免疫抗原もできたので、今度はそれをマウスに注射...、するための準備。
今は動物愛護の制度が進んでいて、マウス一匹飼うのにでも、いちいち審査が必要。
提出する書類の中には、『実験に伴うマウスの苦痛はどのくらいか』という項目もある。
いつか、きっと、“洗剤の中で溶かされる、大腸菌の苦痛”が問題になり、タンパク精製が国際法で全面的に禁止される日が来るだろう。
核兵器や、クラスター爆弾が、いろんな人間を、見事に半殺しにしている一方で。
めざしを買った。
めざしを買ったのは初めてだった。
魚というものは、幼いころは、日常にありふれていて (海の子なもので)、
パックされた魚を買うなど、まず無いことだった。
めざしは、ポリスチレンのトレーに乗せられ、ポリクロロビニリデンのラップをかけられて、
眼を、鋭いとげで貫かれ、同じ方向を向いて、並べられていた (『めざしの苦痛はいかほどか』)。
私は、めざしというやつは、干物の一種だと思っていたのだが、家にもって帰るとまったく生で、多少、申し訳程度に、塩が振られている程度だった。
一体、何のために、めざしにしたのか、わからない。
干物を想定していた私は、適当に味噌汁にでも突っ込めば、さまになると思っていたのだが、
思いのほか生であったため、はたと困った。
さて、これをどう使おうか。
とりあえず、めざしを焼いていて猫に食われた、というありきたりな漫画のパターンを思い出し、フライパンで焼いてみることにした。
ジジッという音がして、魚の焼けるいいにおいがした (換気扇はフル回転)。
思いのほか油が乗っていて、油がこげるたび、いいにおいは強くなった。
あっという間に、焼きめざしの出来上がり。
だが、わたしは、これでやめておけばよいものを、わざわざ、考えてしまったのだ。
「これを味噌汁に突っ込もう」
と。
けして、何の根拠も無い発想ではない。
地元では、お正月のお雑煮のだしは、焼いたハゼで取るのだ
(焼いた後、一応干してはあるようだが)。
めざしだって、立派な魚じゃないか。
ハゼにできることが、イワシにできないはずは無い。
薄弱な根拠と強い信念の下、味噌汁に突っ込まれためざしは、はじめのうちは、味噌汁の中でも、魚の焼けるいいにおいを放っていた。
これは、うまくいくかも、と、この段階では思っていた。
しかし、
焼かれて、しかも、油の乗っためざしは、身がもろく、煮られるにしたがって、しだいに、身が崩れてきた。その上、こげた油が汁に充満し、色がどんどん黒くなり、ちょうど、ラーメン屋で見かける『こげしょうゆ』のような色調を呈してきた。
こげしょうゆなら、まだいいが、これはこげた魚の油だ。
それでも、味がよければと、味を見てみると、魚の、なんともいえない香ばしい香りと、うまみに混じって、すさまじい生臭みと、焦げの味、さらには、微妙な酸味がした。
このままでは、食えない。
私は、冷蔵庫から、ありったけの調味料を取り出し、片っ端から入れてみた (失敗は、このようにして、助長される)。
味のとげを消す、みりん、魚に相性のいい、しょうゆに混じり、なぜか余っていた、いつかのおろししょうが、日本酒まで。
最終的に出来上がったものは、食えない状況からは、幾分改善されたが、明らかに、味噌汁からは遠ざかった味がした。
作った量が多かったため、食べるのに、連休を要した。
白いご飯に、黒い汁。ほのかに香る、こげた魚と、しょうゆの香り。
農家の人も、漁師の人も、料理した人も泣いている、珍奇な一品。
もう、りょうりは、したくない。
普通に、めざし、焼いて、食おう。秘書さんに、お酒も、もらったし。
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