2007-10-15

さざなみ買った

【今日やったこと】

ねずみを業者に発注。

あさってきます。

後は論文読んだ(ふり)。

穏やかな週のスタート。

日本ハムが勝った。
◇◇◇


スピッツの新しいアルバムを買った。

『さざなみCD』。

アマゾンで予約してまで。

自分は、結構気に入ったバンドのCDを一から集めることが多いタイプだが、
さすがに予約してまで買うのはスピッツだけ。


いつ聞いても、同じように子供っぽく、青臭く、そして、どこかおかしな曲たち。

でも、そのおかげで、青春、とかいうやつが少しずつ遠ざかって行く今の時期にあっても、
その始まりの、なんだか気恥ずかしい感情や、ときめきみたいなものが、がらにもなく、よみがえってしまう。その不思議なチカラ。

今回も、まんまと、ときめいてしまった。


スピッツの曲は、ボーカルの歌い方や、歌詞の奇妙さから、なんだかへんてこりんな恋の歌のように思われがちだが、聞けば聞くほど、その深い『泥臭さ』に気づいてくる。

例えば、“空も飛べるはず”は、どう考えても、空を飛べていない人間の叫びだ。

“空も飛べるはず”。そう人が言う時、その足は、泥にうずまり、完全に身動きが取れなくなっている。でも、それでも、空を見上げ、空を飛びたいと心から切望する。

実際にこの歌の冒頭は、“...神様の影をおそれて 隠したナイフが似合わない僕を...”
という、内に秘めた暗い暴力性を吐露する歌詞になっている。

スピッツの歌詞で、定番の“そら”、“とぶ”、“まほう”という、浮いた表現に混じって、“どろ”、“ぬかるみ”の表現が多いのも、その奥の泥臭さの、まさに表れだろう。

前者は祈りであり、後者は現実。その現実からの祈りの曲。自分にはそう聞こえる。


そして、実は、恋そのものも、だいぶ覚めた目線から、見ている。

恋愛に浮かれ、一人で、あるいは二人で“踊りを踊っている”、そんなさまを、暖かく、そして揶揄して表現したような歌詞が多い。

けしていずれも否定せず、完全に肯定せず。

反抗もできず、従順もできない。


矛盾だらけで、あいまいで、でもそれを和と呼んで尊ぶ、日本人には、
こう言う、一見無害で、でも少し毒の効いた歌詞は、
にやりとした<薄ら笑い> (ジャパニーズスマイル) とともに、
けっこう響くんじゃないでしょうか。

少なくとも、わたくしはまた、一人、ときめいてしまいましたけど。
にやりとした薄ら笑い、浮かべて。