2007-07-29

JAZZしたべ

【今日やったこと】
何とはなしに大通り公園へ。モスバーガーで、カレーチキン何とかを食う。大通りを抜けると、ちょうど、ライブをやっていた。そういえば、今は札幌JAZZ Fes. の最中。なんか、よさげだったので、しばらく鑑賞。そのあと本屋に回って、ブックオフに行って、帰ってきた。
買いすぎ...。
◇◇◇


JAZZ 系の催し物は日本全国にあり、自分が前に住んでいたところにも、その前にすんでいたところにもあったが、参加したことは無かった。今回は、今住んでいるところが比較的都心であり、会場に近いこともあって、買い物ついでにふらりと立ち寄ることができた(無料だったし)。最初に聞いたのは、どっかの学生サークルらしきグループで、テナーサックス、トランペット、ベース、ドラム、キーボードといった構成だった。このアマチュアの若造が、とたかをくくっていたらとても上手で、驚いた。やっぱり、人前で発表するだけあって、みなさんレベル高いんですね...。全部で4曲ばかり演奏していたが、全体的に疾走感ある曲が多くて、夏の、すがすがしい快晴の、大通りの野外ステージの雰囲気にはぴったりだった。さわやかなメロディと、若いバンドの、はにかんだような照れ笑いが印象に残った。その後、ちょっと買い物に行き、帰り際にまた行ってみると、こんどは30ちょいくらいのおじさん (お兄さん?) たちのグループが演奏を始めるところだった。メンバーはギター、ベース、ドラムの三人。ギターの人がマイクを持ち挨拶してくれたが、わずか30秒ほどのトークで、そのストレンジさがひしひしと伝わってきた。演奏は、可も無く不可もなく、上手、といった感想を持った。本人たちも言っていたが、野外でやることはめったに無いそうで、たしかに、音が全体的にこもったような、やや内向きな印象を与えていた。でも、最後の曲はやはりスピード感があり、それまでの平凡な感じとは打って変わって、素人目にも難しそうなテクニックを駆使していて、とっても盛り上がった。

野外でみんなで、通りすがりが一つになって曲を聴くって言うのもいいもんだ。知らない人同士が、知らないバンドの演奏を始めて聞いて、その演奏にはらはらしたり、興奮したり、リズム取ったり、ニヤニヤしたり。夏の午後の、いい思い出になった。

Oさわ

O沢さんみつけたかーい?

2007-07-17

漢方薬とT細胞

【今日やったこと】
遺伝子Aのゲノムを読もうと目論む。ライブラリーのスクリーニングの準備。仕事は少ない割りにやたら時間がかかった気がする。

あとは、新潟でひどい地震があったので、友人の安否を確認していた。
とりあえずみんな怪我はなさそう。まず、なにより。
◇◇◇


体にばい菌やウイルスのような“異物”が入った時、免疫という、体の軍事部門みたいな機構が働いて、そのばい菌を体から除こうとする。免疫には、軍事部門らしく、命令好きの上官“ヘルパーT細胞”と、それに従う大勢の部下たちがいる。

免疫系のお得意の戦術には大きく分けて二種類ある。
一つは、“狙撃部隊”B細胞が作り出す、“抗体”という飛び道具を用いて、体に入ったばい菌を除く戦術。
もう一つは、“殺し屋”キラーT細胞を使って、ウイルスに取り付かれた仲間の細胞を、取り付いたウイルスもろとも殺してしまう戦術だ (織田信長もびっくりの非道)。

実は、指揮官であるヘルパーT細胞には2種類あり、それぞれ、前者の戦略を好むものと、後者の戦術を好むものがいるとされてきた。

ふつうは、これら両方がうまくバランスを取り、異物を除去しているのだが、人によっては片方の戦術に大きく偏ってしまうことがある。前者に偏れば、アレルギー、後者に偏れば、ある種の自己免疫疾患にかかりやすくなる。現代の日本人の多くは、前者に著しく偏っているという。そのため、何らかのアレルギーを持つ人が増えていると考えられているそうだ。

今朝の授業で、アメリカかぶれの先生から、それをぐだぐだと聞いていて、ふいに、東洋医学に出てくる、“陰陽説”を思い出した。

中国や韓国の本格的なお店で漢方薬を処方してもらう時には、いろいろな方法を用いて、その人の体質がいま、陰の状態にあるか、陽の状態にあるかを、まず判断するのだという。薬は、あくまでそのバランスをを補正するために処方する。漢方だけでなく、鍼灸の“つぼ”もそう。“気功”もそう。みんなその考えに基づいている。

そうやって処方された漢方が、実際どれだけ南蛮渡来の免疫学に適合するのかは、わたしの浅い知識では解らないが、たとえ偶然であっても、“体のバランス”というものを補正するという考えにいたった中国4000年の歴史には感服する。人間の体の特性のようなものを、長い歴史の中で、ある程度見抜いていたのかもしれない。それだけ、昔から人間は病気と戦ってきた、ということでもあるのかもしれない。

ただし、最近になって、先にあげた“指揮官”ヘルパーT細胞には、さらにもう一種類あることがわかっており、免疫系の命令系統は、どうやら“三つ巴”になっているらしい。さらに、それらをなだめる、“じいや”のようなT細胞もあるという。

さすがに、ここまでは伝統も無理か、と思いきや、韓国には、5色のバランスをとった食事をすれば病気にならないという考えがあると聞く。

これで、5種類までO.K... とするのはこじつけか。

2007-07-10

新聞取った

【今日やったこと】
遺伝子A, B, C, の発現の結果をまとめ、明日の報告会に備える。全体的にモチベーションの低い一日。大半は、土日の旅行 (または逃避)計画を練るのに使った。ゲル作ろうとして、こぼした。
一年生か、おれは。

◇◇◇


 新聞をとることにした。研究室でも新聞は取ってるし、インターネットって便利なやつはあるし、別にいいかな、と考えていたが、やっぱり、社会からのずれを感じる。テレビを見る時は、できるだけ、ニュースも見るようにしてはいたが、テレビにしろ、インターネットにしろ、情報盛りだくさんのようで、実は限られている。インターネットの記事はたいてい、その事件のあらましだけで、その背景とか、関連する情報だとか、そういったものは省かれているし、テレビのニュースは映像としての情報量は多いかもしれないが、やはり説明が少ない。その点、新聞は、ちょっと難しい用語になると、コラムをくくって説明してくれたり、同じ事件を複数の記事にして、多面的に分析してくれるので、多くの、多様な読者に理解できるものであるように思う。

新聞の強みは、“情報を多めに載せておいて、余計なら読み飛ばす”ということができる点にある。対象となる読者はみんな知識の量も、種類も異なるわけだから、同じ説明で同じように理解してもらうことは不可能に近い。だからこそ、情報は多めに載せておき、解らなかったら別な文章を読めば補えるようにしてある。その点、インターネットのニュースはそもそも、情報量が少ないし (“速報命”で、とにかく速さが売り) 、かつ質が悪い。何百人の記者の取材の総和である新聞の記事に比べ、インターネットは、その記事を書いたのが、たった一人の素人でも、百人のプロフェッショナルでも、同じように並べられてしまう。その分、間違いや、ガセネタを拾ってしまう確率も高くなるわけで、結局その事件の正確なあらましを理解するのに苦労することになる。テレビはさらに情報が少ない。映像があるぶん、その事件を理解した気になってしまうが、テレビにおける事件の説明は、結局、“音声”によって行われていることが多く、文字数にしたら、新聞の比ではないことは明らかだ。

ただし、もちろん得て不得手があることも言及しておく必要がある。新聞のサッカーのシュートまでの解説は理解に苦しむ。解りやすいように、いろいろ図を工夫した後は見られるが、テレビの15秒程度の映像を見れば、いかに中村俊介がすばらしいパスを出したのか、まさに一目瞭然だ。インターネットも、情報源とするサイトをきっちり取捨選択すれば、かなり頼りになる。しかし、このばあい、有料になってしまうことが多く、新聞をとるのとと大差ない。

でも、新聞とったのはいいけど、読む暇あるんだろうか。

朝刊が夕刊になりそう。

2007-07-02

ビアガールとおとっつぁん

【今日やったこと】
遺伝子A, B, CのPCR, 電気泳動、ゲノムもPCRした (7 時間かかった)。学食で冷やし中華を食い、今日が天気が良く、暑かったこともあって、つかの間の夏。でも、すぐインドアな実験に戻る。学食のポスター “今日から博物館でファーブル展”。行かなきゃ。

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 この時期になると、なんとなく話題がビアパーティーの話になる。もうすぐ学内でも、あるんだとか。それで思い出したのが、昔のバドワイザーのCM。ものすごくグラマラスな (記憶はうそつきだ。しばしば、その人の興味によって大いに誇張されるものだ)ビアガールが、バドワイザーのロゴの入った、かなり 『無理やりな』 服を着て、ああいう人達に特有の、のっしのっしと闊歩するような歩き方でジョッキを銀色のトレーに載せて歩いて行く、そんなCMだった。

 小学生ながら、あのCMが流れてくると、なんだか恥ずかしくなり、無性にどきどきした。そして、女の人って、どうしてちょっとしたことでも恥ずかしがるのに、あんなどぎまぎするような格好ができるのか不思議に思った (正確なことは、未だに解らない)。見せたがりのひとと、そうでない人がいるのか、あるいは仕事だからしょうがなく、ああいう格好しているのか。だとすれば、きっと、ああいう魅惑的な笑顔を振りまきながら “あー、早くおわんねーかな、メンドクせー” なんて考えて、家に帰って、冷蔵庫のものでなんか作れないか、なんてことをいろいろ気にしていたりもするのかもしれない。

 コスチュームや、雰囲気は人をしばしば現実から切り離してしまう。それが息抜きのためのビアホールには必要だし、厳粛な審判を言い渡す裁判所にだって必要だ。だれも、安売りのTシャツを着たおとっつぁんに “被告人を死刑に処す” なんて言ってもらいたくはない。できればコノヨノモノトハオモエナイ、ビアガールという女性にビールを注いでもらいたい。そう望むのは当然だろう。

ちなみに、学内のビアパーティーでビールを注ぐのは、生協のおばちゃんだとか。

もちろん割烹着で。