2011-04-02

縮み上がることが復興につながるのか?

デイリー南三陸編集後記
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東京ではすでに桜が見頃を迎えているようだ。被災地東北の春はまだ遠いが、それは確実に近付いている。泣いても、笑っても春は来るものだ。自然は冷淡で、そして誰よりも温かい。

さて、 どこかの知事が、このご時世だから、花見などするべきではないとコメントしたという話がニュースになっていた。また、テレビ東京が報道体制を通常に戻し、アニメを流したところ、苦情の電話が600件も来たという。被災地を想い、苦しみを共有するという暖かさは感じるが、ここではあえて、そんなことはするべきではないと言いたい。

日本の約半分近い地域が被災した今回の震災において、東日本の経済活動もほとんど停止した状況にある。こんな状況で、さらに経済を動かさずに縮み上がっていたなら、一体誰が、この苦境からの復興を成し遂げられるというのだろうか。復興には多額のお金がかかる。 そのお金の大半を拠出するであろう国も、我々の経済活動から税金を得て活動できる組織である。 円滑な復興をもたらすためにも無事だった地域の人々は、どんどん働いて、お金を稼がなくてはいけない。

知事のコメントやテレビ東京への苦情は「被災地を忘れるな」という声の表れでもあるだろう。その点は共感する。長い時間がかかるこの復興で最も大切なのは、常に一定の関心をこの件に持ち続けていることだ。被災者やその支援者、メディアはそれを意識し、震災を忘れられたものにしないよう、努力し続ける必要がある。

復興とは、つまりは日常を取り戻すことだ。視聴者に心の傷を追わせることすらある、震災対応の物々しい報道が、春の訪れを告げるニュースや、楽しい番組に置き換わっていくことは、必ずしも悪いことではない。

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