2008-04-06

ホテル カクタス

【今日やったこと】

さすがに、精神、身体ともに疲労困憊。
家にて休憩。
ちょっとだけ、細胞の世話。
ごめんよ。勝手に休んで。

◇◇◇


家でごろごろしている間に、
酒を飲みながら、本を読んでいた(世も末だ)。

読んだ本は、江國香織の『ホテル カクタス』

江國香織は、昔から大ファンで
『すいかの匂い』、『きらきらひかる』、『号泣する準備はできていた』
『流しの下の骨』、『ホリーガーデン』、『つめたいよるに』、『ぼくの小鳥ちゃん』
等々、ひたすら文庫を買いあさって、読むまくったことがある。

まず、この人の文体が好きだ。
絵本作家、詩人でもあるそうで、
そのためか文体が優しく、解説では良く“瑞々しい”と表現されるほど、簡潔で、素直だ。自分の中では、文体だけから言えば三島由紀夫のほぼ対極だと思っている。今、ですます調を使わせたら、日本で一番上手に書ける人の一人ではないだろうか。
もちろん、それだけではないのだけれど。

次に、世界観が好きだ。
ほとんど、絵本的な小説の世界。マザーグース、不思議の国のアリスを彷彿とさせるような寓話的な話しなんだけれど、これらの寓話に見られるように、現実よりも現実らしい生々しさが所々あったりする。その生々しいポイントの選び方が、また上手。

今回の本に出てくる
『音楽とは個人的なものだ』
と言う台詞は、まさにそうだと思った。

流しの下の骨、では、主人公の少女は、彼氏と手を繋ぎながらご飯が食べたいと思って、左手でスプーンを使う練習をしてみたりする。そう言う人物設定のセンスがすごい。
箸ではなく、スプーン。味噌汁ではなく、スープ。そう言う、生活感の有りすぎない、ちょっとませた設定も良い。(夜の散歩が好き、と言うのも良かった。女性作家は全般的に、ちょっと変わった女の子の設定が特に上手だと思う。よしもとばななにしても)

今回の本では、主人公はハードボイルドな“帽子”、健康優良児の“きゅうり”そして真面目な数字の“2”。しかも、これらはただのニックネームではなく、どうやら、“そのものらしい”ことが、読むうちに分かってくる。この文庫は絵本タッチで、所々、挿し絵が入っていて、想像力がかき立てられる。
こんな荒唐無稽な設定でも、物語を壊さず書き上げるこの人は、すごいと改めて思った。

シイタケ、カタクリ、ガマ男からでもこの人なら、
ちょっと切ない物語を作ってしまうんだろうなあ。

ある時期集中的に読んだので食傷気味になり
しばらく休んでいたのだが、久しぶりに読むと、やはり良かった。
でもこの人の文章はケーキのようなもので
あまり食べ続けることができないから、
またしばらく休むと思う。

最近、全般的に、一人の作家を追い続けることができなくなってきた。
乱読傾向がどんどん強くなっている。

おれにも、おれの文体って、やっぱりあるのかなあ。

○▲□ (まるさんかくしかく) - 14

僕らが再び老夫婦の家から青年団の事務所に戻ったとき、安西さんは僕らの到着が遅いのを心配して、事務所の前でうろうろしていた。

「お、来た来た。あんまり遅いから、電話を掛けようと思っていたところだよ。」
安西さんはほっとした顔で言った。そして僕らを手招きするようにして、
「それじゃ、説明するから、中入って。」
と言って、奥へ先に入っていった。

中へ入ると、そこには僕らの他には、数人の職員の方が働いているだけだった。
最初来たときにはいた、多数の団員の方達はすでにそこにはいなかった。

安西さんに聞くと、すでに皆、仕事を始めているらしい。

「まあ、さすがにみんな、もう3回目だからね。ほら、あの通り、みんな出てしまっているよ。」

安西さんの指さす方向には、団員の出欠を表すホワイトボードがつるされていた。
ほとんどの人の名前の脇に赤いマーカーで『ミステリイ』とかかれている。少々不気味だが、ある意味、壮観だ。青年団の男集が総動員と言ったところだ。まさに、このミステリーサークル造りは、この小さな村を挙げての大イベントなのだ。

「それにしても」
シイタケが言った。
「ほとんど、及川なんですね」
確かにそのとおりだった。安西さんを除き、ほぼ全員が及川だ。
「あそこに書いてあるので、及川でないのは、」
安西さんが言った。
「私と、黒柳君だけだね」
「テツ...、いえ、クロヤギさんも」
カタクリが口を開いた。
「青年団の一員なんですか?」

言われてみれば、ホワイトボードの一番下に、『黒柳』としっかり書いてあった。

考えてみれば不思議だ。トメさんは黒ヤギはこの時期にだけ村に来ると言っていた。この村の人間ではないはずなのに、どうして青年団の団員に名前があるのだろう。
「そりゃあ、そうさ。」
安西さんは、少し誇るように、大きな声を出した。
「黒柳君は、我が村の、恩人だからね。」
「恩人?」
あの見た目の暗い男が、この村に一体何をしたというのだろう。
僕らはその話を聞いて、一様に不思議そうな顔をしていたに違いない。

カピパラは意外と普通と言っていたが、カタクリを二年も苦しめるようななぞなぞを残す無責任な態度と、村外者でありながら恩人として、青年団の一員にならべられるそのギャップを、僕らはどうしても埋められずにいた。

「君らはまだ、黒柳君に会ってないのかい?留藏さんの家に、泊まってるはずだが。」
「あ、会いました。でも、見かけただけだったので。」
カタクリが言った。

「そうかい。あの子はなかなか寡黙だからね。でも、いい子だよ。あの子のおかげで...」

そのとき、遠くの方で、断腸!と声がした。

早具して毛音ベガ!毛羽島ッテっ徒!

「王、今伊具!」
安西さんは答えた。
「はは、急かされちまった。もうみんな始まってるそうだ。じゃあ我々も、ちゃっちゃと終わらせていきましょうか。」

安西さんは、黒ヤギについての話を切り上げて、手元の地図を開いた。

地図には、ミステリーサークルを作る畑の区画が記されており、そこに、様々な形状の幾何学模様がびっしりと記されていた。それは地図を見ただけ度でも十分に美しく、これが実際に畑の上に描かれたら、と思うと、僕は思わず興奮した。

「基本的に、細長い板きれで、この線をなぞるように麦を踏みつけていくのですが、」
安西さんは言った。
「塗りつぶしてあるところは、全部踏みつけなくてはいけません。そこは一面平らにするのです。」

「麦を踏みつけても、大丈夫なんですか」
僕は尋ねた。

「元々、今回使う土地は、食糧難の頃に、無理矢理開墾したもので、それほど畑作に向いているわけではないのです。今では逆に、ミステリイサアクルを作るために麦をまいています。それに...、不思議なことに、このサアクルに使った方が、使わなかった隣の畑より、麦がよりよく育つように思います。収穫後、“宇宙麦”として、次の年のおみやげ物にしているんですわ。」

商魂たくましいものだ。売れるものなら何でも打って、村おこししようとしている。
多少つまらない者でも、しょうもないものでも、売らないでいるよりは、遙かにましなのだ。

踏みつけた方が育ちがいいというのは、門外漢の僕には不思議でしょうがなかったが、安西さんは、自分が思うに、とちょっと置きして麦の栽培の際に行われるという、“麦踏み”と言う農作業について教えてくれた。

「麦は、踏みつけた方が、強く育つ、とは昔から言います。実際それで、まだ若い苗を踏みつける作業というのが、冬巻き麦なら春先に行われるんですが、」
安西さんは、首をかしげて
「我々のように春蒔きの麦で、しかも、ある程度大きくなってから、麦踏みをすると言うことは、まず無いでしょう。普通だったら、そのまま、しおれてしまっても、おかしくないですからね。...まあ、何がミステリイと言って、これが一番のミステリイなのかもしれません」
そう言って、大きなおなかを揺らし、はははと豪快に笑った。

その不思議な話に僕も思わず引き込まれ、あれやこれや、質問を浴びせてしまっていた。
そして気がつくと、僕は夢中になるあまり、すっかりカタクリのことを忘れていた。
彼女は黒ヤギのことを、聞きたがっていたはずだ。

ふと見ると、カタクリは目を伏せ、うつむき加減だった。話は全くと言っていいほど聞こえていないらしかった。彼女はもっとテツヤの話を聞きたかったのだろう。眉根を寄せて、何か衝動のようなものを、こらえている様子だった。

それを見て、なんだかカタクリに対して、ものすごく済まないようなことをしたような気がしてきた。

彼女のために、何かしてあげたかった。でも、僕に、今、一体何ができるだろう。何と言ってあげたらいいだろう。

僕には、分からなかった。



シイタケは、カタクリの隣に座っていた。

カタクリの、そのおちつかない様子に気づいたのか、シイタケはさりげなく、顔は安西さんの方へ向けたまま、膝の上に組まれたカタクリの細く白い手に、その小さな丸い手を載せた。

カタクリはその手をじっと見つめそして、少し微笑んで、それをそっと握り返した。

たった、それだけの仕草だった。

しかし、カタクリの表情は、その前後で、はっきりと変化していた。
その表情には、わずかではあるが、元の涼しげな安らぎが戻りつつあった。


一言の言葉すら、そこでは必要なかった。

考えてみれば、僕がカタクリのために何かをできる場面は、これまで、幾度となくあったのに、僕は何一つ、彼女のために役に立てたことはなかった。

むしろ、内心少なからず軽蔑しているシイタケの方が、相手の一番して欲しいことを、必要なことを、とっさにくみ取ってやっている印象があった。

涙を拭いてあげる、手を差し出してあげる。

たったそれだけのことで、相手はどれだけ心強いだろう。

特技も車も鞄も無く、顔すらイマイチであっても、
人である限り、人を支えてあげることはできる。

こんなシンプルなことを、すっかり見落としていた自分に気づいた。

しかし、支えると言うことは、口で言うのは簡単だが、非常に抽象的で、実際に行為としてそれを実行できる人間は、どれほどいるのだろう。

少なくとも、僕には、シイタケがカタクリに対して見せた、いくつかの実際の振る舞いを除いて、その具体的な行為を思い浮かべることが、できなかった。

そして、いざそれが必要となったとき、それを自然に実行する自信も、自分にはなかった。


「どうかした?」
安西さんが、心配そうな顔で、僕らを見つめている。

「いいえ、なんでもないです」
カタクリが答えた。

じゃあ、続けるね、
そう言って、安西さんは作業の説明に戻った。

カタクリは、シイタケの、お世辞にも形の良いとは言えない丸い手を、その膝の上で、まだ、そっと握っている。