2009-08-13

さわる

人と人との間には、目に見えない幾つもの深い谷底がぽっかりと口を開けていて、僕らはそれの存在を半ば認識しながら、果たしてそれに気がつかないふりをしつつも、冷や汗垂らし垂らし、見えない崖を超えようとする。

果たしてその崖を超えることに、どれほどの意味があるのか、自身で良く自問自答はさせていただいたものの、未だ結論は出ず、ただただそれが、強迫神経症の元凶の、汚れた手で触った冷蔵庫の取っ手の縁の谷底のような嫌悪感を伴った、嫌らしい品物であるかのように、眉間に皺寄せて、それでも手を付けるのだ。

果たしてそれに手を付けたことは正解だったのか、それとも不快なだけだったのか、後悔だけが先に立って、それでも手を差し出した自分の行為の意味と、後ろから背中を押しておいて、自分だけは逃げ帰った、見知らぬ知り合いへの恨み節ばかりが、偏狭なる心の窮屈なワーキングスペースを占有していく。

それでも手を掛けずにはいられなかったその、やはり強迫神経症の発作のような何か自分を急かす情動に、勝った負けたと勝負にもならない勝負を仕立て上げて、自分は負けたわけではないのだという、ありもしない引き分けに持ち込んだ、優柔不断で柔軟なこの不敗の定義に、

救われたような、堕とされたような、人間回復のこの道上。

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