2008-04-06

○▲□ (まるさんかくしかく) - 14

僕らが再び老夫婦の家から青年団の事務所に戻ったとき、安西さんは僕らの到着が遅いのを心配して、事務所の前でうろうろしていた。

「お、来た来た。あんまり遅いから、電話を掛けようと思っていたところだよ。」
安西さんはほっとした顔で言った。そして僕らを手招きするようにして、
「それじゃ、説明するから、中入って。」
と言って、奥へ先に入っていった。

中へ入ると、そこには僕らの他には、数人の職員の方が働いているだけだった。
最初来たときにはいた、多数の団員の方達はすでにそこにはいなかった。

安西さんに聞くと、すでに皆、仕事を始めているらしい。

「まあ、さすがにみんな、もう3回目だからね。ほら、あの通り、みんな出てしまっているよ。」

安西さんの指さす方向には、団員の出欠を表すホワイトボードがつるされていた。
ほとんどの人の名前の脇に赤いマーカーで『ミステリイ』とかかれている。少々不気味だが、ある意味、壮観だ。青年団の男集が総動員と言ったところだ。まさに、このミステリーサークル造りは、この小さな村を挙げての大イベントなのだ。

「それにしても」
シイタケが言った。
「ほとんど、及川なんですね」
確かにそのとおりだった。安西さんを除き、ほぼ全員が及川だ。
「あそこに書いてあるので、及川でないのは、」
安西さんが言った。
「私と、黒柳君だけだね」
「テツ...、いえ、クロヤギさんも」
カタクリが口を開いた。
「青年団の一員なんですか?」

言われてみれば、ホワイトボードの一番下に、『黒柳』としっかり書いてあった。

考えてみれば不思議だ。トメさんは黒ヤギはこの時期にだけ村に来ると言っていた。この村の人間ではないはずなのに、どうして青年団の団員に名前があるのだろう。
「そりゃあ、そうさ。」
安西さんは、少し誇るように、大きな声を出した。
「黒柳君は、我が村の、恩人だからね。」
「恩人?」
あの見た目の暗い男が、この村に一体何をしたというのだろう。
僕らはその話を聞いて、一様に不思議そうな顔をしていたに違いない。

カピパラは意外と普通と言っていたが、カタクリを二年も苦しめるようななぞなぞを残す無責任な態度と、村外者でありながら恩人として、青年団の一員にならべられるそのギャップを、僕らはどうしても埋められずにいた。

「君らはまだ、黒柳君に会ってないのかい?留藏さんの家に、泊まってるはずだが。」
「あ、会いました。でも、見かけただけだったので。」
カタクリが言った。

「そうかい。あの子はなかなか寡黙だからね。でも、いい子だよ。あの子のおかげで...」

そのとき、遠くの方で、断腸!と声がした。

早具して毛音ベガ!毛羽島ッテっ徒!

「王、今伊具!」
安西さんは答えた。
「はは、急かされちまった。もうみんな始まってるそうだ。じゃあ我々も、ちゃっちゃと終わらせていきましょうか。」

安西さんは、黒ヤギについての話を切り上げて、手元の地図を開いた。

地図には、ミステリーサークルを作る畑の区画が記されており、そこに、様々な形状の幾何学模様がびっしりと記されていた。それは地図を見ただけ度でも十分に美しく、これが実際に畑の上に描かれたら、と思うと、僕は思わず興奮した。

「基本的に、細長い板きれで、この線をなぞるように麦を踏みつけていくのですが、」
安西さんは言った。
「塗りつぶしてあるところは、全部踏みつけなくてはいけません。そこは一面平らにするのです。」

「麦を踏みつけても、大丈夫なんですか」
僕は尋ねた。

「元々、今回使う土地は、食糧難の頃に、無理矢理開墾したもので、それほど畑作に向いているわけではないのです。今では逆に、ミステリイサアクルを作るために麦をまいています。それに...、不思議なことに、このサアクルに使った方が、使わなかった隣の畑より、麦がよりよく育つように思います。収穫後、“宇宙麦”として、次の年のおみやげ物にしているんですわ。」

商魂たくましいものだ。売れるものなら何でも打って、村おこししようとしている。
多少つまらない者でも、しょうもないものでも、売らないでいるよりは、遙かにましなのだ。

踏みつけた方が育ちがいいというのは、門外漢の僕には不思議でしょうがなかったが、安西さんは、自分が思うに、とちょっと置きして麦の栽培の際に行われるという、“麦踏み”と言う農作業について教えてくれた。

「麦は、踏みつけた方が、強く育つ、とは昔から言います。実際それで、まだ若い苗を踏みつける作業というのが、冬巻き麦なら春先に行われるんですが、」
安西さんは、首をかしげて
「我々のように春蒔きの麦で、しかも、ある程度大きくなってから、麦踏みをすると言うことは、まず無いでしょう。普通だったら、そのまま、しおれてしまっても、おかしくないですからね。...まあ、何がミステリイと言って、これが一番のミステリイなのかもしれません」
そう言って、大きなおなかを揺らし、はははと豪快に笑った。

その不思議な話に僕も思わず引き込まれ、あれやこれや、質問を浴びせてしまっていた。
そして気がつくと、僕は夢中になるあまり、すっかりカタクリのことを忘れていた。
彼女は黒ヤギのことを、聞きたがっていたはずだ。

ふと見ると、カタクリは目を伏せ、うつむき加減だった。話は全くと言っていいほど聞こえていないらしかった。彼女はもっとテツヤの話を聞きたかったのだろう。眉根を寄せて、何か衝動のようなものを、こらえている様子だった。

それを見て、なんだかカタクリに対して、ものすごく済まないようなことをしたような気がしてきた。

彼女のために、何かしてあげたかった。でも、僕に、今、一体何ができるだろう。何と言ってあげたらいいだろう。

僕には、分からなかった。



シイタケは、カタクリの隣に座っていた。

カタクリの、そのおちつかない様子に気づいたのか、シイタケはさりげなく、顔は安西さんの方へ向けたまま、膝の上に組まれたカタクリの細く白い手に、その小さな丸い手を載せた。

カタクリはその手をじっと見つめそして、少し微笑んで、それをそっと握り返した。

たった、それだけの仕草だった。

しかし、カタクリの表情は、その前後で、はっきりと変化していた。
その表情には、わずかではあるが、元の涼しげな安らぎが戻りつつあった。


一言の言葉すら、そこでは必要なかった。

考えてみれば、僕がカタクリのために何かをできる場面は、これまで、幾度となくあったのに、僕は何一つ、彼女のために役に立てたことはなかった。

むしろ、内心少なからず軽蔑しているシイタケの方が、相手の一番して欲しいことを、必要なことを、とっさにくみ取ってやっている印象があった。

涙を拭いてあげる、手を差し出してあげる。

たったそれだけのことで、相手はどれだけ心強いだろう。

特技も車も鞄も無く、顔すらイマイチであっても、
人である限り、人を支えてあげることはできる。

こんなシンプルなことを、すっかり見落としていた自分に気づいた。

しかし、支えると言うことは、口で言うのは簡単だが、非常に抽象的で、実際に行為としてそれを実行できる人間は、どれほどいるのだろう。

少なくとも、僕には、シイタケがカタクリに対して見せた、いくつかの実際の振る舞いを除いて、その具体的な行為を思い浮かべることが、できなかった。

そして、いざそれが必要となったとき、それを自然に実行する自信も、自分にはなかった。


「どうかした?」
安西さんが、心配そうな顔で、僕らを見つめている。

「いいえ、なんでもないです」
カタクリが答えた。

じゃあ、続けるね、
そう言って、安西さんは作業の説明に戻った。

カタクリは、シイタケの、お世辞にも形の良いとは言えない丸い手を、その膝の上で、まだ、そっと握っている。

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