2007-08-11

青春のうしろ姿を

【今日やったこと】
昨日、先輩と秘書さんが細々と飲んでいたのに混じって飲んでいたら、
あれよあれよと人が増えてきて、れっきとした飲み会になってしまった。

実験のため、少し席をはずして、また来てみたら、そこにはすでにほとんど空になった、
ピザの空き箱が二つほど転がっていた。

その後家に帰って、また少し飲んでしまった挙句、本を読み始まったらとまらなくなって、
気がついたら、カラスが鳴いていた (カラスは、明け方に鳴き始めるのです)。

未だに、大学の学部生みたいなことをしている。
若いんだか、成長してないんだか。

◇◇◇

心酔しているCMがある。

キリンラガービールのシリーズCMで、今やっている、松任谷由実のバージョンである。

このCMシリーズは、おそらくちょっと高い年齢層のおじ様、おば様をターゲットにしたもので、一昔前の名曲を次々に流している。確か第一作は、サディスティック・ミカ・バンドで、木村カエラが代理のボーカルをしていた。自分は、一昔前に、こんなチャーミングな曲があったことを、それまでまったく知らなかった。こういう企画は、もちろん直接のターゲットである、おじ様、おば様世代の方々には響くものがあるのだろうが、その子供の世代にとっても、新鮮な発見をもたらすものだと思う。

で、松任谷由実バージョンだが、木村カエラとは打って変わって、落ち着いたテイストのCMである。薄明のカフェ・ラウンジで、松任谷由美と数人のバックバンドが本番前のリハーサルをしている。やがて、夜の帳が下りる頃、穏やかな白熱灯に照らされ、静かに、小さなコンサートが幕を開ける。CMは2部構成で、本番を控えたリハーサルまでが1部、本番が2部である。

そして両編とも、バックには次のようなフレーズが流れる。

青春の うしろ姿を
ひとはみな 忘れてしまう

第二部では観客が、第一部では店のマスターが、このフレーズに聞き入り、ふと、われを忘れる。(後記。どうやらこれは記憶違いのようで、第一部で使われていたのは『卒業写真』だったようだ。この『あの日に帰りたい』が使われているのは第二部のみということになる。)

もちろんこれはCMであるから、その後に、バンドがみんなでラガーで乾杯、というシーンで終わるのだが、観客、ないしマスターの一瞬、歌に心奪われるシーンの表情がすばらしい。これら聴衆はみな、中年以降の、いわゆるおじさん、おばさんであって、青春という熱のようなものものから、いつの間にか遠くに離れてきてしまった自分に、この歌との再会でふと気づかされるという様子が、涼しげなメロディとともに迫ってくる。

自分はまだ人生経験の浅い人間であるから、この聴衆たちの表情に隠された深い哀愁を全て捉えることはできない。だが、青春というものから遠ざかり始める年齢に差し掛かっていると感じており、その苦い喪失感はなんとなく理解できる。

青春は一人の人間が、社会的に“誕生”する時期だ。親の保護を離れ、自我の下に何かを決め、何かを行う。しかし、いかんせん、生まれたてであるから、効率の良い方法など知る由も無く、見聞きするものに過敏なまでに反応し、常に何かにぶつかり、時には軋轢すら生じる。しかし、それでも生きようとする赤子のような生命力が青春にはまだある。

時は経ち、青春から遠ざかった人々は、それまでに培った経験により、すでに無駄な力を使わない、効率の良い生き方を見出している。物事に過敏に反応する感受性を失う代わりに、軋轢も、衝突も無い穏やかな日々を手に入れている。しかし、その時になって、ふと思う。今の自分は、何かを失っていないか...。

人の脳は新しい情報を好むという。そういう意味でも、見るもの全てが新しい青春は、苦しいことも多い反面、多くの感動と喜びに満ちた時代でもある。生きることに慣れてしまった人々は、ふいに、そういう青春のほろ苦い喜びや感動が懐かしくなるのかもしれない。


例えば、こういう青春時代の名曲を聴いているときなどに。