2008-04-16

入院病棟の平和

【今日やったこと】

また、ウナギの解剖。

飽きもせず。
いや、
たとえ飽きていても。

◇◇◇


昨日ウナギの解剖をしていたら、
緑色の肝臓を持った個体が出てきた。

こんなウナギ、見たことがなかったから、さすがに驚き、
いろいろな人に見せて、話を聞いていたら、
ある人が、ビリルビンの過剰蓄積ではないかと言っていた。

僕はよく知らなかったのだが、
ビリルビンという色素は、胆汁の色になっている色素で、
赤血球のヘモグロビンを分解するとできるものだとか。

それがどういう訳か、このウナギには蓄積してしまったらしい。
よく見れば、このウナギは、腎臓の色も同様に緑色で、
血中に多くなったこの色素を、体外に十分に排出できずにいたようだ。

人間では、こういう事になると、黄疸という、顔の色が黄色っぽくなる
症状が出るという。

人間もウナギも、
同じような問題が起これば、同じような症状が出てしまう物のようだ。

人間の祖先も、いつかはウナギのような姿をしていたのだろうから、
僕らは昔から、同じような病気を抱えて、苦しんできたのだろう。

それが今になって、理屈という物を知って、
その解決策を考えつくようになって、

35億年の恨みを晴らすように、様々な病気に、
人間は体当たりで挑んできた。

病気の方も手強い物で、後から後から、人間の知恵を試すように
難しい原理の病気を送り込んでくる。

エイズウイルスなんかは、
人類を緩やかに滅ぼすために、生まれてきたのではないかと思われるほど
意地悪くできている。

おそらくどんなに科学が進んでも、
世界から、病気がなくなることはない。
病気は今も次々と、新しく定義されている。

メタボリック・シンドロームのように
少し前まで、病気として認識されていなかった物が
今では病気扱いされることもある。

新しい病気の数が増えただけ、
“健康”の領域は減っていく。

だとすれば、たとえば十年前より、今の方が
世の中に“病人”の数は増えているのかもしれない。

いずれ、健康が完全に“病気”によって細分化されて
世の中から、この言葉が消え去ったとき、
人は、自己紹介がてら、自分の病気を紹介する日が
来るのかもしれない。

その時、僕らの病気という物に関する概念は、
確実に今とは違った物となっているだろう。
おそらく、何か自分の特技か、特徴のような
その程度の物として、持病を語る日も、来るのではないだろうか。

世界に病人が満ちたとき、
世界から、偏見が消える。

君も僕も病気なのだから、大部屋の入院患者のように、
お互いの病気を説明し合い、それを尊重しあう日が来るのだろう。

それはある意味、一つの健全な状態に
人間が戻ったと言える事態なのかもしれない。

0 件のコメント:

コメントを投稿