学振の申請書書き。
ダメとは分かっていても。
冗談半分で、
昨日、
ナルコレプシー?
なんて書いたら、
本当に、親戚に、
ナルコレプシーが出た。
口は、災いの元。
あるいは、何か予感でも、あったのか。
人間の意識の領域は、実はすごく、小さいのではないかと
思えてならない。
スポットライトの当たっていない領域は
舞台のほとんどを占めているのに、
光りが当たっていないから、僕らには見えていないだけかもしれない。
実はその闇の中では、
意識の当たっている部分以上の、
高度な情報処理が行われているのだとしても、
僕らにはそれを、意識化する術は持たないのだ。
いつしか、
自分というものに、
疑問を持たなくなっている大人という生き物。
未だに、
自分が分からないのは、
その問いを重ね続ける
思春期の少年と、
変わらないのに。
疑問を持たないだけ、
それは少年より謙虚さが足りなくて、
浮ついた常識というものの上を
さも地に足付いているかのように
抜き足差し足、歩いている。
本質と、
世渡りを、取り違えては、いないか?
泥を這う、少年のように、
土にまみれることを知らない、高潔な大人たち。
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