2009-06-30

本番・ヒトのナサケ

プラハ3日目

今日から本格的に学会が始まる。

というよりも、今日が自分にとっての本番。
午前中の、開始から3演題目。それまでに、早起きして、プレゼンのファイルを担当の人に渡さなければならない。学会のオープニングは、8:30から。
結局、5時起きして、6:30には朝ごはんを食べ、7:30の準備の開始時間を待って、すぐにデータを引き渡した。
ここまでで、すでに仕事は終わったような印象。

プレゼンの練習は、十分に(少なくとも、今までのずぼらな発表の数倍)してきたつもりだし、いまさらあがいても仕方がないと、無駄な大和根性を見せつける気持で、鞄を抱えて、おどおどと会場に入った。

オープニングイベントはゲストの長い研究発表で、1時間程度で終わり、一度、コーヒーブレイク。とにかく口が渇くので、コーヒーを飲んだ挙句、ミネラルウォーターを2杯飲み、傍らに置かれていたクロワッサンを思わず頬張ると、また口が乾いてしまった。3杯目の水を一気飲みして、いざ発表会場へ。

研究発表はあっさりと始まり、まず自分に先立って、コンペティターたちの発表が2件続いた。
どちらも、初めて見る顔だけれど、データと、名前だけはよく知っている。若い研究者という感じのアメリカの若者で、なんだか態度が大きく見えるのは、アメリカ人だからか、それとも、すげえ雑誌に論文を何本も出している人間の余裕だろうか。

さて、そうこうしているうちに自分の番。
名前を呼びだされて、そそくさと壇上に上がる。

客は100人ほど。ほぼ満席。
名前を名乗り、学生であるということをさりげなく強調して、オーガナイザーの、温和そうな二人の婦人に、はじめにお礼を言ったあと、
「まずはじめに....」と、片言の英語で切り出す。
「ここに来るために、僕はいくつもの、"初めて"を経験してきました」
「海外に出るのが、そもそも初めてですし、パスポートを申請したのも、もちろん初めてです。英語で研究発表をするのだって初めてなら、なんといっても、プレゼンテーションのファイルで20スライド以上のものを作ったのも初めてです」
ここで、どっと笑いが起きた。
どうやら、通じているらしい。
一応、スライドには、以上の文章は書いてあったのだけれど、それでも、予想通りの反応が起こって、少し気分が楽になる。

「しかし、一番、大切なことは....、これから紹介する遺伝子を、他の研究者の前で"初めて"披露するということです」

聴衆の顔が、心持ふっと引き締まる。うまく効いたらしい。

「私たちの国の、世阿弥という能の創始者の言葉に"初心忘るべからず"という言葉があります。私は不慣れなため、皆さんを混乱させ、惑わせてしまうこともあるかもしれませんが、できる限りわかりやすい方法で、説明するように努めます。...皆さんと一緒に、私たちの発見を共有し、議論できたら幸いです。」

こんな感じで、時折笑いをとりながら何とか20分乗り切った。

そして、質問タイム。

いきなり手を挙げた白人男性。名前を聞いてびっくりした。
あこがれの、あの先生だ。

「前に、君のところでやっていた、あの遺伝子、おもしろかったんだけど、もうやらないの?」
実際、その遺伝子を調べようという話は、時折出ていたが、今は僕一人しか人がいないため、後回しになっていた。

質問を理解し、それを言い返すため言葉を選ぶのに、一瞬、言葉が詰まる。
「それは....、大切だとは思いますが....」

この後が続かない。
なんて言ったらいいものか。頭の中が真っ白になりそうになる。

とっさに、

「でも...、ぼ、僕、て、手が2本しか、ありませんから!」
聴衆に沸き起こる笑い。

なんだか、ジョークとして通じてしまったらしい。

質問した先生も、こりゃ、参ったという顔で、肩をあげるしぐさをして、早口の英語で、苦笑いしながら。
「こいつめ!」
と言って、座ってくれた。

そのあとも、同様の、こういう実験はしないの?てきな質問が来たけれども、同じ回答で、何とかごまかす。


そのあと、休憩時間の度に聞いてくれた方々に何度か呼び止められ、
「あなたの発表、楽しかったわ。今度も来れるように、頑張ってね」
と、温かい励ましをいただいた。

とっさに返す言葉も浮かばなかったので、
I'm happy!とThank you!を繰り返しながら、なんとか、答えた。


みんなやさしいもんだ。

そのあと、オープニングディナーで、ヨーロッパで最古級の大学にバスで移動し、そこでびゅふぇ形式のディナーをいただいた。ハムのようなものや、肉にイモと、何かの豆のようなものが混ぜられたパテのようなもの。パスタのヴァルファレが肉や豆と一緒に煮込まれた料理など、どれを食べてもおいしかった。

神学的な装飾に彩られたゴシック調のホールで、クラッシックがかかりながら、チェコのビールをちょっとだけ味わい、もう後は、帰ってもいいかな、と、ちょっと幸せな気分に浸れた。

かけあしのプラハ

プラハ二日目。

本当なら一日で周るはずでは無かった道のりを一日で周ってしまった。

さすが国際学会だけあって、学会の予定表を見たらどれもとても魅力的な演題ばかりで、いざ学会が始まってしまったら、もう外に出れなくなるだろうと思ったので、受付だけ行われる今日の日程を利用して、とっとと周ってしまった。

受け付け開始は午後二時。
なので、朝八時から行動開始。
実験には、どんなに頑張っても昼過ぎからしか出てこないくせに、旅行となると、やけに活動的だ。

最初に行ったのは、ホテルから一番近い観光地、プラハ城。

長い坂を上って、すごく時間の短い、せかすような横断歩道を渡っていくと、そこに、そびえたつ二本の尖塔が見えてきた。

それがプラハ城のシンボル、聖ヴィート大聖堂。
城そのものは、宮殿のような平城なので、あまり目立たないが、ゴシック様式の重厚なこの大聖堂は、近づくものに、押しつぶされるような威圧感を与える。

プラハ市内に入ると、こういう建物が至る所にあり、観光客がパシャパシャ写真を撮っているのにあちこちで出くわす。
観光客らしさをあんまり表に出すと、すりの標的になると誰かが言っていたので、できるだけカメラは必要な時以外は出さないようにしていたのだが、あまりに美しい建物が立て続けに現れるので、挙句の果てには、手に持ったまま、ぶらぶらしていた。

行き買う人は見たところほとんど観光客らしく、さながら、京都のよう。

実際、そんなものらしく、お土産はやや高め。
キーホルダー400円前後。

ところが、少し道を入ると、露天のならぶ通りに出くわした。

個々の商品がすこぶる安く、チェコ特産の、素朴な木のおもちゃなどが、キーホルダー並みの値段で売られている。
これだったら、ここで買うんだったと、後悔。

そのほか、絶対行くと決めていた、ミュシャ博物館、カフカ博物館にも足をのばした。
カフカ博物館には日本語の案内の本が用意されていたし、ミュシャ美術館のお土産は少し高いけど、ミュシャの絵がふんだんに使われていて、少しかわいい。研究室のみんなのために、奮発してマウスパッドや、マグネットを買った。

ただ、ミュシャ博物館の受け付けのお姉さんが少し怖かった。
チェコは、おつりを嫌う人が多いらしく、おおざっぱにお金を払うと、あからさまに不機嫌な顔で、
「小銭、無い?」
と聞いてくる。
だからできるだけ、買い物のときは小銭を出すようにしていたのだが、今回はちょうどなかったので、紙幣をそのまま差し出すと、お姉さんは、紙幣をむんずとつかんで、乱暴にレジに放り込んだ。そして、小銭をジャラジャラと取り出したが、扱いが乱雑だったためか、一個ぽろりと落としてしまって、
「ちっ!」
と、舌打ちして、床に落ちたコインを屈みこんで拾った。

カウンターの上に、落としたコインを、ドス、と置いてくれたので、おもわず、
「...I'm sorry...」
と蚊の鳴くような声で誤って、中に入った。

まあ、そんなこともあるけれど、小さな博物館の割には楽しかった。

その他、小腹が空いてケンタに入ったら、ツイスターがおいしそうだったので注文しようとしたところ、発音がうまくいかず、ちっとも伝わらずに、注文だけで苦労したりした。その上、ペプシはセルフサービスらしく、空っぽのカップが出てきて驚いた。そのカップの表記は"0.4L"となっており、ここまで汲め、という意味か、淵のところにちゃんと線まで引かれていた。

実際に汲んでみたら、機械からは、なぜか泡ばっかり出てきて、カップにいっぱい注いだつもりが、半分も入っていなかったりした。

しかも、ケンタのセットはどれも末尾が九の価格が多く(119Kc, 109Kc等)、ぴったり払うのはそもそも難しい。

ようやくありついたツイスターを頬張りながら、どこの国でも変わらない味が食べられる安心感と、つまらなさに、舌鼓を打った。

2009-06-28

わあ、るど、わい、ど









先ほど、なんとかホテルについた。
(二つの写真がそれ)

ネイティブの人たちの英語は、何言っているのか、聞き返さずには分らないし、ゲートを通るたびに、いちいち手荷物を開けなきゃなかったし、ホテルに着いたら着いたで、フロントのブロンドのお姉さんに、突き刺すような青い目で、きみの予約は明日からだ、なんていわれるし。

あらかじめ学会を通じて予約を取ったはずだと、学会の秘書さんからの手紙を見せながら片言で説明して、ようやく部屋を取ってもらったころには、自分も受け付けの彼女もすっかりくたびれてしまって、僕が取り出した手紙をしまおうと屈みこんだすきに、彼女の付くため息の声が聞こえたりして。

全く文化が違うと、色々な些細なことが極めて難しい。

中継地のアムステルダムのトイレで、水を流さなくていいと気付くのに数分を費やし、そこから乗ったチェコ航空で、オレンジジュースと一緒に出された、ハムを挟んだ黒パンのサンドイッチが、サービスだと気付かず、周りの人をきょろきょろと見渡して、同じく周りをうかがっていた、隣の席の、イギリス風のパンクな格好の婦人と、目があって、二人して,気恥しくパンを食べたり。

なにより、最初に乗ったJALの国際線で、窓側に座った自分がトイレに立つたびに、隣の席の女性に、
「すいません」
と断っていたけれど、あとでその人がCAさんと話しているのを聞いたら、完全に英語だったり。
(CAさんも、はじめ日本語で話しかけていたようだったけれども、途中で気づいて英語に変えていた)

本当に世界は広い。

ホテルから迎えに来た学会のスタッフさんの車に乗り込もうとして、運転席側に回りこんで、笑われたりもした。

でも、その人と、マイケル・ジャクソンが死んでしまったという話題で、一緒に話ができたということが、とても印象的だった。

こんだけ広い世界で、一緒に話題にできるだけのアーティストって、何なんだ?

2009-06-25

サスラヒ

今週末から初の海外学会に参加するため、渡航します。

場所は、プラハ。

名前だけ聞いて、どこだか解らない……。
(チェコ、だそうな)

初の口頭発表。
しかも英語。
始めてパスポートを申請し、
海外の秘書さんとやりとりし(“ペトラ”と、“レンカ”は、もはやメル友?)

飛行機の乗り継ぎという奴を一人でこなして、単身、東欧に乗り込みます。
先生は、友達が行かないからと言う理由で、一緒に行ってはくれません。

たぶん僕は、現地の土に帰ります。
生き残ったら、写真をいくつかアップします。

では、お元気で、

ごきげんよう。