2011-01-13

初心

今日の夕方のことだ。

研究室のM2の女生徒が、襟元に淡いカーキ色のファーの付いた防寒着を着込んで、廊下ですれ違いざま私を見て、破顔一笑、「買って来ましたよ」と、右手に下げたスーパーの買い物袋を持ち上げた。

何が?と私は危うく聞きそうになったが、すんでのところで思い出した。
「楽しみにしてる」

自分でも意地が悪いと思う笑みを浮かべながら、作業スペースへ向かう彼女の背中を見送った。


遡れば、先週の金曜日の話になる。

今の時期のM2といえば、就職活動の最中であることのほうが多いのだろうが、幸い彼女らは早めに内定がもらえたようで、比較的、時間に余裕があるようだった。週末でもあったし、手の空いているひとだけで小さな飲み会を開くというので、私も誘われ、他の後輩と4人ばかり連れ立って出かけた。

行った先は近所にできた新しい店で、4人のうち誰も入ったことのない店だった。私たちの入ったときまだ他に客はおらず、たった一人しかいない若い店主は、「いらっしゃい」と待ちくたびれていたかのように威勢よく声をかけた。ヒップホップでもしていそうな調子の外見とは裏腹に彼は愛想良く、食べ物も比較的安価で、良い雰囲気の居酒屋だった。

ビールに、店主の勧めるまま、地場の刺身などをつまみにしながら、4人でしばらく和やかに語り合った。強い弱いの差はあれど、4人とも酒は好きな方なので、左手は休むこと無く働き、話題はめまぐるしく変わった。そして興味はやがて、普段の食生活に移った。

4人のうち、その女生徒を含む2人の学生は自宅から通う学生であり、私ともう一人がアパート暮らしだった。

「就職が決まったから、勤務地によっては4月から一人暮らしです」女生徒は言った。
「……初めてなんですよね、一人暮らし。この年になって」

「料理なんて作れんの?」からかい半分に自宅生の後輩男子が言った。彼は料理は比較的得意だと言っていた。「作れますよ!」彼女はそう主張したが、「でも、家にいると作る機会もないし、いつも作っているわけではないです」とすぐに引き下がってしまった。

「彼氏に作ったりしないの?」また別の誰かがそういじわるな質問を投げつけると、
「んー、」と彼女は困ったように笑って、「あんまりしたこと無いなあ」と言うのだった。
「実験してる様子からみると、料理は作れそうだけど、思い切り良さそうだよね」
私は彼女の実験する様子を思い出しながら言った。彼女は何をやらせても比較的上手だが、込み入ったところは大幅に省いてしまうような、大雑把なところがあった。

「そうかも知れないです」彼女は笑いながらあっさりと認めた。
「……将来のために、作れたほうがいいとは思うんですけど」

それでは、ここにいるメンツのために、一度作ってもらおう。誰が言い出したか、話は自然とそんな方向になった。「機会がないなら、予算を決めて水曜日あたりに、与えた課題の料理を作ってもらえばいいんですよ」料理の得意な後輩はいたずらっぽくニヤニヤ笑いながら、そう言った。「どんなものが出てきても、僕達で食いますから」

「ホントですか~」彼女は困ったように笑ったが、「それなら、ほんとうに作りますよ」と言い出し、どうやら思ったより乗り気のようだった。

「そう?じゃあ、やってみてよ」その反応が面白かったので、私はあおるように言った。「一回目は、……そうだなあ……。とりあえず『ハンバーグ』、で!」
私はハンバーグという料理に、特に愛着があるわけではない。だが、初心者の腕前を見る料理としては最適な様な気がしていた。そこそこに手順が多く、手際の良さも要求され、工夫の仕方も五万と存在する。だが、料理本などを見て、着実に基本を守れば、それほどひどい失敗もしない料理だという印象があった。

「ハンバーグですか……」グラスに半分ほどのピーチフィズを持った彼女は、どことなく不安げだった。

「作れる?」念を押すように私が言うと、彼女は意固地になったのか、「作れますよ!」はっきりと言ったのだった。

こうなれば、もう実行しない根拠はない。
彼女が料理を作るという件は、こうして満場一致で決まったのであった。

だが、話がまとまってからも、彼女は少し不安だったらしく、時折、小声で、
「ハンバーグって、合い挽き肉ですよね……」などと言っているのが聞こえていた。しかし私は、そこはあえて、聞こえないふりをして過ごした。


飲み会の決まりごとというものは、その時はどれほど乗り気であっても、次の日酔いが冷めてしまえば、一緒に興味も萎えてしまい、面倒な気分だけが、残ってしまうものだ。しかし、彼女の決意は、どうやら本物であったらしい。

その日、廊下ですれ違った私の前に彼女が差し出した買い物袋の中身は、パン粉と、ソース類と、二種類のひき肉であった。

彼女の買い物に付き合わされた料理好きの後輩男子曰く、調理過程は見ないほうがいいということだったので、私はその調理部屋に、一歩も踏み込まないつもりでいた。

しかし、こういうものは、調理過程にこそ面白みがあるというものである。本来であれば、一部始終をカメラで収めておいて、後でメイキング映像でも編集して、永久保存するべきものであろうが、それをするには事前の準備が足りなさすぎた。

私は彼女が食材と格闘している間、そこからは二部屋ほど離れた実験室にこもって、動かないようにしていた。だが、それでも、どうしても気になるものは気になる。とうとう、一度だけ禁を破り、私は彼女が調理する様子を部屋の外の窓から見てしまった。

それはおそらくは、鶴の恩返しのおじいさんが、機織り中の鶴を見てしまった心境に似ていたのかもしれない。あるいは、冥界に行ってしまったイザナギをこっそり見てしまったイザナミの心理もこのようなものだったのだろう。多分にもれず、その結果も似たようなものになった。

私は告白する。私は、包丁を体に平行に使う手法を、生まれてはじめて目の当たりにした。彼女は目の前の、まな板に乗った玉ねぎを、肘を不自然に上げ、脇を開いたような格好で、包丁を体に並行にするようにして切り刻んでいたのである。それは、一般にいう、みじん切りを想定しているようであった。その光景は、30年近くの人生の間に、私の中に蓄積した常識という名の澱を、全てことごとく、見るも無残にすっからかんに洗い流した挙句、積み上げてきた固定観念すら、レゴブロックに墜落したロケットミサイルよろしく、ボッコボッコのぎったぎったにして余りあるほどの衝撃であった。

彼女はどうやら、本当に、料理を作ってこなかったようだ。
私は今や、すべてを悟った。

これは、ハンバーグを期待してはいけない。たとえ、ハンバーグという名のひき肉炒めが出てきたとしても、私は笑って、それを食うべきであると。


それから、呼び出しがかかるまでの間、私は蛇に睨まれ諦観したカエルのようにおとなしく実験室で論文を読んでいた。研究室の大きく開いた窓からは、雪の積もった外の景色が見えた。昨日までの天気がうそのように、空は晴れて清々しく、飛んでいこうと思えば、どこまでも飛んでいけそうな青空であった。真冬日の冷え切った空気が街路に蓄積した白雪を引き締めて青い光を放っていた。一点の曇りもない、青と銀に彩られた風景が、私に現実に立ち向かう覚悟を決めさせたとしても、それはあながち嘘ではない。涙など、今日は用意してこなかった。

私はそうして、大分覚悟して戦場に臨んだのである。しかし、結論から言うと、そのような私の心配は全て杞憂であった。
出来ましたよ、という呼び出しに駆けつけてみると、そこには「ちゃんとした」ハンバーグが並んでいたのである。ちょうど、彼女の手のひらのくらいの大きさであろうか。やや小ぶりで、不揃いではあったが、焼き目は揃っていた。そればかりか、彼女はハンバーグを作れば良い課題であったにもかかわらず、目玉焼きまで用意していたのだ。これはつまり、いわゆる「ロコモコ」である。

「……すげえ」私は思わず、素直に褒めてしまった。「すごいですか」彼女はそう言っただけだったが、その表情はどこか得意げだった。

飲み会の時の4人と、その場にいたほかの学生と一緒にロコモコを試食させてもらったが、味は合格点だった。私だけでなく、一緒に試食したほかの後輩もみな一様に驚き、満足した様子であった。
「これだったら毎週作ってもいいですね」作った本人は調子に乗って、そんなことも言っていたが、そう言われても笑って許してしまえるほどの出来だった。


彼女の作った料理を食べていて、思い出したことがある。
私は、以前、料理のあまり上手ではない女性にポテトサラダを作ってもらった男の短い話を書いたことがあった。その話の中で、主人公の男は、味の薄いそのポテトサラダに、彼女の考えすぎなくらいの思慮を感じて、「やさしい味だった」と評してしまうのだが、私は彼女のこの挑戦を見ていて、それに近いものを感じてしまうのであった。

おいしい料理や、上手な料理というものは、キリがないほど無数に存在する。それはちょっと料理を勉強した人間であれば、いずれ作れるようになるものだし、他人に頼んで作ってもらうことも、それほど難しいことではない。しかし、誰かに食べさせたいと強く思って作られた料理というものは、この世の中に、それほど多くは存在しないのではないだろうか。

彼女の作ったハンバーグは、冷静に観察すれば、技術的に未熟なのは否めない。形は不揃いであるし、火はやや通り過ぎていてせっかくの味を逃がしてしまっていた。もっと上手に作れる人間はこの研究室だけでも何人もいるのだろうし、彼女の作ったものをとりわけ褒める根拠は、そう考えると全くないのかもしれない。

しかし、料理が得意ではないと自認していた彼女が、作ったこともない料理を一から勉強し、食べる相手のことを考えながら、少しでも褒めてもらいたいと、一生懸命に作ったことにこそ意味があるのだ。作業時間は最初から計ってみると、2時間をゆうに超えていた。

この味を出せる人間が、世の中には、どれほどいるのだろう。こなれた上級者の作業の中に、果たしてこの味はあるのだろうか?料理学校の洗練されたレシピは、この味を効率よく再現することができるだろうか?

いつか料理の腕前が上達し、彼女にとって料理が作業になった瞬間から、この味は彼女からも容易く失われてしまうのだろう。そういう意味で私は夏の自然氷のように貴重で、切ないものを味わったような気がしている。

いつか彼女が一人前の女性になり、親になったときに、歯が生え立ての息子の離乳食の中に、好き嫌いの多い娘のための不思議なコロッケの中に、親心をくだいたようなこの味が残っていることを祈りつつ、私は空になった椀に自らの箸を下ろした。