2008-04-22

妄想の独立

【今日やったこと】

朝に帰って、
昼に来た。

夜型、発病。

◇◇◇


『午前三時の妄想』
を独立させることにしました。


なんか、雰囲気的に、このサイトとは
相容れないと感じたので。

時々、更新します。

そっちもよろしく。

最適者萌ゆる庭

ダーウィンの言う
進化論の
大原則

『自然選択による最適者生存

それはつまり、
生き残るのは
環境に最も適した者であって
最も優れた者とは限らない、と言うこと。

誰よりも速く泳ぐ魚が、いつも
適しているとは限らない。

誰よりも長い鼻を持つ象が、
長い耳を持つウサギが
長い首を持つキリンが
適しているとは限らない。

長ければ長いなりの弊害があり
必要なだけの長所があれば、それでいいのだ。

同様に
常に正しい人間が
適しているとも限らない。

そう言う人間から見たら、世界は
玉虫色の、何とも付かない人類によって
どこまでも白黒付けず曖昧に
妥協しながら成り立っているように見えるだろうが、

清く正しい人間は、
おそらくご自身、お気づきではあるまいか

とかく、この世は住みにくい、

と。

彼は、この環境に、適しているとは
限らない。

そう言う場合の末路は
新しい環境を求めてさすらい続けるか
あるいは、
世を捨てるか、
いずれかになる
傾向が、強いように
思われる。

好奇

自分は、好奇心に突き動かされるようにして、
これまで生きてきた人間なので

女の人を好きになるときも
大抵、好奇心を突き動かされたときだ。

だから、
どんな人が好きと聞かれて、
『おもしろい人』と答えることが多いのだが
どうやら周りは、
自分が、冗談好きの人を好きなのだと、勘違いしているようなのだ。

そう言う訳ではないのだよ。

おもしろいという言葉には
興味深いというニュアンスだって、立派に、あるじゃないか。

現に、

女の人とすれ違って、
友人が、
きれいな人だったな
と言うとき、
僕は
何で、あの人、靴下が、しましまなんだろう
と言うことばかりを、延々と考えている。

僕の中では、
近所の研究室に、靴下がしましまの人と、
なぜかトイレから出るとき、いつも僕とぶつかりそうになる人と
僕が開けた、冷凍庫が廊下の通行を邪魔するために
いつもその扉の脇を、するりと、すり抜けていく女の人がいることは知っていて、

その他では、時々やってくる、郵便局のお姉さんの鞄に書いてある
ゆうパックという赤い文字だけが
頭の中に染みついている。

考えてみれば誰一人、顔を思い出せず、
しましまとか、ぶつかりそうの時の、わっと言う声とか、
すいませんという、謝りだとか
ゆうパックと言う赤い文字だとか、
そんな事で、その人をかろうじて認識しながら

顔も知らない顔見知りばかりが、増えていく。

もし、違った場所で、それらの人にすれ違っても
そこに、しましまか、冷凍庫か、トイレかゆうパックがなかったら、
僕はその人を認識できないと思う。

唯一、女の人の顔をまじまじ見るときは
その人の顔のものすごく変な場所に
ニキビかほくろか、しわを見つけて、
そこに、化粧で巧妙に隠そうとした跡を見てとって、
それでも見つけてしまった稚拙な喜びに浸っているときだけだったりする。

そう言うのを全く気にせず、隠そうとしない人か、
あるいは隠す物がないくらい、整った顔の人というのは
あんまり、おもしろくない。

僕はおもしろい人が好きです。

私、目だけは、いいのよ
と、自慢する人とか。

不条理サイエンス

【今日やったこと】

大学のネットワークサーバーがダウンして、
一日中、ネットにつなげなかった。

いつの間にか、
インターネットできないパソコンは、
全く用なしになってしまっている現実を痛感。

時代について行けない人間も、
こういう風に思われるとしたら、

怖いものだ。

◇◇◇


今日は、取らなければいけない授業があったので、
初めて、人文棟に行ってきた。

理系の人間にとっては、
縁遠い建物の一つ。

それだけに、
中がどうなっているか気になる。


その建物はずいぶんと新しく、
質素で、合理的だった。

特に、こだわった作りの教室がある訳でもないし、
机も、高校にあるような、普通の教室の机だし、
誰かの肖像画が飾ってあるわけでもなければ、
謎の彫刻に満ちあふれている訳でもなかった。

ただ、授業を受けて、先生が話をする分には
非常に使い勝手の良い、最低限の作りになっていて、
およそ各教室にはちゃんと
OHPから、プロジェクターまで、必要な視聴覚装置一式が
備え付けられているようだった。

受けた授業は心理学だったので
久しぶりに、使っていなかった脳みその回路を刺激された気がして
授業を受けた後、なんだか生まれ変わったみたいな
新鮮な感動すら、覚えた。

その帰り、ちょっとした事務手続きのため、
理学部に立ち寄った。

こちらは打って変わって、
おそらく、建学間もない頃の、古い煉瓦造りの建物で、
階段は木製。
ドアのノブも、昔のドアに良くある、丸い金メッキのキノコ型。

古い階段を、ぎしぎし上り、
扉を、きいと開けて、
必要な書類を提出して、
引き下がった。

案外、先端を追い求める、理学部の方が、
前ばかりを見すぎているためか、
身の回りのことにかけては、無頓着を通り越して、
保守的ですらあるようで、

身軽でシンプルな、
人文学部の人たちの方が、
自分たちの学ぶ場所にかけては、
よっぽど合理的なのではないかと、思った。

彼らは、着古した、ぼろぼろの白衣に
それでも袖を通すような人間の心理など
分かりはしないだろうし、知りたくもないだろう。

第一、知る必要もない。

本当に白衣が必要だから、白衣を着て実験をしている理学者など
今はもう数える位しか、いないはずだから。

後の大多数は、
ほとんど、惰性、かもしれない。

だって実際、着る必要、ないもの。
DNAをいじくるのに、
なんの危険が、あるの?

少なくとも、生協行くのに、
白衣で行く必要はないでしょ。

服が汚れるのが心配なら、
エプロンでも着ければいいのに。

男なら...
前掛けか....。

研究室が、たちまち、調理実習。

それもまた、おもしろいかも。