2007-08-08

あるこう、あるこう、

【今日やったこと】
ベクターを増やすため大腸菌を培養。
ところが、ほとんど取れない。キットの底のほうの残りかすみたいなのを
使ったのが、悪かったんかなあ。
お昼過ぎに、秘書さんにハーゲンダッツをいただいた。
同じアイスなのに値段は倍以上。同じバニラなのに、違うものみたい。
つかの間の幸せ。

夏の高校野球が、始まった。
◇◇◇


人の特徴が出やすいものは、いろいろあるが、歩き方、というのもその一つだろう。みんなそれぞれ自分の歩き方があり、その人の性格や、その日の気分によっても大きく変わる。せっかちな人は小股でせかせか歩くことが多いし、逆に大またでのっしのっしと歩かれると、おおらかな人、あるいは、貫禄十分といった印象を受ける。怪我をしていれば怪我をしているなりの、病気なら病気なりの歩き方がある。俳優さんなんかはそこをうまく捉えていて、役の性格に合わせて、歩き方をうまく変えたりしているようだ。また、案外親子で似ていることが多いのも歩き方だ。歩く後姿が親父そっくりといわれて、へこんだ経験があるのは、私だけではないだろう (ひざが力なく、かっくんかっくん折れるように曲がる)。

こんな話題を急に持ち出したのも、今日、すこぶる変わった歩き方の人に出会ったためだ。
生協の食堂でお昼を食べて、帰り道、自分の前を偶然歩いていた女の人の歩き方が眼にとまった。
その人は身長 150 cm 前後で、髪が腰近くまで伸びているが、少々ぼさぼさ。半袖にミドルパンツという、少年のような服装だったので、後ろから見ると絵に描いたような『野生児』だった。そのうえ、歩き方は、“完全な” ガニ股だった。いくら、サンダルを履いていたとはいえ (サンダルを履いていたから余計に)、あそこまでひざが外に向いたガニ股歩きをすることは無いだろうと思った。ペットボトルを右手に下げ、のっしのっしと歩くその姿は、幼いころに見た、“いなかっぺ大将” の主人公を思い出させた。自分は後ろからちょっと見ただけだったので、どのような風貌の方なのかは知らないが、どんな性格の方なのかは、なんとなく、わかったような気がする。少なくとも、繊細で控えめな、清楚な方では、ないであろう。

かく言う私も、世にもまれな “ヒザカックン歩き” の継承者なのだから、人の歩き方をあれこれ言う権利は無いが、変な歩き方だから余計に、他人の歩き方は気になってしまうのである。
(最近、靴の底が、外側だけやたらに磨り減っていることに気づいた。私はヒザカックンのみならず、重度のガニ股のようだ。)

“歩く”、という言葉は “人生を生きる” ということの比喩にも使われる。同じ道であっても、人それぞれ、いろいろな歩き方がある。ガニ股や内股やヒザカックンが、一つの廊下を、めいめいの歩き方で歩いている。多少の速い遅いはあるかもしれないが、自分の形で歩けるというのは、たぶん幸せなことだ。軍隊のように無機質に、形をそろえて歩くのは、たぶん、苦痛だ。