2007-12-24

コスモス(後編)

さて、今回はいよいよ完結編。

どうなることやら。

◇◇◇


わたしはふと、あたりが静かになったことに気づいた。

見ると、すでに外は暗くなっており、お客は私たちだけになっている。マスターの様子も、どこか所在なげだ。時刻は7時を回っている。もうじき閉店だ。

「帰ろうか」

わたしが立ち上がり、そう言うと、彼は大きな目を見張って、わたしを見上げた。その目はまだ、きらきらと輝いている。


オレンジ色の街路灯が照らす下を、私たちは並んで帰った。

わたしが話すことは、もう無い。

おそらく、彼が何か話してくれることもない。彼の思いは未だ、UFOがなぜ、わたしの記憶を消さなかったのかに食らいついているのだろう。

 あーあ。こんなことだったら、こんな話で誘うんじゃなかった。わたしは後悔していた。彼がどれほど熱っぽくわたしを見つめていても、彼が見つめているのはわたしの話した、わたしの話の中のUFOなのだ。

存在するかもはっきりしない、そんな物に向けられた瞳は、目の前に存在する、わたしのいくつもの努力や、唇に重ねたグロスの光にさえ永久に気づくことはない。

コーヒーの違いだって、たぶん。

UFOなんて、嘘だって、早く言ってしまうんだった。こんな切ない思いをするくらいだったら。
これじゃ、今まで、彼の、UFOへの愛情を丸一日、見せつけられに来たような物だ。

これは、嫉妬なのかもしれない。UFOへの嫉妬。ばかばかしい。

彼の心は、もはや、遙か彼方、1000万光年の向こうまでUFOを追いかけて飛んで行ってしまっている。人間のチカラでは1光年の空間すら、飛び越えられないというのに。

わたしは、空を見上げた。明るい町の夜空に、星はほとんど無い。空に見える唯一の星。あれは北極星だろうか。

歩いても、歩いても、北極星との距離は一向に縮まらない。それは天の同じ位置にあって、冷たい青い光を、瞬きながら、私に投げかけている。


前を歩いていた、マサトが止まった。

わたしも思わず、横に止まった。

ここは十字路。

彼の家は向こう。わたしはこっち。


「じゃ」

彼は言った。

「じゃ」

わたしは言った。

彼はしかし、そこから動かない。

わたしもそこに残って、彼の次の言葉を待った。



「UFO探しに、また、一緒に行ってくれる?」


なんだ、また、UFOなのか。またわたしは、努力して、あの切ない思いをしなければならないのか。

「UFOなんて、いないよ。わたしの言ったのも、すべてウソ」

わたしはもはや、うそをつきつづけるきにはなれなかった。

「そんな、あるかないかもはっきりしない何かを追い求めるより、あなたの目の前のことをもっとしっかり見つめたら?」

わたしは言い捨てた。

これでいいのかもしれない。これで、彼が今よりもう少しでも、普通の感覚の人になり、もっと普通に、人とつきあえるようになれば、元々、いい人だし、彼はきっと幸せになれるだろう。

わたしではない、別の女の人と。


彼はしかし、じっとそこに立っている。

自分の足下を見つめている。

わたしの言ったことがきつすぎたのだろうか。わたしはそれでも、彼があんまり動かないので、多少気になっても彼を起き捨てて、先に帰ろうと思った。

「待って」

彼の声にはっとした。


反省してくれるの?

考え直してくれるの?

やり直すの?

わたしをもっと見てくれるの?

彼はゆっくりとわたしの目を見て、言った。

「UFOは、いるよ」


わたしは、うんざりした。持っている物を投げつけて、さっさと帰ろうと思った。

くだらない、くだらない、くだらない。

ほんの一瞬でも、期待してしまった、わたしが馬鹿だった。

「でも、UFOはなかなか姿を現さない。」

しかし、彼は続ける。

「そこにいることはわかっているのに、そこに手をかけるすべが、見つからないんだ。」



...なんだ、わたしと同じなんだ。

お互いに、お互いをもっと近くに寄せ合うすべを知らないまま、どうしていいのかわからなくて、まごまごしていただけなんだ。

21、にもなって。わたしは思った。高校生にも、笑われてしまいそう。


わたしはふと、再び夜空を見上げた。

星の少ない空の上を、一機の飛行機がちょうど西から東へ飛んでいくところだった。

飛行機の両翼の赤い灯火が、滑るように、闇の中を進んでいく。


わたしはそれを、何とはなしに、目で追っていたが、あることに気づいて、思わず、彼の元に駆け寄ってしまった。

北に見たはずの、北極星はいつの間にか、見えなくなっていた。

夜の明るいこの町で、そもそも、北極星など、見えるはずは、無かったのだ。

コスモス (前編)

さて、クリスマス。

せっかくなので挑戦してみた。

以前から、Oさわに、

「恋愛物書いてみてよ」

と途方もないことを言われており、ずっとそれは棚上げにしていたのだが、
今回、恥を忍んで挑戦してみた。

しかも、意外性の追求のしすぎで、女性一人称にも挑戦。
太宰治に笑われそう。

だいぶ月並みで、おかしな話になってしまったが、(M-1グランプリ見ながら書いた物で)
まあ、聖夜の戯れ言と思って、許してください。

◇◇◇


「君が見たのは、きっとUFOだったんだよ」

マサトはわたしの目を熱っぽく見すえて言った。

話にのめり込むあまり、前かがみになりすぎて、コーヒーが胸元で傾き、こぼれそうになっている。

わたしは、気が気でしかたがない。

「でも、そんなの本当にいるの?わたしが見たのはそんな曖昧な物じゃなくて、もっとしっかり見たんだよ」


あたりにあらん限りの光をまき散らしながら、浮かび上がる巨大な物体。

まるくて、銀色で、てかてかひかるもの。

たちまち起こる猛烈な風。吹き荒れる砂嵐。



わたしは、それを見た、と彼に言った。


「UFOの意味知ってる?未確認飛行物体。だからそれはUFOだよ。そんな大きな物が飛びたてばもっと多くの人が目撃してもおかしくないはずだ。でも、どうだい?この喫茶店の店長だって、知らないって言ってたじゃないか。これはきっと普通の現象じゃない」

わたしとマサトは、わたしが見た物の確認のため、わたしがその物体を見た地点にほど近い、商店街に来ていた。この喫茶店は、その中でもやや高台にあり、もしかすると、わたしが見た物を見ているかもしれないと、立ち寄ってみたのだ。

「でも」

わたしは異議を唱える。

「わたしが見たのはだいぶ夜更けだったし、もう寝てたんじゃないかな。」

「でもね、UFOは」

マサトは全く意に介さない。

「多くの場合、それを見た人々の記憶を消していくらしいんだ。だから、ここの店長も、記憶を消されたってことがあり得るよ。きみは...、きっと幸運だったんだよ」

UFOに記憶を消されなかったことがどれほど幸運なことか、わたしには全くわからなかったが、それを語るマサトの目の輝きは先ほどより、いっそう増したように思われた。

少し胸元の開いたシャツの襟元から、彼の鎖骨と、胸元の一部が見える。

少しも男らしくない彼の、男性としての一面を意識してしまって、思わず、どきりとした。

あわてて目を上げれば、また彼の真っ直ぐな視線が暑苦しいほどに、わたしの目を射貫いてくる。


まいった。


わたしは自分の顔がじわっと熱くなってくるのを感じ、思わず目をそらし、手で、ぱたぱたと扇いだ。


マサトは大学の同学部、同期生だ。わたしは元々、あまり男の人とつきあう方ではなかったが、彼は男子の割には目が大きく、少年のような顔立ちであったので、比較的簡単に話しかけることができた。

つきあい始めてわかったのだが、彼は相当に変わっていて。自分の興味のあることにはすさまじい集中力を見せるくせに、食事や服装には一向に無頓着だった。わたしは以前、彼が3日続けて同じ服を着ていたのに気づいたことがある。彼にそれを注意すると、彼は意外という顔をして、

「別に汚れてもいないし、いいかな、と思って」

と言って平然としていた。

食べ物に関しても、一緒にお昼を買いにコンビニに行ったりすると、決まって、メロンパンと、野菜ジュースだった。彼に言わせると『少なくとも、死なないメニュー』なんだそうだ。

“グルメ”なんて回路は、彼の頭脳にはないらしい。

女の人への興味だって、あるのか無いのか、はっきりしない。わたしといるときも、他の女の子といるときも、男の人といるときですら、見ていると対応がほとんど変わっていないように思える。

わたしがいくら、ちょっと気合い入れてお化粧してみても、彼が良く着る服に合うような色の服を選んでみても、全く気づいていないようだ。

今日だって...。いつもよりきめてきたのに...。初めて、控えめにだけど、グロス、入れてみたりして。彼にとっては、脂っこいナポリタンを食べて、てかてかになった唇と大して変わらないんだろうけど。


「でも、だとしたら」


彼の声に、はっとする。


「UFOはどうして、君の記憶を完全に消さなかったんだろう。単に消しそびれたのか?でも、広い宇宙を渡ってくるような科学力のある宇宙人が、そんなミス、するかなあ...。」

彼はそういうと、前のめりになっていた体を元に戻し、腕を組んで、机の隅をじっと見すえたまま、動かなくなった。

作り物のおもちゃのように、あるいは小さな子供のように彼の動きはわかりやすく、表情から、内面のすべてまでも、読み取れてしまうように感じた。

いったいどういう育て方をされたら、こんな子供になるのやら。

親の顔が、見てみたい。本気で、そう思った。


実は、彼と二人きりで出かけるのはこれが初めてだった。もちろん、一緒にお昼を食べることくらいは良くあったけど、すべて、それらは学校での話。それらから、完全に離れて、プライベートで、彼と連れ立って出かけたのは、今まで一度だってない。

わたしは前から、いつか、彼とどこかへちょっと出かけてみたい、と思ってはいたのだが、彼はなんと言ってもこのような人だし、彼の方から言い出す見込みは全くない。そこで、ちょっとヘンかな、とも思いつつ、わたしの方から、彼に、今回の外出を誘ってみたのだ。

私自身、男の人と二人きりで出かけたことなんて、今まで数えるくらいしかなかったけど、たいてい、そういうときは、相手の方が持ちかけてきてくれたから、それが普通なんだと思っていた。

そういうときは、男の人は行く先から、食べるとこ、見るとこ、あらかた考えておいてくれて、わたしは何も考えずとも、楽しいお出かけになるように、十分仕組まれていることが多かった。

でも、今は、こっちが主導しなくてはならない。

何せ、相手はこの人だ。ほおっておいたら、また、コンビニでメロンパン、なんてことになるに決まってる。


わたしは、彼が大学のUFO研に入っていることを友達から聞いたので、昔、このあたりでそれらしき物を見たと言うことを彼に話したのだった。

すると彼は、驚くほど簡単に、その話に食いついた。

ちょうど、今日のように、目を黒真珠のようにきらめかせて、顔を、鼻と鼻がこすれるくらいに近づけて。

教室でその光景を目撃した友人は、私たちが、キスすると勘違いしたらしい。びっくりして、目をまん丸に見開いていた。わたしはそれを見て、ますます恥ずかしくなり、思わず赤面してしまった。


わたしは彼と、このあたりに来ることが決まってから、おいしいお店を調べ、食べ歩きができそうな小さな屋台が、意外にたくさんあることも知った。

この喫茶店も、そのいきさつで、目をつけておいたところだ。

お店で豆を煎る、自家焙煎のお店。
遠く県外から、毎週通うお客さんもいるという、隠れた名店。

見つけたとき、いいお店を見つけた、と、一人で喜んでいた。


今まで、自分が男の人にしてもらっていたことを、今度は逆に、こんな男の人のために行うことになるとは、夢にも思わなかった

彼は、そのことを知っているのかな。


わたしは彼の冷めかけて、湯気を出すのも忘れたコーヒーを見て、思わず、小さなため息をついた。

これだけ、努力したのだから、

せめて、一言でも言って欲しい。『ここのコーヒー、すごくおいしいね。』

とでも。

彼はわたしの気持ちを知ってか知らずか、まだ腕組みをしたまま、机の隅を見つめている。しかし、これほど見つめた机の隅すら、彼の記憶には何の印象も残さないのだろう。今日のわたしの、努力のように。