2007-11-03

小さい季節


【今日やったこと】
久しぶりの細胞培養。

理研から細胞を取り寄せて、飼ったことも無いミエローマ細胞を培養中。

こちらの研究室に移ってから、細胞を培養するのは初めてなので、
ベテランの先輩に、手取り足取り教えてもらって、一から出直し。

場所が変われば、培養法も変わるもんだ。

ガスバーナー使ったの、初めて。

たのむから、コンタミするな。

◇◇◇

書こう書こうと思っているうちに、もう、先週のことになってしまったが、
隣町の森林公園に再び行ってきた。

北海道の森林公園は、もはや、普通の森林で、林道があるか無いかという違いくらいしかないような気がする。それほど広大で、夏にはうっそうと草木の茂る、自然林だ。

その森林公園に、夏には一度行ったことがあるのだが、秋も深まってきた今日この頃、紅葉を見ようと、もう一度行ってきた。

紅葉は、今いる大学のものも非常に有名で、学校の門から続く長いイチョウ並木が、ことごとく、鮮やかな黄色に染まる。イチョウはみな古い木で、背も高く、さながらイチョウのアーケードのようになる。おのずから、その下を歩く人々はみな、足取りが穏やかになる。

そんなすばらしい秋を毎日見ているのだから、それだったら、あの森林公園のものは、どれほどきれいだろうと、思わないはずが無い。過剰なほど、期待して行ってきた。

結果は...。予想以上だった。

ただでさえ広大な森林公園の、ほぼ全ての木々が、みごとに紅葉しており、秋に取り囲まれたような感覚になった。赤、黄色、黄緑、茶色...。夏には、ほとんど緑一色だったはずなのに、秋には、これほど鮮やかになるのだから、不思議だ。夏の緑が、秋の太陽の光と、どんな化学反応を起こしたら、こんな色になるのだろう。

小さい秋、という歌があるが、北海道では、小さいのは明らかに人間のほうだ。
圧倒的な大きさの秋が、木々の色を染め、多くのどんぐりを実らし、鳥の歌声や、人々の心までを変えてしまう。それをまざまざと見せ付けられる。

公園へと延びる、坂道の一直線の道路にも、多くの枯葉が積もっていて、そこを車が通るたびに、枯葉が渦を巻いて巻き上げられ、なんだか、イギリスあたりの映画のワンシーンのようだった。

林道は、多くの人たちが散歩していて、中でも、一度すれ違った、二頭のダックスフントは、短い足を、深く積もった枯葉の中にうずもらせ、枯葉の上に顔だけ出して、そのきれいなブラウンの体色のせいもあって、枯葉のお化けのようになって、散歩していた。

そして、秋の紅葉の色は、夕日の色によく映える。ことに、北海道の太陽は、昼間でも、すでに低い位置にあるため、なおさら、紅葉が美しい。

北海道が、夏だけだと思っていたら、損をする。道外の人は一度、この短い秋の時期に、来てみるべきだと思う。