2007-08-18

科学書発行部数倍増計画 (仮)

【今日やったこと】
クローニングしたコンストラクトにインサートが入っているかを調べるためにダイレクトPCRをしてみたら、なぜかまったくバンドが見えず (おそらく、二日酔いの吐き気の合間にやったせい。すべて、最後に飲んだ“ボウモア”の責任)、しょうがなく制限酵素処理中。
どうなることやら。

◇◇◇


今、科学系の本では珍しく、紀伊国屋売り上げトップ10にちらちら現れている新書がある。

『生物と無生物のあいだ』 という本で、著者は青山学院大の教授、福岡先生。売り上げがいいだけあって、本屋で見ても、確かに入り口のそばに平積みされていたりするし、ずっと気になっていたのでついに買って、読んでみた。

内容は...。わかりやすい、生物入門書、といったかんじ。

生物学の面白話満載。ワトソン・クリックのDNA二重らせん構造発見にまつわる黒い話、PCR見つけたサーファーの話、遅咲きの (そして未婚の) 学者のホシ、DNAが遺伝物質であることを証明した、アベリー大々大先生の話等々。

おそらく、こっちの方面に興味のある、ちょっとおませな高校生くらいなら、すらすら読めてしまうんじゃないかと思う。


この本の帯には何人かの著明な方々がコメントを寄せている。

そのなかに、 “福岡さんほど文章のうまい科学者は稀有である” と、あのNHKの某番組で、時々科学者らしくない (人間味のある?) 質問をぶつけておられる、脳科学者の茂木健一郎さんが書いている。
自分も読んでみて、確かに、学者にしては読みやすい、読者を飽きさせない書き方をされる方だとは思った。

こう言う業界に一応浸っている人間が言うのもなんだが、どうしても、科学というやつは一般から見て敷居が高いし、科学の本を読もうという気も起きないという人が世間にはざらにいる。

文学者じゃなくても、純文学の小説は読むが、科学者じゃないのに科学の本はなかなか読まない。

ブルーバックスや、その他の新書ががんばってはいるが...。100年近く前の『羅生門』、『坊ちゃん』が平積みされる一方で、科学書は、たとえ新刊であっても、棚の隅に追いやられていることが多い。

(最悪の場合、いわゆるエロ小説のカモフラージュに使われていることもある。つまり、科学書のような堅苦しい本の向かい側にエロ小説をおくことで、体の向きをとっさに裏返すだけで、先ほどまで、そういった“こはずかしい” 本を注視していたということを隠せてしまうのである。どうせそういう時、男子の顔はいずれにしろまじめ腐っているか、しかめっ面のことさえあるのだから、顔の表情すら、変える必要が無い)

そんな、どこまでも肩身の狭い、虐げられた科学書業界の中で、こういった“伝える力”のある先生というのは非常に貴重な存在だと思う。


一学生が、こんなたいそうなことを言うのもなんだが、自分は大学の先生は、専門課程の先生と、教養専任の先生に分離すべきだと思っている。

大学3,4年といった、専門家を養成する時期には専門課程の先生が、それ以前には、教養の科学の先生が教えるべきだ。

教養は、他分野の学生に、異分野を知ってもらう、おそらく、最初で最後の機会であるから、そこに、わかりやすく、面白く、科学を伝えられる先生を専任させれば、もっと、科学ってやつもポピュラーになるんじゃないかと思う。

必ずしも、バリバリの研究者で無くったってかまわない。科学の成り立ち、そして最新の科学を理解し、教える、伝える能力に長けていることが重要なのだ。

また、一般にもっと科学を伝えるためにも、そういう、伝えることを得意としている科学の先生がいれば、ずいぶん変わるのではないだろうか。

まあ、茂木さんが“稀有である”って言ってんだから、福岡さんのように読める科学書を書ける人材は、よっぽどいないんだろうけどね。
グールドとか、ドーキンスとか、ファーブルとか、シートンとか、カーソンとか、日本人だと多田富雄さんや、柳澤桂子さんとか、そういう 『ものを書ける』 学者がもっと出てほしいし、自分もちょっとあこがれる。


ちなみに現在は先日亡くなった心理学者の河合隼雄さんの 『昔話と日本人の心』という本を読んでます。昔話から、日本人の深層心理を読み解こうという、野心的な作品。


ユング派っておもしれー。

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