ウナギの解剖
12時間。
背中が、痛い。
こんな天気の良い日に、薄暗い部屋にこもって、
ウナギの解剖をしている。
ウナギのように、だいぶ原始的な生き物でも、
肝臓は、やっぱり肝臓の色と形をしているし、
心臓は心臓だし、
腸は細長い筒だ。
腎臓は、身体が長いだけあって細長く、
一見違った物のようにも見えるが、
よく見れば、やっぱり腎臓だし、
顕微鏡で見れば、まさしく腎臓だ。
脳は身体の割に、よっぽど小さいけれど、
この大きさで、身体の基本を制御できると考えると、
その能力の高さに、感動せざるを得ない。
人間は、これだけの脳が、どうして必要だったのだろうか。
これは正解だったのだろうか。
そう思わずにもいられないが、
それは、科学だけでは、解決できない、
複合的で、ごちゃごちゃで、いろんな主観の入り乱れた
領域に入ってしまう、永遠の課題だ。
その問題を提起し、
また、その問題に頭を悩ませるのも同じ自分の脳だと思うと、
いよいよ、訳が分からない。
僕らは、いくつもの不明の果てに
なんだか物わかりの良いような顔をして
でもさっぱり何も知らず、
知らないことすら知らないから、
知ってる気になっていることさえ気づかずに、
自分の老後はどうだ、将来はどうだなどと、
誰も確かにあるとは言ってもいない、
明日という幻の夢を見て、
それにいろいろな言質や人質を捧げながら、
泣き笑いしている。
脳が発達したのは、ひとえに
この、明日という夢を見るためだったとしたら、
それはあまりに悲しく、
そして....、
いや、やはり、結局は悲しいだけなのかもしれない。
明日を夢見ない生き物たちは、
将来を悲観して、自殺とするということを知らないのだから。
理想のために、今を捧げるという犠牲を、
しないのだから。
今、その瞬間の幸せを、確実に拾い集めることに終始し、
そうして、いずれ行き当たって死んでいく、そんな生活に
憧れる人間は、いたとしても。
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