たった一つの、火鉢の暖かみでさえ、
今の僕には遠いのです
寒い日に、手袋も嵌めずに冷えた手を握りしめてくれたその感覚が
いまでもときどきポケットの中でこそばゆく蘇るのに
僕は雪でつるつるに凍った道を白い息、吐きながら
それでもずいぶん身軽な身体をもてあまし気味に家に帰るのです
何かが足りないけれど、何かを必要としていない自分がいて
そうして、足取りは変わらず、ひょこひょこと、
親父譲りの歩調で、今日も進むのです
それは進歩のようで、あるいは堕落への一歩のようで
どっちだか解らないけど、ただ、
立ち止まってはいないという、たったそれだけの貧乏揺すりのような
安心感を覚えながら
今日も一日は終わるのです。
遠い目で見た時に
僕のしていることは果たして正しいのかどうかは、解りません
でも、一つだけ言えることは
これもまた、
人生の一形態なのだと
スーパースターの陽炎のような夜の街を遠くに見ながら
一人コンビニ弁当を下げて
あたためますか、のひとことを、
いりません、と断った自分の
心の内を計りかねながら、
冷えた弁当を暖めるレンジのチャイムが
隣の部屋に聞こえそうになるのを
びくびくしながら、待つのです
2009-02-24
2009-02-06
また書きました
前々から暖めていたテーマをようやく書き上げた。
自分が居なくても世界は順調に回り続けるという、当然のようで、どうしようもなく寂しい疎外感をいつかかたちにしたいと思って、タイトルは「カタワラ」と決めていた。
カタワラ(傍ら)と言う字は、そば、とも読めるが、
傍流、のような、本筋から外れたと言う意味も持つ言葉にも使われる。
すぐ近くにいるのに、その本体とは、いつまでも相容れない、平行線のような感覚。
傍ら、と言う言葉には、そう言う届きそうで届かない距離感があると思い、ずっと考えていた。
まあ、暇な時にでも、読んで下さい。
自分が居なくても世界は順調に回り続けるという、当然のようで、どうしようもなく寂しい疎外感をいつかかたちにしたいと思って、タイトルは「カタワラ」と決めていた。
カタワラ(傍ら)と言う字は、そば、とも読めるが、
傍流、のような、本筋から外れたと言う意味も持つ言葉にも使われる。
すぐ近くにいるのに、その本体とは、いつまでも相容れない、平行線のような感覚。
傍ら、と言う言葉には、そう言う届きそうで届かない距離感があると思い、ずっと考えていた。
まあ、暇な時にでも、読んで下さい。
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