「どうしたの?何か言いたいことがあったら、遠慮無く言っていいんだよ。僕らしか、メンバー、いないんだし」
我ながら、優しい言葉をかけたものだ。
自分の使ったことのない言葉の回路を使った気がした。
うつむいていたカタクリは、その言葉に、ふとその小さな顔を上げ、
大きな瞳を真っ直ぐに僕に向けると、にわかに微笑んだ。
その瞬間、バラ色の香りの中で、僕の思考は死んだ気がした。
「ええ、あのね、」
カタクリの声が、暑中の水の音のように涼しげに響く。
この、ガマとシイタケとの呪われた空間にあって、
その声は明らかに天に属する物のように聞こえた。
ええ、あのね...
ええ、あのね...
ええ、あのね...
思考を失った僕の頭の中で、その声は甘く反響した。
「わたしは...、行ってみたいんだ、その村に。」
甘い夢を打ち破られ、娑婆に魂を取り戻した僕と、
先ほどの笑顔が凍り付いたままのシイタケは、思わず顔を見合わせた。
なぜ?お互いの顔にそう書いてある。
「ごめんね、話がまとまりかけているときに」
カタクリが、そう申し訳なさそうに言った。
僕は全てを許してもいいと思った。
「なんでまた?」
シイタケが、分からない、と言う顔をして尋ねた。
「それは...、まあ、なんて言うのかな、せっかく人に期待されているわけだし。行ってあげたら喜ぶんじゃないかな、と思って。」
やさしい。僕は感動した。
やさしい。優しさとは、すなわち君のことだ。
「そりゃあ、喜ぶだろうけど...、私たちが行くまでのこともないんじゃない?」
優しさという物を理解できないシイタケは不徳な問いを重ねた。
「まあ、そう言ってしまえばそうだけど、こういう体験て、ひょっとしたら私たちだからできることなんじゃない?そう思うと、せっかくの機会がもったいなく思えるんだよね」
人生とはすなわち一期一会。
一つ一つのその機会は、人生で唯一のかけがえのない物なのかもしれない。
そう言う気持ちで生きねばねえ。
「うーん、なるほどね...。そう言われると、私も惜しい気はしてきた...。」
さすがのシイタケも、カタクリ嬢の徳の高い言葉の前に屈したのか、心変わりを始めた。
聖女に諭された野獣。これは一つの聖画(イコン)だ。
「でも」
野獣は簡単には牙を捨てない。
「あまり得る物はないような気がするよ。それだったら、むしろ花火大会行かない?確か同じ日だったはず」
シイタケの言う花火大会とは、毎年ここから南に少し行った市で行われるもののことだ。これは県外にも有名な全国的な行事で、三大花火の一つにも数えられているという。
一流の花火師達が、この晴れ舞台のために、一年中アイデアを練ると言うから、その華やかさは相当な物だ。
僕は、花火に照らされたカタクリのほほえみを想った。
いつの間にか浴衣と団扇だ。花火大会には実際には蚊がつきもので、その対策のために、蚊取り線香くさくてしょうがない事もあるのだが、そんな些細なこと、僕の妄想の中には全く介入する余地はなかった。
浴衣、花火、ほほえみ...。
浴衣、浴衣、ほほえみ...。
浴衣、浴衣、浴衣...
「ゆか...、花火も、いいかな」
多少うわずった声で、僕も賛同した。
意見に賛同してあげたのに、思いの外、シイタケの目線が冷たい気がした。
「...花火も...、確かに、いいけどね...」
カタクリは困ったように微笑んだ。
「でも誰でも見られる花火より...、私たちにしか、見れない物をみたいな」
意外に、意志は硬いらしい。
「分かった」
ついには、シイタケも折れた。
「そこまで言うなら、行きましょう、みんなで。確かにあなたの言うことも一理あるし。それにしても、ミズハちゃん、意外と強情なのね!」
シイタケはこういう粋な振る舞いが実は好きなのかもしれない。
自説を曲げたにしろ、なんだかうれしそうだった。
僕らは当日の予定を話し合った。
村まではシイタケの車で向かい、お昼前までに着く。カピパラから聞いた話では、着いたらまず担当の人に会い、おそらく打ち合わせがてらお昼と言うことになり、作業は午後からになるだろうと言うことだった。
打ち合わせが終わって帰り際、シイタケが僕を呼び止めた。
「真島君、馬鹿ね」
いきなり何を言い出すのかと想った。
「全部顔に書いてあったわ」
シイタケがふふ、と笑った。僕はとっさに花火のことか、と思った。
「花火のこと、あたしが持ち出したとき」
シイタケはそこでまた、ふふ、と笑った。
「浴衣姿のこと考えてたでしょ、あたしたちの」
片方、余計だ。
「まあ、見せてあげても、良かったんだけど、またそれは、来年にお預けかな。」
残念だったね。シイタケは、小狡そうに笑って、そう付け加えた。
変な位置に、えくぼができた。
もしかするとこいつは、そのために、わざとカタクリの意見に折れたのではないか。
そんな気がしてきた。
「ああ、楽しみにしてるよ...」
僕はそう言い残して、カタクリの着崩れた浴衣姿を努めて思い描きながら、帰路についた。
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