2008-04-16

暖かな液に浮かべて君を

顕微鏡の対物レンズの上に

今、小さなプラスチック・シャーレがあり

その上で、直径20マイクロメートル弱の細胞達が
鱗のようにびっしりと並んで、ひしめき合っている。

彼女は昔、アメリカのある病院に子宮頚癌で入院し、
そこで医師から小さな病理献体として採取され
人工的に生態環境を模したRinger液の中で、只静かに、培養されるだけの身となった。

名をヘンリエッタ・ラックス (Henrietta Lacks)。
その名にちなんで、今ではHelaと呼ばれる。

彼女の仲間の多くはもうすでに死んでいる。
仲間を殺したのは、まぎれもなく彼女自身だ。

彼女は癌細胞だからである。
彼女は、彼女の他の仲間と同様に、その身体の機能を維持する、
至って平凡な、しかし、それだからこそ貴重な一個の細胞として生まれるはずだったが、
ヒトパピローマウイルスの突然の侵攻により、その予定運命を狂わされ、
一塊の癌細胞として、その本体を蝕んだ。

彼女は、それから50年以上の年月がたった今でも
その分裂を止めることはない。

ちょうど50年前のあの日のように、
ほどよく暖められ、調整された液の中で、
今日も明日も、分裂を続けている。

この分裂が、彼女を癌たらしめ、そしてその主を死に追いやったとしても、
彼女にそれを知るすべはない。
只、好適な条件であれば増殖し、不適な条件であれば、それを止めるだけのことだ。

確かに、彼女によって死んだのも彼女であったが、
今シャーレの上で生きている彼女もまた、依然として彼女なのだ。

ある人は言う。
彼女は死んだと。

別の人は言う。
彼女は未だ生きていると。

死とは本来、緩やかで、段階的な物だ。

始めに、器官の機能が停止し、
やがて細胞レベルの死に至る。

我々は、目に見える変化しか、知らなかったから、
心臓が止まっているとか、意識がなくなってしまったとか、
そう言う巨視的で不可逆的な変質によって、それを死と認識している。

しかし、顕微鏡という道具の力を得て、
彼女の姿を覗き見れば、

それは間違いなく生きている。

今日よりも、明日には数が増え、
その細胞内には無数の細胞骨格が張り巡らされ、
そのレールを伝って、数多くの分子が細胞の中心から、末梢へと
物資を運搬しているのが見えるだろう。

彼女は人間の、通常の認識の範囲において死んだのだが、
まだその死は、彼女の命の全体に、行き渡ってはいない。

環境が狂わぬ限り、いつまでも彼女はそこで踏みとどまる。

永遠の命を得たことにより、有限なる主に謀反し、
そして、その特性故に、研究者達に利用され、
彼女は世界で最初の、ヒト培養細胞株となった。

夜ごと、暖かな液に浮かべられ君は
シャーレからシャーレへと
幾度となく虚空を超えて
明日の命をはぐくむために
プラスチックのベッドに身を横たえる。

とうの昔に忘れた個体としての自分を
刻み込まれた塩基配列の中に、微かに見い出し
夢見る少女のように、僅かな笑みを浮かべながら、
いつ果てるともない眠りを貪る。

その寝顔を知るものが、もう此処にはいないとしても、
寂しいという感情すら、彼女はすでに忘れてしまっている。

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