2008-03-30

○▲□ (まるさんかくしかく) - 10

近づいてみるとそれは、小さな、まだ幼い鹿の死骸だった。

「かわいそうに。」
「こんなに、小さいのに」
シイタケとカタクリは口々に言った。
子鹿の死骸は、顔の形はそのままだが、足はおかしな方向に曲がっていた。口と鼻に、わずかに血が流れた跡があった。

「うちらが引いたんでも、なさそうだ」
あたりに飛び散った血はもうすでにすっかり乾いていた。
腐敗はしていないことから、まだ死んでそう時間はたっていないのだろう。

「でも、つぶしちゃったから、なんか罪悪感を感じる」
シイタケが、珍しくしょげていた。確かに、子鹿の胴体はすっかりつぶれてしまっていた。

「ねえ、真島君、」
脇で見ていたカタクリがこちらを向いた。
「これ、ここには放っておけないよね。いつまでもここにあったんじゃ、また踏まれちゃうだろうし。」

確かにそうだ。この場所は道路に起伏があり、この死体は小さな坂を登り切って、少し過ぎたところにある。ドライバーにとってはよけきれない場所だ。

「せめて、埋めてあげよう。」
シイタケがそう言った。彼女は車に戻るとトランクの中をかき回し始めた。

しばらくそうしている内に、中からスコップが出てきた。
この地方は冬場によく雪が降るため、車に乗る前に、雪かきが必要になる。だから、大抵の車にはスコップを積んである。

彼女はそれを、夏が近くなった今でも、積んだままにしていたらしい。

彼女はその、先の赤いスコップを持ってこちらにまた戻ってくると、
僕にはい、と差し出した。
「あの辺がいいんじゃない?」
彼女はそう言って近くの何もない地面を指さした。

こういう仕事はなぜか自然と、男に回ってくる物だ。

僕は決して体格のいい方ではない。中学くらいの時には、ごく普通の女の子と腕相撲をやって、見事に負けたことがある。

さすがにあれからまた少し背も伸びたから、今はそう言うことはないだろうが、体力には自信がないのは変わらない。

だが、まさかだからといって、嫌がってシイタケにやらせるわけにも行かない。カタクリの手前、男らしいところを見せる場面ならどんな小さな場面でも、有効活用する必要がある。ただでさえ、勉強、スポーツ趣味特技、何をとってもダメなのだ。ここを捨てては、本当に、見せ場はない。

僕はスコップを手に取ると、何も言わずに、シイタケの指し示した場所へ向かった (男はいざとなると、ぶつくさ言わない物だ) 。そこはガードレールの裏側のわずかな盛り土の部分で、掘るのはさほど難しくなさそうだった。僕はスコップで死体をすくい上げ、そこをどかしてから、早速掘り始めたが、作業は思ったより大変だった。子鹿とはいえ、この時期になると、結構な大きさがあり、穴もその分大きくしなくてはならない。初夏の太陽はその間に、容赦なく照りつけ、外出を知らない僕の白肌を焦がした。

額から、背中から、脇の下から、汗がにじみ出るのを感じる。

カタクリはどうしているのだろうと、仕事の手を休め、後方を見ると、シイタケと並んで、開け放たれた車の座席に腰掛けていた。ちょっと縁側に腰掛ける、と言った格好だ。二人で何か話しているようだが、僕の方を気にしている素振りは全くない。

僕は、一人、損した気持ちを抱えながらも、それでも途中で投げ出すわけにも行かず、掘り続けた。


しかし、作業は一向に進まない。背中側になっていて実際は見えないが、シイタケやカタクリからの、『まだ、おわんないの...』と言う無言の圧力を、僕は次第に感じ始めた。

これでは、穴を掘っても、大して面目は、保てそうにない。
僕はなおさら損した気持ちになった。

そこへ、不意にエンジン音がして、一大の軽トラックが後続車として現れた。しかし、ハザードランプを付けたシイタケの車に気づいたのか、その後ろで止まった。

運転手が降りてくる。

汚れた白いTシャツと作業ズボンを履いた、背の高く色の黒い男の人だ。

この辺の農家の人らしい。
車の後ろに、大きな農業機械のような物を乗せている。シイタケ達はあわてて車を降りて、降りてきた男の人に話しかけた。事情を説明しているようだ。男の人は、日に焼けた太い腕を組んでそれをうんうんと聞いていたが、やがてこちらに向かって歩き始めた。

概日

【今日やったこと】

大腸菌は、僕を裏切りました。

彼らは、自分たちは裏切ったつもりはないと、言います。

君が勝手に期待して、勝手にその過ちに気づいただけだろう、と。

僕は言いました。
じゃあ、どうして、先に言ってくれなかったんだ。
言う機会は、いくらでも、あったじゃないか。

彼らは言いました。
僕らと、君とは、そう言うことを話す関係じゃないと、思っていたから。

僕は、言葉を失いました。

心の中には、実際、言いたいことがたくさんあって、太陽の表面のように、
時々プロミネンスを吹くのですが、それは言葉でありながら、僕の声音をわずかに震わせるだけで、実際の言葉になることは、無かったのです。

実際彼らは正しいと思います。
だからこそ余計に、僕の渦巻く怒りは、目標を見失っていました。

僕は、無言のまま、次亜塩素酸の瓶を取りました。

やめろ、やめろ、と彼らは言いました。

僕はその瓶のふたを開け、数千倍に希釈した液体を、ビーカーに張りました。

そして、

さよなら

と言って、彼らをその中に沈めたのです。

僕のことなど、忘れてしまえばいい。
君は君の幸せに生きたんだろう?

僕は心の中で彼らにそう語りかけていました。

彼らは初めのうちは、その水の中でもぶくぶくと泡をはいていましたが、
やがてひっそりと静かになりました。


次の日、来たときにはもう、彼らはすっかり変色していました。

次亜塩素酸の中で、プラスチックディッシュだけが、クリスタルのように
朝の光の中で輝いていました。

これ、片付けますか?と技官さんが言うので、

はい、お任せします。
と僕は答えました。
◇◇◇


人間の体内時計は25時間周期だという。

そのせいか、近頃、生活のリズムが壊れてかなわない。
どうも、原因は24時間しかない一日の内に、
それ以上の仕事やら、趣味やらを持ち込んでいるためらしいのだけれど。

考えずに一日のしたいことをしていると、あっという間に、24時間を飛び越えて、
本来の25時間の一日を生きてしまっていることに気づく。

どちらが、自然な生活なのか、自分には分からない。

きれいな人を前にしたら

もう一つ。

美人は、書きすぎると、美人じゃなくなってしまうが、

やっぱり、見すぎても、だんだん、美人じゃなくなってくる。

きれいだといわれる人はそれぞれ、特徴的な部分を持っている。
集まりとしてはきれいだけど、部品としてもそうかといわれれば、そうでもないこともある。

それを使い分ければ、美人を美人じゃないと、言いのけることも、できる。

鼻の頭ばかりを、見ていればいいだけのことだ。