2008-01-02

正月を探しに

【今日やったこと】

モノクロが、できたかも。

勢いつけてまたウェスタン。

これもうまくいけば...。

うまくいくかなあ。

◇◇◇


正月の街を歩いた。

確かに、日こそ暮れていたが、

札幌の街の中心部だというのに、人影はもうまばらで、
道行く人も少ない。

遠くに見えるマンションの窓という窓は、まだ遅い時間でもないのに、
明かりが消えたまま、生活のにおいすら消えてしまっている。

休んでいるのを見たことのない、電気店も、コンビニも、市庁舎も
どうやら無人となっているのだろう。看板にすら、明かりが見えない。

この街はもはや、街として機能していない。そのことをひしひし感じる。


お正月を探しに、街へ出たのに、目に映る物物に、正月の色はなく、時折、無人のビルの内窓の中に、申し訳程度の小さなしめ縄飾りや、門松を見つける程度だった。

門から入る邪を払う門松は、誰もいないビルの玄関の中で、ひっそりとたたずんでいる。
守るべき人が居るでもないのに。

どこまで行っても、正月がない。

自分の探している正月が。


昨日降った大雪が、昼間に溶け、また凍り始めており、足下はかなり悪かった。

歩くのに早々に疲れ、もう引き返そうと思い、ふと、思った。


自分の探している正月など、この街にあるはずはないのだ。

都市にとって、正月とは人がいなくなることなのだから。

自分の探している正月は逆に、会えなかった人に、会えることなのだ。


街が、仕事をして、お金を稼ぐという、共通の目的を持つ人々の集まりであるなら、

そういった、いわば人間の煩悩は、大晦日の除夜の鐘とともに雲散霧消し、

一時的であれ、街はその存在意義を失って、静まりかえる。

人々は、仕事のために犠牲にしていた家族を思い出し、それぞれの故郷へ帰っていく。

まるで、今までの華やぎが、何か演劇のような一種の“うつつ”だったかのように。


でも、誰もいない街。これが本来の姿なのかもしれない。

仕事のことさえ、問題にならなければ、誰しも、家族をおいて遠く離れた土地まで、やって来はしないだろう。

みんな、働いている。いくつもの心配と、不安を故郷に置いて。


こんな時でもやっている、マックで遅い昼食を食べ、コンビニで、飲み物を買い、こんな時すら、明かりが減ることのない、病院の入院棟の小窓一つ一つに、小さくため息をついて、正月すら家に帰らない、親不孝で、世間ずれした息子は、白い息つき、小部屋にこもった。