2008-03-24

○▲□ (まるさんかくしかく) - 4

真島に忍び寄る靴音、
果たしてその主は....。

史上空前の心理サスペンスホラー、ここに開演!
(注;本編とは全く関係ありません。)
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靴音は僕の右斜め後方で、一度ためらうようにテンポを落としたかと思うと、さらに、一歩踏み出し、もう、すぐ手が届くだろうという距離にまで、近づいた。

こういう時の、もてたことのない男の性なのか。僕は、全く気づかないふりをしていながら、その心臓は高鳴り、血流はどくどくと波打っていた。挙げ句の果てに、特に必要もないのに、息まで止めていた。

後ろにいた彼女は、僕の耳と首の後ろが尋常ではないほど赤くなっている様を間違いなく目撃しただろう。だが、トランス状態の僕に、そのような些細なことに気づく余裕など、全くなかった。

僕は、興奮を示す己の生理的反応を頑として無視し続け、意地でも振り向かなかった。

今となっては、振り向いて、よう、とでも言えば、たったそれだけのことだ。でも、どうしてこういう時の、こういう男は、たったそれだけの行動すら、満足にとれないのだろう。

今という時代にあっても、肝心なときに、まるで、かつてのサムライがよみがえったように、軽挙な行動を慎む男が、依然として存在する。

本来のサムライならば、それが普段からの所作なので、全くあっぱれなのだが、現代の男においては、普段は普通に気さくにあろうとしているくせに、そう言う土壇場でも同じように振る舞えないのだから、サムライと言うよりは、実際には単に意気地が無いだけなのだ。

そして、その弱さを、後から言い訳するときに、義理だ、男気だという都合の良い価値観でカモフラージュして、取り繕っている。

男なら、女のケツを追いかけるもんじゃあねえ。

そう言う男に限って人間的に不器用で生活力に乏しく、結局かみさんの尻に敷かれるのだ。

サムライであったにしろ、無かったにしろ、この段階で僕が、それでも努力して、できる限りナチュラルに振り向いたとしても、尋常じゃないほど赤変した顔で振り向いたであろうから、後ろの彼女は驚いて、逃げ出すことになっただろう。

結局、引くも地獄、攻めるも地獄だったのだから、窮地に陥ったカメのごとく、甲羅に首を引っ込めて、じっとしているしか、無かったのだ。

幸いかな、すぐ手の触れるところまで近づいた彼女は、そこでしばらく、僕に声を掛けるか掛けまいか迷っていたようだったが、やがて何かを悟ったように向きを変えると、元の出口の方から、今度は迷いのない明瞭な足取りで出て行った。

僕は、ほっとしたと同時に、体中に力が入って、硬直している自分に気づき、顔がもうもうと赤熱しているのに気づき、さらには、後から後から、惜しいことをしたという後悔だけがこみ上げてきて、自分の器の小ささに、そのまま一人、ため息を付いた。



翌日、専門科目の時間に、またシイタケがやってきた。なんと、なれなれしくも傍らにはあのカタクリ嬢を従えている。

「あのね、真島君、ようやく新入部員」
シイタケは誇らしげに言った。
彼女の身長は、カタクリ嬢の肩までも届かない。

「樋口 瑞葉 (ヒグチ ミズハ) です。よろしくお願いします。今頃ですが。」
カタクリ嬢は恥ずかしそうに微笑んだ。

「私は昨日聞いていたんだけど、あなたには言ってなかったって言うから」
とシイタケが言った。
「そうなんだ。」
と、僕はとぼけた。どうやら昨日のあの突然の接近は、このことを伝えるためであったらしい。
「昨日真島君、私と同じ講義受けてたでしょ?」
カタクリ嬢は言った。
「あの後、伝えようと思ったけど、なんか真島君、勉強しているみたいだったから...。」

あのときノートをしまっておくんだったと僕は後悔した。

ノートを出したまま、ペンも持って、しかも一向に振り向かなければ誰だって、勉強していると思って、声を掛けるのをためらうものだ。

「へえ、勉強?」

シイタケが突如、カタクリ嬢の脇の下のあたりで、人を食ったような声をあげた。

そうかしら。

意地汚い顔をして彼女は言った。
何を言いたいのか、僕には瞬間分からなかった。

「後ろで見てたけど、あなたノートも取らずにずうっと...」
どこを見てたの?あんなに真面目な顔をして。

そう言うと、彼女はまた、にやりと笑ったのだった。