近づいてみるとそれは、小さな、まだ幼い鹿の死骸だった。
「かわいそうに。」
「こんなに、小さいのに」
シイタケとカタクリは口々に言った。
子鹿の死骸は、顔の形はそのままだが、足はおかしな方向に曲がっていた。口と鼻に、わずかに血が流れた跡があった。
「うちらが引いたんでも、なさそうだ」
あたりに飛び散った血はもうすでにすっかり乾いていた。
腐敗はしていないことから、まだ死んでそう時間はたっていないのだろう。
「でも、つぶしちゃったから、なんか罪悪感を感じる」
シイタケが、珍しくしょげていた。確かに、子鹿の胴体はすっかりつぶれてしまっていた。
「ねえ、真島君、」
脇で見ていたカタクリがこちらを向いた。
「これ、ここには放っておけないよね。いつまでもここにあったんじゃ、また踏まれちゃうだろうし。」
確かにそうだ。この場所は道路に起伏があり、この死体は小さな坂を登り切って、少し過ぎたところにある。ドライバーにとってはよけきれない場所だ。
「せめて、埋めてあげよう。」
シイタケがそう言った。彼女は車に戻るとトランクの中をかき回し始めた。
しばらくそうしている内に、中からスコップが出てきた。
この地方は冬場によく雪が降るため、車に乗る前に、雪かきが必要になる。だから、大抵の車にはスコップを積んである。
彼女はそれを、夏が近くなった今でも、積んだままにしていたらしい。
彼女はその、先の赤いスコップを持ってこちらにまた戻ってくると、
僕にはい、と差し出した。
「あの辺がいいんじゃない?」
彼女はそう言って近くの何もない地面を指さした。
こういう仕事はなぜか自然と、男に回ってくる物だ。
僕は決して体格のいい方ではない。中学くらいの時には、ごく普通の女の子と腕相撲をやって、見事に負けたことがある。
さすがにあれからまた少し背も伸びたから、今はそう言うことはないだろうが、体力には自信がないのは変わらない。
だが、まさかだからといって、嫌がってシイタケにやらせるわけにも行かない。カタクリの手前、男らしいところを見せる場面ならどんな小さな場面でも、有効活用する必要がある。ただでさえ、勉強、スポーツ趣味特技、何をとってもダメなのだ。ここを捨てては、本当に、見せ場はない。
僕はスコップを手に取ると、何も言わずに、シイタケの指し示した場所へ向かった (男はいざとなると、ぶつくさ言わない物だ) 。そこはガードレールの裏側のわずかな盛り土の部分で、掘るのはさほど難しくなさそうだった。僕はスコップで死体をすくい上げ、そこをどかしてから、早速掘り始めたが、作業は思ったより大変だった。子鹿とはいえ、この時期になると、結構な大きさがあり、穴もその分大きくしなくてはならない。初夏の太陽はその間に、容赦なく照りつけ、外出を知らない僕の白肌を焦がした。
額から、背中から、脇の下から、汗がにじみ出るのを感じる。
カタクリはどうしているのだろうと、仕事の手を休め、後方を見ると、シイタケと並んで、開け放たれた車の座席に腰掛けていた。ちょっと縁側に腰掛ける、と言った格好だ。二人で何か話しているようだが、僕の方を気にしている素振りは全くない。
僕は、一人、損した気持ちを抱えながらも、それでも途中で投げ出すわけにも行かず、掘り続けた。
しかし、作業は一向に進まない。背中側になっていて実際は見えないが、シイタケやカタクリからの、『まだ、おわんないの...』と言う無言の圧力を、僕は次第に感じ始めた。
これでは、穴を掘っても、大して面目は、保てそうにない。
僕はなおさら損した気持ちになった。
そこへ、不意にエンジン音がして、一大の軽トラックが後続車として現れた。しかし、ハザードランプを付けたシイタケの車に気づいたのか、その後ろで止まった。
運転手が降りてくる。
汚れた白いTシャツと作業ズボンを履いた、背の高く色の黒い男の人だ。
この辺の農家の人らしい。
車の後ろに、大きな農業機械のような物を乗せている。シイタケ達はあわてて車を降りて、降りてきた男の人に話しかけた。事情を説明しているようだ。男の人は、日に焼けた太い腕を組んでそれをうんうんと聞いていたが、やがてこちらに向かって歩き始めた。
2008-03-30
概日
【今日やったこと】
大腸菌は、僕を裏切りました。
彼らは、自分たちは裏切ったつもりはないと、言います。
君が勝手に期待して、勝手にその過ちに気づいただけだろう、と。
僕は言いました。
じゃあ、どうして、先に言ってくれなかったんだ。
言う機会は、いくらでも、あったじゃないか。
彼らは言いました。
僕らと、君とは、そう言うことを話す関係じゃないと、思っていたから。
僕は、言葉を失いました。
心の中には、実際、言いたいことがたくさんあって、太陽の表面のように、
時々プロミネンスを吹くのですが、それは言葉でありながら、僕の声音をわずかに震わせるだけで、実際の言葉になることは、無かったのです。
実際彼らは正しいと思います。
だからこそ余計に、僕の渦巻く怒りは、目標を見失っていました。
僕は、無言のまま、次亜塩素酸の瓶を取りました。
やめろ、やめろ、と彼らは言いました。
僕はその瓶のふたを開け、数千倍に希釈した液体を、ビーカーに張りました。
そして、
さよなら
と言って、彼らをその中に沈めたのです。
僕のことなど、忘れてしまえばいい。
君は君の幸せに生きたんだろう?
僕は心の中で彼らにそう語りかけていました。
彼らは初めのうちは、その水の中でもぶくぶくと泡をはいていましたが、
やがてひっそりと静かになりました。
次の日、来たときにはもう、彼らはすっかり変色していました。
次亜塩素酸の中で、プラスチックディッシュだけが、クリスタルのように
朝の光の中で輝いていました。
これ、片付けますか?と技官さんが言うので、
はい、お任せします。
と僕は答えました。
◇◇◇
人間の体内時計は25時間周期だという。
そのせいか、近頃、生活のリズムが壊れてかなわない。
どうも、原因は24時間しかない一日の内に、
それ以上の仕事やら、趣味やらを持ち込んでいるためらしいのだけれど。
考えずに一日のしたいことをしていると、あっという間に、24時間を飛び越えて、
本来の25時間の一日を生きてしまっていることに気づく。
どちらが、自然な生活なのか、自分には分からない。
大腸菌は、僕を裏切りました。
彼らは、自分たちは裏切ったつもりはないと、言います。
君が勝手に期待して、勝手にその過ちに気づいただけだろう、と。
僕は言いました。
じゃあ、どうして、先に言ってくれなかったんだ。
言う機会は、いくらでも、あったじゃないか。
彼らは言いました。
僕らと、君とは、そう言うことを話す関係じゃないと、思っていたから。
僕は、言葉を失いました。
心の中には、実際、言いたいことがたくさんあって、太陽の表面のように、
時々プロミネンスを吹くのですが、それは言葉でありながら、僕の声音をわずかに震わせるだけで、実際の言葉になることは、無かったのです。
実際彼らは正しいと思います。
だからこそ余計に、僕の渦巻く怒りは、目標を見失っていました。
僕は、無言のまま、次亜塩素酸の瓶を取りました。
やめろ、やめろ、と彼らは言いました。
僕はその瓶のふたを開け、数千倍に希釈した液体を、ビーカーに張りました。
そして、
さよなら
と言って、彼らをその中に沈めたのです。
僕のことなど、忘れてしまえばいい。
君は君の幸せに生きたんだろう?
僕は心の中で彼らにそう語りかけていました。
彼らは初めのうちは、その水の中でもぶくぶくと泡をはいていましたが、
やがてひっそりと静かになりました。
次の日、来たときにはもう、彼らはすっかり変色していました。
次亜塩素酸の中で、プラスチックディッシュだけが、クリスタルのように
朝の光の中で輝いていました。
これ、片付けますか?と技官さんが言うので、
はい、お任せします。
と僕は答えました。
人間の体内時計は25時間周期だという。
そのせいか、近頃、生活のリズムが壊れてかなわない。
どうも、原因は24時間しかない一日の内に、
それ以上の仕事やら、趣味やらを持ち込んでいるためらしいのだけれど。
考えずに一日のしたいことをしていると、あっという間に、24時間を飛び越えて、
本来の25時間の一日を生きてしまっていることに気づく。
どちらが、自然な生活なのか、自分には分からない。
きれいな人を前にしたら
もう一つ。
美人は、書きすぎると、美人じゃなくなってしまうが、
やっぱり、見すぎても、だんだん、美人じゃなくなってくる。
きれいだといわれる人はそれぞれ、特徴的な部分を持っている。
集まりとしてはきれいだけど、部品としてもそうかといわれれば、そうでもないこともある。
それを使い分ければ、美人を美人じゃないと、言いのけることも、できる。
鼻の頭ばかりを、見ていればいいだけのことだ。
美人は、書きすぎると、美人じゃなくなってしまうが、
やっぱり、見すぎても、だんだん、美人じゃなくなってくる。
きれいだといわれる人はそれぞれ、特徴的な部分を持っている。
集まりとしてはきれいだけど、部品としてもそうかといわれれば、そうでもないこともある。
それを使い分ければ、美人を美人じゃないと、言いのけることも、できる。
鼻の頭ばかりを、見ていればいいだけのことだ。
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