まだ電話が十分に復旧する前の時期に、女川、野蒜、志津川という、相当離れた箇所の情報を同時に得ていることになる。TVなどでは、この手の情報を流すことはないので、この発信者がどのようにしてこの三箇所から情報を得たのか、まったくもって不明だ。

かつて、関東大震災の頃、朝鮮人が、井戸に毒を投げ込んだという噂が広がり、それがきっかけで朝鮮人が虐殺、暴行を受けたという悲しい記録がある。

歴史的に判明していることだが、もちろんこれは風評だったのだ。
同じ被災者である者どうしが、パニックの中では殺し合うこともある。日本人は、礼儀正しく、どんな時でも礼節を失わないと海外メディアがほめたたえているというニュースばかりが流れているが、日本にも、このような歴史があることを忘れるべきではない。

今回の報告が、風評であるのか、事実であるのか、私は知らない。
でも、だからこそ、このニュースを不用意に拡散しようとは思わない。

悪い噂を流すときは、十分に注意しなくてはいけない。
それによって、傷つき、危害を受ける人間がいることを、十分に意識しないといけない。


それは、日本人同士にも、十分言えることだ。

悪い噂よりも、安否情報を。通行可能情報を。
悪い噂で人は救えないが、こうした情報は命を救う可能性が高い。

2011-03-17

ホタルの光

先日亡くした中学の恩師に関する、友人のブログを読んだ。
http://ameblo.jp/tomtomradioheadyork/entry-10831103898.html#cbox

こんなこと、言ってたっけ、あのひとというのが正直な感想。
猪俣聡は理科の教師で、私たちが中学二年生くらいの時に、30歳くらいの学年主任として田舎の戸倉中学に赴任してきた。学年主任としては、私たちが最初の生徒だったらしい。

正直、嫌な先生だった。
いや、先生にとっても、私は嫌な学生だったに違いない。
私は理科が好きで、知識をひけらかすのはもっと好きで、何歳も年上の先生相手に、張り合うことを楽しみとしていた。先生とはブラックホールの話もしたし、なんだか今だにわからない量子力学の話もしたし、宇宙論の話もしたし、ホーキングの話もした。

いろいろな子供向けの科学者の漫画伝記を持っていて、それを教室においておいて、自由に読ませてくれた。

そのくせ、授業ではいつも当ててくれなくて、テストでどんなに頑張っても、ほとんど褒めてくれなかった。私は、嫌な生徒だった。先生にとってもそうだったに違いない。アインシュタインが祖父だと言っていた。私はそんな話信じなかった。天パー意外、何も似ていないじゃないかと思った。

よくトランペットを吹いていた。ジャズが好きだと言っていた。金ピカの金管楽器に、ミュートを取り付けて、ただでさえ大きめの顔を、フグみたいにふくらませて、ぷうぷうと吹いてみせた。私は、音楽はあまり聞かないといった。先生は、アインシュタインはバイオリンを弾いていたといった。そんなことは、どうでも良かった。

私は高校に入り、生物学を選んだ。大学も、生物系の大学へ進んだ。先生や、アインシュタインの物理学は選ばなかった。私に、数学の才能がないことを痛感していたこともあったが、先生への反発がないかと言われれば、否定出来ない。私は先生が嫌いだった。あまり、一緒にしてほしくなかった。

大学も後半、教育実習生として、戸倉中学に帰る機会があった。先生はすでに、戸倉中学にはいなかったが、教職員組合の組合員として、近所に残っていた。私が翌日の授業の準備でひいひい言っているところに、のんきに現れて、茶飲み話をして、去っていった。一言の助言すらなかった。自分がとった、学位の論文を嬉しそうに見せたりとか、せいぜい、そのぐらいだったように記憶している。先生の風上にも置けない人だと思った。

大学を卒業し、大学院に入り、そしてそれが後半になっても、先生は戸倉に居座り続けた。
30代で学年主任につくというのは、将来を嘱望されてのことだったのではないかと思ったが、彼はそんな道を捨ててしまっているようにすら、私には思えた。もっとあちこちの、大きな都会の学校を渡り歩けば、自ずと偉く慣れたのに、どうして、あんななんにもない、片田舎の中学校に、こだわり続けたのか、私にはわからない。

今年の正月、同級生が集まった席に、当然のように彼も姿を表した。
毎年そうだった。ドラえもんのジャイアンのように、でっかいお腹と態度で、教え子の飲み会の場で、ふんぞり返っているのだ。たいてい、最初から飲んでいて、最期まで飲んでいた。私と話すときは、いつも研究の話だった。私は、しつこい彼に少々面倒も感じながら、何時までも、そんな話ばかりをしていた。

そんな彼も、津波で死んだということだ。
さんざん、人のうちのウニを食い、魚を食い、挙句の果てに、故郷でもないこの土地で海に飲まれるなんて、何の冗談にもなっていない。その上、私の故郷の人間を、誘導していて波に飲まれたなんて、あの人らしくない。腹がでかくて、足が遅いんなら、逃げるべきだった。自分にも、ふるさとがあって、支えるべき両親がいるのだろうから、その人達を悲しませないように、するべきだった。どうかしていると思う。ちっとも、理性的では、無いと思う。ひどい話だと思う。身勝手だと思う。

私は、あの人より賢くなって、中学校の時のように、またひけらかしてやろうと密かに楽しみにしていた。しかし、おかげでそんな目論見も、なにもかも、流されてしまった。あの人の好きだった、地元の深い海のために。

あの人に、今こそ言ってやろうと思う。
「青は藍より出でて藍より青し」しかし、藍なくば青はない。

チキショウ。

2011-03-15