2008-04-04

アライン

人生の不幸は
昨日と今日とが、夜中の12時を挟んで
繋がっていることを
理解した日から始まる。

それまでの、断続的で
眠る度に生まれ変わるような心地のしていた毎日は
幻のごとくに消え去り

人生が、出生から、死へと続く、一本の数直線
あるいは線分として認識されるに至り
そこの間に、他の結末に至る
どのような分かれ道も無いことに絶望し焦り苦悩し
昨日の失敗を生かそうと、今日の功に走り
明日の幸運を掴もうと、今日の辛酸を甘んじて受け止めるようになる
言わば今日とは昨日と明日に挟まれたそれ自体自我の持ちようのない
受動的な時間であり
明日のために今日があり、昨日の結果として今日があるような気がして
誰も今日そのものの持つ意味など、考えもしないようになる

だが、今、
過去をもはや肯定できなくなり
未来を絶望した今になって
今日という日の健気な価値が
なぜだか急に愛しく思えて
涙を流してしまうことすら、あるのだ。

それは過去の最前線にいながら、
未来の再後端にいる、

過去の賜物でありながら、
未来への質草でもある。

その刹那の
認識することですら困難な時間に
心臓は一度拍動し
我々は息づき
ミトコンドリアの釜はグルコースの薪を
酸素とプロトンの力を借りて
延々と炊き続ける。
その煙が僕らの口から漏れるとき
それは時に愛の告白になって
思わず
顔を赤らめてしまったりもするのだ
それは新たな悲劇の始まりであり
もう一つの未来の創造であり
一つの過去の傍流である

そして、その分岐点には
いつも変わらず受け身がちに微笑む
特に取り柄のない現在の姿が
霧の向こうにかすかに見える気がする

僕らはそれに気づいたとき、思わず愛さずにはいられなくなるが
それに気づいたときには同時に
過去と未来に待つ
後悔と焦りを
認識しないわけにはいかなくなる。

糸を紡ぐ者(クロト)、人に割り当てる者(ラケシス)、
大鎌を持ち、断ち切る者(アトロポス)。

運命の三女神はそれ一つとして、
僕らの前に現れては呉れない。

お使い

【今日やったこと】
意外にタンパク取れててびっくり。
◇◇◇


笑いながら目覚めた。

夢の中で、母親が、
おまえを産むとき、大便かと思ったといっていた。
幼い僕はその足下に、まさにそのようにくっついて
離れようとはしなかった。

母は実際、
自分がたまに電話をしても10分話したか、話さないかの内に、
便意を催したと言って、電話を適当な人に預けて、トイレに行ってしまう。
私のことを、しゃべる下剤だと言っていた。
母は、私を、きっとリラックスさせるのだと言ってフォローしていたが、
リラックスするにも、程がある。

きっと私は、そう言う星の下に生まれてきたのだろう。

ビスタチオ

【今日やったこと】
泳動。
CBBの中で、ゲルが泳いでる。
◇◇◇


ビスタチオを食べていると

自分がほ乳類であることを実感する。

特に、猿や、ネズミと言った、前足でナッツを食べる動物の
自分が直接の子孫であることを
ビスタチオは教えてくれる。

指先を使って、あるいは固い場合には前歯を使って、あの殻をむき、
そして小さな中の部分を、ちまちま食べている様子は、
きっと脇から猿が見てくれたら、親近感を持って迎えてくれるのではないかと思うほど、
小動物的な仕草だ。

食べるという行為は、生命が始まったときから続いており、今日の我々にとっても、また主要な命題の一つだ。

食べ物を得るために、革命が起こった国があった。
飢饉のために、滅んだ国もあった。
お金もそもそもは、余った食べ物を、互いに融通していたことから始まったという。

ビスタチオを食べながら、
人類の進化とその興亡について考えている内に、ひと皿全部、開けてしまった。